願勝寺(3)阿波内侍から美馬君田。幕末の美馬
こんにちは。
謡と仕舞のお稽古を始めてはや四半世紀。

負けず嫌いは暗黙の了解ですが、停滞中。
そんなときに出会った、能「大原御幸」の阿波内侍の供養塔。

崇徳天皇の寵愛を受け、その後も見つめた阿波内侍です。

彼女の日記などがあれば、当時の気持ちが伝わるのに残念。
阿波内侍による中興後、阿波守護・小笠原長房の祈願所、細川氏・三好氏の祈願寺など歴代国主の尊崇を受けた願勝寺は、蜂須賀氏入国の節には方八町御免地、郡中出家取締となります。
稲田家からは20石の寄進。

ところで。
阿波内侍の供養塔の標柱には、

きんのうけ君でんねん。
違うっと。
「美馬君田」という人物。
昭和6年に建てられたという君田翁之碑の祀と君田翁之碑。

美馬君田とは、第44世住職。
天保4年には第44世住職となり10年後、寺を弟子に譲り隠居。
慶応元年閏5月に高杉晋作の讃岐潜入事件に連座して牢獄に4年間入牢。
燕石と共に出獄し、その後は、燕石とは離れ琴平小学校の校長として子弟の教育に専念。
勤皇の志士として活躍した功により、正五位を贈られました。
2015年。
美馬君田の直筆と見られる縦70cm、横30cmの掛け軸が発見されたそうです。
「徳島城博物館によると、掛軸は、美馬君田筆の『三社託宣』とのことです。『三社託宣』とは、天照皇大神、八幡大菩薩、春日大明神の三神の託宣(神の意思やお告げ)の事をいい、これを記した掛軸です。」
http://www.jibasan.org/event15.html
掛け軸の最後の1行にある「馬諧」の署名と印から、 君田筆と判明。
裏には、「前願勝寺」「嘉永七年九月」とあり、君田が願勝寺の住職退任後、琴平町へ移り住んだ年に書かれたものと推測されています。
幕末の徳島は、阿波徳島藩は公武合体、反して淡路島洲本城代で脇町の基礎を作った稲田氏は尊皇。
もめましたね。
それが庚牛事変となり、

稲田家主従の北海道への入植へと繋がります。
「幕末と明治の阿波徳島藩。事件勃発前夜」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-582.html
「庚牛事変、勃発。悔しいですっ」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-580.html
「洲本城代稲田家主従、北海道開拓へ。静内上陸」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-589.html

境内にあった慰霊塔。
おんまさん、わんこ、はとぽっぽ。
戦時中、こんな子達まで駆り出されたのですね。

長い歴史の中で様々な役割を担ってきた願勝寺。

とても勉強になりました。

ぜひ、美馬市美馬町の寺町も訪れてくださいませ。
願勝寺
《住所》徳島県美馬市美馬町字願勝寺8
いつも応援いただきありがとうございます。
GWが始まりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?私はおとなしくしております。おほほほ。願勝寺訪問でまたいろいろな事を知りました。幕末は苦手なのでざっくりですが、とても面白かったです。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
謡と仕舞のお稽古を始めてはや四半世紀。

負けず嫌いは暗黙の了解ですが、停滞中。
そんなときに出会った、能「大原御幸」の阿波内侍の供養塔。

崇徳天皇の寵愛を受け、その後も見つめた阿波内侍です。

彼女の日記などがあれば、当時の気持ちが伝わるのに残念。
阿波内侍による中興後、阿波守護・小笠原長房の祈願所、細川氏・三好氏の祈願寺など歴代国主の尊崇を受けた願勝寺は、蜂須賀氏入国の節には方八町御免地、郡中出家取締となります。
稲田家からは20石の寄進。

ところで。
阿波内侍の供養塔の標柱には、

きんのうけ君でんねん。
違うっと。
「美馬君田」という人物。
昭和6年に建てられたという君田翁之碑の祀と君田翁之碑。

美馬君田とは、第44世住職。
天保4年には第44世住職となり10年後、寺を弟子に譲り隠居。
慶応元年閏5月に高杉晋作の讃岐潜入事件に連座して牢獄に4年間入牢。
燕石と共に出獄し、その後は、燕石とは離れ琴平小学校の校長として子弟の教育に専念。
勤皇の志士として活躍した功により、正五位を贈られました。
2015年。
美馬君田の直筆と見られる縦70cm、横30cmの掛け軸が発見されたそうです。
「徳島城博物館によると、掛軸は、美馬君田筆の『三社託宣』とのことです。『三社託宣』とは、天照皇大神、八幡大菩薩、春日大明神の三神の託宣(神の意思やお告げ)の事をいい、これを記した掛軸です。」
http://www.jibasan.org/event15.html
掛け軸の最後の1行にある「馬諧」の署名と印から、 君田筆と判明。
裏には、「前願勝寺」「嘉永七年九月」とあり、君田が願勝寺の住職退任後、琴平町へ移り住んだ年に書かれたものと推測されています。
幕末の徳島は、阿波徳島藩は公武合体、反して淡路島洲本城代で脇町の基礎を作った稲田氏は尊皇。
もめましたね。
それが庚牛事変となり、

稲田家主従の北海道への入植へと繋がります。
「幕末と明治の阿波徳島藩。事件勃発前夜」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-582.html
「庚牛事変、勃発。悔しいですっ」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-580.html
「洲本城代稲田家主従、北海道開拓へ。静内上陸」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-589.html

境内にあった慰霊塔。
おんまさん、わんこ、はとぽっぽ。
戦時中、こんな子達まで駆り出されたのですね。

長い歴史の中で様々な役割を担ってきた願勝寺。

とても勉強になりました。

ぜひ、美馬市美馬町の寺町も訪れてくださいませ。
願勝寺
《住所》徳島県美馬市美馬町字願勝寺8
いつも応援いただきありがとうございます。
GWが始まりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?私はおとなしくしております。おほほほ。願勝寺訪問でまたいろいろな事を知りました。幕末は苦手なのでざっくりですが、とても面白かったです。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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