生野銀山(9)銀の馬車道とトロッコ軌道と、お金
こんにちは。
明治2年(1869)5月
政府は生野銀山を官営鉱山とするため、没収を決定(『生野鉱山景況書』)
「坑夫の立ち入る事を禁止。生野銀山町民は異議を唱え人心激昴する」(『工部省報告』)

徳川が耕し、明治が収穫。
今日は、輸送とお金。
明治5年~9年(1872-1876)
明治政府は生野に日本の「模範工場」として「世界一の製鉱所(精錬所)」を構築。
建設従事者 20万9千113人。
投資金額 20万1千640円58銭6厘5毛(当時の日当23銭)。
このうち、4万500人と8万8千384円を投じて作られたのが、馬車道。
生野銀山と飾磨津(現姫路港)、約49Kmを南北に結ぶ馬車専用道路です。
「生野銀山道」「生野鉱山寮馬車道」いわゆる、「銀の馬車道」。

徳川時代、代官所がヘルプを頼んだ姫路藩は、ご近所さん。
ルートは、こちら↓

「銀の馬車道」より引用(http://www.gin-basha.jp/ginbasha/)
担当は政府が招聘したフランス人鉱山師フランソワ・コワニエと、技師長レオン・シスレー。

こら。
方法は「マカダム式」
道路を水田より60cm高くし、あら石、小石、玉砂利の順に敷きつめるヨーロッパの土木技術。排水性がよいそうな。
既存の街道を改修するので、市川を利用する船運や鉄道敷設より工事費は安価。
馬車による輸送は従来の8分の1となる計算。

口銀谷の鍜治屋町付近。鉱山で使うノミ等を作る職人さんの町。
「銀の馬車道」は、改修等を繰り返しながら現役の国道・県道。

行きなさい。
8万8千384円の内訳
工期は3年間。
建設費=5万2千500円(1円50銭/1m)
立ち退き費用=2万5千884円
シスレーのお給料及び経費=1万円
総額8万8千384円は、今の価値で35億円。(銀の馬車道ネットワーク協議会)
ちなみにシスレーの月給300円は、今のお金で、せんにひゃくまんえん。

やってらんねぇ。
明治28年(1895)
姫路~生野間に「私鉄の播但鉄道」(現JR播但線)が開通。
大正9年(1920)
馬車道廃止。
生野鉱山本部(金香瀬坑道)から播但鉄道生野駅区間に、トロッコ開通。

市川沿いに軌道が残ります。

アメリカ製の6トン電気機関車、500ミリ軌道。

今は送水管が通っていますが、よく見ると樋の形。

昭和30年(1955)に飾磨港までのトラック輸送が始まり、トロッコ軌道のレールは撤去。
「連続するアーチによって壁面にリズム感が生まれ、石積み擁壁が持つ圧迫感を和らげています。近年、日本の近代化における土木建造物として評価が高まっています。」(現地説明板)

あの上には、姫宮神社。

この子達がいるとこ。

この辺りは

レールを復元。
ここまで遊歩道として整備されています。

この上は、口銀谷の町並みがいい感じでした。
参考文献
『生野史(復刻版)/鉱業編』『生野史(復刻版)/政治編』
(原著:太田虎一/1996年)
いつも応援いただきありがとうございます。
「銀の馬車道」の通る地域が、観光に繋げようと頑張っておいでのようです。馬車道で生野鉱山から姫路港へ運ばれた銀は、大阪の造幣局へ。この絶妙な位置が近代化を促進することにも繋がります。地図を眺めて、ふむふむ、です。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
明治2年(1869)5月
政府は生野銀山を官営鉱山とするため、没収を決定(『生野鉱山景況書』)
「坑夫の立ち入る事を禁止。生野銀山町民は異議を唱え人心激昴する」(『工部省報告』)

徳川が耕し、明治が収穫。
今日は、輸送とお金。
明治5年~9年(1872-1876)
明治政府は生野に日本の「模範工場」として「世界一の製鉱所(精錬所)」を構築。
建設従事者 20万9千113人。
投資金額 20万1千640円58銭6厘5毛(当時の日当23銭)。
このうち、4万500人と8万8千384円を投じて作られたのが、馬車道。
生野銀山と飾磨津(現姫路港)、約49Kmを南北に結ぶ馬車専用道路です。
「生野銀山道」「生野鉱山寮馬車道」いわゆる、「銀の馬車道」。

徳川時代、代官所がヘルプを頼んだ姫路藩は、ご近所さん。
ルートは、こちら↓

「銀の馬車道」より引用(http://www.gin-basha.jp/ginbasha/)
担当は政府が招聘したフランス人鉱山師フランソワ・コワニエと、技師長レオン・シスレー。

こら。
方法は「マカダム式」
道路を水田より60cm高くし、あら石、小石、玉砂利の順に敷きつめるヨーロッパの土木技術。排水性がよいそうな。
既存の街道を改修するので、市川を利用する船運や鉄道敷設より工事費は安価。
馬車による輸送は従来の8分の1となる計算。

口銀谷の鍜治屋町付近。鉱山で使うノミ等を作る職人さんの町。
「銀の馬車道」は、改修等を繰り返しながら現役の国道・県道。

行きなさい。
8万8千384円の内訳
工期は3年間。
建設費=5万2千500円(1円50銭/1m)
立ち退き費用=2万5千884円
シスレーのお給料及び経費=1万円
総額8万8千384円は、今の価値で35億円。(銀の馬車道ネットワーク協議会)
ちなみにシスレーの月給300円は、今のお金で、せんにひゃくまんえん。

やってらんねぇ。
明治28年(1895)
姫路~生野間に「私鉄の播但鉄道」(現JR播但線)が開通。
大正9年(1920)
馬車道廃止。
生野鉱山本部(金香瀬坑道)から播但鉄道生野駅区間に、トロッコ開通。

市川沿いに軌道が残ります。

アメリカ製の6トン電気機関車、500ミリ軌道。

今は送水管が通っていますが、よく見ると樋の形。

昭和30年(1955)に飾磨港までのトラック輸送が始まり、トロッコ軌道のレールは撤去。
「連続するアーチによって壁面にリズム感が生まれ、石積み擁壁が持つ圧迫感を和らげています。近年、日本の近代化における土木建造物として評価が高まっています。」(現地説明板)

あの上には、姫宮神社。

この子達がいるとこ。

この辺りは

レールを復元。
ここまで遊歩道として整備されています。

この上は、口銀谷の町並みがいい感じでした。
参考文献
『生野史(復刻版)/鉱業編』『生野史(復刻版)/政治編』
(原著:太田虎一/1996年)
いつも応援いただきありがとうございます。
「銀の馬車道」の通る地域が、観光に繋げようと頑張っておいでのようです。馬車道で生野鉱山から姫路港へ運ばれた銀は、大阪の造幣局へ。この絶妙な位置が近代化を促進することにも繋がります。地図を眺めて、ふむふむ、です。



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