大麻比古神社(6)阿波忌部氏と大嘗祭の麁服(あらたえ)

こんにちは。



『古事記』『日本書紀』の天岩戸の神話において、祭祀関係に携わった事が記される天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天児屋命(あめのこやねのみこと)。

そんな天太玉命を祖とする忌部氏。ふたつの流れがあります。

(1)中臣氏と並んで朝廷の祭祀を担当した忌部氏

(2)忌部氏に従属して王権に奉仕した職能集団である地方忌部


【職能集団である地方忌部】

『古語拾遺』では、天太玉命に従った5柱の神を「忌部五部神」として、各忌部の祖としています。

出雲忌部氏(玉を納める)
櫛明玉命

紀伊忌部氏(木を納める)※材木の貢納、宮殿・社殿造営
彦狭知命

阿波忌部氏(木綿・麻を納める)
天日鷲命 

讃岐忌部氏(盾を納める)
手置帆負命


大和国高市郡金橋村忌部(現 奈良県橿原市忌部町)を本貫とする忌部氏は、(2)を掌握して物資を徴収し、祭具の作製、神殿・宮殿造営に携わります。

※橿原市には祖神の天太玉命を祀る天太玉命神社(式内社名神大)あり。

しかし、(1)は次第に中臣氏に押され弱体化。
これに比べ(2)は専門的な職能集団としてそれぞれ名を残します。

そのひとつが、阿波忌部氏。


狛ちゃーん、それはボールですよー。


【阿波忌部氏】

平安時代の『古語拾遺』や『延喜式』には、阿波忌部の役割などが詳しく記されます。

阿波忌部が天皇の即位儀礼である大嘗祭に奉仕したことや、本拠地である麻植郡に、祖神である天日鷲命を祭った忌部神社があったことなど。


阿波忌部氏のお仕事とは。


どれよ?・・・木綿?


天日鷲命(あめのひわし・阿波忌部氏の祖)が肥沃な地を求めてやって来て、穀(カジノキ:楮の一種)や麻・木綿の種を植えます。(阿波の農耕の歴史のはじまり)


吉野川市となった今は消えてしまった「麻植(おえ)郡」の名の由来。

子孫が代々、「木綿・麻布」などを朝廷に貢上。

献上された木綿・麻布などは、天皇の即位儀礼である大嘗会の用に供されました。


「大嘗会」とは?

大嘗祭とは、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭。

律令ではこれを「践祚大嘗祭」と呼びました。

天皇が行う祭司の中で最も重要。


この時用いる麁服(あらたえ)を古代以来、歴代の践祚大嘗祭に貢進したのが、阿波忌部氏。

麁服(あたらえ)は、悠紀殿・主基殿の大嘗宮の儀で、天皇が神座に神御衣(かむみそ)として祀るもの。 

阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど) が、践祚大嘗祭の時にのみ調製・ 貢進する「麻の織物」。


この阿波忌部氏の末裔の三木氏は、in美馬市。



旧麻植郡木屋平村(美馬市小屋平)の標高552mの場所に、1650年頃に建てられた県内最古の民家である三木家住宅が現存。

高地は、麻の栽培に適した土地。


遠かったもので。

歴代の践祚大嘗祭における御衣御殿人は当初阿波忌部氏直系の氏人達が卜定により選定指名していたものが、鎌倉時代に三木家等に固定化。


近いところでは。

平成2年。

今上天皇の大嘗祭の時にも、古来からの慣習に則り、麻植郡木屋平村貢の三木家で栽培された麻が、山川町忌部山で麁服として織られ、天皇に献上されました。


すごいねー。


おまけ。

実は忌部氏は、ちょこまかとブログの中に登場してます。

『延喜式』について、
藤原時平・忠平兄弟が編纂に当たったので、中臣氏(※藤原氏)と共に宮中祭祀を掌ってきた忌部氏の裔・忌部広成は「官社は中臣氏が欲しいままに選定した」(『古語拾遺』)と、愚痴る。

⇒⇒社格制度。平安時代から現代までの変遷
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-447.html


神像に姿を変え今も祭神を護る白人神社の75人の宮人(みょうど)は忌部氏の子孫とも言われる皆様。

75の宮人が護る白人大明神。源為朝、矢を落とす
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-793.html


三木家住宅へ向かう道中に鎮座。


京都府綾部市の愛宕神社で、地方忌部氏の祖神に遭遇。

⇒⇒愛宕神社。建物をまもる神様四柱に会いました
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-387.html



参考資料

美馬市HP「忌部一族の末裔 三木家の住宅」
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/kankouannai/shiru/0034.html

阿波世界農業遺産「国重要文化財・三木家住宅」
http://www.awa-nougyoisan.jp

http://www.awa-nougyoisan.jp/阿波世界農業遺産[写真展]/阿波の農業に纏わる神々と文化編-写真展2/

↑↑平成2年の大嘗祭の際の画像があります。


いつも応援いただきありがとうございます。
神社を巡れば忌部氏にあたる。そんな阿波の国。三木家住宅と隣接する資料館や忌部神社等はまたいつか訪問したいです。それにしても、諸々事情があるとはいえ、市町村合併により歴史ある地名が失われるのは寂しいものですねぇ。

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大麻比古神社(5)祭神の大麻比古大神ってどちら様?

こんにちは。


お茶目な狛犬さんがお迎えしてくれる、大麻比古神社。


すーはーするアレを連想させますが、アレじゃない。

おおあさひこじんじゃ。

式内社(名神大社)。阿波国の一宮。

延長5年(927)に完成した延喜式神名帳に名前があるということは、その時に既に存在していたということ。



【祭神】大麻比古大神と猿田彦大神


猿田彦大神は、昔、大麻比古神社の裏に聳えている大麻山(おおあさやま)の峯に鎮座していたものが、いつの時代か大麻比古神社に合祀されたと伝えられています。

(大麻比古神社公式HP「Q&A」より)
http://www.ooasahikojinja.jp/qa/


【大麻比古大神とはどちら様?】

(社伝と大麻比古神社によれば)

大麻比古大神とは、大昔阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先の神様です。

神武天皇の御代。

忌部氏の子孫が阿波国に入り国土を開拓して麻や楮(かじ・椿の一種)の種を播いて麻布や木綿を作り、郷土の産業の基を開いて人々の福利を進めます。



その氏族は今の吉野川市(元の麻植《おえ》郡)を拠点として開拓。

国土開発の事業が漸く成った後。


御先祖の神様「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」をお祀り。

これが今、徳島市に「忌部神社」として祀られるお社。
天日鷲命の御神徳を讃え、「麻植の神」として崇敬を集めてきました。

忌部神社の祭神「天日鷲命」の大先祖が「天太玉命(あめのふとたまのみこと)」



この「天太玉命(あめのふとたまのみこと)」を大麻比古大神と称し、「郷土の守り神」として祀ったのが「大麻比古神社」と伝えられています。

(以上、大麻比古神社公式HP「Q&A」より)
http://www.ooasahikojinja.jp/qa/



忌部神社(徳島市)※論社については省略
【祭神】天日鷲命(あめのひわしのみこと)←忌部氏の祖。

大麻比古神社
【祭神】大麻比古大神(天太玉命)←天日鷲命の祖。


【天太玉命(あめのふとたまのみこと)とはどちら様?】

『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命、『古語拾遺』では天太玉命と表記。(wikipediaより引用)

『古事記』や『日本書紀』では、天岩戸の神話において天太玉命と天児屋命が祭祀関係に携わったことが記されています。

天安河の河原に集まった八十万を数える神々。
思兼神の深遠な謀により、天照大神に出てきてもらうべく体制を整えます。


「中臣の連の遠い祖先である天児屋命と、忌部の遠い祖先である太玉命とが、天香山に生える、青々と葉の茂った榊の木を、根こそぎ掘り起こして、その上枝には、五百箇の玉を緒に貫いた長い玉飾を取って懸け、その中枝には、八咫鏡、別名は真経津鏡(まふつかがみ)を取って懸け、その下枝には、青い麻の和弊(にぎて)、白い木綿(ゆう)の和弊(にぎて)を取って垂らし、そこで神々が天照大神の現われ出ることを願って、共に祷(いの)った。」
(現代語訳「日本書紀」二二 天岩屋戸(本文)P.64~65)


「思兼神の謀について、アメノコヤネ(天児屋命)とフトダマ(太玉命)は、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)を行う。
賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、フトダマが御幣として奉げ持ち、アメノコヤネが祝詞を唱えた。」
(『古事記』wikipediaより抜粋)



天太玉命と天児屋命、頑張る。

・・・力持ち大会じゃないよ。


両神は天孫降臨においても、共に付き従っています。


ところでこの二柱の神様。

『日本書紀』にあるように、記紀編纂当時の朝廷の祭祀を司っていた二氏、中臣氏と忌部氏の祖とされています。

天児屋命→中臣氏
天太玉命→忌部氏(のちに斎部)

この二氏、記紀編纂時に既にその兆候はありましたが(『古事記』で天児屋命の方が重要な役割)、後に中臣氏だけが栄えるようになります。

このため自家の衰運を嘆いた斎部広成が、祖先以来の経歴を述べて平城天皇に奉ったのが『古語拾遺』。(社家の姓氏「忌部氏」より)
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/south/s_inbe.html

忌部氏。

阿波の古代史を語る上で重要な氏です。


しまった。ドツボへ踏み出しちゃったー!

麗しいあんよは、丹波佐吉@摩気神社。

忌部氏の話へ、つづく。


大麻比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13




いつも応援いただきありがとうございます。
大麻比古神社の祭神については、時代によって、あるいは立場によって解釈が異なるようですが、ここでは大麻比古神社の公式見解を引用しています。狛ちゃんの出番がないので、お絵描きしてみました。えへへ。

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大麻比古神社(4)メガネ橋と板東俘虜収容所

こんにちは。


満面の笑みの狛犬さんと


樹齢1000年になるという大楠がお迎えしてくれるのは、

大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)。

本殿背後の森の中に


ドイツ橋。

なぜドイツ?


大麻比古神社の約2km南にあったのは、板東俘虜収容所。

1914年。日本軍は、ドイツの租借地であり極東根拠地であった中国の山東半島にある青島(チンタオ)を攻撃。

敗れたドイツ兵4715人が俘虜に。

このドイツ兵4715人のうち約1000人が「板東俘虜収容所」に1917年から1920年まで収容されていました。

⇒⇒⇒板東俘虜収容所を知っていますか
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-314.html




2006年公開の映画「バルトの楽園」は、「板東俘虜収容所」における収容所所長・松江豊寿の葛藤や、俘虜となったドイツ兵と地元の住民の交流などを史実に基づいて描いた作品。主演は松平健。


撮影のため再現したセットが残る「バルトの庭」。


当時の配置図。


板東俘虜収容所の所長は、松江豊寿大佐。

1872(明治5)年。会津藩士・松江久平の長男として誕生。

ドイツ人俘虜達が職業軍人ではなく、手に職を持つ義勇兵であると知っていた松江豊寿は、彼等の知識や技術を生かした収容所にすべく心を砕きます。

仕立屋、理髪店、靴屋、写真館、製本屋、家具店、パン屋。
音楽教室、楽器修理、金属加工、配管工事の店などを敷地内に作ります。その数実に80件。

⇒⇒⇒板東俘虜収容所所長・松江豊寿。会津の心と武士の情け。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-315.html



板東俘虜収容所跡地。


「バルトの庭」で再現したパン屋さん。

ヴェルサイユ条約の締結によりドイツ人達は本国へ送還となりますが、約170人が日本に残ります。

その中に、カール・ユーハイム、アウグスト・ローマイヤー。

お菓子のユーハイム、ソーセージ等のローマイヤー、有名店ですね。


同上、酒場。


・・・の、お手洗い(跡地の遺構)。


水回りはまとめるのが基本?


板東俘虜収容所跡地。


「バルトの庭」で再現した兵舎(バラッケ)。四人部屋。


再現セットの一部は当時の部材。


「へルマン・ハウゼン楽団」も結成され、


日本最初の「第九全曲演奏」は、板東俘虜収容所で行われたささやかな演奏会。

ソプラノも、男声で。


さて。大麻比古神社へ戻り。


本殿背後の森の中に、丸山公園。


メガネ橋。



1919年4月初旬。ドイツ人俘虜たちが地域住民との親交の記念として建築。2ヶ月で完成。

川床の土台を強固にして、セメントを一切使わずに寸分の狂いなく積み上げられた石橋は、100年程が経過しても微動だにせず。

地元から出す相応の建築費を、ドイツ人俘虜達は固辞。

「松江大佐が、我々俘虜に創造の喜びと働く意欲を駆り立ててくれたことこそが最大の報酬です。」



 1919年8月。収容所で亡くなった11名の仲間を弔うため、帰国前にドイツ人俘虜達が建立。

「自分達が帰国した後は慰霊碑が放置され死者を傷つけるかもしれない」とドイツ人俘虜達が危惧した通り、1920年4月の収容所閉鎖後は放置。

1947年。第二次世界大戦終戦。

1948年。高橋春枝さん夫妻が、草むらの中の慰霊碑を発見。

夫妻とご近所さんは定期的にこの慰霊碑を清掃し、献花。

1960年、徳島新聞でこの事が紹介されたことをきっかけに、坂東俘虜収容所で収容生活をした人々で結成された「バンドー会」等との交流に結び付きます。


道の駅に隣接する資料館。


【松江所長が収容所の部下に語った言葉】

「実は、私は会津人だ。(中略)戊辰戦争のみぎり、鶴ヶ城に拠って官軍に抗し、朝敵の汚名を被った会津藩士の子として、この世に生をうけた。

私の父祖たちは、鶴ヶ城落城と同時に俘虜となって、会津降伏人とよばれ、屈辱と惨苦の境涯におちいったのである。(中略)

降伏人、すなわち俘虜というものがどんなに悲しいものであるかを、私は幼心に深く刻み込まれ、それはいまも忘れることができない。

『薩長人ら官軍にせめて一片の武士の情けありせば』
とは、あのみぎり大人たちがよく口にしていた言葉であった。

これも、今もなお私の耳底に残って忘れることのできぬものである。

さて、明日は第1次俘虜が当所にやって来る。そこで諸官へ、所長としての私の俘虜に対する方針を述べておきたい。

『武士の情け』これを根幹として俘虜を取り扱いたい。

わかってくれるかね。」




蜂須賀桜が咲いていました。


「板東俘虜収容所」

⇒⇒⇒板東俘虜収容所を知っていますか
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-314.html

⇒⇒⇒板東俘虜収容所所長・松江豊寿。会津の心と武士の情け。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-315.html

⇒⇒⇒四方の海と日本初の「第九」全曲演奏。板東俘虜収容所。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-316.html

⇒⇒⇒きっかけは一通の手紙。忘れない事が大切。板東俘虜収容所。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-318.html


いつも応援いただきありがとうございます。
板東俘虜収容所と大麻比古神社は2km程の距離。日々のお散歩コースだったそうです。ドイツ橋は彼等が石橋を造るまでは木造でした。きっと危なっかしい橋だったのでしょうね。板東俘虜収容所の記事は昨年の訪問時に必死に調べて書きましたが、ぼろぼろ泣きながら本を読んだ日がよみがえります。

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大麻比古神社(3)宝暦生まれの狛犬、吽ちゃん編

こんにちは。


とっても個性的な狛犬さんがいるのは、


実に800mもの参道が続く、大麻比古神社。


今日は、宝暦12年(1762)生まれの狛犬さん、吽ちゃん編。

おーい。


とても大切にされている狛犬さんです。


はいはい。

ちゃりん。


くねくね。

無理して参詣者に笑顔をふりまいているのではなかろうか~( ノД`)…


ここら辺から見ると少し落ち着きます。


装飾がないので、すっきりしてますねー。

何かあったら、すったかたーっと駆け付けてくれそうです。


痩せすぎでもなく、ちょうどいい頃合い。


あっ、お客さんが。


とっても素敵な狛犬さんですよっ。


・・・(T_T)


腰痛にもめげず、皆の方へ身を乗り出しているのにっ。


狛犬、寂しい。

後ろ足がお行儀いい。


頭の上のもこもこは、角。

ひよこがピヨピヨしているわけではありません。


この角、正面から見ると二本あるような感じに。


誰ですか、こんなとこにお賽銭置いたのは。

大麻比古神社には大勢の職員さんがおいでになって、


こまめに拝殿等のお手入れをされていました。


寂しくないね、狛ちゃん。


うふふふ。

幸せ♪


大麻比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13





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獅子頭のような大きなお口の顔に比べて、お腹や太もも(?)などは細いながらもふっくらした感じ。お座りもお行儀よくて、何ともかわいい狛犬さんです。この絶妙なバランスが、石工さんの腕の見せドコロなのかしら?一見、奇妙に見えましたが、よくよく見れば細部までこだわったとても素晴らしい狛犬さんでした。あー、かわいい。

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大麻比古神社(2)宝暦生まれの狛犬、阿ちゃん編

こんにちは。


かわいい狛犬さんがお迎えしてくれる大麻比古神社。

慶應4年(1868)生まれ。もうすぐひゃくごじゅっちゃい。


迫り来る緑。


ご神木の大楠。若さを吸われる気がするの。


んまっ。


おやぁ?


招かれたら行かねばなるまい。


春の日差しはきついねー。

日焼け止めしないと、後々たいへん。


笑い事ではありません。


きゃー。だれー。


そうでしょうともー( 〃▽〃)

真っ赤なフリルふりふりぃ♪のおべべがお似合いですわよー。


あらまぁ。

白鳥神社のお稲荷さんに同じようなお手手の子がいましたが



狛犬さんでこんなほっそい子ははじめまして。


折れはしないかとドキドキします。

昨年は


とても混んでいたのでゆっくりお会いできなかった狛犬さんです。


たまたまです。


シルエットが、とっても個性的♪


授与所まで声が聞こえるといいね。


おかっぱのようなまっすぐな髪と昆布巻きのような尻尾が素敵。

昆布巻きより・・・でっかいちょうちょが張り付いているような?


うおーう。狛犬さん、しっかりしてます。


お社の維持もたいへん。

ちゃりん。


これぞ満面の笑み♪

宝暦12年(1762)生まれ。

えーっと。

・・・永遠の二十歳(誰)。


大切にされてきたのね。きれいなまんまね。


あらまぁ。頭におリボンが?


違いますよ。


大麻比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13




いつも応援いただきありがとうございます。
個性的な狛犬ズがお迎えしてくれる大麻比古神社。いやぁ、徳島県は狛犬天国なイメージです。うふふふ。訪問日は3月の連休ですが、お天気が良すぎて眩しくて。拝殿前の狛犬さん、やっとゆっくりお話することが出来ました。あああ、幸せ。狛犬さんに張り付いていた私を笑顔で見守る神社の方々に、ちゃんと微笑みを返しておきました。素敵な狛犬さんに会わせて下さってありがとうなのです。

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大麻比古神社(1)お着替え狛ちゃん

こんにちは。


お、おぉ~ぅ。狛犬インパクト。

歴史のお話が続き、頭がパンクしたので、狛ちゃん話。


大麻比古(おおあさひこ)神社です。


式内社(名神大社)、阿波国一宮。

★「たいまひこ」とか「おおまひこ」は間違いなのよー★


鳥居の大きさは、この足元で伝わりますかしら。

昨年のお正月は降雪と寒波到来で、訪問した三連休に初詣をずらした人が多く、とても賑わっていました。


昨年の様子。

「お正月が過ぎたのでお賽銭箱を小さいのに戻してしもたんですぅ(泣)」と神職さん。


今回は、参道の途中で立ち止まる余裕がありました。

こちらのお目当ては~♪


狛ちゃーーーん♪一年ぶりっ♪

・・・あれ?


昨年(2015年)の狛ちゃん。


かわいいなー。


狛犬さんは後ろ姿を愛でるべしっ。

だったよね。んふふふ。


今年(2016年)の狛ちゃん。

おおおっ。


おばけちゃんに着替えてるぅ~( 〃▽〃)

きゃー。きゃー。


ちょっと大人の雰囲気ねー。


今年も後ろ姿を愛でました♪


昨年(2015年)の吽ちゃん。お仕事中。

何の紙芝居なのかしら?


おじさんがなんか出してる話?

なんじゃそら。


不敵な笑みですな。


狛犬さんは後ろ姿を愛でるべしっ。

うふふふ。さて、今年は?


おーい。


お仕事、頑張ってます。

やっほー。


か、かわいいいいいい。


今年も「おじさんがなにか出してる」話のようです。


うふふ。今年も後ろ姿を愛でました♪


後から後から人が来ます。


狛犬さん、ほくほく。

賑やかなお社も、いいものですね。


大麻比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13




いつも応援いただきありがとうございます。
疲れた時に、狛犬さんの笑顔。はぁぁぁ。癒されますわぁぁ。昨年のお洋服(?)は赤ちゃんみたいな幼いかわいい感じでしたが、今年はすこぉし大人のお顔の狛犬さんです。でも、おばけちゃん。おすまししても、おばけちゃん。うふふふふ。

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東林寺。讃岐藤原氏がやって来た脇町の歴史

こんにちは。


まぁるい狛犬さん、好き。

さて、本日は


東林寺。

一間一戸の鐘楼門で階上には銅鐘が吊るされた鐘撞き堂。
下層には屋根が無く香欄付きの回縁が付き、上層は入母屋造・本瓦葺。


寺伝によれば、東林寺は永正年中(1504~1521)に檀家脇氏の要請で照誉上人が開基した浄土宗のお寺。


【脇氏って誰だー】


讃岐(阿讃)山脈を挟んで、讃岐と美馬市脇町。

讃岐の代表的な国人は、讃岐氏、讃岐橘氏、讃岐藤原氏の3つの一族。

そのひとつ、讃岐藤原氏。

『鳥羽院の御宇に、中御門藤中納言家成卿の讃岐守たりし時、綾大領貞宣の女子を納(いれ)て、男子を産す。是を藤大夫章隆と云う。是より藤家を本領として、讃岐の藤家と言うなり。家禄は綾の所帯を請次来るなり。元暦年中に源平の争あり。藤家の氏族、平氏を捨て、鎌倉殿に候し、建武年中に足利将軍(尊氏)に属し、応仁の乱の時、細川管領勝元に随身し、三好天下を制する時は、三好家に属し(略)』(『南海通記』「香西伊賀守佳清伝」)


藤原家成を祖とする讃岐藤原氏の庶流で讃岐中部に勢力を持った香西氏。


どこにでも現れるイメージの藤原さんち。

とにかく、この讃岐藤原氏庶流の香西氏がこの土地へやって来て、脇氏を称します。

その脇氏が浄土僧の照誉上人を開山に請い一寺を建立。


虎渓山東林寺と名づけました。


【東林寺と脇町】

その後。


脇城のあるお山。虎伏山。

築城年代は定かではない脇城ですが、戦国時代の初期に「脇権守仲房」の館があったといわれます。

仲房の頃には、阿波守護・細川氏の被官であった三好氏の権勢が次第にこの脇氏の支配地へ及び、


仲房は、どこぞへ退去。(東林寺の鬼瓦くん)

脇城は天文2年(1533)に三好長慶が城を築いて三河守兼則が守り、弘治2年(1557)大和国より武田上野介信顕が入ります。


館跡推定地は、貞真寺から脇人神社の付近。

しかし、長宗我部軍により、脇城は落城。


武田上野介信顕親子は、


脇人神社の祭神として祀られています。


次いで脇町へ入ったのが、蜂須賀家筆頭家老の稲田植元。


本堂の再建がかなった、稲田家墓所のある貞真寺。

脇人神社、貞真寺、仲房館跡等は脇城の南西麓。

これに対して東林寺は南東麓にあり、門前町を形成しています(文政元年の脇町分間図)。



東林寺は、仲房が去った後も、三好長慶・武田信顕の庇護を受け、
藩政時代には稲田家四代植栄(たねひで)等により寺門隆盛。


この地域の民間信仰の中心として栄え、現在に至ります。


山門の二階は鐘楼。


どうやって鐘を突くのかな。


うふふふ。


いきなり讃岐藤原氏が出てきてしまいましたが。

讃岐藤原氏庶流で讃岐中部に勢力を持った香西氏の一派がここへやって来て脇氏を名乗り、館を構え、やがて三好長慶の勢力が及び、脇城から退去。

三好長慶により脇城は修築され、

武田信玄の異母弟の武田信顕が脇城に入るも長宗我部軍により落城。
その後、稲田氏が脇町を治めました。

この歴史をさくっと感じる事が出来る東林寺。

何となく感慨無量なのでした。


(脇人神社の狛犬)・・・そうね、肝心の庭園を見てないわねぇ。


東林寺
《住所》徳島県美馬市脇町字脇町1210




いつも応援いただきありがとうございます。
東林寺には、室町時代末期に作られた庭園があります。徳島市阿波国分寺庭園、美馬市願勝寺庭園・つるぎ町多聞寺庭園などと同様に県下でも古い庭園の一つだとか。春のお彼岸に訪問したので、ちょっと遠慮してしまいました。また行けばいいや。えへへ。

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最明寺。第5代執権北条時頼の諸国漫遊記

こんにちは。

猪尻の八幡神社のおしゃべり狛ちゃんとお別れして


桜を探しつつ、同じ河岸段丘上にあるお寺へ。


弥天山最明寺。

真言宗大覚寺派のお寺です。


お魚さん、こんにちは。


イキガイイねぇ。


お寺は緊張します。

本尊は聖観音菩薩。

阿波西国三十三観音霊場第33番および四国三十六不動尊霊場第3番の札所になっており、多くの参拝者が集うとか。


【由緒】


読んで下され。

左に見えるのが、国指定重要文化財「木造毘沙門天立像」。
毎年4月3日に公開されます。


このお寺、場所も名前も変遷しているようです。

西光寺→西明寺(江戸時代前期)→最明寺(現在)。


また、このお寺に北条時頼が滞留したという伝説が残されています。

時頼は出家後「最明寺殿」「最明寺入道」と呼ばれたため、お寺の名前もこれに倣って「最明寺」と改めたそうで。


おにぎりじゃなくて、北条さんちの「三つ鱗」紋。

時頼が来たことが、よっぽど嬉しいのでしょうね。


みなまで言うな。

伝承はそーっと微笑んでおくのがマナーです。


わかりましたか。


北条時頼。

鎌倉の良心、聖人君子と評判の「北条泰時」の孫で、鎌倉幕府第5代執権。

第8代執権北条時宗の父。

「時頼は質素かつ堅実で、宗教心にも厚い人物であった。
さらに執権権力を強化する一方で、御家人や民衆に対して善政を敷いた事は、今でも名君として高く評価されている。」(wikipediaより引用)

そんな時頼。

民をよく知るために諸国を旅した伝承があります。

水戸黄門みたいですねー。


「わしは時頼なるぞー」と三つ鱗の紋をデーンっとしたのかな。


いっぱいの三つ鱗紋。


時頼はここを訪れて、どんなお話をしたのかな。


片隅にお社。鎮守様かな。



毎年9月初旬前後に見ごろを迎える萩の花が見事で、「萩寺」とも呼ばれる最明寺。

思いがけず北条時頼の伝承に出会って、ほくほくでした。


最明寺

《住所》徳島県美馬市脇町北庄1308




いつも応援いただきありがとうございます。
北条時頼が民の暮らしを知ろうと行脚したお話は、能「鉢木」で著名ですが、今回はさくっとスルー。・・・すみません。ちーとも先へ進まない旅の記録。かわいい狛犬さんがいると、ついつい。えへへ。

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旧長岡家住宅。雨の少ない讃岐山脈南麓のおうち

こんにちは。


ぷっくりぷくぷく狛犬さんのいる八幡神社から


ふとお隣を見ると、何かある。


こんもりしてるのは、八幡神社。


運悪くおやすみでしたが、これは国の重文「旧長岡家住宅」。


入り口は正面のみで、あとは壁。


徳島県で昭和48年(1973)に実施した伝統的民家の残存調査の結果、県内では国指定の重要文化財の価値のあるものが合計で8件ありました。

そのひとつが、この「旧長岡家住宅」。
昭和51年(1976)5月20日に国の重文指定。

享保20年(1735)建築の棟札が残ることで、建築年代が明確。

尚、民家に棟札が保存されているのは、徳島県内の特色で、他県にはあまり見られないそうです。


この建物が元々あった場所は、旧脇町の西大谷地区。

大谷地区は奈良時代、大滝山開山の頃に集落が出来始め、次第に土地を開墾し現在の村落が形成されていきました。

大滝山といえば。


狼を追い払い神となった狛犬さんがいる


西照神社と


大瀧寺。


脇町から西照神社&大瀧寺への道中は、山、山、山。


そして時折見えた、集落。

文治元年(1185)屋島の戦いに敗れた平家の武将・藤原左近丞が一族朗党と共に源氏の追及を逃れ、一族の一部が残留したといわれています。(美馬市HP「旧長岡家住宅」より)

このような土地にあった建物。



桁行五間半(12m)、梁間四間(6.6m)、寄棟造茅葺きで大屋根が軒先まで葺下ろされる構造。

外壁は、杉皮や板などを用いない土壁でこれは雨の少ない讃岐山脈南麓の民家の特徴。

三方壁でカヤぶきは、夏は涼しく、冬暖かく、生活に便利だったのでしょう。

純農家(山林労働やタバコ栽培が主で、耕地農業はほとんどなし)で、小規模で労働力中心の生活が営まれていた代表的な民家です。

(美馬市HP「旧長岡家住宅」より)




平面は土間と床上二室が桁行に一列に並ぶ二間取り。

徳島県山間部に広く分布する二間取り系民家の代表的な一例で、建築年代が判明し、土間に独立柱が多くたつなど古様で価値が高い。


(文化遺産オンライン「旧長岡家住宅」より)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187416


職人技。


茅葺き。にぎやか。


火の用心、でいいのかな。

この「火の用心」ですが、京都の山城から近江にかけての地域では、ヨシ葺きの屋根にアワビがあります。

甲賀53家筆頭家の望月出雲守さんち。別名・忍術屋敷。

ピカピカ光るあわび。

あわびは海のもの、海は水。
茅葺屋根の棟飾りに「水」の字が彫られているように、貝によって水を呼び、アワビに防火を願う説。

又は、カラスよけ。

CDをぶら下げるのと同じですね。
茅はカラスにとって最高の巣の材料。


移築された旧長岡家住宅のそばに、桜。

印象深かった西照神社と大瀧寺を思い出しつつ、次へ移動しました。


旧長岡家住宅

《住所》徳島県美馬市脇町猪尻西上野34


隣は八幡神社なりぃ。


いつも応援いただきありがとうございます。
たまたま展示がお休みの時に訪問したので、内部を見ることは出来ませんでしたが、西照神社へ登る道から眺めた集落と同じような環境にあった民家を近くで見ることが出来て面白かったです。真夏の大阪では暑いのかなぁ?しかし、讃岐山脈南麓の環境には適したおうちなんですね。

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猪尻の八幡神社(3)愛される地元密着の神様は幸せだな

こんにちは。


ご近所さんの姿が絶えない美馬市脇町猪尻の八幡神社。

参道の石段を登り詰めたら、にひゃくちゃいの狛犬さん。


いいお顔の横に


初めてお目にかかりました。時がかわれば奉納もかわる。


八幡神社・拝殿。


拝殿前の吽ちゃんの背後には


古い瓦がいっぱい。気になるわぁ。


きゃー。

誰ですか、ここに置いたんはー。


吽ちゃん、後ろー!


ちびっこ狛ちゃん、一生懸命語りかけてきます。


ほんとにどこから見ても、ぷっくりぷくぷく。


拝殿、賑やかです。


艶かしい飛び狛ちゃんの、おなか。


足先をどこかに忘れてきてしまったけど、日光浴してご機嫌です。


鳳凰と、短い龍さん。


間違えました。キリンさんでした。

・・・飲みたいぜ。



【祭神】 誉田別命
【配祀神】氣長足姫命・姫大神・伊邪那美命

天文2年(1533)9月。どんぶらこっこしてセンダンの木に引っ掛かってた土佐国幡多山鎮座の八幡宮を、当時の脇城主・武田信顕が城内に祀り、後、現社地に遷座。

その他にも、大勢おいでのようです。


賑やかな拝殿内部の天井。神様から読める向きになってるのね。


八幡さんの神紋の向こうに見える拝殿向拝部の天井も賑やか。


干支や縁起物に混じって重機もあります。生活密着。

明治・大正までは八幡さんの下で農具市が盛大に行われたとか。

奉納した方がそれぞれに工夫を凝らして図柄を決めたのでしょうね。
いいなぁ、素敵だなぁ。ほっこりするなー。


ここにも、狛犬さん。

しんべー@おーいはに丸も、いる♪


えらくお茶目な狛犬さんです。うふふ。


ほんのりピンクの本殿。

覆い屋風に本殿を包む板がピンクなのかな。


おはよございまぁーす♪


境内社横の石の祠。

無人かと思いきや、福の神様がこんにちは。びっくりしたさ。


メルヘンです。


本殿妻側の木組が面白いで・・・


きゃー。どちら様なのー!?

狛ちゃん、あれ、だれー!?


こ、困らせてごめんっ。


地元密着のお社は、とても優しいものでいっぱいでした。

ああ、ほこほこ♪


八幡神社
《住所》徳島県美馬市脇町猪尻字西上野22

 

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地元の方と少しお話しまして。「大阪から来たの!?」と驚かれましたが、脇町は稲田植元が精魂込めて再建した町。脇城、脇人神社、稲田家墓所、うだつの町並。近隣には様々な時代の史跡。猪尻の八幡神社にだって素敵な由緒とかわいい狛犬さん(今回見逃した子を含め四組)と氏子さんの心遣いの数々。こんなに素晴らしいお社なのですから、 もっともっと地元に興味と誇りを持って、自慢して欲しいなーと思います。

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