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生野銀山(2)山名氏と太田垣氏時代。鉱脈発見

こんにちは。


生野銀山。


【発見から支配の変遷】

始まりは、大同2年(802)(坂上田村麻呂の頃)と言われていますが確かな記録はなし。

その後、700年間どうなっていたかは不明。本格的な採掘開始は、室町後期。

生野を領していたのは、竹田城主太田垣宗寿(むねとし)。
銀山の再興に着手します。

が。

天文11年(1542)
出石城主・山名祐豊(すけとよ)が生野銀山を所領と宣言、太田垣を押さえ支配。

弘治2年(1556)
竹田城主・太田垣朝廷(あさのぶ)が謀叛。生野を所領。

天正5年(1577)
信長の命による秀吉の但馬進攻。翌年、信長が代官を置く。


以降、信長、秀吉、徳川のものへ。


【生野銀山のはじまり】

天文11年(1542)に竹田城主の太田垣氏を押さえた、出石城主・山名祐豊(すけとよ)。

さぁ、銀山が賑わうぞぉー!


天文11年(1542)より祐豊領知すと雖も所務にかかわり給わず。煙の悪臭を嫌い、所にて吹く事(鉱石吹き=精錬のこと)停止なり、其の上乱世の折りなれば金銀儲け有りても宝となさぬ故に、渡世の栄えばかりにて山稼(採鉱)も、しひてせず。」(『銀山旧記』)

・・・あれ?

祐豊は製錬の「煙の悪臭を嫌って」製錬を他所で行わせたため、地元は採掘だけでは利益が少なく、あまり積極的ではないようですね。


よって此節の山々に深き鋪(しき=間歩)なし。上走り(露頭または浅き個所の脈)までを掘るなり。それより遥か後こそ奥山は出来して大盛する。故に口の山々穿鑿(穴を開ける、坑道を掘る)の事なし。(『銀山旧記』)


山名氏統治時代は地上に見えるところだけを地味に掘り、大規模な鉱脈に至るのは「これより遥か後」。

また、鉱山というと、観光地としての生野銀山や石見銀山から連想するのは、蟻の巣のように広がった間歩、坑道ですが、まずは地上に露出しているところから掘っていたことがわかります。



地表に近いところほど、鉱石がよく金銀の含有率が高い。

地下道を掘り進めるには周囲の岩石部分を掘らねばなりませんが、目に見える鉱脈の鉱石部分のみ掘り採れるので鉱物の含有が多く、効率がよかったわけです。


弘治2年(1556)山名の臣竹田の城主太田垣能登守謀叛して在城す。
生野には京正阿弥を差置き弘治3年1カ年間支配す。
永禄元年(1557)より天正5年(1577)年まで20カ年杉原七朗左衛門支配す。

永禄10年(1567)堀切の山出来す。銀出ること夥し。されども所にて吹くこと停止なれば、丹波の門野、播磨の市原、荒田、的場、猪笹、大山、但馬の岩屋谷、津村子、これ等の所へ持出して吹くなり。
(『銀山旧記』)


生野の支配が竹田城主・太田垣氏へ戻り、現地に家臣を置いて採掘を進めます。

永禄10年(1567)の「銀出ること夥し」の場所が金香瀬鉱床。
これが生野銀山の主脈で、現在の観光坑道名ともなっている鉱脈です。


地上の露出部分から、地下の鉱脈へ掘り進むこと300年です。


元亀元年(1570)年に金木、藤木、鞘子の山出来す。此の辺は深山にて木茂り表へ鉉通り(脈筋)見えず。大木どものもとにて鉉内(鉱石部分)を見付け間歩をなす。即ち此の木どもを字(あざな=脈の名)にして今に至るも右の如く呼ぶ。間歩どもに銀ある事恰も土砂の如し。(『銀山旧記』)


採掘に入った山々の場所を、そこに生えていた木から、金木、松木、藤木、鞘子などと山の名前にした、と。

大木の下に鉱脈を見つけ、坑道を掘ってみると「間歩どもに銀ある事恰も土砂の如し」

すげー!!


うっはうはー!


巨大な堀切のように見える、慶寿ひ(ひ:かねへんに通)。


どうやったら大きさが伝わるのかしら。


徳川時代の金香瀬旧坑露頭群として残る生野銀山の見所です。


いつも応援いただきありがとうございます。
但馬から見れば「山名氏が手中におさめ」、生野から見れば「出張ってきて領有を宣言」。立場によって言い方が異なるのも面白いです。臭いを嫌って、等の文言にもちらっとそれが。ふふふ。信長が代官を置いて以降は、秀吉、徳川へと時の権力者の支配するところとなる生野銀山。坑道も楽しく見学出来ますが、地上の山の大きさには目に見えて圧倒されます。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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No title

慶寿𨫤凄いですね!これはブラタモリでタモリさんに行ってもらいたい(笑)
人形もいい味出してますねー

No title

こんばんは~

地表をチョイチョイっと掘っても出てくるってのが凄いですね^^
まさに宝の山^^

でもこの時にガツガツしなかったから、後の隆盛があるわけで歴史の流れって面白いですね

ぽちぽちぽちーーー☆彡

yuki様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ブラタモリで見てほしいですねー。きっと面白いだろうなー。

人形に着目とは、さすがyuki様です。ふっふっふ。

江戸時代の再現に、異国の方が登場するなかなか素敵なところでございます。

いい味過ぎて、視線がこっちばっかり。ほほほほ。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ただの岩山に見えるものが、玄人が見たら宝の山なんですね。

山師というとあまりいい使い方はされない言葉ですが、目利きによってお宝がザックザックなんですから、すごいですね。

ガツガツしたくても技術が追い付いていないようで、掘った後の鉱石から銀などへ精製するのに一旦輸出していたそうで。

これはやがて解消されて、秀吉や徳川時代の繁栄へと繋がります。

何にしても、現地の露出した鉱脈と掘った跡は圧巻でしたよー。
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