生野銀山(5)鉱山で働く人々と生野代官所

こんにちは。


生野銀山。

室町末期から江戸時代まで継続して銀等を産出した鉱脈、慶寿ひ。

数ある鉱山の下に続く坑道は、三菱への払い下げ後もずんずん採掘されて、全長350km。


今日のテーマは、江戸時代の、はたらくおじさん。


手で掘られた狭い「狸掘」。


坑内の換気、人力です。


手作りポンプで排水。


二つとも命を守る大切なお仕事です。


現場で掘る人を総称して、下財と呼んだそうな。


その中で特に


鉱脈をノミ1本で探り掘る人を、掘大工、と呼びました。


山師とか、技術を持った人が重宝されるのもわかるわぁ。


鉱山では、女性だって働く。


1本のろうそくの灯りだけを頼りに運び出すのも、大変なこと。


生野銀山の銀の製錬は、「灰吹法」。
石見銀山より伝えられ、江戸時代後期までこれを用います。

《「灰吹法」とは》

銀鉱石を砕いて溶かして、水中でゆすってより分けて。
熱して不純物を除いて、貴鉛(銀と鉛の合金)を作る。

貴鉛を「灰吹床」で熱して溶かして、灰の上に分離させた銀だけを残す。




細かく砕いて選別。


ごりっとした石臼でさらに砕いて、


右側二人がより分け中。

坑道の支柱用の木材や梯子を作ったり、お仕事は多岐にわたります。


ごはんが楽しみなのも、よくわかります。うんうん。


【生野銀山の奉行と代官】

天正6年(1578)織田信長が生野に代官を派遣。奉行所の前身。
天正10年(1582)羽柴秀吉も代官を派遣。

生野銀山は白口に樫木、若林、蟹谷などの山(鉱脈)が出て「白口勃興期」を迎えており、また既存の金香瀬鉱脈も依然隆盛。



慶長5年(1600)徳川家康、「但馬金銀山奉行」を配置。

初代奉行は、間宮新左衛門

生野銀山は、佐渡金山・石見銀山と並び天領として徳川幕府の財政を支えるも、産出量が減少。

享保元年(1716)、「但馬金銀山奉行」は「生野代官」へ。


《「奉行」と「代官」》

①奉行

奉行は、将軍、老中、若年寄等の下の組織。
勘定奉行、寺社奉行、佐渡奉行(金山担当)のように、特定の仕事を実行するための機関で、旗本が就任(寺社奉行のみ大名から選任)。

「但馬金銀山奉行」は生野銀山を治めるのが、お仕事。


②代官

代官は勘定奉行の下で、将軍家の経費と幕府の運営費となる天領内の年貢を集める等の行政がお仕事。

将軍の代理として庄屋(名主)以下を支配していたとはいえ、郡や地域の担当官で勘定奉行の下位。

お目見え以下の旗本から選ばれます。


つまり、支店から営業所になった感じでしょうか。


また、大きな違いとして、武力の有無があります。

奉行所は、防衛の武力を独自に保持しますが、代官所は独自の武力を持たず、防衛は、姫路藩・出石藩・篠山藩・神崎の福本藩に委ねます。

徳川幕府の政権が磐石となり、世の中が安定したからでしょうか。
とにもかくにも、生野銀山は、武官から文官が治める土地となりました。



生野代官所跡。


史跡生野銀山の入口は代官所の再現。

この代官所から生野銀山を管理。


代官所から来ている偉い人。

代官所から掛役人2名が派遣され昼夜詰め切りで取締。


掘り出した鉱石をあらため、税金を徴収しました。


心の声。


いつも応援いただきありがとうございます。
鉱山のお仕事に疎いので、マネキンを使った説明はとてもわかりやすかったです。あ、いや、ほんとにわかったのかと言われたら困りますけど。ほほほ。今は電灯があるので明るいですが、ろうそくの灯りだけでこれを行っていたのかと思うと、ほんとに過酷なお仕事だったのだろうと思います。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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非公開コメント

こんにちは

いつも楽しく拝見させていただいております。
写真への一言書きこみ絶品ですね。思わず引き込まれてしまいます。
それに多数の文献からの解説も素晴らしい。

もし不都合が無いようでしたら私のブログにリンクを張らせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。安田

おけらのような生活・・

楽しい現場レポートありがとうございます。世界遺産とはいえ、ちょっとやそっとでは訪問出来ない距離なので、貴殿の楽しい記事に笑っております。

鉱山というとどうしてもモグラや螻蛄(おけら)のような地下道をマリオのように掘り進むイメージですが、地上の鉱脈も重要だったんですね。

それにしてもマネキン怖い・・・日本人離れした顔立ちなので余計に恐怖心をそそります。きっと寝静まった頃にはみんなで集まって宴会してるんでしょうか・・(汗)

いつか行くぞ!と思いつつ、佐渡の金山のが先だろ、と思う今日この頃ですw

No title

こんにちは~

人形の説明、リアルすぎて一人で見るのは怖い気が・・^^;

>掘大工

狭い場所でも長時間作業、晩年は関節とか痛めたかもですね。

医者とかいたのかなぁ
代々働く人もいたと思う^^

銀山の代官職は重要だから能力重視で現場のほうは慣れた人による世襲かな?
とか、そういう方面が気になります^^

ぽちぽちぽちーーー☆彡

安田和弘様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

安田様のような人生の先輩に楽しんでいただけて、とても嬉しいです。
なんだこれ?と嫌われるのは悲しいので、おほめの言葉が糧になります。
ありがとうございます。

楽しく毎日を過ごしたいので、えへへ♪っと書いていたら今のようになりました。

リンクの件につきましては、そちらへお邪魔しますね。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

らんまるせんせ

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

おけらだーって♪あめんぼだぁーって~♪
おけらって、何・・・と、調べてみました。おほほ。

やはり鉱山とはいえ、とっかかりは地上の鉱脈がないとわからないようです。

信濃のお城の土木工事の技術もこちらと同じように高度なものだったのだろうなぁと、でかい堀り跡を見て思いました。

マネキンは、ちょっと多国籍なのでびっくりしますね。
でもこれがあるのとないのとでは、わかりやすさが格段に違いますので、ここはぜひあたたかい目で。

昨日のブラタモリ、佐渡金山でしたね。
スイッチが入ってしまって、気がついたら佐渡島、なんてことにならないよう自重しております。

お財布も悲鳴をあげてますしぃ。ほほほ。

私はちっとやそっとじゃ行けやしない信濃を、らんまるせんせのとこで堪能しております。

地元のことは地元の方の愛情あふれるお話が一番です。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

マネキンは、怖くないよー怖くないよぉぉ。

リアルに教えてくれる大事な人達ですよー。

これは石見銀山の話ですが、30歳になれたらお祝いをしています。

つまり、そういうことです。

江戸時代になると、石見銀山、佐渡金山との横の交流が見られ、技術者だけでなく役職者も行き来しており、生野銀山初代奉行の間宮氏は佐渡金山に一年間赴任しています。

経験不足の者は、慣れた上司について学んでいたようですね。

代官の世襲はどうも見られないような感じですが。

代官下の町役人は世襲ですが、生野銀山独自の役職名が歴史的背景のあるもので、とても面白いです。

No title

こんばんは。

≪ろうそくの灯りだけで≫
これ、考えただけで卒倒しそうなほどの過酷さ。
女性もいたんですね。
昔は、閉所恐怖症も暗黒恐怖症もいなかったのかしら。
佐渡金山には無宿者が送られたと聞きましたが、生野ではどうだったんでしょう。
とにかく、次は?次は??という引き込まれるお話に、毎晩ワクワクです。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

もともと夜は暗い時代ですから、今よりは暗闇に耐性があったのかもしれませんね。

でも、月明かりも星の明かりもない坑道は、落盤の危険もあるし、空気も悪いし、さぞかし苦難なことだったかと。

あと、迷子になるかもー。

生野銀山をピックアップしていますが、但馬には他にも鉱山があり、様々な人が働いていたのでしょうね。

地味な画像とお話ばかりで、お楽しみいただけるか心配でしたので、ワクワクしていただけてとても嬉しいです。
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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