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復元された古代山城「屋島城(やしまのき)」へ行ってみた


高松の緑のテーブルといえば、屋島。

いや、屋島って言えば、屋島の合戦でしょ?

のんのん。

今、話題なのは


高さ6mの石積が構える屋島城。

やしまじょう、ではなく、「やしまのき」。


イメージ図。

いわゆる「中世山城」ではなく、古代山城(朝鮮式)

2016年3月に復元工事が終わり、一般公開されたので訪問してみました。


「日本書紀の天智天皇6年(667)11月の条に

『倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築(つ)く』との記述が残る。」(※倭國→現在の奈良県、對馬國→現在の長崎県対馬市)



高松市HP「文化財・屋島城」より引用。
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/4727.html


白村江の戦い(663年)で敗れた大和朝廷が、唐・新羅の連合軍による大陸からの侵攻に備えて西日本各地に築城した山城の一つです。

上記のように『日本書紀』には「天智天皇6年(667)には築城された」と記されるものの遺構が見つからず、まさに幻の城でした。


発見はごく最近。平成10年2月。


「南嶺山上部近くの西南斜面において石積みが発見されたことを契機にして、南嶺北斜面・南斜面で確認されていた土塁と関連することがわかり、東斜面でも同様の地形が確認されたことから、山上部付近の斜面に断続的ながら古代山城屋嶋城の外郭線(防御ライン)が巡っていることが判明した。」(引用は同上)



南嶺に築かれた特徴的な城門を復元。

背後は高松市の街並み。

矢印の所にあるのが、今回復元されたもの。


そう言われましてもー(^_^;)


私もテーブル形の別の峰の先端から警戒中。


道の両端は、崖。


屋島城。もん。


様々な資料から復元してみた排水口。

特徴は、曲線。


面白い形です。

幅5mの城門の入口に、高さ2.5mの段差を設けて敵の侵入を防ぐ朝鮮の築城技術「懸門」だそうです。


城門を、敵が攻めてきた時に対する防御。


日本の後々の城の中でよく見られる「枡形門」。


曲線です。


発掘調査が進むのが楽しみです。

さて。


とーちゃんにぱんちゅを履いて欲しい、子たぬたぬ。

親子がいるのは、屋島城と同じ南嶺にある屋島寺。

四国八十八箇所第84番札所。


麗しい本堂。

鎌倉時代の造営。


修復を重ねているので、彩色が残っています。


こちらは、蓑山大明神。

四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神様ですポン。


麓には屋島神社。

1804年に第八代高松藩主・松平頼儀が、徳川家康を祀る社殿の造営に着手。
左甚五郎の六世、五代目の左利平忠能が棟梁となり1815年に完成。
別名、讃岐東照宮。


屋島ドライブウェイに向かう道中に鎮座。


短いあんよの狛犬さんの台座には、葵の紋です。

残念ながら火災により神門以外を焼失。

ナントイウコトデショウ。


神門の狛犬さんがお待ちしてます。

ぜひ。


いつも応援いただきありがとうございます。
屋島城、屋島寺のあるのは、南嶺部分。ぐるりとお散歩できる道が整備されており、あちこちから眼下を展望できますよー。源平の屋島の合戦場も、全体を眺めることができるので楽しいです。何だかんだと見学して、ここで半日を過ごしてしまいました。えへへ。

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