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九度山の慈尊院(2)鎌倉時代の石塔や板碑と信仰の形

こんにちは。


高野山案内犬ゴンちゃん。


慈尊院から高野山まで20数キロを歩いていたわんこ。


境内の片隅、大きな木の後ろに


石仏様がいっぱい。




謎の石。


いろいろと足りない五輪塔。


こちらは、弥勒堂西側の玉垣内にある鎌倉時代の五輪塔。

承安元年(1171)に慈尊院が全焼した後、灰塚として建てられたもの。


高野山奥の院、江戸期の五輪塔より地味。


多宝塔の奥にある板碑。

材質は緑泥片岩で、高さ2m弱。


左から文禄4年(1595)、元禄9年(1696)年等。

上の円三つは、阿弥陀三尊(勢至・阿弥陀・観音)の種子。

中央の「南無阿弥陀仏」の両側に「慈尊院六斎念佛結縁衆」の氏名。

※六斎(ろくさい)念仏

踊念仏の一種。
8・14・15・23・29・30の6日(六斎日)に行っていたもの。

特に、高野山山麓の下天野、九度山等付近の六斎念仏は、高野山と密接に関わる念仏信仰を今に伝えるものとして和歌山県の無形民俗文化財に指定。

多人数で鉦をたたきながら「南無阿弥陀仏」の文言を多様な旋律で唱えるもので、声明の古い形態を残しています。


中央は、明暦2年(1656)不食講結集の逆修供養板碑。

※不食講とは、不食供養を行う講。
不食供養とは、毎月1日の不食(断食)を3年3ヶ月あるいは千日行えば現世は安穏で、往生できるという信仰。


高野山百八十町石五輪卒塔婆/文永9年(1272)

慈尊院から高野山大塔まで180基ある町石の、最初の石。

この180町石から、カウントダウンしながら高野山へ向かう参道が高野山町石道。

町石は、五輪卒塔婆の形。


高野山山の上。町に溶け込んでおります。


紀伊国名所図絵にも、ほら。

慈尊院~高野山大塔、180町に180基
大塔~奥の院大師廟、36町に36基。


供養塔と混在。


ぼーっとしてると、貴重なものを見逃してしまう慈尊院。

ジソンインgo。


参考サイト
「石仏と石塔」様より「慈尊院」の頁
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7460/wakayama-jisonin.htm


いつも応援いただきありがとうございます。
慈尊院は数度の焼失と川の氾濫により移築再建された歴史がありますが、様々な時代と多様な遺構があるので油断大敵。高野山町石は高野山へ向かう車道の脇に突然現れてびっくりすることも。高野山上では町のあちこちに信号機のように点在し、奥の院では、供養塔と混在。これを見ると、あー、高野山へ来たのねーっと実感します。

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