大麻比古神社(6)阿波忌部氏と大嘗祭の麁服(あらたえ)
こんにちは。

『古事記』『日本書紀』の天岩戸の神話において、祭祀関係に携わった事が記される天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天児屋命(あめのこやねのみこと)。
そんな天太玉命を祖とする忌部氏。ふたつの流れがあります。
(1)中臣氏と並んで朝廷の祭祀を担当した忌部氏
(2)忌部氏に従属して王権に奉仕した職能集団である地方忌部
【職能集団である地方忌部】
『古語拾遺』では、天太玉命に従った5柱の神を「忌部五部神」として、各忌部の祖としています。
出雲忌部氏(玉を納める)
櫛明玉命
紀伊忌部氏(木を納める)※材木の貢納、宮殿・社殿造営
彦狭知命
阿波忌部氏(木綿・麻を納める)
天日鷲命
讃岐忌部氏(盾を納める)
手置帆負命
大和国高市郡金橋村忌部(現 奈良県橿原市忌部町)を本貫とする忌部氏は、(2)を掌握して物資を徴収し、祭具の作製、神殿・宮殿造営に携わります。
※橿原市には祖神の天太玉命を祀る天太玉命神社(式内社名神大)あり。
しかし、(1)は次第に中臣氏に押され弱体化。
これに比べ(2)は専門的な職能集団としてそれぞれ名を残します。
そのひとつが、阿波忌部氏。

狛ちゃーん、それはボールですよー。
【阿波忌部氏】
平安時代の『古語拾遺』や『延喜式』には、阿波忌部の役割などが詳しく記されます。
阿波忌部が天皇の即位儀礼である大嘗祭に奉仕したことや、本拠地である麻植郡に、祖神である天日鷲命を祭った忌部神社があったことなど。
阿波忌部氏のお仕事とは。

どれよ?・・・木綿?
天日鷲命(あめのひわし・阿波忌部氏の祖)が肥沃な地を求めてやって来て、穀(カジノキ:楮の一種)や麻・木綿の種を植えます。(阿波の農耕の歴史のはじまり)

吉野川市となった今は消えてしまった「麻植(おえ)郡」の名の由来。
子孫が代々、「木綿・麻布」などを朝廷に貢上。
献上された木綿・麻布などは、天皇の即位儀礼である大嘗会の用に供されました。
「大嘗会」とは?
大嘗祭とは、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭。
律令ではこれを「践祚大嘗祭」と呼びました。
天皇が行う祭司の中で最も重要。
この時用いる麁服(あらたえ)を古代以来、歴代の践祚大嘗祭に貢進したのが、阿波忌部氏。
麁服(あたらえ)は、悠紀殿・主基殿の大嘗宮の儀で、天皇が神座に神御衣(かむみそ)として祀るもの。
阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど) が、践祚大嘗祭の時にのみ調製・ 貢進する「麻の織物」。
この阿波忌部氏の末裔の三木氏は、in美馬市。

旧麻植郡木屋平村(美馬市小屋平)の標高552mの場所に、1650年頃に建てられた県内最古の民家である三木家住宅が現存。
高地は、麻の栽培に適した土地。

遠かったもので。
歴代の践祚大嘗祭における御衣御殿人は当初阿波忌部氏直系の氏人達が卜定により選定指名していたものが、鎌倉時代に三木家等に固定化。
近いところでは。
平成2年。
今上天皇の大嘗祭の時にも、古来からの慣習に則り、麻植郡木屋平村貢の三木家で栽培された麻が、山川町忌部山で麁服として織られ、天皇に献上されました。

すごいねー。
おまけ。
実は忌部氏は、ちょこまかとブログの中に登場してます。
『延喜式』について、
藤原時平・忠平兄弟が編纂に当たったので、中臣氏(※藤原氏)と共に宮中祭祀を掌ってきた忌部氏の裔・忌部広成は「官社は中臣氏が欲しいままに選定した」(『古語拾遺』)と、愚痴る。
⇒⇒社格制度。平安時代から現代までの変遷
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-447.html
神像に姿を変え今も祭神を護る白人神社の75人の宮人(みょうど)は忌部氏の子孫とも言われる皆様。
75の宮人が護る白人大明神。源為朝、矢を落とす
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-793.html

三木家住宅へ向かう道中に鎮座。
京都府綾部市の愛宕神社で、地方忌部氏の祖神に遭遇。
⇒⇒愛宕神社。建物をまもる神様四柱に会いました
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-387.html
参考資料
美馬市HP「忌部一族の末裔 三木家の住宅」
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/kankouannai/shiru/0034.html
阿波世界農業遺産「国重要文化財・三木家住宅」
http://www.awa-nougyoisan.jp
http://www.awa-nougyoisan.jp/阿波世界農業遺産[写真展]/阿波の農業に纏わる神々と文化編-写真展2/
↑↑平成2年の大嘗祭の際の画像があります。
いつも応援いただきありがとうございます。
神社を巡れば忌部氏にあたる。そんな阿波の国。三木家住宅と隣接する資料館や忌部神社等はまたいつか訪問したいです。それにしても、諸々事情があるとはいえ、市町村合併により歴史ある地名が失われるのは寂しいものですねぇ。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

『古事記』『日本書紀』の天岩戸の神話において、祭祀関係に携わった事が記される天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天児屋命(あめのこやねのみこと)。
そんな天太玉命を祖とする忌部氏。ふたつの流れがあります。
(1)中臣氏と並んで朝廷の祭祀を担当した忌部氏
(2)忌部氏に従属して王権に奉仕した職能集団である地方忌部
【職能集団である地方忌部】
『古語拾遺』では、天太玉命に従った5柱の神を「忌部五部神」として、各忌部の祖としています。
出雲忌部氏(玉を納める)
櫛明玉命
紀伊忌部氏(木を納める)※材木の貢納、宮殿・社殿造営
彦狭知命
阿波忌部氏(木綿・麻を納める)
天日鷲命
讃岐忌部氏(盾を納める)
手置帆負命
大和国高市郡金橋村忌部(現 奈良県橿原市忌部町)を本貫とする忌部氏は、(2)を掌握して物資を徴収し、祭具の作製、神殿・宮殿造営に携わります。
※橿原市には祖神の天太玉命を祀る天太玉命神社(式内社名神大)あり。
しかし、(1)は次第に中臣氏に押され弱体化。
これに比べ(2)は専門的な職能集団としてそれぞれ名を残します。
そのひとつが、阿波忌部氏。

狛ちゃーん、それはボールですよー。
【阿波忌部氏】
平安時代の『古語拾遺』や『延喜式』には、阿波忌部の役割などが詳しく記されます。
阿波忌部が天皇の即位儀礼である大嘗祭に奉仕したことや、本拠地である麻植郡に、祖神である天日鷲命を祭った忌部神社があったことなど。
阿波忌部氏のお仕事とは。

どれよ?・・・木綿?
天日鷲命(あめのひわし・阿波忌部氏の祖)が肥沃な地を求めてやって来て、穀(カジノキ:楮の一種)や麻・木綿の種を植えます。(阿波の農耕の歴史のはじまり)

吉野川市となった今は消えてしまった「麻植(おえ)郡」の名の由来。
子孫が代々、「木綿・麻布」などを朝廷に貢上。
献上された木綿・麻布などは、天皇の即位儀礼である大嘗会の用に供されました。
「大嘗会」とは?
大嘗祭とは、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭。
律令ではこれを「践祚大嘗祭」と呼びました。
天皇が行う祭司の中で最も重要。
この時用いる麁服(あらたえ)を古代以来、歴代の践祚大嘗祭に貢進したのが、阿波忌部氏。
麁服(あたらえ)は、悠紀殿・主基殿の大嘗宮の儀で、天皇が神座に神御衣(かむみそ)として祀るもの。
阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど) が、践祚大嘗祭の時にのみ調製・ 貢進する「麻の織物」。
この阿波忌部氏の末裔の三木氏は、in美馬市。

旧麻植郡木屋平村(美馬市小屋平)の標高552mの場所に、1650年頃に建てられた県内最古の民家である三木家住宅が現存。
高地は、麻の栽培に適した土地。

遠かったもので。
歴代の践祚大嘗祭における御衣御殿人は当初阿波忌部氏直系の氏人達が卜定により選定指名していたものが、鎌倉時代に三木家等に固定化。
近いところでは。
平成2年。
今上天皇の大嘗祭の時にも、古来からの慣習に則り、麻植郡木屋平村貢の三木家で栽培された麻が、山川町忌部山で麁服として織られ、天皇に献上されました。

すごいねー。
おまけ。
実は忌部氏は、ちょこまかとブログの中に登場してます。
『延喜式』について、
藤原時平・忠平兄弟が編纂に当たったので、中臣氏(※藤原氏)と共に宮中祭祀を掌ってきた忌部氏の裔・忌部広成は「官社は中臣氏が欲しいままに選定した」(『古語拾遺』)と、愚痴る。
⇒⇒社格制度。平安時代から現代までの変遷
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-447.html
神像に姿を変え今も祭神を護る白人神社の75人の宮人(みょうど)は忌部氏の子孫とも言われる皆様。
75の宮人が護る白人大明神。源為朝、矢を落とす
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-793.html

三木家住宅へ向かう道中に鎮座。
京都府綾部市の愛宕神社で、地方忌部氏の祖神に遭遇。
⇒⇒愛宕神社。建物をまもる神様四柱に会いました
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-387.html
参考資料
美馬市HP「忌部一族の末裔 三木家の住宅」
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/kankouannai/shiru/0034.html
阿波世界農業遺産「国重要文化財・三木家住宅」
http://www.awa-nougyoisan.jp
http://www.awa-nougyoisan.jp/阿波世界農業遺産[写真展]/阿波の農業に纏わる神々と文化編-写真展2/
↑↑平成2年の大嘗祭の際の画像があります。
いつも応援いただきありがとうございます。
神社を巡れば忌部氏にあたる。そんな阿波の国。三木家住宅と隣接する資料館や忌部神社等はまたいつか訪問したいです。それにしても、諸々事情があるとはいえ、市町村合併により歴史ある地名が失われるのは寂しいものですねぇ。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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