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医家神社(4)倭大国玉神大国敷神社二座論社。不思議な美馬郡

こんにちは。


医家神社。

「医家は『イケ』とよみ、祭神が薬神であるためこのように称されたといふ」(『式内社調査報告』抜粋)

あるいは、医家は「池」のことであり、池田町の名の起こりとも(『阿波誌』など)。

イゲ、とも呼ばれているそうです。


違うって。


【祭神】大国主神・少彦名神

【由緒】

寛政年間の火災により社伝等一切を焼失。

式内社「美馬郡・倭大国玉神大国敷神社二座」論社。

元々の祭神は「倭大國玉神と大國敷神」らしいです。

えーっと。

倭大國玉神?

だれ?

「『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する神で、宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが、天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした」(wikipedia抜粋)ため、二神はお外で祀られることになったそうな。

おん出された形の神様が改めて祀られたのが、大和神社(奈良県天理市)。

式内社「大和国山辺郡・大和坐大国魂神社 三座」で、祭神は「日本大国魂大神」。


やまと、といっても「倭」と「大和」の違いがあるようで。


難しいから、これはここまで。


さて。この「倭大国玉神大国敷神社二座」論社のもうひとつの神社には、以前訪れたことがあります。


倭大國魂神社。「倭大国魂」を冠する式内社
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-807.html



鎌倉時代末期、小笠原長親が構えた重清城のそば。


「重清城」(1)「重清城」(2)「重清城」(3)「重清城」(4)「重清城」(5)

重清八幡神社・倭大國魂神社
《住所》徳島県美馬市美馬町八幡15


医家神社から吉野川を下った美馬市に鎮座。


お耳ぴーんの狛犬さんの言う、すごいお社が、


倭大國魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)



「由緒は不詳。

平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある『倭大国玉神大国敷神社二座』に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。

その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像で、厨子の背後には、『大島郷倭大国魂神社』の墨書があると言う。」
(現地説明板より)



この中に「高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像」があるのかな。


『日本書紀』の第10代崇神天皇紀6年に『天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りした』とあるが、『延喜式』で『倭大国魂』を冠する神社は他になく、『倭大国魂』との強い関係性が窺える。(現地説明板より)


「『延喜式』で『倭大国魂』を冠する神社は他になく」との言葉が、重いです。

祭神については、

「延喜式亦小祀と爲す重清村谷口里に在り。即ち廢城の東麓なり。
神代紀の註に一書に云ふ大國主神又の名は大物主神、又は國作大己貴命と號す又は葦原醜男と曰ふ又は八千戈神と曰ふ又は大國玉神と曰ふ又は顯國玉神と曰ふ、其祠舊大祭料十ビン、城主小笠原氏割く所、兵燹に罹り小祀と爲る」
(『阿波誌』)


鎮座するのは、河岸段丘の上。


境内には、古墳時代後期(6世紀)の3基からなる大国魂古墳群が築かれ、開口する横穴式石室(全長4.6m、高さ2.2m)をもつ1基が「大国魂古墳」で、段の塚穴型石室の中でも最も古い特徴をもつと考えられている。
神社北側の吉水には「吉水遺跡」があり、弥生後期の住居7軒と東西9間・南北3間の掘立柱建物跡等が発掘されている。

今後の周辺域の発掘によって、「倭大国魂神社」を成立させた集団の様子が明らかになってくるであろう。
(現地説明板より)



付近配置図。

古墳がいっぱい=古くから古墳を作る集団あり。


段の塚穴式石室は、重清八幡神社から東へ。

距離はありますがこの付近を代表する大きな古墳。


立って入れます。


高いドーム型の天井が特徴。

横穴式古墳で、徳島県名産の緑泥片岩、ドーム状玄室、最奥の棚等がとても美しい古墳です。

野村八幡古墳

段の塚穴古墳/太鼓塚古墳

段の塚穴古墳/棚塚古墳

さて。

阿波国式内社は、大社3座3社・小社47座43社。

計50座46社内訳。

板野郡4座(鳴門市・板野郡)
阿波郡2座(阿波市)
美馬郡12座(三好市・三好郡・美馬市)
麻植郡8座(おえぐん/吉野川市)
名方郡9座(徳島市・名西郡・名東郡)
勝浦郡8座(徳島市・小松島市)
那賀郡7座(那加郡・阿南市)


大和国の式内社は、286座216社ですから畿内などと比べるのは無粋。
しかし、同じ阿波国内でこの分布は面白いです。

昔々のこの美馬郡には、いったい何があったのかなー?と気になる配置ではあります。

何たって、大和じゃなくて、倭、だしなー。


それはさておき、医家神社。

社伝焼失により詳細は不明。長生き狛犬さんに尋ねたいところですが


いいよ、無理しなくて。


狛ちゃんが


お茶目さんで


彫刻狛さんも楽しくて


男前のポチがいて


おトイレより大きな木々がある素敵なお社です。


医家神社

《住所》徳島県三好市池田町マチ228




いつも応援いただきありがとうございます。
明治の「何すんねん」時代に注目すると祭神というものが果たして「ほんまにここの祭神なんか?」という疑問を持ちます。式内社もまた、延喜式制定(神社は選定)当時の政権の意向が反映されており、本来重要な意味を持つはずのお社でさえ「式外社」となったかもしれません。歴史は勝者の側の記録によるものであることが否定出来ない以上、美馬郡にはもっともっと勝者に都合の悪い何かがあったのかもしれません。この地域、今後ますます注目されると思います。

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