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川島神社(3)石灯籠に残る後藤田さんち

こんにちは。


善入寺島(粟島)。

ここに鎮座しながらも吉野川の改修工事により社地移転を迫られた浮島八幡宮を中心に、旧川島町内の神社の祭神誉田別天皇・天日鷲命・菅原道真公のほか数多くの神々を合祀して創建されたのは、


川島神社。


四十余柱の神様でぎゅうぎゅう。


かわいい尻尾を愛でていたら、


狛犬さんが教えてくれた石灯籠。


見た目は普通の石灯籠。

はて?


後藤田さんの寄進。

後藤田さんといえば、



【後藤田 正晴】(1914年8月9日 - 2005年9月19日)

警察庁長官(第6代)、衆議院議員(7期)、自治大臣(第27代)、国家公安委員会委員長(第37代)、北海道開発庁長官(第42代)、内閣官房長官(第45・47・48代)、行政管理庁長官(第47代)、総務庁長官(初代)、法務大臣(第55代)、副総理(宮澤改造内閣)などを歴任。

1914年8月9日、徳島県麻植郡東山村(現在の吉野川市美郷)に生まれる。後藤田家は、忌部氏の流れを汲むとされており江戸時代には庄屋を務めた家柄である。(wikipediaより)


この後藤田姓、「川島町内では38戸。伊加賀志に多い」
(川島町内の有線放送の番号帳より/阿波学会研究紀要「郷土研究発表会紀要第17号『川島町における氏神信仰と講』)




川島神社の創建は大正5年ですから、「寛政2年の奉納」ということは、合祀される前に川島町内のどこかの神社にあったものなのかな。


いっぱいが過ぎるよー。


「後藤田一統の『後藤田家由来』によれば、先祖の後藤田牛之丞は長曽我部元親と戦って戦死した桑村城主・桑村隼人正の実弟であった。

元亀3年(1572)9月9日。妻の父名西郡中島城主・稲井帯刀を援けて奮戦中、馬の足が洞穴に踏込み落馬して戦死。
この地の人々が牛之丞を王子神社として祭り、その霊を慰めた。

子孫は桑村に帰り農を生業とし、後裔が付近に分れ住んだ。
同族相はかり伊加賀志神社の境内に名西郡中島より祖神王子神社の分霊を迎えて祀り、同族の和親共栄の守護神とした。」

「この後藤田一統は美郷村にも株があり、川島町内でも大字川島から伊加賀志・鍛治屋敷にわたって分居している。」

(阿波学会研究紀要「郷土研究発表会紀要第17号『川島町における氏神信仰と講』」より引用)http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/17/1713.htm


美郷にも同姓の集落がある、と。

これが、後藤田 正晴の生家のある場所。


「後藤田正晴元副総理の生家址」(「美郷の環」様より


美郷には、顕彰碑が建てられています。
吉野川市の名誉市民にもなっており、郷土の偉人なんですね。

三好さんちばかり追っかけてたので、ちょいと新鮮。


いつも応援いただきありがとうございます。
何気なく見た石灯籠に刻まれた名前。そういえば、整骨院にもこの姓があったなーっと思って調べたら、あらららら。この生家のある美郷という場所。画像からわかるように結構な山の中のようです。いろんなものが出てくる阿波。面白い所ですのね。

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