養父神社(7)柳田国男と狼信仰

養父神社の狼くん。
柳田国男が『狼と鍛冶屋の姥』において養父神社の狼からこの地の狼信仰について、『掃部狼婦物語』の概略と下記を引用し論考しています。
菱屋半七『筑紫紀行』(巻九、享和元年(1801)六月十日項)
「またしばし行きて五社明神の御社あり。これは神名帳に但馬国養父郡夜夫坐神社五座とある神社なるべし。今は籔崎(やぶさき)大明神と申すなり。
また一丁ばかり奥の方に、山の口の社というあり。これは狼を神に祭る御社なりといえり。ゆえにこの神は狼を遣いたまうという。
社僧の居所は水谷山普賢寺、本尊は薬師如来なり。」

養父神社。

ちょっと奥に、山野口神社。

今は社務所の、別当寺の普賢寺。
百井塘雨(生年不明 - 寛政6年(1794))『笈埃随筆』
『この山(妙見山)の後の麓に養父明神在す。
狼を使令として宮前に大石をもて狼の雌雄を彫造し、鉄鎖をもって繋いで左右に有り。諸社の高麗犬の如し。
鄙国の村々にて猪鹿の為に田畑を荒さるることあれば、此明神へ参り立願して、狼を借り用いんといえば、此人かの繋ぎたる鎖を解いて其願にまかる。然して帰れば猪鹿の荒るること無し。
かくして後又御供神酒を奉りて礼参す。誠に珍しき事也。』

※現在の養父神社の狛狼は明治の奉納なので、本著記載のものとは異なります。

違うというに。

縛りますよ。
これについて、
「養父の五社大明神と妙見山との関係は、此記事の中にも少しも説いて居ない。現在は勿論二処の信仰は分立して居るから、各その社伝縁起の文字によって、連絡を見出すことは不可能であろう。
こういう問題こそはもう一度、土地人の感覚に就いて今のうちに尋ねて置く必要があるのである。水谷神社や夜夫坐神社五座は、仮に延喜式以来の故跡のままとしても、狼に信仰までが、爰に居付きのものとは考え難い。
もしも他から移って来たとするならば、私は或は妙見山の方からかと想像して居る。」(柳田国男『狼と鍛冶屋の姥』より引用)
柳田国男は、飾磨県神東郡田原村辻川(現:兵庫県神崎郡福崎町辻川)に生まれています。
えーっと。京都から鳥取へ繋ぐ街道と姫路から生野銀山経由で但馬へ繋がる街道とがクロスする辺り。
柳田国男の故郷でも、妙見山の信者は多かった(『狼と鍛冶屋の姥』)そうで、狼の信仰といえば妙見信仰ではなかろうか、と思い至ったのでしょう。
『掃部狼婦物語』の舞台である宿南、養父神社、妙見山の位置関係は

ざくっとこんな感じです。
妙見山の山頂付近に、妙見山日光院。

出番ですよ。
つづく。
参考文献
『狼と鍛冶屋の姥』(柳田国男/『桃太郎の誕生』三省堂/昭和17)
「国立国会図書館デジタルコレクション」にて閲覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062590/205?tocOpened=1
いつも応援いただきありがとうございます。
柳田国男は日本各地の狼信仰についての論考を他にも述べていますが、今回は養父神社周辺の狼伝説についてのみピックアップしています。何はともあれ、現地で古老に尋ねることの大切さ、切羽詰まった課題でしょうね。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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