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日吉神社。古座川の小山氏勧請「山王権現三社」か

こんにちは。


古座川の河口近く。


ここ。


東牟婁郡古座川町高池722番地の日吉神社。


【祭神】大山咋命

【由緒】(和歌山県神社庁「日吉神社」より引用)

一、応永元(1394)年申9月29九日 小山一族「山王宮」造立。

一、同年12月29日 紀伊国室郡潮崎庄、小山良左衛門隆春、近江国日吉神社より勧請。

一、天正10(1582)年 紀伊国室郡潮崎庄、高瓦攝津守十六善神ノ掛物1幅奉納。

一、寛永17(1640)年 高瓦市右衛門、藤原朝治他1人造営。

一、承応3(1654)年極月13日 改書物ノ中ニ山林1ヶ所施主 池ノ口村氏名不詳、田畑2段半施主不詳ノ2筆、書物アルモ何時ノ間に賣払セシカ当代無之天保5(1834)年正月改ムトアリ、嘉永元(1848)年霜月 古座の産土埜眠龍再写ス。

一、延宝元(1673)年発丑西向浦、小山弥十郎藤原隆重社殿修覆ス。

一、元禄8(1695)年極月13日 中湊村正法寺先ノ住職自覚、共ノ自作21ノ木像ヲ合祀、自覚首座トナリ供養ス。





これがどうも、『紀伊続風土記』「牟婁郡三前郷池口村の山王権現三社」にあたるようで。


「池口村/山王権現三社」

中湊村・西向浦・神川村、3ヶ村の産土神。
社は当村領にあるが、当村の産土神ではない。拝殿がある。

応永元年12月小山五郎左衛門隆春の一族の勧請の棟札がある(今、西向浦の小山氏が所持する)。

土地の人が伝えていうには、小山氏が山王を信仰して領地の内に今の社地を見立て造営し、一族ともに氏神とした社で、中湊村等3ヶ村は一族が多かったので今に至るまで3ヶ村の氏神とするのだ。

後、寛永17年高川原摂津守の末葉六右衛門尉の再建によって祭礼の座に小山の子孫を左の上座とし高川原の子孫を右の上座とする(ただし右の上座は今は出席しない)。

什物に本地仏の鏡8面、木像21体がある。


(み熊野ねっと『紀伊続風土記』口語訳より引用)
http://www.keyspot.info/fudoki/ikenokutimura.html


これだけ一致していれば、日吉神社=山王権現三社でしょうねぇ。


小山氏は、元弘元年(1331)、関東武士であった小山実隆(さねたか)が執権北条高時から熊野沿岸警備を命じられ、当時塩崎荘と呼ばれた古座川下流の地に一族郎党を引き連れて移住したのが始まりとされている一族(『紀伊続風土記』)。

古座川右岸を領有し、熊野水軍として対岸の、平維盛子孫と伝わる高川原氏と共に活躍します。



関ヶ原では豊臣方ながら、江戸時代には紀州藩士待遇の地士となり、子孫は紀伊大島の遠見番所の役人を勤めました。


で、日吉神社は。



その後、元禄から天保年間から慶応元(1867)年丑年の鳥居再建までコンスタントに社殿造営が行われており、石灯籠、拝殿、本殿、手水鉢セットが揃いますが、


明治15年、参道改修、本殿造営。

あれ?


「元禄8(1695)年極月13日 中湊村正法寺先ノ住職自覚、共ノ自作21ノ木像ヲ合祀、自覚首座トナリ供養ス。」(和歌山県神社庁「日吉神社」より)の記述、「山王権現三社」(『紀伊続風土記』)の名称から推量すると、神仏ミックスであったのでしょう。


赤い鳥居の横には、石仏様。

明治定番の神仏分離が行われたのは明らかで、もしかしたら和歌山県名物の神社合祀で、一旦廃されたのかもしれません。

それで、明治15年に、本殿造営かしら?

そう思います。


何はともあれ、めでたくこうして再建。

「日吉神社」の祭神は、大山咋命。


この祠さんが、しゃべったらいいのになぁ。


あー、もういいです、ありがとう。


日吉神社

《住所》和歌山県東牟婁郡古座川町高池722




いつも応援いただきありがとうございます。
熊野古道で注目される素敵な熊野地域であろうとも、案外、神社ってのが少なく感じます。神仏分離の後に激しい神社合祀が行われたことを踏まえないと、どんなにその地域のポイントになる歴史をもつお社であろうとも「ちっちゃな祠だし新しいからスルー」してしまいます。小さな祠に何故なったのか、そこには氏子さん方の努力とプライドによる再建があったのかもしれません。熊野三山見物だけではもったいないとつくづく思った日吉神社でした。

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滝の拝の金ぴらさん

こんにちは。


川の底でごろごろ鳴ってうるさかった丸い大きな石が奉納されている、


金ぴらさん。

社殿前にあった説明板は意味不明でしたので、割愛。


覆屋の中には、とてもきれいな本殿。


由緒は定かではありませんが、


寛政8年(1796)の石灯籠があります。


片方の社殿内には、お不動さん。


滝のそばには、お不動さん。

うーん、何で金ぴらさん?ま、いっか。


目の前は一面の、岩。

足元には、


滝の最上部。とても豪快な水流が目の前に。


のぺーっとして見えますが、


落差、伝わりますかしら。ううう。


橋をはさんで下流は


穏やかです。


・・・日差しが差し込めば、とても澄んだお水が。


少し下流です。


ね、きれい。


滝の拝へ来たら、ここに座って景色を堪能してね♪


ご機嫌さんで、滝の拝を後にしました。


「道の駅 滝の拝太郎」※滝の拝には、道の駅より徒歩すぐ。

《住所》和歌山県東牟婁郡古座川町小川774




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滝の拝のそばの金ぴらさん。きれいな社殿が印象的でした。実は足を滑らしたら滝へまっ逆さまな傾斜の石段上に鎮座しており、どきどきで。きれいなお水と、滝の音にすきっとして、足取り軽く車へ戻りました。来てよかったなぁー、また来たいなぁーっと思う素敵な場所でした。

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古座川の伝承「滝ノ拝太郎」。丸石と尾鷲市九木神社

こんにちは。


画像の「拝」辺りに


金ぴらさん。


今日は、にほんむかしばなし【滝の拝太郎】


滝の拝太郎は、せっせと刀で岩に穴を掘っておりました。


目指せ、千個!

ところがあとひとつってとこで


刀落としました。


滝の拝太郎は、刀を求めて川の中へ。


落とした刀と、丸い大きな石をお土産にもらって、帰宅。


この辺りではずーっとごろごろと鳴る音がしていましたが、


ぴたっと止まりました。

どうやらその大きな丸い石は、


ポットホール(甌穴)を形成したこの石。


さぞかしやかましかったことでしょう。


滝の拝太郎が持ち帰った石は、金ぴらさんへ納められましたとさ。

めでたしめでたし。


・・・しかしこの大きな丸い石。


どこだったかなぁ。

あ。


そうだ、あそこだー。


三重県尾鷲市の九鬼漁港の先端に鎮座する九木神社。

永和年中(1375~1378)藤原隆治により、九鬼城内の祠に天満天神を祀ったのを創祀とし、後寛文2年(1662)には現在の鎮座地に遷座。
(三重県神社庁HPより引用)


見えてるよ。


ねー、おんなじ感じでしょー。


これは大漁祈願のため奉納されたもののようでした。

熊野地域は、丸石や玉石がお好きなようです。


三重県尾鷲市の飛鳥神社。


三重県熊野市の花の窟神社。まんまるでっかい石。


和歌山県那智勝浦町の熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわやしろ)境内にある神武天皇頓宮碑前の、玉石。

説明板によると元は古代の玉石信仰「丸石神」といわれ、それが「玉石と号し力だめしの石二つあり」(『紀南郷□記』/元禄期)となったようで。


見事にみんな、まんまるちゃんです。不思議。


参考サイト

み熊野ねっと「滝の拝」
http://www.mikumano.net/meguri/takihai.html


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熊野地域は、古代よりの丸石・玉石信仰とか「丸石神」信仰があるそうでして。古座川と熊野市は70キロ以上離れていますが、同じものを見て、面白いなーっとぼやーんっと思いました。「滝ノ拝太郎」の昔話の成立はいつ頃かわかりませんが、ポットホール(甌穴)の形成過程を少しはわかってたんでしょうねぇ。でないとお話が出来ないもんなぁー。

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ポットホール(甌穴)と熊野層群下里累層。古座川の滝の拝

こんにちは。


泥岩と砂岩の互層「熊野層群泥岩層」。



約1千4百万年前の火山活動で、熊野層群泥岩層の割れ目にマグマが上昇し、冷え固まったマグマは石英班岩となり、波に泥岩層が侵食されて出来たのが


橋杭岩。

ここのポイントはその石英班岩が連なる光景もさりながら、干潮で現れる海底一面が熊野層群の岩という面白さ。

さて、今日は


古座川の、滝の拝。


表面がぼっこぼこの、岩です。

・・・うわぁ。ぞわぞわー。


現在の川の水面との高低差は10メートルほどかしら。

あ、階段。

あそこ、行こ~。


岩がごーろごろ、ではなく、一面が岩です。

これが、約1千6万年前に堆積した熊野層群下里累層の砂岩。

今、表面に表れている一面の岩は、遥か昔は河床でした。


うまい具合にお水がたまって、穴が見やすいです。


実際に立つと、穴の深さにびっくりなあなぼこ群。

ポットホール(甌穴)といいます。

よいしょよいしょっと作ったのが、こちら。


穴にはまった小石ちゃんです。

いや、小石っても、直径20センチはあります。

この子達が、川底で水流にもまれてカラコロカラコロと転がって、穴はますます深くなり、


ポットホール(甌穴)が出来ます。


滝の拝のポットホール(甌穴)が面白いのは、小石がそのまま残っているとこ。


うふふふふ。

やがて水流は


低いとこへ集まり、岩を削り、更に水が集中して


現在の滝の拝の、豊かな流れとなります。


滝の拝の下流側。


平べったく流れていた水が一ヶ所に集まりそこだけがどんどん侵食されて、河床が露出。

つまり滝の拝は、


一面の熊野層群とポットホールとトレンチを満喫できる素晴らしい所なんですよー♪


いつも応援いただきありがとうございます。
ポットホール(甌穴)が見られる川岸は全国に点在していますが、滝の拝では非常に広範囲に顕著に見られる点が全国屈指だそうです。また、川幅一面に広がる熊野層群が実感でき、往時の河床を容易に想像できること、また、あなぼこを形成した小石も残存していること、など、とても素晴らしいと思いました。

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熊野カルデラ?火山と熊野層群と、紀伊半島南部観光名所

こんにちは。


魔物がかじったぼたん岩や


魔物がわんこに追い払われた一枚岩は、流紋岩質火砕岩。

マグマが冷えて固まった岩で形成される「古座川弧状岩脈」の光景です。

紀伊半島南部にはかつて巨大な火山があり、その活動によって巨大な「熊野カルデラ」が形成された、と推定されているとか。


その大きさは南北径40km、東西径20km。

串本町、古座川町、那智勝浦町、新宮市、三重県南部まですっぽり。

・・・ほんとぉ?


「熊野カルデラ」形成に伴いマグマが地表へ噴出する際の通路として、延長20km以上も連なる「古座川弧状岩脈」が形成された、と。


そういえば、あっちこっちでいろんな岩を見たなぁ。



あっちこっちへ。


【鬼ヶ城(三重県熊野市)】


獅子岩くんのそばに、


鬼ヶ城。


マグマが急に冷えて固まって出来た流紋岩の地盤が、


数度隆起しては、波や風に食われて出来ました。


ぼこぼこ。


ぞー。


色合いは、くりまんじゅう。


【橋杭岩(和歌山県串本町)】


夜明けの名所、橋杭岩。


満潮では海底になるここ、砂浜ではなくて、岩ですの。

その名は、熊野層群泥岩層(熊野層群敷屋累層)。


紀伊半島南部の基盤は、第三紀四万十帯。

その上に堆積して出来たのが、泥岩と砂岩の互層「熊野層群泥岩層」。

約1千4百万年前の火山活動で、熊野層群泥岩層の割れ目にマグマが上昇し、冷え固まったマグマは岩に。

この火成岩が、熊野酸性岩。
流紋岩、流紋岩質凝灰岩、花崗斑岩などがあります。



割れ目に入ったマグマ(橋杭岩は石英斑岩)と泥岩層の境目。


もりっと貫入したマグマと10度傾斜している泥岩層。


海水で柔らかい泥岩層が侵食され、硬い石英斑岩の岩脈が残りました。


そんな岩脈も、宝永地震時の津波によりバラッと転がり。


【熊野層群泥岩層(和歌山県太地町)】


太地町。この大きな哺乳類を捕る船の向こうには、


うみ。


ここも、熊野層群。


波に削られ、硬い岩が現れました。


ちょっと無理かなー。


橋杭岩から少し東の海岸では、平らです。


いろんな岩があるのねぇ。


【滝の拝(和歌山県古座川町)】

熊野層群は、海だけに限らず。


古座川を遡ると、


熊野層群が河床を形成している場所にたどり着きます。

ぼこぼこです。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
まあ、日本全国に火山活動により作られた地形はわんさかありますが、ぼやーんっと眺めていた岩がこんな風に出来たんだー!っと知って、面白いです。岩の専門家ではないので、細かい事は突っ込まず生ぬるい目でご覧いただければ、これ幸い。

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古座川町道の駅「古座鹿鳴館」で、郷土料理のうずみ膳

こんにちは。


岩が大好物の魔物が


岩を食い散らかしながら古座川を遡ったら


お高いけど、すんごく好物の岩があったのに


わんこに追い払われちまった、一枚岩の


道の駅「古座鹿鳴館」で


古座川平井の里の郷土料理の「うずみ膳」をいっただきぃ。

・・・決して受験勉強中のお夜食ではない。

平井は、古座川の最奥地で、ゆずの産地。


清流には、鮎。これは頭も骨もばりぼりばりぼり。


「ごますりらっきょ」と言われていた取締役を思い出しつつ、すりすり。


平井地区には平家の落人伝説があり、彼等の伝えた京の味がベースになっているとか。


古座川の北東の那智勝浦町には、


『平家物語』で平維盛愛しい者達と別れ高野山で出家し、補陀洛浄土へと旅立った海岸があり、


補陀洛山寺には補陀洛渡海に用いた船が再現されており、


補陀落渡海した数多くの聖の名前の中に、維盛の名前もあり。


一方、維盛は生き延びたという伝承も残る古座川河口付近には

平維盛子孫、高河原氏(高川原、高瓦)が居を構えたと伝わる土地がありました。


そんな、古座川。

で。

味?

えーっと、ですな。

醤油ベースのお雑煮のお出汁にご飯をぶちこんで、ごま、ネギ、生姜、ゆず等の薬味をお好みで入れて召し上がれっ♪な、味。

うずみ、とは、お出汁にご飯をうずめる、ことから来たようで。

お豆腐も、うずまってました。

決して、ねこまんま、とか、おうちで簡単にできる、とか、そんなこと言ってはいけない。

郷土料理って、おうちで出来るから、郷土料理だと思うのですわ。


すごくお出汁が美味しかったです。


ぜったい、岩より美味しいよ。


道の駅「古座鹿鳴館」

《住所》和歌山県東牟婁郡古座川町相瀬290の2




いつも応援いただきありがとうございます。
夜ごはんは、毎度おなじみ生マグロ丼をどーんっと食べるつもりなので、控えめなランチ。うずみ膳の見た目はとても質素な汁かけごはんですが、お出汁はしっかりした味付けでとても美味しかったです。初めは薬味を入れず、まずネギ、次に自分でごますったゴマ、次にゆず、と、だんだん足してお出汁の味の変化を楽しみました。素朴なごはん、大好きです。

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古座川の一枚岩の守り犬。魔物と影

こんにちは。


場所を移して、和歌山の先っぽへ。


古座川のお話。

平維盛子孫、高河原氏(高川原、高瓦)が居を構えたと伝わる河口部の土地があり、
社殿のない神戸神社が鎮座する古座川をどんどんずんずん遡り、


大きな岩。


ちょっとオアシスをはさんで


まあ、怖い。

じゃなくて。


古座の一枚岩です。

国指定の天然記念物で、高さ100メートル、幅500メートルの一枚岩。


大きいと言っても伝わりにくいですが。こんな感じ。


「一枚岩の守り犬の伝説」

むかぁしむかし。


大きな哺乳類で有名な太地町に、(画像/捕鯨船と男前)


岩が大好物の魔物が住んでおりました。(画像/梶取岬)

魔物は岩を求めて古座川へ。


(太地町のイルカくん


そんなこと言うなよぉー。


魔物は、大好物の岩を食い散らかしながら古座川を進み


(画像/古座川町月の瀬のぼたん岩)


一枚岩にたどり着き、いただきまーすっとしようとしたとき。


とっても苦手な犬に見つかり。(画像/徳島県の金丸八幡神社


ぺーぽーぱーぽー。



お気持ちだけでも。(画像/和歌山県串本町の木葉神社


おい。(画像/和歌山県串本町の潮岬本之宮神社


こら。


あなた達、近いでしょっ。(画像/潮岬本之宮神社拝殿前


あ、そう。(画像/那智勝浦町の妙法山阿弥陀寺


わかりました。(画像/那智勝浦町の青岸渡寺

いいよ。一枚岩には、


じゃーん。守りいぬぅ~♪


わんわん吠えて魔物を追い払い、おかげで上流の岩は無事。


一方、負けた魔物は悔し涙をほろり。

今でもその跡が滝の筋となって残っているとか。

ふふふ。画像で探してみてね♪


で。

このわんこの影は、毎年4月下旬と8月下旬の午後5時前の数分間だけ現れるそうで。

岩を食う魔物と犬の話は伝承として昔からあったものの、このわんこの姿は数年前に偶然発見された現象。

関西ローカルのニュースでやってましたの。


訪問時は、子犬でした。


いつも応援いただきありがとうございます。
わんこのお話と聞けば、行かずにはいられません。久々にこの辺りの狛犬さん達も登場してもらいましたが、やはりトド体型の狛ちゃんがぬいぐるみみたいですね。この一枚岩、対岸から見ているのですが、あまりに大きすぎてカメラにおさまらないです。亡き母なら遥々来たのに「コンクリート?」とか、言いそうだなぁーっと思いつつ、壁を見つめておりました。

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天椅立神社(7)やっと最終回。境内おさんぽ

こんにちは。


天椅立神社。


【祭神】伊邪那岐命・伊邪那美命 

式内社「阿波國美馬郡/天椅立神社」論社。

明治3年。

当社神主であった近藤忠直により「式内社」と提唱され正式に現社名に改称。

今まで皆が「羽津明神」って呼んでたけど、ほんとはここは「式内社『阿波國美馬郡/天椅立神社』」っていうとこなのよーっと、ある日突然、宣言。


羽津明神の名残かや?


この奥の本殿が


高い高い基礎の上にありました。


もう洪水にならないといいね。


歌、間違えました。

今回は三好氏の追っかけはしなかったのですが、ここは三好郡東みよし町。



阿波守護・阿波小笠原氏の末裔の三好氏は、阿波三好郡を本拠地として次第に東へ東へと勢力を伸ばします。


玉垣には三好さんがいっぱい。


三好長慶の良くできた弟、安宅冬康関係かわかりませんが、個人的にうはうは。

ちなみにここの近くの阿波池田の


安宅屋羊羮はさっぱりした甘さでとても美味しいです。

※安宅屋さんは北陸の安宅関辺りから来られたので、この名前に。


氏子の方々が作ったこのお庭。


まともにお父さんなので、ちょっと照れた。


この子の後ろにある石灯籠。


めっけもんでした。


天保2年(1831)。


寛政4年(1792)。寛政期の石灯籠、私には珍しかったです。

むふふふ。

寛政4年の頃ってね。

長谷川 宣以(はせがわのぶため)が活躍していた時代ですわよっ。


んまっ。

火付盗賊改役・長谷川平蔵、『鬼平犯科帳』の鬼平じゃないかっ。

うっはうっは♪

あああ、鬼平。あああ、中村吉右衛門様♪


境内には、徳島らしいこの石が点在。


なんでこの写真を撮ったんだろう。


境内には、排水路とおぼしき溝。

わずかな溝ですが、これがあるのとないのとでは大違いなんだろうな。


さーて、帰ろう。


そうね、またね。


由緒や地域の古い古い遺跡群も狛犬さんも素敵な天椅立神社でした。


今度は田んぼが緑のときに来たいなぁ。




すまなかったねぇ。


天椅立神社
《住所》徳島県三好郡東みよし町昼間3266




いつも応援いただきありがとうございます。
天椅立神社はこれでおしまい。長々とお付きあいいただきすみません。昨年、鬼平ドラマがついに終わってしまったんで、アニメの「鬼平」見ました。小房の粂八(ドラマでは蟹江敬三)がえらい美形の若者でしたわ。そうかぁ、粂八っておじさんじゃなかったっけ。・・・寛政の石灯籠見ただけで、小躍りするお馬鹿でした。おほほほ。

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天椅立神社(6)立法寺とむかしばなし

こんにちは。


天椅立神社。


赤丸が天椅立神社、右斜め上に立法寺の小字。

ここには、かつて、立法寺という大きなお寺がありました。

この辺りでは今でも田を耕していると、布目瓦の破片が出てくるとか。

むかしむかし。

その立法寺の若いお坊さんが、近所の娘とフォーリンラブ。



しかし、僧侶は妻帯出来ないので、

二人は石のそばで、心中してしまいました。

それが、この石。



いつしかこの二つの石を夫婦石と呼び、他所へ持っていくと罰があたるといって、だれ一人さわる者がなく、ずっと田の真ん中に残されておりました。


・・・きっとあの世で二人は仲良しこよし。


徳島らしい、この大きな石は、腰掛け石。

立法寺のお坊さんが腰かけて、近所の子供たちを集めて勉強を教えた石といわれているとか。


ありがっとお♪


日本むかしばなしの世界です。


参考文献

『阿波学会研究紀要』
(「郷土研究発表会紀要第39号/『三好町の伝説』/徳島県立図書館)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/39/3933.html


天椅立神社
《住所》徳島県三好郡東みよし町昼間3266



いつも応援いただきありがとうございます。
境内にひときわ目立つ大きな石のベンチと、夫婦岩(裏に立法廃寺礎石の文字)があります。お寺のお坊さんが心中とは穏やかではありませんが、あの世で幸せになっているといいですね。お勉強を教えるベンチは、ほっこりです。案外低くて、座るときに、どっすんっとなりますけど、景色を眺めてのんびりするにはとてもいい石でした。

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天椅立神社(5)羽津明神が、ある日突然式内社?

こんにちは。


天椅立神社。

式内社「阿波國美馬郡/天椅立神社」論社。

徳島県三好郡東みよし町昼間に鎮座。


鎮座地(赤丸)周囲の小字名に、「宮内」「宮ノ前」。

※大字(おおあざ)昼間、小字(こあざ)宮内。

地名、特に大字&小字は、昔、その土地がどんなとこだったのかを表しており、とてもとても大切なものだと思います。


昔々は、「宮内」と呼ばれている地域全部が境内で、
当社の南100mの場所を「鳥居」と呼び、実際に鳥居の沓石があったという伝承が。(『三好郡誌』など)


方角からしたらこっち。「宮ノ前」って辺りになるのかな?


ところでこの昼間という場所。

上の小字地図の丸数字は、縄文・弥生・古墳時代の遺跡群です。


ほれほれ、こーんなにいっぱい。(クリックで拡大します)


神社北東角に、説明板が。


(クリックで拡大)

④の、京伝遺跡。


私が道を間違えきょーふのどん底に落ちた辺り。

ふっ。ケガの 巧妙 功名。


⑦は、大柿遺跡。


たぶん、こっちらへんの右側。

弥生時代前期の棚田/古墳時代後期の徳島県下最大級の集落/鎌倉時代・埋納された壺等が発掘されたとても重要な遺跡です。


微高地斜面部は、吉野川の古い後背湿地に面しており、確認された最古の水田は弥生時代前期末まで遡る。水田は後背湿地部と斜面を棚田状に開墾している。棚田は5段確認されており、幅2m以下の狭く細長い水田で、各段差は約20~50cmである。導水にあたって微高地を分断する灌漑用水路を開いていることが確認された。

徳島県立埋蔵文化財総合センター「レキシル とくしま」オフィシャルサイトより引用
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C5%EC%A4%DF%A4%E8%A4%B7%C4%AE%2F%C2%E7%B3%C1%B0%E4%C0%D7

出土品等はこちら⇒全国遺跡報告総覧
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/14131


すごいなぁ。棚田ですって。
弥生時代の田んぼって、のっぺらーんっとした平地にちょろん、かと思ってたら、地形を利用して段々にして、灌漑用水路まで作ってたんですね。


⑤の、立法寺には、立法廃寺跡遺跡。


天椅立神社境内にあった、これ。裏に「伝立法寺廃寺礎石」。

うーむ。動かしてしまってはもったいない。というより、意味がない。

惜しいなあ。


夫婦岩は、やはりこうでしょ。ふ。


古墳群や古式ゆかしい名称の神社が点在する吉野川沿岸。

周辺の遺跡群から見ても、ほんとに古くから人が住んでいたことが確実である昼間地区。

そこに、


延喜式制定当時「阿波國美馬郡/天椅立神社」が存在していた。

が。

今見ているここが綿々と「天椅立神社」として存在していたかというと、そうではなく。


貞治3年(1368)の雲辺寺の鰐口の銘に「阿波国田井荘、羽津宮」とあるように「羽津宮」、時代が下ると「羽津明神」と呼ばれるお社でした。



天へ通じる梯子とか橋を意味する「椅」の文字を持つ天椅立神社。


なのに、何で「羽津」やねん。


「これは肆の草書を津としたからであり、羽津即ち橋で、椅大明神である。辻の方へ渡る舟橋の椅神社から社名ができたか」(『式内社の研究』「神社取調指上帳」/明治初期)

にゃー?

延喜式制定時には「阿波國美馬郡/天椅立神社」であったものが、羽津明神となったのか。

そこで、明治名物。


ひっくり返るのどんでん返し。

明治3年。

当社神主であった近藤忠直により「式内社」と提唱され正式に現社名に改称。

今まで皆が「羽津明神」って呼んでたけど、ほんとはここは「式内社『阿波國美馬郡/天椅立神社』」っていうとこなのよーっと、ある日突然、宣言。

「証拠は?」

由緒不明、なんですね。

古くから人がいたという揺るがしがたい物証としての遺跡群があり、そこから引き続きここらには何かがあったろうに、惜しい。

式内社といっても、いろいろあるさ。


そうだよ、ここで地元の皆が大事におまもりしてきたってのが、いいんだよ。


今でも、地域の心の拠り所となるようにお庭を作ってらして。


ほっこり。

なかなかできることじゃないですよね。


あかん。折れる。


災害を忘れないように標柱や昼間地区の遺跡群地図まで設置されているんですもの。


そうよ、お社も狛犬さんも、地元の氏子さんに愛されてなんぼ。

よそものは、はぁー、いいなぁ、このお社、気持ちいいなぁ、素敵だなぁ、ありがたいなぁと、感謝するのがいいんだと思いました。


天椅立神社
《住所》徳島県三好郡東みよし町昼間3266




いつも応援いただきありがとうございます。
この遺跡群ですが、大規模な本格的な調査はされていません。理由は、自治体にお金がないから。これはこれでいいのだと思います。歴史浪漫よりも、今、住民のためにすべきこと、優先するべきものは他にいっぱいあります。あっちこっちで新たな発見!こりゃすごいぜ!と叫ぶことができる自治体は豊かなのだということ。道路を作るとか、そんな一大イベントがない限り、この辺りの謎は謎のまま。それでも、実は豊かな土地なのです。

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ありがとうございます。夜にお熱が連続してるのでさすがにお医者さんへいってきます。
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