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大森神社(3)大森藩と最上騒動

こんにちは。


滋賀県東近江市の大森神社。

むかしの名前は、近江国蒲生郡大森。

元和8年(1622)大森藩が立藩、寛永9年(1632)廃藩。


本殿。

朝廷から許された菊花の紋と、足利二つ引紋。

この付近を治めた大森藩藩主は、


そうね、ちびちゃん、


最上氏ねーっ。


最上氏といえば。

足利氏(清和源氏)の支流・斯波氏(三管領)の分家。

最上氏全盛期は、第11代当主で出羽山形藩初代藩主の、最上義光

関ヶ原の功績により、57万石の大きなおうち。

出羽山形藩とは、


・・・どこなんだ。

置賜郡を除く現在の山形県全土と秋田県由利本荘市周辺(1602)の計57万石。

なぜそんな大藩が、1万石で大森藩に?

原因は、最上家内のお家騒動。いわゆる「最上騒動」です。


【最上騒動】

《発端。義光の後継》

長男・義康 × (家督を逃した頃、変死。アヤシイ)
次男・家親 ○ ←江戸へ差し出され徳川秀忠に仕えていた。

慶長19年(1614)義光死去。

6年後、家親急死(37歳)。アヤシイ。

「猿楽を見ている途中に頓死。皆が怪しんだ」(『徳川実記』)
「加藤惣内の娘・おひさが湯殿で刺殺した」(『羽陽軍記』)


《山形藩第3代藩主》

第3代藩主は、義俊(家親の一人息子)。

12歳。

頼りない。

そもそも第2代家親は、ずっと江戸暮らしで、家臣にも地元にも馴染みがなく。


☆派閥その1☆第3代藩主・義俊派

☆派閥その2☆義光五男・山野辺義忠派

両者対立。




《幕府の介入》

元和8年(1622)。

義俊支持派の松根光広(義光の甥)が、幕府老中・酒井忠世と本多正純にチクる。(証拠なく騒いだとして柳川藩立花氏へ預りの処分となる)

幕府、説得。和解案。

「ひとまず藩の領地を幕府が預かり、代わりに、新たな6万石を与える。現在の重臣共は、力を合わせて現藩主の義俊を盛りたてて補佐せよ。義俊が成長したあかつきに本領を返す」

義光五男・山野辺義忠派、反発。

やめとけー。


ほらみぃー。


《騒動の結末》

元和8年(1622)8月18日。

最上氏の出羽山形藩。幕命により、改易

山野辺義忠は備前岡山藩に追放(後に水戸藩家老)、山野辺義忠派家臣達は、佐倉藩主・土井利勝、豊前細川家に預りとなります。


しかし。

宗家の斯波武衛家は既に滅亡。

斯波氏の流れを汲む最上氏は断絶を惜しまれ、近江国蒲生郡に1万石の知行を改めて与えられます。

これが、大森藩。


ふっかーつ、だよー。

元和8年(1622)。

最上騒動により改易された最上義俊。

改めて、蒲生郡・愛知郡・甲賀郡、三河国内、1万石で大森藩立藩。


お家騒動のツケはえらく高くつきました。



しかし。

義俊の死後、子の義智が幼少であったために5000石に減知され(参勤交代等で財政が逼迫し、藩からの願いもあった)、廃藩。

子孫は旗本交代寄合として明治維新まで存続。

代々の最上家当主が崇敬したのが、ここ、大森神社。


ちびちゃん、ひとこと多い。


参考サイト
「最上騒動」wikipedia、他


いつも応援いただきありがとうございます。
お待たせ致しました。ようやくネタバレ解禁です。静かな静かなお社を散歩しながら、そうかぁ、ここへ来たのかぁ・・・と感慨無量。最上義光というとんでもない巨星の跡は、誰が継いでも物足りないでしょうが、よっぽど江戸暮らしの家親が鼻にツイタんかなぁ?幕府の思うつぼに嵌まった感じが抜けない東北の雄・最上氏の改易、ほんとに惜しい事ですね。

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大森神社(2)天智天皇の御代より繋がる由緒と比叡山

こんにちは。


・・・狛ちゃん、どいて。


すみません。


ここは、滋賀県東近江市大森の大森神社。


あらま。


緑の中の参道は、気持ちいいですね。

参道が北から南へ向いているので、社殿は東西向きなのかな。
きっとあの先で、かっくんするの。

かっくん。

社殿は東向でした。


おおお、何やら味のある建物ですな。


おんまさんがいっぱい。



【祭神】猿田彦命・玉依姫命

【由緒】社伝によると、

天智天皇の御代、布引山麓に誉田別尊を勧請。

延暦3年(784)
比叡山の僧徳珍が此の境内に伽藍を建て、薬師如来を祀り、玉尾山長福寺と名付けた。

安元2年(1176)
日吉山の十禅師大権現を勧請。

元久年間(1204-1206)
白髪大明神として奉斎。以後400年間八町四方の社地があった。

元亀(1570-1573)・天正(1573-1593)年間
兵火にあう。

八幡社のみを奉斎し、日吉山王より勧請の大神を現在の社地に奉遷。
白髪神社と称し、産土神とし、更に猿田彦大神、玉依姫命を合祀。

明治13年
大森神社と改称、村社。同41年神饌幣帛料供進指定。

(以上、滋賀県神社庁「大森神社」より引用)


琵琶湖を挟んだ対岸には、比叡山。

比叡山の僧の某がやって来て云々などは、琵琶湖周辺名物のイメージ。



舞殿を回り込みまして


ささ、お詣りしましょ。

で。


遠くからここへ来たのは、だれ。


そうか、名探偵ポワロか!

・・・うそーん。

つづく。


大森神社
《住所》滋賀県東近江市大森町 大森神社


県道46号線が社頭と鳥居の間の参道を横断しています。


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由緒を見ると、いかにも琵琶湖周辺のお社らしいお話です。天智天皇、比叡山、日吉山王、兵火ファイヤー。まさに琵琶湖フルコース。小出しにしておりますが、ネタバレご容赦継続中。

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大森神社(1)かわいい子狛と、スパルタかーちゃん

こんにちは。


社格が削り取られた社標柱。

ここは、大森神社。


緑豊かな参道です。


神社の宝箱。


参道の先に鳥居と、狛犬さん。

今日は狛犬の日。


春の日差しはきっついねー。


くるくる巻き毛の凛々しいとーちゃんに対し


さらっさらのストレートヘアーな、子狛ちゃん。

若いっていいねぇ。


子狛、とーちゃんの真似をして吠えてみる。


甘え上手。


かゆいとこに手が届く男。それは、とーちゃん。


気持ちいいねー。


してへんしてへんっ。


かーちゃん・・・。


しぃーっ。


スパルタかーちゃん。


でも、乙女なボール in ボール。素敵な彫刻。


しぃーっ。しぃーっ。


かーちゃん、素晴らしい尻尾です。


かーちゃん、つの、はえた。


とーちゃん、子狛を売る。


大安売り。

しかし、子狛は思う。


子供は案外、おとなだったりする。

さて。

この神社、ある人が関わります。


だーれだ。

といいつつ、ネタバレはご容赦。


大森神社
《住所》滋賀県東近江市大森町 大森神社


県道46号線が社頭と鳥居の間の参道を横断しています。

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ふっかーつ。のんきに寝込んでいる場合じゃないので、時代遅れであろうとも気合一発。いや、お薬のおかげです。この狛犬親子は昭和10年の奉納ですがとてもいい姿でした。赤ちゃんから少し成長した子狛ちゃんというのが珍しかったです。

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狛犬一発

こんにちは。



きっと人には言えない事情があるに違いない。



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扁桃腺が耳鼻咽喉科で爆笑される大きさに。お熱が急上昇したのですみません。朝にはケロッとさがりましたが、体調を崩しがちなこの季節。皆様もお気をつけて。

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邇々藝志神社。六角柱のお地蔵様と十禅寺権現

こんにちは。


しっがぁーの、滋賀県。

近江八幡市。


八幡堀の風景や水郷巡りなどが有名ですが、

やって来たのはこちら。


・・・ふと立ち寄ったお社。

邇々藝志神社。

これを、「ににぎしじんじゃ」と読むまで右往左往。


きゅっとコンパクト。


【祭神】天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこねほのににぎのみこと)

天照大神の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。

いわゆる「天孫降臨」の方ですね。



狛ちゃん、おはよー♪


ころんころんちゃん。


そんなこと言ってないよー。


なんでしょう。


んまっ、失礼なっ。



【由緒】

建長2年(1250)建立と伝う。古へは十禅師権現と称した。
享禄3年(1530)社殿修造、嘉永4年(1851)改築、昭和17年社殿の位置を現状に変更。

昭和36年の台風(第2室戸台風)により社殿倒壊。仮殿を建立。
昭和53年本殿を新築した。
滋賀県神社庁「邇々藝志神社」より引用)

http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=288


第2室戸台風。

滋賀県県西部を北東に進む「風台風」で、台風が阪神間に上陸する13時すぎには県下全域で20m/sの暴風になり、14時から15時にかけて最大に達し彦根での最大風速は25.7m/sを記録した。このため死者3名全壊家屋は600戸に及んだ。(滋賀県流域治水政策室「水害情報発信」より)

台風、怖いなぁ。今年も気をつけないと。



はて?

真ん中にもう数段あったような感じねー。


どちら様かしら。


ひーとり、ふーたり、さんにん、よにん♪


ごーにん、ろくにん、たくさんのお地蔵さまぁ~♪

六角柱形の石のそれぞれの面に、お地蔵様。

六地蔵なのかしら?面白い形です。



《私見》

由緒では、古くは「十禅寺権現」と称した、とあるので。

恐らく、延暦寺の地主神&天台宗の鎮守神、である山王権現を祀る神仏習合の名残かと。

十禅寺権現の本地仏は地蔵菩薩。

明治の神仏分離の際に祭神が変わったのかしら?



狛犬さんに聞いてみよう。

ねーねー。


「聞こえません」のお耳はやめて。


邇々藝志神社

《住所》滋賀県近江八幡市大房町588




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琵琶湖湖岸から内陸部へ入る途中で立ち寄った邇々藝志神社。難しい名前の神社でした。ころんころんの狛犬さん、琵琶湖周囲で見かける子達ですが、後ろ足が子犬のおすわりみたいでかわいいです。訪問時には境内で氏子さん方が何かの作業をされていたので、お邪魔にならないよにこそこそ。愛想だけはふりまいて参りました。おほほほ。

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滋賀県立安土城考古博物館「表現された神と仏」と狛ちゃん

こんにちは。

さて、やって来ましたのは


滋賀県です。

4月10日まで開催されていた


こちら。

今さら言うなー!な感じですが、

滋賀県の神仏習合文化の特集で、神像や神道曼荼羅等が面白そうだったので、久しぶりに安土へ。

滋賀県立安土城考古博物館は、信長関連の催しも多いですが、湖底遺跡など幅広い特集が組まれるので、スケジュールチェックが欠かせません。

安土城のご近所です。

ここへ来たらいつもこれ。


おにぎりも食べたいけど、やせがまん。


先に図録を買って、お外のベンチで予習。

神様を仏教の曼荼羅図のように並べて描いた「山王垂迹曼荼羅図」等、てんこ盛りです。


ところで。

神様の像、「神像」。

「日本固有の神々は、本来偶像化されないものだったが、平安時代以降は仏教の影響を受け、神像の形で表現され始めた」(展示解説より)もの。

ご神体ですから、非公開が基本で人目に触れる機会は極端に少ないです。

今回の展示物ではありませんが、画像ふたつ。


熊野三社の神像は、国宝。

平安時代の作。仏像とよく似てますね。


熊野那智大社の資料館で展示されていた古神像。

これ、極端に言うと、同じようなものがずらーっと並んでましたの。

神像、不思議だなーっというのが頭に残りました。


博物館で展示されていた、大津市の地主神社所有の「男神坐像(国重文)」などは、これよりもっと素朴ですが、様々な表情と姿でとても興味深かったです。


・・・狛犬ちゃん目当てなのはないしょ。

数組の狛ちゃんがいましたが、もー、かわいくてかわいくて。

おほほ。


博物館だけなのも味気ないので、展示品を所蔵している神社等を訪れました。
「えーっ。ここにあんなすごいものが!?」とびっくりです。

まこと、滋賀の底力は素晴らしい。


ちょっと。変な人じゃないよー。


近年確認された、麗しの


丹波佐吉晩年の狛犬さんです。


子狛ちゃんにも、会えました。


ああ、幸せ。


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ちびっこの頃から祖母に引きずられて仏像巡りをしておりますが、神像は熊野で出会うまで気にしたことがなく。素朴な彫刻がいい味を醸し出していました。博物館がメインだったので、見たいものだけさっさと見て、おやつの時間には帰宅。神社への訪問は少ないですが、いい狛、揃ってました。ふふふふふ。

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にし阿波で出会った狛犬さん達。旅のまとめ

こんにちは。

3月の連休の徳島旅の記事は今日でおしまい。
ゆっくりゆっくりしてたら、梅雨入りまでしていまいました。おほほ。

行程はこんな感じ。(クリックで記事へ)

一日目

大阪⇒淡路島経由、脇町IC⇒大滝山へ

⇒西照神社(霧の中で戦う狛犬境内と由緒①由緒②狛犬小)・西照大権現と大瀧寺

⇒白人神社(狛犬白うさぎ75の宮人

⇒磐境神明神社(狛犬境内)⇒脇町散策



西照神社の戦う狛犬


強いんだぞぉー


同上、ちび狛。


白人神社の子狛ちゃん


白人神社の白うさぎ。


神明神社の不思議な光景


二日目

《三好氏関連史跡》

芝生城滝寺と長慶墓

⇒重清八幡神社(小笠原氏と狛犬倭大國魂神社境内

⇒重清城(堀&土塁井戸三好氏吉野川の戦い

⇒安楽寺(山門安楽寺文書境内


重清八幡神社の狛犬ズは


いろいろな子。


⇒願勝寺(山門阿波内侍美馬君田)等の寺町

⇒郡里廃寺跡(心礎歴史お乳大明神

⇒段の塚古墳(太鼓塚古墳棚塚古墳

野村八幡古墳

⇒脇人神社(狛犬由緒と武田氏


脇人神社のまいふぇいばりっと狛ちゃん。


三日目

秋葉神社⇒貞真寺(山門稲田家墓所)⇒東林寺(讃岐藤原氏

⇒猪尻の八幡神社(二百歳の狛犬ちび狛犬と武田氏境内

旧長岡家住宅⇒最明寺(北条時頼


猪尻の八幡神社。二百歳の狛犬さん。


同上。ちびちゃん。


《三好氏関連史跡》

上桜城(三好ファミリー上桜城の戦いの発端登城篠原長房討死

⇒川島城(歴史川島銅鐸登城

⇒川島神社(狛犬由緒と粟島後藤田氏75膳の神事

⇒大麻比古神社(狛犬①狛犬②狛犬③板東俘虜収容所祭神阿波忌部氏阿波国一宮息抜き)⇒霊山寺⇒ドイツ館⇒淡路島経由、大阪へ


大麻比古神社。謎の石碑を展示ちゅー。


同上、拝殿前。宝暦生まれの狛犬さん。


同上。いひひひ。

今回も、いろんな狛犬ズに出会えて幸せ。


川島神社。


またね。いつか、来るね。


阿波国はとても素晴らしいところでした。


淡路島で一旦高速をおりて、海。


ふらふらしてたら、すっかり夜に。

このあと淡路島で温泉して、大阪へ帰りました。


いつも応援いただきありがとうございます。
今回の拠点は美馬市脇町。二日目と三日目がハードなように見えますが、それぞれの距離は近いのでゆっくりゆっくりまわることが出来ました。三好氏と稲田氏を追っかけた旅は、にし阿波地域の興味深い歴史に触れることも出来てとても楽しかったです。

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川島城(3)城域のお散歩

こんにちは。

さて、川島城。


当時は天守閣はありませんので、模擬天守。


川島城の築城時期は、天正年間(1573年~1592年)初期。

川島兵衛進惟忠が、上桜城の戦いの功績により与えられた川島城の土地。


上桜城から見ると、あっかんべーしたい気分。

兵衛之進が天正7年(1579)、長宗我部元親との脇城外の戦いで、三好方の諸将と共に討死した後。

阿波国へ入封した蜂須賀家の家臣・林能勝が兵300、5500石で入城。

吉野川流域の要の城として、阿波九城の一つに。

元和元年(1615)の一国一城令により、廃城。


川島神社の鎮座地付近の平地は二の丸、三の丸。


間に通る道が堀の名残らしいです。


何かあるかなー。


すぐ下に吉野川。


青い青い吉野川。絶景なりぃ。


エネルギー充填♪


平和だなぁー。

さて、お散歩再開。


板東はここから結構な距離ですが、


忌部氏の祖を祀る大麻比古神社が鎮座する土地。

何か関係あるのかな。それとも土地神様なのかな。


城山の西端「岩の鼻」へ向かいます。


いいなぁ、味のある鳥居。


城山稲荷大明神。


お狐様で、ぎゅうぎゅうなの。


振り返れば、もぎくん。

そして、南側には


上桜城。なんか言ってる・・・。

たどり着いた西端の「岩の鼻」からは。


吉野川、どーん!


何が来ようと一目瞭然。


いい眺め。

ここに見張り台があったのかな。

何でもお見通しだぜい。

と、いいつつ、この城山から銅鐸が出土している事実にも驚くのでした。


参考文献

阿波学会研究紀要/郷土研究発表会紀要第17号「麻植パイロット開拓地区埋蔵文化財の調査」(徳島県立図書館)

http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/17/1718.htm

川島城と川島神社
《住所》徳島県吉野川市川島町字城山195



いつも応援いただきありがとうございます。
吉野川の青い色が海みたいにきれいで、おやつを食べながらひたすらポケーっとしてました。絶景があってお天気が良くて、地元の美味しい和菓子があれば、もう、どこでも大好きー!なのです。あちこち旅する時に必須なのは地元の和菓子屋さん巡り。必ず購入して、現地でいただきます。徳島名産の和三盆、優しい甘さで死ぬほどうまいです。えへへ。

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川島城(2)城山から川島銅鐸。加茂岩倉遺跡の兄弟銅鐸なの

こんにちは。


上桜城から見た旧麻植(おえ)郡。

東禅寺の縄文遺跡(石器、縄文土器が出土)、東禅寺山古墳群。
川島城南西に大日寺跡(出土した古瓦の文様より奈良時代の創建か)。

特に古墳は、鴨島町に31基、川島町に19基(横穴式/盗掘)。

古くから人が集まっていたと推測される地域です。


城山の西側が当時の本丸付近。

この城山。

実は銅鐸が出土(石碑あり←←撮影忘れたー(T_T))。

旧麻植郡川島町神後から出土した「川島銅鐸」は、高さ45.6cm。

姿は、「流水紋銅鐸」。

(『阿波国の銅鐸発見地に就いて』田所市太/1917、他)

同じ旧麻植郡から、

森藤銅鐸(旧麻植郡鴨島町森藤)/高さ21cm
牛島銅鐸(旧麻植郡鴨島町上浦)/高さ34.7cm

等が出土しています。


◎銅鐸ニュース◎

平成8年(1996)。

島根県雲南市加茂町の「加茂岩倉遺跡」から大量の「銅鐸」群が発見されました。

その数、39。全国最多。平成20年7月に国宝。

内訳は、流水文銅鐸が9個、袈裟襷文銅鐸が20個。


出土状況の復元。銅鐸in銅鐸の「入れ子」(wikipediaより)

この発見で

「『兄弟銅鐸』とも呼ぶ同じ鋳型で作った『同笵銅鐸』が加茂岩倉出土品の中だけでなく、近畿・四国などひろく西日本に広がっていることが分かりました。」(島根県立古代出雲歴史博物館「加茂岩倉遺跡出土銅鐸」より引用)

https://www.izm.ed.jp/db/index.php


このうちの「11号銅鐸」が、「川島銅鐸」と同じ「流水紋銅鐸」。


同じ鋳型で作った兄弟くん。


同じ鋳型で作った銅鐸、『同笵銅鐸』であることが判明しています。

画像はこちら⇒⇒島根県立古代出雲歴史博物館「11号銅鐸」

※銅鐸、で検索→「加茂岩倉11号銅鐸」の画像をクリック→詳細画面

http://www.izm.ed.jp/db/keyword.php

「入れ子」になっており、中にあるのは「12号銅鐸」。

弥生時代のもの。


川島城周辺を見回すと


善入寺島(粟島)には、

創建が、白鳳二酉年(673)と伝わる浮島八幡宮。

「麻植郡宮島村浮島八幡宮、当社は古くから忌部神社と申して来た所、天正中(1573―91年)に八幡と改め」ました。
(『阿波国神社改帳』寛保年中(1741―43)に編纂)


お隣の高越山麓の山川町山崎にも忌部神社が鎮座。

阿波忌部氏の足跡が残ります。


それよりはるか昔。弥生時代。

ここには既に、銅鐸を持つことが出来る人々がいたのですね。


不思議な土地です。


参考文献

阿波学会研究紀要/郷土研究発表会紀要第17号「麻植パイロット開拓地区埋蔵文化財の調査」(徳島県立図書館)

http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/17/1718.htm


川島城と川島神社
《住所》徳島県吉野川市川島町字城山195




いつも応援いただきありがとうございます。
川島城をお散歩するはずが、ついつい銅鐸のお話中心になってしまいました。画像の通り、吉野川沿岸の小山はどちらかというと古墳等の存在がぷんぷんする気がします。それにしても、いったいこの地域には何があったんでしょう。掘り下げる程に興味津々です。

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川島神社(4)「七十五膳の神事」のお話

こんにちは。


川島城の模擬天守のある城山に鎮座するのは


大正5年創建の川島神社。



古来より善入寺島(粟島)に鎮座していたものの、吉野川の改修工事で社地移転を余儀なくされた浮島八幡宮を中心に、旧川島町内の多くの神社を合祀すること四十余柱。


高越山山麓には、忌部神社。


吉野川市となる前は「麻植(おえ)」。忌部氏ゆかりの土地です。


さて、川島神社のお話。



飛ばんでよろしい。


拝殿の奥に、本殿。


川島神社には、数多くの神様。


大正5年創建の社殿はまだまだ新しい。



発端は強制移転とはいえ、氏子さん方がプライドを持って建立したんだろうなー。


さりげなく施された彫刻が、いい感じです。


目は口ほどにものを言う。


きゃっきゃ♪うふふ♪


川島神社の神事に、「七十五膳の神事」。


ごはんですよ。


【川島神社の「七十五膳の神事」】

「毎年秋祭りの例大祭に続いて『七十五膳神事』が行なわれる。

氏子から奉納されたおごく(炊いたご飯)・酒・穀物・魚・海藻・野菜・果物などのありとあらゆる食べ物を75台の三方に載せ本殿にお供えする。」
(「徳島県の七十五膳神事」より)


「古から特殊神事として県下稀に見る「『七十五膳の神事』」が毎年10月の第4日曜日に秋の例祭の中で、海・山・野・川の幸等の神饌を神前にお供えし、農事百般の豊穣感謝の祭りが行われる。

神饌台に忌気で調整した七十五品(山の幸・川の幸・海の幸・里の幸)の供物を、宮司や氏子総代の手によって神前に捧げるというもので、吉野川市山川町『川田八幡宮』、美郷の『平八幡神社』の『七十五膳の神事』と合わせ、『忌部の神事』の一つと考えられている。」

(「阿波世界農業遺産/川島神社の忌部の『七十五膳』の神事」より引用)
http://www.awa-nougyoisan.jp/



75台の三方とは、用意するだけでも大変。


神様に、豊穣を感謝です。


この「七十五膳の神事」が面白いのは、川島神社に限らずあちこちで行われていること。


吉備津神社の「七十五膳据神事」は有名ですし、

http://www.kibitujinja.com/about/taisai.html


「諏訪大社」(長野県)の御頭祭(上社例大祭/4月15日)は興味深いです。

諏訪大社の「大御立座神事」では、猪又は鹿の頭を「七十五」お供え。

「三月酉日本社より十八丁を隔て前宮に十間廊あり 往古は鹿狩之実検廊也と云、俗に十間廊と云、上段に一百余の燈篭を挑(かかげ)猪鹿(ちょろく)の頭七十五俎板(まないた)にのせて供」(「信濃奇勝録」『御頭祭』)


これについては、諏訪大社では公式HPで気を使っておいでです。

「特殊神饌として鹿の頭を始め鳥獣魚類等が供えられるため一部では狩猟に関係したお祭りの如く言われています(※農作物の豊穣を祈って御祭神のお使いが信濃国中を巡回するに際して行われたお祭り)。

唯、今は鹿肉とともに剥製の鹿頭をお供えしますが、昔は七十五頭献じられたこともあり、中に必ず耳の裂けた鹿があって高野の耳裂鹿と言い七不思議の一つに挙げられています。」(「諏訪大社公式HP『祭事・神事』」

http://suwataisha.or.jp/gyouji.html


どうして「75」なんでしょうね。

諸説ある上にトンデモ話まで出てくるので、略。えへ。



よろしゅうおあがり♪


川島神社
《住所》徳島県吉野川市川島町字城山195




いつも応援いただきありがとうございます。
神社にそれぞれ伝わる神事。地域限定かと思いきや、全国区だったり。面白いものですね。起源となったものから拡がるにつれ変化したものもあるでしょうし、タイム&マネーさえあれば全国行脚してみたいものです。ええ、非現実的な願望ですとも。ううう。

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