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川島城(1)上桜城の戦いの功績で造りました

こんにちは。


篠原長房の最期を偲びつつ、上桜城から下山。

目指すは、


あれ。


川島城です。

あや。立派なものが建っております。

えーっと、何て言うんだっけ?


はい、狛ちゃん。



・・・。


もぎてん、です。


こらこら。


おーい。



川島城。

「築城年代は定かではないが天正年間(1573年~1592年)初期に川島兵衛進惟忠によって築かれたと云われる。」(『城郭放浪記』様様より引用)

http://www.hb.pei.jp/shiro/awa/kawashima-jyo/


川島兵衛進惟忠とは、三好長慶の一族。

ふむ。


上桜城の戦いは、元亀3年(1572)。


城主・篠原長房は討死、上桜城は廃城。


川島城の築城時期は、天正年間(1573年~1592年)初期。

そう。

川島兵衛進惟忠が、上桜城の戦いの功績により与えられた土地に、上桜城の代わりに作ったのが、川島城。


上桜城から見下ろす時は、こんな気分。


模擬天守が目立ちますが、本丸は模擬天守の西の小山。


しかし、兵衛之進は天正7年(1579)、長宗我部元親との脇城外の戦いで、三好方の諸将と共に討死。



あらまぁ。


 天正13年(1585)、秀吉の四国征討により四国が平定された後。

阿波国に蜂須賀家政が入封。

川島城は徳島城の重要な支城として、蜂須賀家の家臣・林能勝が兵300、5500石で入城。

阿波九城の一つとされました。



阿波九城とは、既存の、一宮城・撫養城・西条城・川島城・大西城・海部城・牛岐城・脇城・仁宇城。

元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となります。


林能勝(道感)とは、尾張国上林村出身の人。
(木曽義仲の子孫といいますが、ほんとかなー。)

主君は今倉左馬助→織田信長→蜂須賀正勝。


徳島市南部の丈六寺。


観音堂周囲には、蜂須賀家の重臣達の墓所が並びます。

その一角に、阿波九城の城主となった二人が。


脇城(稲田植元)、川島城(林道感=能勝)。


初代川島城主・林能勝の供養塔。

何でも、「大坂冬の陣には81歳の高齢で従軍、戦功があり黄金百両を賜った」(wikipediaより)そうな。

おじいちゃま、すごいなー。



これは、昭和56年に勤労野外活動施設として建てられた模擬天守。

展望台として、地域のシンボルとして、とても目立っています。


いつも応援いただきありがとうございます。
見ての通り、山の上にたつ上桜城と比べ川島城は、吉野川に近い平地にある小山に建てられています。三好家重臣・篠原長房の上桜城から、上桜城の戦いの功績により上桜城の代わりに作られた川島城へ。複雑な心地です。そんな川島城、現在は、展望台代わりの模擬天守と、川島神社、公園等が並ぶ憩いの場。ここから眺める吉野川もまた素晴らしいです。つづく。

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