こんにちは。

鳥取県伯耆町大原の大原神社。
私がここで血眼になって探したものは、実は金屋子神様でした。
というのも、

大山(だいせん)の麓の大原地区にいたのは、

源氏の宝剣「鬼切」とその双剣「童子切」を生み出した「大原安綱」。
中国山地はたたら製鉄の原材料である砂鉄が豊富。

特に、刀剣の原材料「玉鋼」に向く「真砂砂鉄」が多いです。

近隣の丸山地区には、たたら製鉄跡があります。
これまで見てきたたたら製鉄操業や、高殿等のたたら製鉄史跡は主に中世(院政期/1100年頃以降)から近世のものですが、大原鍛冶の最盛期は、平安末期から鎌倉中期。
安綱たちを総称する「大原鍛冶」は「古鍛冶」に分類されます。
【童子切安綱】
国宝「太刀/銘安綱/名物 童子切安綱 」(画像/e国宝)
多田源氏の棟梁である
源満仲が刀匠
大原安綱に打たせた双剣のひと振り。
双剣は、「鬼切」と「童子切」。
平安中期のこと。
・・・満仲より、息子
「頼光」の方が土蜘蛛退治や、大江山の酒呑童子退治の説話で有名ですね。
源頼光は、清和源氏3代目。
父は源満仲(清和源氏)、母は源俊(すぐる)の娘(嵯峨源氏)。
異母弟に源頼親(大和源氏)、源頼信(河内源氏/武家の棟梁、征夷大将軍を輩出)

父・満仲より摂津国多田(兵庫県川西市多田)を相続(摂津源氏or多田源氏)。

旧多田院の鎮守社&多田72ヶ村の総社。鎌倉期創建。
《源頼光の土蜘蛛退治~能「土蜘蛛」~》
能「土蜘蛛」。後シテは、土蜘蛛。
前段では寝込む頼光を僧に化けて襲った土蜘蛛ですが、

源氏代々の宝刀「膝丸」により負傷。
土蜘蛛を追い払ったのは、ひとえに剱(つるぎ)の威徳。
頼光は、「膝丸」を「蜘蛛切」へと名を変えます。
結局、土蜘蛛は負傷したときに滴り落ちた血の跡を辿ってきた渡辺綱達武士団に退治されてしまいます。

明治の神仏分離時に多田神社の仁王像は、満願寺へ。
満願寺にあるのは、

・・・間違えました。

伝/坂田金時の墓
頼光が父・満仲から継いだ武士団の中でも特に、
渡辺綱(頼光の母方の嵯峨源氏)・坂田金時・碓井貞光・卜部季武は
「頼光四天王」として大活躍。
《頼光の鬼退治》丹波国大江山の鬼・酒呑童子達は、悪さばっかし。
源頼光が鬼退治に行くこととなり、

頼光四天王や友人の藤原保昌達、総勢50数名と共に大江山へ。

山伏の仮装をして酒呑童子の本拠地へ入った一行は
酒宴を催し、鬼達を酔いつぶしたところで、ふぁいっ。
頼光は、酒呑童子の首を落とし、ミッション終了。
この時、頼光が用いた刀が、

童子切安綱。(画像/東京国立博物館展示/2016)
酒呑
童子を
切った
安綱作の刀なので、
「童子切安綱」。
初めは源氏の宝剣とされた「童子切安綱」の持ち主は、
足利将軍家→豊臣秀吉→徳川家康→2代将軍徳川秀忠→松平忠直(秀忠異母兄・結城秀康の長男で秀忠娘婿、越前福井藩主、越前松平家)→高田藩→津山藩。
昭和21年(1946)、津山松平家、刀剣商へ売却→(すったもんだ)→国の所有となり東京国立博物館に所蔵。
ところで。

酒呑童子が頼光に斬られるのを見て、脱走し生き延びた
「茨木童子」。
茨木童子はその後、様々なお話に登場。

渡辺綱と一条戻橋や羅生門で戦い、腕を切り落とされ。
この時渡辺綱が用いたのが、頼光から与えられた
「鬼切安綱」。
「此太刀は、伯耆国会見郡に大原五郎太夫安綱と云鍜冶、一心清浄の誠を至し、きたひ出したる剣也。
時の武将田村の将軍に是を奉る。
此は鈴鹿の御前、田村将軍と、鈴鹿山にて剣合の剣是也。
其後田村丸、伊勢大神宮へ参詣の時、大宮より夢の告を以て、御所望有て御殿に被納。
其後摂津守(源)頼光、太神宮参詣の時夢想あり。
『汝に此剣を与る。是を以て子孫代々の家嫡に伝へ、天下の守たるべし。』と示給ひたる太刀也。
されば源家に執せらるるも理なり。」(『太平記』巻32/272段「直冬上洛事付鬼丸鬼切事」)
持ち主は、
源満仲→(伝承/坂上田村麻呂、伊勢神宮に奉納※年代不整合)→源頼光(渡辺綱にちょっと貸す)→源頼国→源義家が蝦夷征伐に赴く際に借り、そのまま義家の子孫に伝わる。
後に箱根権現に奉納→源頼朝→最上家
一時、南北朝動乱の折りに新田義貞が「鬼丸国綱」と「鬼切安綱(國綱改銘)」を所有し、奮戦。
最上家へ戻ったかを含め、以後不明。
明治13年滋賀県権令の籠手田安定の首唱で寄付を募って購入。
京都北野天満宮に奉納、現在に至る。
ただし、現在は銘が改変されており、「國綱」と切り直され「鬼切丸国綱」。国綱作「鬼丸国綱」とは別物。

大原は、こんな素敵な双剣を生み出した安綱の鍛冶場があったところ。
そらもう、よだれたらたらでうろうろしてました。
おほほのほ。
参考サイト
「文化遺産オンライン」
http://bunka.nii.ac.jp/index.php
文化遺産データベース→作品名に「童子切安綱」入力、で見えます。
参考文献
「鳥取県の歴史」(山川出版/1997)
「鳥取県の歴史散歩」(山川出版/1994)
「鳥取県誌」(第一巻「原始古代」1972)
「ふるさとの古代史」(伯耆文庫第9巻/今井書店/1994)
いつも応援いただきありがとうございます。
「源氏の宝剣」という響きにうっとりしながら、大原地区を通りました。大原安綱の時代(平安中期)には、砂鉄を用いた製鉄操業は行われていたものの、金屋子神様を鍛冶場で祀っていたかどうかは鍛冶場そのものが残っていないのでわかりませんでした。源家の宝物として伝わる刀剣には、他にも安綱の銘が刻まれたものがあり、畿内とは遠いながらもしっかりとした交流があったのだろうと思います。


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