失うのは一瞬。長野県宝「松田館」の焼失
こんにちは。
9月6日、帰宅後にニュースを検索していて愕然としました。

以下、yahooニュースより引用
(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170907-00312640-sbcv-l20)
リンク:千曲で県宝の建物など5棟全焼・ハチの巣の駆除で使った火が原因か
9/7(木) 20:42配信
きのう(注:2017.9.6)午後7時前、千曲市八幡の武水別神社の神主の屋敷「松田館」から火が出ました。
火はおよそ3時間半後に消し止められましたが、市によりますと県宝に指定されている主屋と斎館などあわせて5棟が全焼し、他の建物の一部が焦げました。
松田館ではきのう、60代の男性が市の委託を受けて主屋の軒先のスズメバチの巣の撤去作業を行っていました。(引用終わり)
この「松田館」は、武水別神社(たけみずわけじんじゃ:平安時代に京都の石清水八幡宮より勧進/式内社)の神官のおうちです。
武水別神社の祭神は「武水別大神(たけみずかみのおおかみ)、誉田別命(おんだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、比咩大神(ひめのおおかみ)。水や農業の神様。
「松田館」がいかに貴重なものか、素晴らしい財産であるかを、もはや人生の師匠な「らんまるせんせ」のブログで拝見して以来、ぜーーーーったいに一般公開されたら行くぞよー!っと決意し下調べを済ませていたので死ぬほどショックでした。
「松田館」は、千曲市八幡の武水別神社で代々神主を勤める松田氏の屋敷です。
神社の歴史を、言い伝えではなく、今、目の前にあるものと一次資料から見つめ直したい身には、神官館の構造や配置というものはまさに垂涎の的。
また、それだけではなく、松田館は「知る人ぞ知る戦国時代の方形居館跡として貴重」(「らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~」様より)、なものでした。
◇◇◇松田館(長野県宝「松田家住宅」)の焼失前レポ◇◇◇
「らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~」様
「松田家住宅」
その1
http://ranmaru99.blog83.fc2.com/blog-entry-397.html
リンク:八幡松田館 (千曲市八幡)
◆千曲市の保存事業により壊滅の危機から救われた戦国の居館◆
その2
http://ranmaru99.blog83.fc2.com/blog-entry-850.html#comment3467
リンク:松田家住宅その2
以下、「らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~」様より引用
(http://ranmaru99.blog83.fc2.com/)
名称:長野県宝「松田家住宅主屋」(まつだけじゅうたくおもや)
指定:平成16年11月22日
概要:主屋の建築年代は不明だが、建築部材の仕上げや建物の特徴から18世紀代の建築と推定される。
19世紀前期に現在のように改造されたものと考えられる
建物の特徴として、間口十二間語釈、奥行四間の細長い木造平屋建、茅葺(かやぶき)の建物で、間口中央から斎館に向かって凸字形に突き出した平面形となっている。
主屋の平面は、前後に五室が並ぶ形式で、土間が表から裏まで通る一般の民家とは異なった間取りとなっている。天井が低く、差鴨居(さしがもい)や長押(なげし)を用いない武家住宅のような趣がある。
名称:松長野県宝「田家斎館」(まつだけさいかん)
指定:平成26年2月28日
概要:文久元年(1861)に再建された間口7間、奥行3間半の寄棟造の建物で、神殿が設けられた儀礼を主に行った。
現在も9月14日の仲秋祭や大頭祭の頭殿さんの出達儀式の場として使われている。
(以上、引用終わり)
らんまる様、焼失を受け、すぐに現場を訪問されてます。
◇◇◇「松田家住宅」焼失の衝撃◇◇◇
http://ranmaru99.blog83.fc2.com/blog-entry-890.html#comment3469
リンク:
松田館(千曲市八幡 長野県宝指定)焼失の衝撃◆未来に語り継ぐべき貴重な遺構が人災により焼失◆
高野山が、その歴史の割には国宝が少ないのは落雷による焼失が原因ですが、まだこちらは天災ゆえにあきらめもつきます。
しかし、松田館は、明らかに人災です。
けっこーな量と質の文化財を個人で保存・維持管理する愚痴を散々言いまくる友人が常々、「雷さんは、あきらめる。うちらの火の不始末はありえへん。よそさんが火ぃつけたんなら、そいつを○●★#※◎してご先祖様にお詫びする」と申しております。(※個人の意見です…(T▽T))
失ってしまったものは元に戻りません。
日本各地に残る様々な貴重な遺構、特に建築物は木造が多いことは今さら言うまでもありません。
せめて、故意による罹災だけは、なにがなんでも阻止せねばならんぞ!と、思います。
9月6日、帰宅後にニュースを検索していて愕然としました。

以下、yahooニュースより引用
(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170907-00312640-sbcv-l20)
リンク:千曲で県宝の建物など5棟全焼・ハチの巣の駆除で使った火が原因か
9/7(木) 20:42配信
きのう(注:2017.9.6)午後7時前、千曲市八幡の武水別神社の神主の屋敷「松田館」から火が出ました。
火はおよそ3時間半後に消し止められましたが、市によりますと県宝に指定されている主屋と斎館などあわせて5棟が全焼し、他の建物の一部が焦げました。
松田館ではきのう、60代の男性が市の委託を受けて主屋の軒先のスズメバチの巣の撤去作業を行っていました。(引用終わり)
この「松田館」は、武水別神社(たけみずわけじんじゃ:平安時代に京都の石清水八幡宮より勧進/式内社)の神官のおうちです。
武水別神社の祭神は「武水別大神(たけみずかみのおおかみ)、誉田別命(おんだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、比咩大神(ひめのおおかみ)。水や農業の神様。
「松田館」がいかに貴重なものか、素晴らしい財産であるかを、もはや人生の師匠な「らんまるせんせ」のブログで拝見して以来、ぜーーーーったいに一般公開されたら行くぞよー!っと決意し下調べを済ませていたので死ぬほどショックでした。
「松田館」は、千曲市八幡の武水別神社で代々神主を勤める松田氏の屋敷です。
神社の歴史を、言い伝えではなく、今、目の前にあるものと一次資料から見つめ直したい身には、神官館の構造や配置というものはまさに垂涎の的。
また、それだけではなく、松田館は「知る人ぞ知る戦国時代の方形居館跡として貴重」(「らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~」様より)、なものでした。
◇◇◇松田館(長野県宝「松田家住宅」)の焼失前レポ◇◇◇
「らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~」様
「松田家住宅」
その1
http://ranmaru99.blog83.fc2.com/blog-entry-397.html
リンク:八幡松田館 (千曲市八幡)
◆千曲市の保存事業により壊滅の危機から救われた戦国の居館◆
その2
http://ranmaru99.blog83.fc2.com/blog-entry-850.html#comment3467
リンク:松田家住宅その2
以下、「らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~」様より引用
(http://ranmaru99.blog83.fc2.com/)
名称:長野県宝「松田家住宅主屋」(まつだけじゅうたくおもや)
指定:平成16年11月22日
概要:主屋の建築年代は不明だが、建築部材の仕上げや建物の特徴から18世紀代の建築と推定される。
19世紀前期に現在のように改造されたものと考えられる
建物の特徴として、間口十二間語釈、奥行四間の細長い木造平屋建、茅葺(かやぶき)の建物で、間口中央から斎館に向かって凸字形に突き出した平面形となっている。
主屋の平面は、前後に五室が並ぶ形式で、土間が表から裏まで通る一般の民家とは異なった間取りとなっている。天井が低く、差鴨居(さしがもい)や長押(なげし)を用いない武家住宅のような趣がある。
名称:松長野県宝「田家斎館」(まつだけさいかん)
指定:平成26年2月28日
概要:文久元年(1861)に再建された間口7間、奥行3間半の寄棟造の建物で、神殿が設けられた儀礼を主に行った。
現在も9月14日の仲秋祭や大頭祭の頭殿さんの出達儀式の場として使われている。
(以上、引用終わり)
らんまる様、焼失を受け、すぐに現場を訪問されてます。
◇◇◇「松田家住宅」焼失の衝撃◇◇◇
http://ranmaru99.blog83.fc2.com/blog-entry-890.html#comment3469
リンク:
松田館(千曲市八幡 長野県宝指定)焼失の衝撃◆未来に語り継ぐべき貴重な遺構が人災により焼失◆
高野山が、その歴史の割には国宝が少ないのは落雷による焼失が原因ですが、まだこちらは天災ゆえにあきらめもつきます。
しかし、松田館は、明らかに人災です。
けっこーな量と質の文化財を個人で保存・維持管理する愚痴を散々言いまくる友人が常々、「雷さんは、あきらめる。うちらの火の不始末はありえへん。よそさんが火ぃつけたんなら、そいつを○●★#※◎してご先祖様にお詫びする」と申しております。(※個人の意見です…(T▽T))
失ってしまったものは元に戻りません。
日本各地に残る様々な貴重な遺構、特に建築物は木造が多いことは今さら言うまでもありません。
せめて、故意による罹災だけは、なにがなんでも阻止せねばならんぞ!と、思います。
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