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生野銀山(1)まずは全体をダイジェスト

こんにちは。


こっ、こまちゃんっ。


昭和48年3月22日の閉山まで1200年もの間、採掘が行われた場所です。


往時の繁栄は町並からも伝わります。

(間違えました。口銀谷:くちがなや、です)


橋の造りも頑丈です。

この先のお社には、


ちび狛ちゃん。


交差点マニアではありません。生野代官所跡です。


近年の発掘調査で明らかになった内堀跡。

跡形もないのは


トロッコの軌道の石積に石垣が転用されたので。


大正年間に敷設されたトロッコの軌道が残ります。


鉱山には、


鉱山守護の金山彦命を祀るお社があります。

生野銀山の坑道入口には、


ぎゃー。


山神宮から分祀したこちら。


です。

銀山といえば坑道が連想されますが、地上に露出しているものも大きいので、「銀山」の名の通り、山、があります。


地上に露出した鉱脈を採掘した場所への入口。


金、銀、亜鉛等の鉱物は岩盤の間の鉱脈にあるので


岩山全部をほっくり返すのではなく、鉱脈だけを目掛けて掘ります。


こうやって。

すると、


徳川時代の金香瀬旧坑露頭群。

堀切のような形になるわけですね。

これの下が、


ここから入る生野銀山坑道巡りのルートです。


温度は13度ほど。夏に行く価値、特大です。


うふふふ。


いつも応援いただきありがとうございます。
酷暑の最中、避暑に訪れた生野銀山。観光坑道は、同じ事を考えた人達で駐車場がいっぱいになるほど賑わっていました。写真に人影がありませんが、賑わってるんです。手堀り跡すげーっ、坑道せまーっ、うおーこわーいっとのたのたしてたので、みんなが私を追い越して姿を消しました。

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養父神社(8)狼くんを大切に。大口の真神と妙見信仰

こんにちは。

さて。中断しておりましたが、但馬の養父神社周辺の狼くんのお話。

百井塘雨(生年不明 - 寛政6年(1794))『笈埃随筆』

『この山(妙見山)の後の麓に養父明神在す。

狼を使令として宮前に大石をもて狼の雌雄を彫造し、鉄鎖をもって繋いで左右に有り。諸社の高麗犬の如し。
鄙国の村々にて猪鹿の為に田畑を荒さるることあれば、此明神へ参り立願して、狼を借り用いんといえば、此人かの繋ぎたる鎖を解いて其願にまかる。然して帰れば猪鹿の荒るること無し。
かくして後又御供神酒を奉りて礼参す。誠に珍しき事也。』



※現在の養父神社の狛狼は明治の奉納なので、本著記載のものとは異なります。

『兵庫県神社誌』に見られる同内容はこの『笈埃随筆』の一文です。


養父神社拝殿には、養父大明神と山野口大明神(山野口神社は『狼の宮』)が並んでいます。

これについて柳田国男は

「…この養父神社(※式内社・夜夫坐神社五座に比定)が延喜式以来の故跡のままとしても、狼の信仰までが、爰に居付きのものとは考え難い。

もしも他から移って来たとするならば、私は或は妙見山の方からかと想像して居る。」(柳田国男『狼と鍛冶屋の姥』より引用)

と指摘しています。


ここに、狼の恩返しの伝承『掃部狼婦物語』の舞台、宿南を加えて、


位置関係。

妙見山の山頂付近に、妙見山日光院。


出番ですよ。


日光院では江戸時代に牛王札という護符を発行しています。


牛王札といえば、熊野三山の熊野牛王符が有名ですね。


例えば、熊野速玉大社の牛王符は、


「熊野寶(宝)璽(印)」熊野に縁のヤタカラスによる文字。48羽。

「牛王」の名称は、牛の肝から得られる「牛黄(牛玉)」という密教の加持祈祷に用いる霊薬を印色として神符に用いた事から、「牛王宝印」と称するようになりました。(牛王符添付の説明書より)


では、日光院の牛王札とはどのようなものか。


日光院門前にある妙見山資料宝物館。

ここに、日光院の牛王札の版木が所蔵・展示されています。

そして、

牛王札には、二匹の狼(山犬)像。


こんな感じの狼でしたよ。

日光院の護符は、厄除けに御利益があるとして信仰を集めていました。

ではなぜ狼なのか。

但馬妙見日光院は妙見信仰の寺院。

妙見菩薩は北極星を神格化したと言われる仏様で、眷属は狼。


え。


神の使い、です。


妙見信仰が日本へ渡った時に、既に烏、あるいは鷲と共に狼は眷属となっていた等諸説ありますが、


日光院の護符には、狼。

神の使いとして狼が描かれた護符、その版木が残っていることは日光院が発行元である事を示す貴重な資料。

柳田国男が養父神社周辺の狼信仰について、「もしも他から移って来たとするならば、私は或は妙見山の方からかと想像して居る。」(柳田国男『狼と鍛冶屋の姥』)と指摘したのは、日光院は狼の護符を発行・配付する寺院だった点が根拠になっていたわけです。


日光院には大事な収入源。


また、狼を畏れることは、日本において古くからあり。

『日本書紀』『続日本紀』では、

秦大津父(はたのおおつち)が2匹の狼が噛み合っているところに遭遇。

「あなた方は恐れ多い神(貴神)なのに、荒々しい行いを好まれる。もし猟師に出会えば、たちまち捕まってしまうよ」と助けた。(「欽明即位前紀」)


『万葉集』では、「真神」の名で狼が詠まれています。


大口能 真神之原尓 零雪者 甚莫零 家母不有國(第八巻/舎人娘子)
(大口の真神の原に降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに)

「大口の」は狼は口が大きいことから「まかみ」(狼の異称)の枕詞。

「真神の原」は 奈良県の明日香村、飛鳥寺の南の辺りですが、当時は狼がうろちょろするような所だったのですね。


こんなおっきなお口のね。ふふ。


日本では、古くから狼を神として畏れることが背景にあり、山岳信仰や妙見信仰と混ざりあい、やがて狼は、田畑を荒らす野獣を駆除するため、「山の神や神の使い」として、特に江戸時代に信仰が広がりました。

しかし、周知の如くニホンオオカミは絶滅。

日本各地に山の神や、眷属(神の使い)としてその姿を留めるだけの存在になってしまいました。


狛おおかみ君がいたら、よーしよしよし、ってしてあげてね。


参考文献
『狼と鍛冶屋の姥』(柳田国男/『桃太郎の誕生』三省堂/昭和17)

「国立国会図書館デジタルコレクション」にて閲覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062590/205?tocOpened=1

参考サイト
『狼神話とは』「妙見信仰」
http://www.raifuku.net/special/wolf/details/myoken1.htm


いつも応援いただきありがとうございます。
古くから畏れられていた日本の狼。西洋のおとぎ話と正反対の見方をされていたはずが、何がどうして絶滅したのか。これについては、ちょっと検索していただけたらと存じます。何はともあれ、これにて養父神社と狼くんのお話はおしまい。お付き合いいただきありがとうございました。

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熊野から国道169号線で大阪へ。薬師湯立ち寄り

こんにちは。

昨日、新宮市から海沿いを走り、ついでに尾鷲市まで足をのばして。


飛鳥神社。

樹齢1000年という楠や杉の巨木が林立するけど、海辺の神社。


几帳面にまんまるの石が積まれてました。


熊野市でお泊まりしました。


この木製のおひつ、素晴らしいですね。

保温性あるし、湿気でべちょっとならないし。

・・・おかわり自由だしっ♪


えへえへ。


お刺身ぴっちぴち、酢の物甘め、塩辛うまうま。


椎茸、舞茸と焼きネギとうにゃぎ等を生卵につけていただきました。

旅館の豪華な懐石ではないですが、どれもとても美味しかったです。

お風呂で汗を流して、上げ膳据え膳お酒ごくごく。

夜はもちろん、ぱたんきゅう。

翌朝。ごはーん。


熊野市は三重県の西の端っこの辺り。東紀州とも。

東海と関西の文化が交わるところ。

いや、単に、名古屋と同じ赤味噌のお味噌汁に狂喜乱舞してるだけです。こほ。

お魚のみりん干し、美味しかったです。

そして、熊野市でお泊まりする楽しみが、こちら。


くぅぅぅー!この画像が見たかったのー!!(傘マークは見たくない)

東海地方の天気予報画面。

ずっとこれ見て育ったので、なーつかしーい♪


・・・で、これから帰る大阪の気温に、ドン引き。


腹ごなしにちょっと波打ち際まで。

七里御浜は小石の砂浜なので、ものすごく歩きにくいです。

そして、


ちょっくら獅子岩くんにご挨拶して、

国道169号線経由で大阪へ。えっちらほっちら。

途中の奈良県上北山村の「道の駅吉野路上北山」で。


川向かいにある、「上北山温泉薬師の湯」へ。

木造風の建物が日帰り温泉施設。
隣の立派な建物は「ホテルかみきた」ですが、今はおやすみ中。

今日は温泉でゆっくりしました。

にゅるすべのお湯で好きなんですが、いつもは道中を急ぐので立ち寄りできず。

二時間ぐらいうだうだしてましたが、女湯はずっとひとりぼっち。

お天気がよくなかったから、きっとたまたまです。うん。


ランチは道の駅で、きつねうどん。関西のおだし。

天かすも浮いてるので、ハイカラきつねうどん?


ずーっと視界が緑だらけ。

橿原神宮付近で外気温が、35度。ぐへぇ。


いつも応援いただきありがとうございます。
旅先では虫の音を聞いたのですが、大阪はまだ夏。それでも夜になると少し涼しい、涼しいかな、涼しいと思え!です。熊野から吉野付近までは雨が降ったり晴れたりと不安定でしたが、カンカン照りよりはるかにらくちんでした。走行距離は600キロ弱。山中でガス欠にならないよにちょこちょこと給油しましたが、いやはや、南紀はガソリンが高かったです。

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熊野の自然信仰と神社合祀の現場を訪ねてみた

こんにちは。


熊野からこんにちは。


ぽぉーっと海を見つめるだけで、幸せ。

さて、本日は。


朝のお散歩。


八幡神社、という名前ですが、


巨大な岩がご神体なのは一目瞭然。

熊野の自然信仰が残っています。


和歌山県新宮市の渡御前神社。

神武東征の折の神武天皇の頓宮(とんぐう/仮宮)跡と伝わります。

江戸時代の文書に「古来、速玉大社末社」と記されていた古社。

明治4年、本社へ合祀。

南方熊楠『神社合祀に関する意見』

「もっとも如何(いかが)に思わるるは、皇祖神武天皇を古く奉祀せる渡御前の社をも合祀し、その跡地なる名高き滝を神官の私宅に取り込み、藪中の筍を売り、その収入を私(わたくし)すと聞く。」

明治の神社合祀の有り様がいかなるものであったのか、わかるというものです。

再建は、昭和46年。


烏止野(うどの)神社は、鵜殿氏の本拠地に鎮座。

明治に、近隣より7柱の神様を合祀。

背後の山の上の方に、本宮の大上神社。

鵜殿氏一族が祀っていたと伝わるところ。


大上神社には社殿はなく、ご神体の巨大な岩があるのみ。


おじいちゃんは、烏止野神社の狛犬さん。


うふふふ。


炭水化物&炭水化物。

顔を上げれば、


花の窟神社の社頭。

世界遺産になると、観光地化が著しく。


なんだか人が寄り添っているよに見えます。

で、視線を、ぴーっと右に向ければ


うひょひょー。


ただ眺めているだけで、至福。


いつも応援いただきありがとうございます。
雲取温泉から熊野川沿いに南下して新宮へ、海沿いをくるっと熊野市、尾鷲市へ。走行距離は少なめですが、とっても濃いーぃドライブになりました。大半は海を眺めながらエアコンの効いた車内でおやつ食べてましたけど。えへへへ。だって暑いんですもの。

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白浜から中辺路ルートで本宮へ。熊野古道と神社合祀

こんにちは。


白浜といえば、円月島。

こそっと支柱が入ってるのはないしょ。


田辺から中辺路で内陸へ入りました。


熊野参詣の道中にあった九十九王子のひとつ、滝尻王子(跡)。

当時は本地・不空羂索菩薩。

ここからいよいよ熊野の神域。

後鳥羽院の熊野参詣ではここで歌会が催され、その歌を記した懐紙を「熊野懐紙」といい、高値で取り引きされたとか。

武家に政権が移った後は荒廃。
明治の神社合祀で栗栖川村村内の11神社を合祀。
「十郷神社(とうごうじんじゃ)」(十の集落の神社)に改称。

現在の名称は、「滝尻王子宮十郷神社」

ただ、合祀された神社は戦後昭和21年に各集落が復祀。

熊野の歴史がぎゅぎゅっと詰まったところです。


あらやだ。


熊野本宮大社の石段に躊躇。

そして、熊野本宮大社の九鬼宮司の「今年の一文字平成28年」


・・・き。


お宿は雲取温泉。


今回は素泊まりなので、道の駅の鮎ごはん。


いつも応援いただきありがとうございます。
雲取温泉は初めて来ましたが、いいお宿でした。何しろ朝四時に起きて爆走したので、ねむねむ。夜は爆睡してしまいました。おほほほ。今年はじめて蚊の大群に襲われましたわ。誰もいないお社の中で、やめてやめておいしくないよーっとダンシング。ふふふ。はーずかしー。

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旅の途中

こんにちは。


ただいま、旅先です。

暑い夏は、やっぱり海ね。


今日は太平洋。

9:40。白浜の千畳敷です。

うふふふ。


12:15。中辺路・近露王子辺りは灼熱です。


いつも応援いただきありがとうございます。
いいお天気なので、ちょっと走ってきました。平日なのに、人が多いです。砂浜は若者達の場所なので、わたくしは崖の上へ。ほーっほっほ。

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養父神社(7)柳田国男と狼信仰

こんにちは。


養父神社の狼くん。


柳田国男が『狼と鍛冶屋の姥』において養父神社の狼からこの地の狼信仰について、『掃部狼婦物語』の概略と下記を引用し論考しています。


菱屋半七『筑紫紀行』(巻九、享和元年(1801)六月十日項)

「またしばし行きて五社明神の御社あり。これは神名帳に但馬国養父郡夜夫坐神社五座とある神社なるべし。今は籔崎(やぶさき)大明神と申すなり。

また一丁ばかり奥の方に、山の口の社というあり。これは狼を神に祭る御社なりといえり。ゆえにこの神は狼を遣いたまうという。

社僧の居所は水谷山普賢寺、本尊は薬師如来なり。」



養父神社。


ちょっと奥に、山野口神社。


今は社務所の、別当寺の普賢寺。


百井塘雨(生年不明 - 寛政6年(1794))『笈埃随筆』

『この山(妙見山)の後の麓に養父明神在す。

狼を使令として宮前に大石をもて狼の雌雄を彫造し、鉄鎖をもって繋いで左右に有り。諸社の高麗犬の如し。

鄙国の村々にて猪鹿の為に田畑を荒さるることあれば、此明神へ参り立願して、狼を借り用いんといえば、此人かの繋ぎたる鎖を解いて其願にまかる。然して帰れば猪鹿の荒るること無し。

かくして後又御供神酒を奉りて礼参す。誠に珍しき事也。』




※現在の養父神社の狛狼は明治の奉納なので、本著記載のものとは異なります。


違うというに。


縛りますよ。


これについて、

「養父の五社大明神と妙見山との関係は、此記事の中にも少しも説いて居ない。現在は勿論二処の信仰は分立して居るから、各その社伝縁起の文字によって、連絡を見出すことは不可能であろう。

こういう問題こそはもう一度、土地人の感覚に就いて今のうちに尋ねて置く必要があるのである。水谷神社や夜夫坐神社五座は、仮に延喜式以来の故跡のままとしても、狼に信仰までが、爰に居付きのものとは考え難い。

もしも他から移って来たとするならば、私は或は妙見山の方からかと想像して居る。」(柳田国男『狼と鍛冶屋の姥』より引用)


柳田国男は、飾磨県神東郡田原村辻川(現:兵庫県神崎郡福崎町辻川)に生まれています。

えーっと。京都から鳥取へ繋ぐ街道と姫路から生野銀山経由で但馬へ繋がる街道とがクロスする辺り。

柳田国男の故郷でも、妙見山の信者は多かった(『狼と鍛冶屋の姥』)そうで、狼の信仰といえば妙見信仰ではなかろうか、と思い至ったのでしょう。


『掃部狼婦物語』の舞台である宿南、養父神社、妙見山の位置関係は


ざくっとこんな感じです。

妙見山の山頂付近に、妙見山日光院。


出番ですよ。

つづく。


参考文献
『狼と鍛冶屋の姥』(柳田国男/『桃太郎の誕生』三省堂/昭和17)

「国立国会図書館デジタルコレクション」にて閲覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062590/205?tocOpened=1


いつも応援いただきありがとうございます。
柳田国男は日本各地の狼信仰についての論考を他にも述べていますが、今回は養父神社周辺の狼伝説についてのみピックアップしています。何はともあれ、現地で古老に尋ねることの大切さ、切羽詰まった課題でしょうね。

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養父神社(6)八鹿町宿南の狼伝説『掃部狼婦物語』

こんにちは。


養父神社境内社の山野口神社。別名・狼の宮。


養父神社周辺の狼伝説について、ちょろちょろと。

第1回。


【『掃部狼婦物語』(養父市八鹿町宿南の伝承)】

養父市八鹿町(やぶし/ようかちょう)に宿南(しゅくなん)という地区があります。

ここに狼の伝承が残ります。

その名は『掃部狼婦物語』(かもんろうふものがたり)。

宿南村に伝えられた物語を集め、文化・文政期(1804‐1830)に編まれ、内容は


ざっくり言うと、狼の恩返し。


《宿南ってどんなとこー?》


宿南氏が治めたとこ。

宿南氏の嫡流は、朝倉氏。

①開化天皇の皇子彦坐命の子孫とする系図

②孝徳天皇の皇子表米親王の子孫とする系図(『朝倉始末記』『赤淵大明神縁起』、但馬の日下部系図など)


表米親王といえば、養父神社境内社の


迦遅屋神社。別名「猫の宮」の

祭神は、奧津彦命、奧津姫命、猿田彦命、表米親王。


表米親王の兄は、かの有馬皇子。

但馬国に流された表米親王の子孫が日下部姓を賜り、但馬の豪族として栄え、平安時代末期の宗高が養父郡朝倉に住して朝倉氏を称します。

つまり養父は、戦国時代に越前の覇者となる朝倉氏の発祥の地。


朝倉高清(養父神社との関わりは後日)を祖とする朝倉氏は、八木氏、七美氏、宿南氏、寺本氏、田公氏等を称し但馬一帯に根を張ることに。

「八木氏系図」には宿南氏系図が併記されるほど八木氏と宿南氏は密接な関係。

養父市には、朝倉城址、八木城址が良好な状態で残ります。


八木城址そばの今滝寺仁王門。

⇒⇒八木氏菩提寺・今滝寺の仁王門と金剛力士像


『掃部狼婦物語』の伝承がある宿南には、この宿南氏が南北朝期に山城を築城。(「城郭放浪記」様より宿南城

そんなとこ。


《『掃部狼婦物語』》

編纂は文化・文政期(1804‐1830)。

分類としては、報恩物語と異類婚姻談。主役は狼くん。


わん、言うなー(T_T)


室町時代。妙見山参拝を終えた伯州の修験者、威妙院。



宿南で狼に襲われ、宝剣「天国(あまくに)の短刀」で防御。

おデコを斬られた狼は宝剣を奪い、「かもん、かもん」と言いつつ退散。(×come-on)



修験者が「かもん」をヒントに探し当てたのが、田垣掃部(たがきかもん)。

後妻・牧女が寝込んでおり、あやしい。

聞けば、田垣掃部の先妻・綾女に罠にかかっていたところを助けられた狼がおり。



綾女の死後、田垣掃部が迎えた後妻が、悪女。
沢右衛門の送り込んだ後妻が狙うのは田垣掃部の命とお家乗っ取り。

狼くんは、諏訪明神のご神徳で、人間(♀)にへんしーん。

悪女の後妻と沢右衛門を殺し、さらに悪女に奪われた宝剣を探していたら、修験者が持っていたので取り返したの、ごめんなさい、と。



正体を知られたからには、ここにはいられないです、と別れを告げる牧女@狼。

田垣掃部も息子も必死に引き止めますが、神代の頃からのルールなの、と、姿を消します。

田垣掃部親子が家の床下を調べると、そこには、額に傷のある狼の骸が横たわっていました。



狼くんの恩返し、おしまい。


さてこの『掃部狼婦物語』には後日談があり。

田垣家に戻った宝剣「天国の短刀」は、日光院に奉納されます。

そう、明治の神仏分離で名草神社に乗っ取られた形で妙見山を追われた、あの日光院です。

宝剣を持っていた修験者威妙院は、妙見山参拝を終えたところでしたね。


もしもし。


こらこら。もうすぐ出番ですよ。


つづく。


特別出演:津田八幡神社(香川県)の狛狼くん

参考文献

『掃部狼婦物語:但馬宿南の狼伝承』(兵庫県八鹿町ふるさとシリーズ第3集/八鹿町教育委員会/1990.3)
※八鹿町は2004年4月1日に八鹿町、養父町、大屋町、関宮町 が合併して養父市

「武家家伝」様より「宿南氏」
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/syuknami.html

「武家家伝」様より「朝倉氏」
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/asakra_k.html


いつも応援いただきありがとうございます。
宿南には、掃部屋敷という所に掃部之塚があり、『掃部狼婦物語』が史実と物語が混在する伝承として残っています。赤ずきんちゃんや三匹の子豚では悪役バリバリの狼ですが、こちらでは全く違いますね。助けてもらった恩返しをするなんて、いい子じゃないかー、狼くん。

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養父神社(5)狼の宮、山野口神社

こんにちは。

養父神社へ戻りまして。


油断大敵。


本殿の右後方に鎮座する山野口神社。

別名・狼の宮。

「山野口神社の御祭神は大山祇命であります。別称は『山の口のおおかみ』と申し上げ、流行病を退けられ『つきもの』を落とす神として広く信仰されています。」(現地説明板)

これについては後々に考えるとして。


「みたらし石」なるものの上にある、この・・・プランター?


天保6年(1835)奉納。


神仏に祈る前に心身を清める水離垢の鉢でいいのかな。


天保7年(1836)奉納の石灯籠。


ほほぉー。てんぽーず?


文政11年(1828)奉納の石灯籠。


文政の石灯籠と天保の水離垢の鉢。


まとめてみた。

さぁて、狼の宮なら、どこかに狼さんがいるのかなー?


あらやだ、かわいいわんこ。


こんにちはでちゅ。


お気持ちだけでじゅうぶんです。


日影にいても、あちぃねー。


ちょびひげー!?


鏡をご覧あそばして。


うんうん、そうだね。


でっかいあんよだねぇ。


社殿。


にぎやかです。


ちゃりーん、ですみません。


こんなに高いとこまで、セミのぬけがらが。


このポーズ、但馬の流行かしら。


おくちの中に、何かの巣?


それが賢明です。

社殿にも周りにも狼さんはいなかったです。ざんねん。


あ、いや、そんな。

さてこの養父神社境内社の山野口神社ですが、養父神社拝殿を見ると


養父大明神と、山野口大明神。

あれ?


いつも応援いただきありがとうございます。
とても愛嬌のあるお顔の狛犬さん。まるっこい手先と足先が全体をかわいらしく見せている気がします。狼の宮なのに、狛犬さんがこんなにかわいい。ほこほこしたところで、拝殿の額です。この地域に残る狼くんのお話は、つづく。

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但馬海岸ドライブと大乗寺の円山応挙でもこもこ子犬

こんにちは。


夏だもの。


日本海です。


右下は城崎マリンワールド。

城崎温泉のずいっと北から、西へ約50kmほどは断崖絶壁と、まっつぁお♪な海がすんばらすぃーです。

流入する河川が少ないため、海の透明度が保たれているとか。


この「但馬海岸」は山陰海岸国立公園及び山陰海岸ジオパークの一部です。


海辺だと暑くても暑くないです。


暑かったのかっ。

・・・誰ですか、お鼻に脱脂綿をつっこんだのは。


お手々をはむはむするのは、但馬の流行かしら。

こんなお茶目さんがいるのは、


大乗寺。

天平17年(745)、行基が自ら刻んだ聖観音を本尊として創建したと伝わるお寺です。


・・・円山応挙です。

大乗寺の中興は密蔵。応挙の若かりし頃に学費を支援した住職さん。

円山応挙は密蔵が再興したこのお寺に、「出世したから払い」。

応挙は、密蔵への御礼に襖絵、障壁画、掛軸、ありとあらゆるものを自身と弟子達の作品で彩ります。

円山応挙とその弟子達による165面の障壁画や木造十一面観音立像などは全て国指定重要文化財。

別名・応挙寺。



私の中では、コイヌメデルジ(子犬愛でる寺)。


あなたは熊ちゃん。

絵師は弟子の山本守礼ですが、「いぬっころの間」と紹介されてしまうほど、ころんころんの子犬が部屋の襖にいっぱいなお部屋があるんですっ、よっ。

⇒⇒⇒大乗寺円山ミュージアム「狗子(くし)の間」
http://museum.daijyoji.or.jp/02kyaku/02_01/02_01_06a.html

応挙が描く子犬ちゃんも、たまりませんよー。

⇒⇒⇒東京国立博物館「応挙の子犬に胸キュン!」
http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2015/07/16/応挙の子犬/


海のように見えますが、円山川の河口付近です。


なーんか、ごてごてしてるねぇ、狛ちゃん。

じーっ。


苔が暑苦しい、ちびちゃーん。


愛情が暑苦しいです。

但馬海岸、こいぬロードの旅でした。


いつも応援いただきありがとうございます。
当初の予定では但馬の神社巡りのつもりでしたが、お天気が良かったので海と子犬と日帰り温泉を満喫するルートへ変更。こいぬのころころした姿はほんとに絶品です。一人で地面をくんくんする黒ちびわんこなんてもう、かわいすぎて言葉がありません。子犬ちゃんズに囲まれたお部屋で、ほこほこと幸せになりました。

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プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
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◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

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