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金丸八幡神社(3)ずらぁり並ぶ石の行列

こんにちは。


金丸八幡神社。


いいんだよ。八幡さんといえば、はとぽっぽーなんだよ。

八幡さんの祭神「応神天皇」の神霊が金色の鳩に変じたとか、「宇佐八幡 から石清水八幡に分霊する際に金鳩が出現した」 とか。

いや、それより、君は誰。


よーしよしよしして、狛ちゃんの後ろから一旦神社を出ますと。


石がずらぁり in 玉垣。


磐境(いわさか)とは、

堅固な神域または祭壇。

「天つ神籬(ひもろき)及び天つ磐境を起し樹(た)てて」(『日本書紀/神代下訓』)(三省堂『大辞林』/「コトバンク」より)


えーっと、とっても神聖なとこの境界?

まあ、今日は難しいことはおいといて、見とくんなはれ。


これは神社の南西角。石の行列は、神社の北西から北側。


意図的に並べられたのは、確実です。


自然の戯れ。


北側。国道に沿ってずらぁり。


延々と続きます。


石の大きさには統一感はあまりなく。


道路拡張のため、歩道が迫りますが、


ものの見事に並んでいます。


徳島県名産の、きれいな結晶片岩です。


少し小さくなりつつも


小さいなりにきちっと並んでいます。


・・・ちょいと黙ってくれんかね。

不思議ですねー、神秘的ですねー、って言いたいのにっ。


そうそう。

で、これは何かというと。


壁に耳あり、


障子に目あり。

あらやだ。言えないわっ。

・・・ごまかして、つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。まずはずらぁりと並ぶ石の不思議な感じがお伝えできれば。石の反対側は、車がびゅんびゅん通る国道ですが、この石の行列により境内は何とも静かで「じんじゃー!!」な雰囲気になっている気がしました。人の手により意図的に並べられていることは、一目瞭然。石が勝手に並んだらそれはホラー。ただいま大いに悩み中。
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いつもありがとうございます。
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金丸八幡神社(2)八幡大菩薩と式内社

こんにちは。


狛犬かくれんぼの金丸八幡神社。



【祭神】應神天皇・武内宿禰・神功皇后

【由緒】(境内説明板より引用)

式内社「阿波國美馬郡・田寸神社」論社

萬治3年(1660)に「八幡宮」として新しく建てられ、その後何回となく再興・修理 が加えられ維持されてきた。

明治4年「神仏分離」後、八幡神社と改称し神殿を造営
明治13年。弊殿・拝殿を新造し現在の神社となる。
明治42年。地域の小宮を集めて境内神社として社殿を作った。

平成8年。社殿全体の老朽化に伴い、氏子の発意で大規模改修工事。



【神仏分離と八幡宮】

八幡宮が祀るのは「八幡大菩薩」。


源氏の氏神として全国各地に鎮座。(画像/鷲峯神社)

氏神だけど、菩薩の名前。

八幡宮は神仏習合がわかりやすく表れており、例えば京都の石清水八幡宮は「石清水八幡宮寺」といい、最高責任者は「別当」という僧侶。

このため、明治の神仏分離及びそれに伴う廃仏毀釈運動の影響を強く受けます。

仁和寺の法師が間違えるほど山の麓まで繁栄した石清水八幡宮の姿は、失われました。

金丸八幡神社もまた、「明治4年『神仏分離』後、八幡神社と改称し神殿を造営」とありますから、同じ。

地方でも几帳面に神仏分離が行われたんだなーっと、思います。


・・・まぁ、難しい事はさておこう。


吽ちゃんは見当たらず。


寂しげな、ぼーんっのおちり。


さてこの金丸八幡神社。

式内社「阿波國美馬郡・田寸神社」論社のようで。

延喜式は平安時代に定められたもの。

金丸八幡神社は萬治3年(1660)に「八幡宮」として新しく建てられたもの。


誰がおばちゃん、だ。


「社記によると、往古『建石神社』と称し大己貴命を祀った。中古、金丸山腹に鎮座していた八幡神社を合祀して金丸八幡神社(当時は八幡宮か/by私)と呼ばれた」(『式内社調査報告』)


元々あった「建石神社」が田寸神社の論社。



後から合祀された八幡神社ですが、名前はこっちを優先されたので、少しややこしい。


神様のシェアハウス。

「明治42年に地域の小宮を集めて社殿を作った」とは、要は、神社合祀ですな。


落っこちそうです。


えーっと。いらないかなー。


よーしよしよしよしよし。


なぜもう少し大きな台座にしてあげないのかしら。

でもこのぎりぎりな感じも、この子達の特徴。どきどき。


いつも応援いただきありがとうございます。徳島県らしい狛犬さん達。どの子もとっても笑顔で、よーしよしよしよしよしってしたくなります。神社の現在の祭神だけにこだわると、その神社の歴史そのものを見失うというか、明治の政策後の誘導に乗っかるような気がして、かなりイラッとします。
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金丸八幡神社(1)飴ちゃん狛犬家族と狛犬かくれんぼ

こんにちは。


JR四国徳島線の三加茂駅。単線で無人駅です。

時刻表を見たら1日に14~15本ほど停まるようです。


え。


違います。


金丸八幡神社です。


はい、何でしょう。


大きなお手手とあんよと、とりさん顔。徳島でよく会う狛ちゃん。


石材が四角だったんだろうか。


あぶなーいっ。

飴ちゃんは最後までぺろぺろしましょう。


境内は広いのに、なぜか吽ちゃんの周りに百度石などが集中。


きゃー。ちびこまー!


きゅっとしがみつくお手手がたまりません。


かーちゃん、凛々しい。


ちびちゃん、後ろ足がフルオープン。


狛犬家族のために、おまいりせねばっ。


まぁ。ご親切に。


あれは神輿庫かし・・・何かいる。


きゃー。


とっても笑顔の狛犬さんです。


わっ。


おおおっ。車両がひとつっ。


毎日見てても楽しいね。


いつも応援いただきありがとうございます。三加茂駅前に鎮座する金丸八幡神社。一見するとどこにでもある村の鎮守の神様のぉ~♪ですが、私はここで1時間過ごしました。そー。見所いっぱいな不思議なお社でしたのよ。
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いつもありがとうございます。

狛犬ぼん、きゅっ、ぼーん

こんにちは。


明石海峡を渡り


鳴門海峡を渡り

何度か訪れている徳島県。

初めて会った狛犬さんがすごくて、以来、私の頭では

徳島県=狛犬天国。

ちょっとだけその子を振り返ります。


宇志比古神社。くんくん。


うはー!


めっちゃ笑顔♪


おっきくて丸くて、思わず撫でたくなるような後ろ姿。


何からつっこんだらいいのかしら。


くねる狛子さん。


なーいすスタイル♪


ほめちゃった。


おばちゃんは見た。


そう。よく見ないとわからないほど微妙に。


おほほほほ。


朝一番から素敵な狛犬様に会って、こりゃー幸先いいぜっ♪っと、ほくほくして。

このときは、参拝するのをすっかり忘れて、このまま移動してしまったのでした。


この子達は、徳島県でちょこちょこ会うかわいい犬種。


狛犬さんがお賽銭箱を持ってるのも初めて見ました。


たまにものすごい変化球があり、


壁に耳あり。

うふふふ。


いつも応援いただきありがとうございます。ほんと、初めて会った子のインパクトはすごかったです。あちこち行くと、地域ごとの狛犬傾向がとても面白いですね。中でも徳島県は、狛犬さんがとても大切にされており、みんなとても幸せそうな笑顔で迎えてくれます。うふふの徳島旅、続きます。
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箸蔵寺(8)天神社。帰りもロープウェイ

こんにちは。

箸蔵寺最終回。やっと。


観音堂を後にして


ええ天気です。


御影堂の前に


きちっと並んだ石達が。

何かお堂があったのかなー?


しゃべってくれないかしら。僕はほにゃほにゃの礎石です、とか。

帰りは


転げ落ちたら嫌なので、石段回避。坂道を下ります。

行きは気付かなかったの。坂道があるなんて。


天神社。江戸末期の建造。重文。


(クリックででかくなります)


こぶりな社殿ですが、手の込んだ造りです。


これぐらいの高さだと間近に見られるので、好き。


お花屋さん。


風になびく髪と横のお花がかわいいです。


二人とも、見返り美人さん。


ひまわり?


てくてくしてたら、鐘楼のとこに出ました。

さ、帰ろう。


またね。元気でね。


右側が護摩殿。


ここで夜を過ごしたくないです。きっとすごく寒いです。


往復切符を買ったので、帰りもロープウェイ。


待合室にいたご夫婦。

・・・わたしゃ人間かと。

おばあちゃんの座りかた、ほんとのおばあちゃんみたいで好き。


ぶーん。


仁王門は行きに見たので反対側の


びゅーんっと通り過ぎちゃったよー(T▽T)


箸蔵寺ロープウェイは2本のワイヤーに両手でぶら下がる形。


左が下流。吉野川沿いに史跡がいっぱいなんですよー。

箸蔵寺で二時間ほど過ごしたのでお腹ぺこぺこ。


釜あげうどーんのおつゆは、


どんぶりがお茶碗に見える大きさなこちらに入ってます。

おいしかったです。



いつも応援いただきありがとうございます。ゆっくりゆっくり過ごした箸蔵寺。神仏習合の姿を残し、豊かな彫刻群が山盛りの素晴らしいお寺でした。ロープウェイで登っても本殿までの石段がきついので、麓から徒歩でお参りするのは大変です。せっかく素晴らしい境内なのですから、体力を温存しておくためロープウェイ利用がおすすめです。
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箸蔵寺(7)観音堂。桃山様式と力持ち

こんにちは。

箸蔵寺は文政9年(1826)の火災により焼失。


方丈。安政3年(1856)頃の再建。

護摩殿・薬師堂・鐘楼堂は文久元年(1861)頃の再建。

全て重文です。


護摩殿。


細かい彫刻に、


賑やかな動物達。


鐘楼。


薬師堂。


本殿は少し遅れて、江戸末期の再建。ここも重文。


どこを見たらいいやらわからないほどの彫刻群と


山の斜面を利用した巨大な三つの建物が特徴。


こちらはわんわん天国。


ふと右側を見ると木立の中に何やらが。


観音堂(徳島県指定有形文化財/建造物)です。

建築年代は、江戸初期。

徳島県下で江戸初期まで遡る仏堂は少なく、貴重。

箸蔵寺の中で最も古いお堂ですが、元々ここにあったのではなく、大正年間に徳島市の清水寺から移築されたと伝わるとか。

徳島市の清水寺は、寛永9年(1632)徳島藩主・蜂須賀至鎮が大願主となり山門・経堂・方丈・庫裡や毘沙門天像などを寄進したと伝わり、本堂は明治初年に徳川家ゆかりの慈本院の本堂を移したそうです。(wikipediaより)

ふむ。

何でかなぁ?ここから徳島市は遠いぞぉー。


(クリックででかくなります)


彩色が残り、とても美しいです。


お?


真っ赤なたてがみのぉ、狛犬さんはー♪


とっても痩せていてぇ、ぼーけーているぅ♪

・・・すみませんすみません。


本殿や護摩殿は、ぷっくりした子達。違いが面白いです。


きれいな扉ねー。


組物は桃山様式を踏襲した和様。いち、に、さん、の三手先。


ん?


おおお、支えてる人がいるよー。

んーーー。押し潰されてる。


ばんざーいしてたり、


肩で担いでいたり。うふふふ。


お屋根を支えて数百年。ううう。


観音堂、とてもお気に入りになりました。


いつも応援いただきありがとうございます。寒いですねぇ。お手々が冷えるので指先が出る手袋して書いてます。さてこちらの観音堂。箸蔵寺の中ではここだけ、何となく違う雰囲気。木立の中にたたずむ姿は、こじんまりとしてお上品な感じがしました。色々な彫刻を見るのはとても楽しいですね。宝探しみたい。うふ。
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箸蔵寺(6)神仏習合の姿で残るのは何故。錦の御旗と仁和寺

こんにちは。


箸蔵寺のおんまさん。


本殿にかかるこちらを書いたのは、純仁(じゅんにん)法親王。

還俗して、小松宮彰仁親王。


そだね。


【小松宮彰仁親王ってだぁれ?】

(略歴/wikipediaより引用)

安政5年(1858)仁孝天皇の猶子となり親王宣下を受け「嘉彰親王」。仁和寺へ入寺得度し「純仁」と号し。

仁和寺第三十世の門跡(住職)に就任。

慶応3年(1867)王政復古。復飾を命ぜられ「仁和寺宮嘉彰親王」。

明治維新にあっては、議定、軍事総裁。
戊辰戦争では、奥羽征討総督として官軍を指揮。

明治3年(1870) 宮号を東伏見宮に改め
明治7年(1874) 佐賀の乱では「征討総督」
明治10年(1877)西南戦争では「旅団長」として出征し乱を鎮定。
明治14年(1881)維新以来の功労を顕彰され、家格を世襲親王家に改められ、
明治15年(1882)宮号を仁和寺の寺域の旧名小松郷に因んで小松宮に改称、「彰仁(あきひと)」と改名。


そう、えらいひとなのね。


(画像/wikipediaより)錦の御旗の、明治新政府のな。


【仁和寺がどうかした?】

仁和寺は、真言宗御室派総本山。
開基、宇多天皇(出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」)。

皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務めたお寺で、「門跡寺院」の筆頭として仏教各宗を統括。

応仁の乱で伽藍が全焼するも、江戸時代に再建。ふっかーつ。

そして。

仁和寺最後の皇族出身の門跡が、伏見宮純仁法親王(小松宮彰仁親王)。


そう、えらいひと。


【仁和寺と箸蔵寺】


箸蔵寺は、真言宗御室派。

総本山は、仁和寺。


箸蔵寺の本尊は、金毘羅大権現。

同じ金毘羅大権現を本尊とするお寺に、「こんぴらさん」の名で有名なかつての松尾寺があります。

箸蔵寺はそのご縁で近世に「こんぴらさんの奥の院」とも称されます。

が。

その松尾寺。

明治の神仏分離により「金比羅宮」なる神社に強引に分離(というより、乗っ取り?)されます。


やかましっ。


なぜ箸蔵寺はそのまま残ったのか。


これについて、箸蔵寺の見解です。


「つまり、新政府側であり、なおかつ天皇ゆかりの方が御室派のトップであったことが、箸蔵寺が神仏分離を免れた大きな理由です。戊辰戦争にかかった莫大な費用の多くは、親王が御室派の寺院から調達したと言われています。箸蔵寺も何らかの形で戊辰戦争に関わっているのかもしれません。現在箸蔵寺には、親王自筆の『金毘羅大権現』の神号がお軸として残っています。」

(「こんぴら奥の院箸蔵寺/公式HPより引用)
http://www.hashikura.or.jp/


無論、真言宗御室派のお寺でも、例えば宮島の多喜山水精寺大聖院では、神仏分離までは十二坊の末寺を有し、嚴島神社の別当職として祭祀を司ってきた宮島の総本坊であったものが神仏分離により分けられていますから、全てが神仏分離を免れたわけではありません。

徳島で神仏分離が行われなかったわけでもありません。

ごくごくたまたま、残ることが出来ただけなのかもしれません。


しかし、こうして箸蔵寺が神仏習合の姿を今も残してくれているのは、事実。


鐘楼に狛犬がいたっていいじゃんね。


何で鳥居がお寺に!?とか、おまいりは二拍手すんのか!?神か仏か!?とか、あたふたあたふたすることがいかに「明治」というものに毒されているのか、ちょいと考えてみるのも面白いと思います。


ふぁいとっ。


※こんぴらさんの神仏分離については、大先輩の「しばやんの日々」様が詳しくてわかりやすいです。

「明治初期までは寺院だった『こんぴらさん』」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/?no=69

「『こんぴら』信仰と金刀比羅宮の絵馬堂」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-70.html

「数奇な運命をたどって岡山県西大寺に残された『こんぴらさん』の仏像」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-71.html

しばやん様、いつもありがとうございます。


いつも応援いただきありがとうございます。不思議だったんですよー。何でこんぴらさんは神社にされたのに箸蔵寺はそのままなのか。徳島藩を調べても神仏わけわけしてるし。とても大雑把かもしれませんが、箸蔵寺の見解は、あー、そういう視点もあるのねーっと興味深いです。今回調べて実感したのは、「変化」は記録に残るけど、変化がないってのは案外記録に残らんものだなーってことでした。
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いつもありがとうございます。

箸蔵寺(5)本尊は金毘羅大権現。本殿の彫刻群とおしゃれ狛犬

こんにちは。


奥さん、これ、45度はありますことよ!?な石段は、箸蔵寺。

ぶーたれていても仕方がないので、登ります。


・・・登ってますっ。


ちーっとも前に進めません。


実は、あと数段、が、登れてない。

撮影するふりして休憩。


極楽浄土は、まだ、ご遠慮します。やりたいことあります。

やっとたどり着きました、箸蔵寺本殿。


お正月だねぇー。


狛犬、面笑腹吠。


お正月でおめかし。


逆光です。


しゅっとした美形さんです。


ふぅーん。


しっぽにおめかしする狛犬さんは、はじめましてです。これ、かわいいなー。


本殿は、江戸後期の建築。三つの建物が並びます。


(クリックででかくなります)

鳥居があって、狛犬がいて、神社の拝殿、幣殿、本殿みたいですが、

お寺です。


奥殿、屋根の下が素敵。

さて。おまいりです。


彫刻がものすごいことになっております。


右側。


左側。


正面、どーんっ。


箸蔵寺の本尊は、金毘羅大権現。

はた。

ここへ来て急にパニくるわたくし。

権現、とは、仏様や菩薩様が「仮に」神様の姿で現れた(本地垂迹説)神号でしょ。


二礼二拍手?いやでもここはお寺やし。


・・・ぱふぱふ(無音)


※後でお寺の方に尋ねたら、どっちでもいいですよ、と言われました。



次回はご祈祷のお願いをしたいです。


この額のお向かい(「正面、どーんっ」の彫刻の裏側)には、


・・・違うのはわかってるんですが、読めない。


こまこまお狛。


一人ずつお顔や髪型が違います。


賑やかな頭上。


肉球天国。

さて。のんびりと見てきた箸蔵寺(まだ途中)。

神社とお寺がごちゃ混ぜの境内は、明治に神仏分離が強行される前にはごく普通にあちこちで見られた神仏習合の姿です。

神仏分離に続く廃仏毀釈により衰退したお寺が多い中で、なぜ箸蔵寺は現在も神仏習合の姿を留めていることが出来たのか。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。記事がしつこいほどのったりのったりしてるのは、あまりの寒さにお布団が恋しいのと、忘年会より多く新年会があるから。私の中でフォアグラ作成中です。おほほほほ。謡を覚えないといけないのに、本をひろげたまま夢の中。舞台で途方にくれる夢を見ても、これは夢だしぃーっと、夢の中でもう一回寝ます。だめだこりゃ。
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いつもありがとうございます。

箸蔵寺(4)石段途中の薬師堂

こんにちは。


箸蔵寺の本殿へ。


まだ3分の1程度ですが。


何だか素敵な建物です。


じー。


くるっぽー。


どうもそのようです。


薬師堂。重文。

もっと離れて撮れよー、と言われても、ここは崖の上。むりー。


(クリックででかくなります)


中には厨子があるそうで。

鶴さんがお守りしてるのかな?・・・踊りながら。


お堂の裏は、素敵な石積。

さて。


はぁぁ。登るの、やだー。帰るぅー。


嘘です。お参りします。


ぎょっ。


いつも応援いただきありがとうございます。こじんまりとしたお堂ですが、石段にへこたれそうになる私は、じっくりお参り・・・しながら、ぜーぜー。傾斜の緩い石段や坂道とは違い、急傾斜の石段は足腰よりも心臓にガツンっときますねー。
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いつもありがとうございます。

箸蔵寺(3)鐘楼前に狛犬。そして、鳥居

こんにちは。


箸蔵寺。


石灯籠が私を呼ぶ。

なんでしょう?


浮き輪のおばけ?


「ぼけ封じ観音」を「ぼけ倒し観音」と読み間違えました。


切迫しております。よろしくお願いします。


雑煮が背中の肉となり、おせちが横っ腹の肉となるお正月。

のしのしと歩くのも情けないので、ここは。

うおおおおーーーっと一気にかけ上がり。


鳥居と鐘楼(重文)。

ここは箸蔵寺。でも、鳥居。

明治に神仏を分け分けすることがなければ、日本にはこのような光景があふれていたことでしょう。

今でもお寺に鳥居があったり、お寺を神社にしたことで鐘楼と鳥居が共に存在する神社は時々見かけますが、

箸蔵寺の本尊は、金毘羅大権現。


箸蔵山で弘法大師に「箸使う人助けますよ」と神託を下したお方。

本尊が金毘羅大権現という神様のままという点や建造物がそのまま残る点が、箸蔵寺の面白いところ。


何かいる。


あ、狛ちゃーん♪やっほー。


麓から登ってきたのよ。えっへん。


これで。


えへー。


あらやだ、かわいい。


お正月でおめかしさんねー。


鐘楼と言われても、鐘はどこに?


2階から 目薬 ひも。

引っ張ったらどうなるのかなー。


鐘が鳴るそうです。


ええええーっ!?

・・・この子達は、鐘楼をお守りしているのかなー。


おもりじゃない。


照れるんじゃないっ。

さぁて。


何でしょうか、あの素晴らしい角度は。


鳥居をくぐって本殿へ行くんだよー。


お正月太りが過ぎました。ぜー。


あああ、なんて素晴らしい鐘楼であることよ。

撮影を口実に、休憩。


いつも応援いただきありがとうございます。鐘楼前の狛犬さん。小粒なお目目が何かを言いたそうな、とてもかわいい子達です。落雪注意の看板があるので、お寺の方に「冬はどんなんになるの?」と尋ねてから「今、冬っ」と気づき、あたふたあたふた。お正月太りとお正月ボケがピークなままお参りしてしまいました。おほほほほ。
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いつもありがとうございます。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
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