養父神社(8)狼くんを大切に。大口の真神と妙見信仰
さて。中断しておりましたが、但馬の養父神社周辺の狼くんのお話。
百井塘雨(生年不明 - 寛政6年(1794))『笈埃随筆』
『この山(妙見山)の後の麓に養父明神在す。
狼を使令として宮前に大石をもて狼の雌雄を彫造し、鉄鎖をもって繋いで左右に有り。諸社の高麗犬の如し。
鄙国の村々にて猪鹿の為に田畑を荒さるることあれば、此明神へ参り立願して、狼を借り用いんといえば、此人かの繋ぎたる鎖を解いて其願にまかる。然して帰れば猪鹿の荒るること無し。
かくして後又御供神酒を奉りて礼参す。誠に珍しき事也。』

※現在の養父神社の狛狼は明治の奉納なので、本著記載のものとは異なります。
『兵庫県神社誌』に見られる同内容はこの『笈埃随筆』の一文です。

養父神社拝殿には、養父大明神と山野口大明神(山野口神社は『狼の宮』)が並んでいます。
これについて柳田国男は
「…この養父神社(※式内社・夜夫坐神社五座に比定)が延喜式以来の故跡のままとしても、狼の信仰までが、爰に居付きのものとは考え難い。
もしも他から移って来たとするならば、私は或は妙見山の方からかと想像して居る。」(柳田国男『狼と鍛冶屋の姥』より引用)
と指摘しています。

ここに、狼の恩返しの伝承『掃部狼婦物語』の舞台、宿南を加えて、

位置関係。
妙見山の山頂付近に、妙見山日光院。

出番ですよ。
日光院では江戸時代に牛王札という護符を発行しています。
牛王札といえば、熊野三山の熊野牛王符が有名ですね。

例えば、熊野速玉大社の牛王符は、

「熊野寶(宝)璽(印)」熊野に縁のヤタカラスによる文字。48羽。
「牛王」の名称は、牛の肝から得られる「牛黄(牛玉)」という密教の加持祈祷に用いる霊薬を印色として神符に用いた事から、「牛王宝印」と称するようになりました。(牛王符添付の説明書より)
では、日光院の牛王札とはどのようなものか。

日光院門前にある妙見山資料宝物館。
ここに、日光院の牛王札の版木が所蔵・展示されています。
そして、
牛王札には、二匹の狼(山犬)像。

こんな感じの狼でしたよ。
日光院の護符は、厄除けに御利益があるとして信仰を集めていました。
ではなぜ狼なのか。
但馬妙見日光院は妙見信仰の寺院。
妙見菩薩は北極星を神格化したと言われる仏様で、眷属は狼。

え。

神の使い、です。

妙見信仰が日本へ渡った時に、既に烏、あるいは鷲と共に狼は眷属となっていた等諸説ありますが、

日光院の護符には、狼。
神の使いとして狼が描かれた護符、その版木が残っていることは日光院が発行元である事を示す貴重な資料。
柳田国男が養父神社周辺の狼信仰について、「もしも他から移って来たとするならば、私は或は妙見山の方からかと想像して居る。」(柳田国男『狼と鍛冶屋の姥』)と指摘したのは、日光院は狼の護符を発行・配付する寺院だった点が根拠になっていたわけです。

日光院には大事な収入源。
また、狼を畏れることは、日本において古くからあり。
『日本書紀』『続日本紀』では、
秦大津父(はたのおおつち)が2匹の狼が噛み合っているところに遭遇。
「あなた方は恐れ多い神(貴神)なのに、荒々しい行いを好まれる。もし猟師に出会えば、たちまち捕まってしまうよ」と助けた。(「欽明即位前紀」)
『万葉集』では、「真神」の名で狼が詠まれています。
大口能 真神之原尓 零雪者 甚莫零 家母不有國(第八巻/舎人娘子)
(大口の真神の原に降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに)
「大口の」は狼は口が大きいことから「まかみ」(狼の異称)の枕詞。
「真神の原」は 奈良県の明日香村、飛鳥寺の南の辺りですが、当時は狼がうろちょろするような所だったのですね。

こんなおっきなお口のね。ふふ。
日本では、古くから狼を神として畏れることが背景にあり、山岳信仰や妙見信仰と混ざりあい、やがて狼は、田畑を荒らす野獣を駆除するため、「山の神や神の使い」として、特に江戸時代に信仰が広がりました。
しかし、周知の如くニホンオオカミは絶滅。
日本各地に山の神や、眷属(神の使い)としてその姿を留めるだけの存在になってしまいました。

狛おおかみ君がいたら、よーしよしよし、ってしてあげてね。
参考文献
『狼と鍛冶屋の姥』(柳田国男/『桃太郎の誕生』三省堂/昭和17)
「国立国会図書館デジタルコレクション」にて閲覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062590/205?tocOpened=1
参考サイト
『狼神話とは』「妙見信仰」
http://www.raifuku.net/special/wolf/details/myoken1.htm
いつも応援いただきありがとうございます。
古くから畏れられていた日本の狼。西洋のおとぎ話と正反対の見方をされていたはずが、何がどうして絶滅したのか。これについては、ちょっと検索していただけたらと存じます。何はともあれ、これにて養父神社と狼くんのお話はおしまい。お付き合いいただきありがとうございました。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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