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談山神社のこまちゃんたち



あっ…。

2ヶ月半ぶりのこんにちは。皆様、お元気ですか?


今日はひさしぶりに遠出をしました。といっても片道100km未満の近いとこ。


談山神社です。

神社なのに、


十三重塔あり。

そう、談山神社は明治の神仏分離まで永楽寺というお寺でした。

お寺を廃する時代のなかでここが選択したのは神社として生き延びる道。


談峰大権現の社額。

神仏習合の名前なので、明治に撤去されたもの。

談山(たんざん)の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645)5月、大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされ(wikipediaより)、祭神は鎌足。


ひそひそひそ。

白の幕内に、鎌足@ご神像。

ちなみに道中、石舞台古墳や岡寺、橘寺などを通ります。

今日の訪問目的はこちら。


番組は、能「景清」、仕舞「自然居士」「松風」

能「景清」
シテ・梅若実、ワキ・福王茂十郎、小鼓・大倉源次郎、笛・藤田六郎兵衛、地頭・大槻文藏 他

旧常行堂(現・権堂)内で、神事として奉納された舞台でしたが、そらもう、人間国宝てんこもりー!!名手勢ぞろいー!!で、素晴らしかったです。


談山神社(奈良県桜井市)付近は、能楽を大成した観阿弥・世阿弥の本拠地に近く、特に、権堂(旧・常行堂)裏側の隠し2階には「摩多羅神面」(翁に似た神面)が納められており、2012年に26世観世宗家観世清和による多武峰式「翁」が奉納されてます。

昔々の永楽寺には三千あまりの僧兵がおり、山のなかで退屈なので様々な芸能を境内で楽しんでたんだろうとは、宮司さん談。

なんで僧兵がわんさかいたのかというと、永楽寺(天台宗)は興福寺との領地境界線争いが絶えず。


しばしば焼き討ちにあっていたので


備えあれば憂いなし。

この愉快な二人は、伝・運慶作。鎌倉時代生まれ。


美しい社殿も、舞台も、満足まんぞく。

でしたが、


やはりこまちゃん達がいちばん♪
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Author:つねまる
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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