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標高946mの大滝山山頂近くの西照神社

こんにちは。


春爛漫。

3月の徳島旅、まずは標高946mの大滝山を目指します。


昔四国で離合不可の道をひたすら走った苦い経験から、心臓ばくばく。

ただし、所々で狭くなる箇所はあります。


ちょっと一息。


棚田かしら。


平家の落人が四国山中に隠れ住んだのもわかる風景が点在してます。


次第に霧が濃くなり、ライト点灯。


踊ってるみたいな枝。


大滝山の山頂近くに鎮座する西照神社。


参道の階段に、うげーっとなりつつ。


石仏様にご挨拶して。


きゃー(≧▽≦)


死ぬかと思ったなり。


めっちゃ笑ってる。


大阪から徳島よりも、山道の方が遠く感じました。


はい、すみません。


狛ちゃんと大木しか見えません。


ひんやりした空気が気持ちいいです。


近づかなきゃよかった・・・(T_T)


はい、何でしょう。


うんうん。


そうでしょうとも。

それにしても、まぁ、かわいいおしり♪


なぁになぁに?


すごく聞きたいです。


はやくぅ~。


へ?


ぎゃーーーー!

つづく。


西照神社
《住所》徳島県美馬市脇町西大谷672


脇町から国道193号を北上、夏子ダム南側より阿讃中央広域農道に入り、県道252号→県道106号。
要所には「大滝山」「大滝寺」等の表示が出ています。


いつも応援いただきありがとうございます。
標高が高くなるにつれ霧が濃くなりましたが、窓を開けて走るととても空気が冷たく気持ちがよかったです(寒かったけど)。神社の駐車場(境内)にまず車を停め、下まで降りてから石段を上がって。大きな木々に囲まれた参道はいいですね。息切れしたのは、標高が高いからです。ええ、そうです。

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阿波徳島藩筆頭家老・稲田くんを追いかけて脇町

こんにちは。

さて。3月の三連休にまた徳島県をうろちょろしました。


春を満喫。


阿波の西、「にし阿波」と言われる地域を


吉野川に沿って東西にうろうろ~。


吉野川沿いは、かつて藍の生産が盛んでした。


作って、売る。

藍の商いで富を得たおうちなどが並ぶ、


徳島県美馬市脇町。

うふふふ。

突然ですが、


北海道の静内。

明治になって、静内へ入植する折りに


かわいい狛犬さんを連れてきたのは、だぁれ?

んふふふ。


お久しぶりぃ。

「庚牛事変」を経て、改めて北海道の静内・色丹島への移住開拓を命じられた稲田家主従。


必死に原野を耕し、道を作り畑作に着手。

上陸の翌月から試作したのが、


本藩・徳島藩の名産、阿波藍でした。

明治12年より本格的に藍の製造に乗り出した稲田家家臣団に対し、
北海道の開拓に力を注ぐ開拓使は
殖産興業策の一環として藍業にも注目し補助金などにより支援。



藍作・製藍事業は北海道の開拓において、
稲作が普及する以前の有力な畑作物となります。


時代を遡り、

蜂須賀家の筆頭家老であった稲田植元。

蜂須賀家の阿波徳島入封に伴い、植元は脇城城代として脇町へ入ります。


この脇城の麓には




稲田家墓所。


稲田家の家紋は、


「矢筈(やはず)」。


稲田家菩提寺、貞真寺の赤い山門。

稲田家菩提寺なのに、代々の墓所がないのは、なぜだー。

それは、淡路島・洲本城代に任じられ、転勤したから。


鳴門海峡を渡って、淡路島。


洲本の「上の城」。


稲田家はこちらの「下の城」でお仕事。


明治になり、稲田家主従はこの港から北海道へ旅立ったのでした。


北海道まで追っかけたんだから、徳島県なんて近い近い♪っと
調子にのってへろへろっとやって来た、脇町。


この町を拠点に、いろんなもんを見てきました。


初日は霞む狛犬。


いつも応援いただきありがとうございます。
稲田家の移動時系列は、阿波徳島へ入封→脇城城代→洲本城代→静内です。うだつが上がる脇町は、落ち着いた雰囲気のとても素敵な町でした。脇町が発展したのが阿波藍ならば、北海道へ入植した稲田家主従を助けたのも、阿波藍。それを実感した脇町なのでした。

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巨木立ち並ぶ亀岡市佐伯の御霊神社

こんにちは。


京都府亀岡市、佐伯の御霊神社。


昨日の画像では、木の精がわかりにくかったようですので。


こう見えた。

見間違いにひたすら驚いたあと。


心臓ばくばくさせつつ、お詣りです。


つるべの残る手水舎。


若葉萌える季節にもう一度来たいなぁ。


もぉー。聞こえてるよー。

創祀は大同元年(806)。

貞観五年(863)に悪疫が流行り、悪疫を除くことを願って怨霊を慰め鎮めるために祈願したと伝わります。

いわゆる「御霊信仰」ですね。

「御霊」とは非業の死を遂げた怨霊に対する尊称。
怨霊の祟りを避け、慰撫し、祀り上げて守護する存在へと転換したものが御霊神社。

御所の清涼殿で祈願され、五基の御所燈籠を下賜されて始まったのが、「佐伯燈籠祭り」。


ちび狛ちゃんのいる稗田野神社もまた同じ。

御霊神社は下社、稗田野神社は上社。


ポリバケツに入っているけど、悪疫退散のお砂がありました。


願いを込めた千羽鶴がいっぱいだった理由です。

さて。御霊神社。


おつむが悪いです。


それは残念だわ。


素敵な社殿だなー。


本殿。


らくがんの優しい甘さが好きなんだなー。


御霊神社。

【祭神】

大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)

孝元天皇(第8代天皇)とされています。
実在が疑問視されている欠史8代の一柱。

彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)
四道将軍の一人「吉備津彦命」。
孝元天皇とは異母兄弟。



よーく見ると、いろんなひとがいますのよ。


天女か、迦陵頻伽(かりょうびんが)かなー。


妻側は賑やかです。てっぺんに、屋根を支える力士みたいなひとが。


お耳が長いので、うさぴょんかしら。


あはははは。


木材そのままの鳥居。


その横に、なにかいる。


らぶらぶ灯籠。


本殿向かって右奥に、こんな石組。


水があったらきれいだろうなー。


三方を土盛りに囲まれた境内には、ムクノキの巨木が林立。


えへへ。


本殿向かって左の境内社。

お稲荷さんなのですが。

が。


めっちゃ笑ってる。


大阪でさえ聞いたことない会話ですが、何となく聞こえてきます。


これは、ムクノキ。

胸高幹周8メートル半、樹高22メートル。

亀岡の名木の中で単木としては最大で、京都府下でも最大級の巨木ですって。


本殿と比べると一目瞭然。


伝わるとよいのですが。


鎮座地は、稗田野町佐伯斉ノ神。

元は塞の神だったのでしょう。

塞の神は道祖神とも呼ばれ、邪神・悪霊や悪病神を村の入口で塞ぎ防ぐ神様。


とても素敵なお社の杜に包まれた御霊神社でした。


御霊神社

《住所》京都府亀岡市薭田野町佐伯斉ノ神41




いつも応援いただきありがとうございます。
土盛りに囲まれた境内、住宅が隣接しているとは思えない空気と光景でした。ざぶざぶと落ち葉を踏みしめながら、大きなムクノキのまわりをぐるぐる。普段は自然に触れることもないので、気持ちがよかったです。夏ならもっと青々とした葉が生い茂るんだろうなー。でも、蚊がいそうなので、来れないなー。ざんねーん。

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青い目の狛犬と佐伯灯籠祭。京都府亀岡市

こんにちは。


亀岡市の稗田野神社。


稗田阿礼社がありますが、名前が近いだけでご縁はないそうで。


お読みくだされ。


境内社のえびす社。


青い目の狛さんです。


めっちゃカメラ目線。かわいいなー。


芸達者です。



【佐伯郷燈籠祭】(国指定重要無形民俗文化財)

佐伯灯籠は亀岡市旧佐伯郷四社(稗田野神社、御霊神社、若宮神社、河阿(かわくま)神社)の五穀豊穣の神事と盆行事が集合した夏祭り。

寛喜元年(1229)朝廷より賜った五基の神燈籠と台燈籠を中心に斎行。
1700年代半ばまでは勅使を迎えて行われました。

享保二年(1717)の『諸国年中行事』では「丹波のさいきむらの灯籠まつり」と記されているとか。

特に面白いのは、間口が約180センチメートルの大きさの台灯籠を舞台に上演される、文楽完成以前の形態を残す人形浄瑠璃。


用いるのは、わずか35㎝の「串人形」。

ちっちゃー。

さて。

この灯籠祭、女性側から夜這いするお祭りだったようで。


おほほほ。


何とも日本の農村らしい風習です。

稗田野神社で神移しを行い、五穀の実生を乗せた神輿は、御霊神社へと向かいます。


佐伯郷四社のひとつ、御霊神社。

稗田野神社を上社、御霊神社を下社とも称するニコイチのお社。


巨木が林立するお社です。

木の精かー!?


わたしゃ~ほんとにびびったのです。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
稗田野神社は、狛犬さん達がかわいくてうっきうきだったのですが、御霊神社はまた趣の異なるお社でした。御霊神社の社頭の巨木の根っこ、ちびりそうなほど驚きまして。ちょっとお茶を飲んで落ち着いてから、お詣りしました。

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稗田野神社の牡丹とちび狛犬。一級品

こんにちは。


京都府亀岡市の稗田野神社。


なんかいる~なんかいる~。


きゃー♪こまちゃーーーーん!


もう一人、いた~♪


垂れ耳がツインテールみたい。

おすわりした高さ、150cmはあろうかと。


きゃ。ちびちゃん。


うんうん、おみかんだね。


おみかん、かなー?


獅子と牡丹、よね。


きゃー。


とても細かい彫りの狛犬さんです。お見事。


お?


おおお。


すみません。すみません。


眠くて不機嫌。


どこから見ても、とても丁寧な細工の狛犬さんです。


かーちゃんの足元にあるのは、こぼれてしまったお顔の一部。


大切に保存されています。


ちびちゃん、賢い。


お花見、れっつご~♪


ちび狛ちゃんの独り言。


ちょっととぼけてみたちび狛ちゃんなのでした。


稗田野神社
《住所》京都府亀岡市ひえ田野町佐伯垣内亦1


※駐在所の北です


いつも応援いただきありがとうございます。
牡丹の花びらの一枚一枚まで丁寧に彫られた見事な狛犬さん。子狛を囲む大きな狛犬さん達を見ているだけで、とてもほっこり。加工しやすい石材は、崩れやすい石材でもあり。こんなにきれいに花びらが残るのは奇跡に近いかと。これからも長生きしてほしい狛犬さんです。

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丹波国守大神朝臣狛磨造営の稗田野神社の、狛ちゃん

こんにちは。


京都府亀岡市の薭田野(ひえだの)神社。

※ひえ、は、くさかんむりに、稗



【由緒】

式内社。

「約3000年程前にこの地に住み着いた祖先の人達が現在の社殿の裏にある土盛りの処で、食物の神、野山の神を祭り、原生林を切り拓き田畑を造り、収穫した穀物を供え作物の豊作と子孫の繁栄を祈り捧げました。」


本殿奥の土盛り。

「それから時が流れ、大和朝廷の基礎が出来上がった和銅2年(709)、丹波国守大神朝臣狛磨が朝廷の指示によって土盛の前に社殿を造営。」(京都府神社庁HPより)

・・・こままろ?


こまちゃん造営のお社かー♪


モノクロ親子。


ちび狛ちゃん、それ、ボールちゃう。


どうだろう。


すみません。


ちび狛、おとなだねぇ。


手水舎に、いっぱいの折り鶴。


悪病退散を、「悪霊退散」と読み間違える。


お砂を袋に入れて玄関口に祀るそうな。

そろそろ健康面が気になるお年頃。ほほ。


柱に比べて屋根が重そう。



【祭神】(京都府神社庁HPより)

保食命 (うけもちのみこと) 
穀物の起源神であり五穀豊穣、食を司る女神。
伊勢の神宮・外宮に祀られる豊受大御神と異名同神。

大山祇命(おおやまずみのみこと)
山の守護神、延命長寿、美人の守護神。 

野椎命 (のづちのみこと) 
野の神様、田畑の作物の守り神。


通れるわよっ。


鎌倉時代のもの。


さん、たくさん。


こちらの方が一目瞭然。


んんん?


誰かがのぞいています。


こまちゃーーーーん!!

そう、ここにはあの子がいるの。

つづく。


稗田野神社
《住所》京都府亀岡市ひえ田野町佐伯垣内亦1


※駐在所の北です


いつも応援いただきありがとうございます。
亀岡市から丹波篠山、姫路へ続く国道372号(デカンショ街道)から酒蔵さんの横を入ります。こままろ造営の稗田野神社。ふっふっふ。狛犬さんがせっせとお社を造ったかと妄想してしまいます。ちび狛ちゃんがいるだけでテンション上がりっぱなし。ぼたんとちび狛。次回へつづく。

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顕本寺。堺公方滞在地と三好元長墓所

こんにちは。


堺市にあります、顕本寺。

もとは開口神社の近くにありましたが、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の兵火により焼失。

再建された際に、現在の場所に移りました。

なぜここへ来たかといいますと~


堺幕府が置かれたのが、ここー。

うひひひ。


【堺幕府ってなんだー】

阿波公方を再び。


室町幕府第10代将軍・足利義稙が阿波撫養で没した後に

室町幕府第11代将軍義澄の子で義稙の養子であった足利義維(よしつな・後に義冬)(1507-1573)がその遺志を継ぎます。


京都の室町御所で第12代征夷大将軍となっていた実兄の足利義晴と対立。


三好元長及び弟の康長の武勇と器量は大きな支え。


大永7年(1527)2月。桂川原の戦い。
三好元長・細川晴元は、第12代将軍・義晴を擁する細川高国を打ち破り、将軍義晴は近江朽木谷へ逃亡。京都室町政権は瓦解。

同年3月。

細川持隆、三好元長に擁立され、義維(義冬)は阿波を出立。


大阪の堺へ入ります。

同年7月。

「従五位下左馬頭」に叙任。

これは、征夷大将軍になる者が事前に命じられる官職。

あとは朝廷からの勅使を迎え、征夷大将軍の宣下を待つのみ。



足利義維(義冬)の周りには、都を追われ鳴門の撫養で死去した第10代将軍・足利義稙に従ってきた幕府吏僚達がおり、奉行人奉書の発給を始めています。(wikipediaより)

しかし、朽木谷へ逃れたとはいえ、現職の将軍・義晴は存命。


かれこれ5年間、将軍宣下を待つ。

待ちぼうけした 政治の中心となった場所が、顕本寺。


【顕本寺と三好元長】


おおお、さすが南国(違)。


メタルな手水。


マンションが建ち並ぶ町中にある顕本寺。


おや?


これは茶道のお道具ではありませんか?


堺は周知の如く、千利休のいたところ。


とても立派な本堂。

常住山顕本寺は、法華宗本門流の寺院。

三好氏は、法華宗。


しび。


堺公方・足利義維(義冬)を支えた三好元長ですが。

幕僚同士の勢力争いは、絶えず。


ここで、三好氏の宗派、法華宗が関わります。

元長は、かつて本願寺門徒による和泉や山城の法華宗徒への圧迫の一件に対し、本願寺側を弾圧。

恨み骨髄。

元長派の守護畠山義堯と対立していた河内守護代・木沢長政の働きかけにより、畿内宗門の責任者・蓮淳は、法主である証如に出陣させ、畿内における『浄土真宗と法華宗の最終決戦』と位置づけることで全畿内の門徒を結集。

摂津・河内・和泉の一揆衆が蜂起。

『単なる武家の騒乱でありながら宗門が参戦』の事態。

同年6月15日(7月17日)、10万(一説には20万)と言われた本願寺門徒は、最終的に三好元長を追い詰めます。



凶報。

天文元年(1532)6月。後見人の三好元長が幕僚同士の勢力争いに敗れ、顕本寺で自害。


この時、お腹から中身を取り出して天井へ投げつけたとか。

頼みとしていた三好元長の死。


足利義維(義冬)、しょーっく。

三好一族と共に阿波へ帰国。


(阿南市の西光寺、阿波公方墓所)

将軍宣下の前フリである「従五位下左馬頭」となりながら、将軍になれなかった足利義維(義冬)は、阿波の地で生涯を終えました。

さて。自害した三好元長ですが。


ここ、顕本寺には元長の墓所があります。



尚、前述したように、顕本寺は元は開口神社の近くにありました。


開口神社のおっきな狛犬さんの


こちらの足元に


「三好元長戦死跡」の石碑が


ひっそり。

また、三好氏の本拠地・阿波の勝瑞城跡に建つ見性寺境内には。


三好一族(之長・元長・義賢・長治達)の墓所。

足利義維(義冬)が滞在し政治の中心となり、三好元長の墓所のある顕本寺でした。


顕本寺
《住所》大阪府堺市堺区宿院町東4―1―30


南東に仁徳天皇陵。百舌鳥古墳群のある堺市です。


参考文献

『三好長慶 諸人之を仰ぐこと北斗泰山』(天野忠幸・著/ミネルヴァ書房/2014)
『戦国三好氏と篠原長房』(若松和三郎・著/戎光祥出版/2013)
『三好一族と織田信長 「天下」を巡る覇権戦争』(天野忠幸・著/戎光祥出版/2016)

その他、適宜「wikipedia」を閲覧


いつも応援いただきありがとうございます。
堺は二度、激しく焼かれています。一度目は大阪夏の陣。二度目は先の大戦。それを踏まえた上で史跡巡り。三好元長の最期は強烈な印象ですが、彼の息子・長慶達の活躍は信長前に畿内を治めるに至る戦国時代。一番ややこしくて興味深い時代です。元長といえば、お腹の中身ぶんぶん。これを長慶達兄弟はどう思ったのかな。三好くんへの興味は尽きず、堺と阿波をうろちょろしてます。

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開口神社の関西最古と伝わる力石

こんにちは。


でっかい狛犬さんがお出迎え。


まんまるなちび狛ちゃん。


投げちゃだめー。


けなげなちっちゃい狛ちゃんもお出迎えするここは、


大阪府堺市の開口神社。

かいこう、ではなく、あぐちじんじゃ。


拝殿手前横に、あっ!


おおお。


どすこいっ。

ちからいしです。

おおおー、力石。やっと会えたよぉ~。

神社巡りのブログ様ではちょくちょく見かけてはいたのですが、
力石を力石と認識して面と向かったのは初めて。

いつもお世話になっている、専門的な力石の研究と民俗に詳しい力石に魅せられて 姫は今日も石探し様の記事で、力石にはいろいろな背景や悲喜こもごもがあり、全国津々浦々をフィールドワークされている専門の先生方がおいでと知り、とってもとっても会いたかったのよー。


【力石とは?】


「力石とは、力試し、力競べをするために使われた石のこと、およびその競技をさす言葉です。
昔の農村の青年は米俵を担ぐなど力仕事をすることが多く、力試しをよくしたと伝えられています。江戸時代中期から明治にかけて、 各地の神社やお寺の祭の際には、力自慢を競う競技が行われていました。」
(保利神社HP「力石について」より引用)
http://www.oct.zaq.ne.jp/hori-jinja/keidai/tikara/tikaraisi.htm

力石には、「力石」の他に、「鶴亀」「雲龍」といった縁起のいい名前や、持ち上げた人の名や重量を刻んだものなどがあるそうです。



丹後半島の浦嶋神社。




力石を知らない頃に訪問したので、画像が投げやり。


那智勝浦の補陀落山寺と熊野三所神社の間。

力石は二つだと説明板にあるけれど、みっつ並んでいるの。
リボンつけるとか、目印が欲しいところです。よよよ。

さて。


指先までかわいいちび狛ちゃんの開口神社に話を戻して。


「大判石」

抱っこは無理よー。

大判ってぐらいだから、重いクラスなのかな。


明治24年9月の銘


「力石」

上端部には奉納者の氏名が刻まれています。


「五十五貫目」「文政丁亥十一月吉日」(1827年)


五十五貫目とは、約200キロ。

持ち上げたのかなー、これ。
ちょびっとごつごつしているのが、気になります。

だって、こんなの失敗したら怪我しちゃうわ。

力石には、これを持ち上げた若い衆の涙や汗、喜びや悲しみが詰まっているから、撫でて愛でてあげてね、って力石に魅せられて 姫は今日も石探し様に教えていただいたので。

みんな、撫でた。

まぁるい石は、何となく触り心地がよろしい。

不思議な感じでした。


「長雲?(まだ下に文字がありそう)」

天保4年(1833)のこちら、関西最古の力石と言われているとか。(保利神社HP「力石について」より)

ってことは、「五十五貫目」くん(どすこいっの文字が重なっている石)は、記念の奉納石なのかなー。


すごいなー。すごいなー。

こんなのを持ち上げるんだなー。


でっかい狛ちゃん、それ、違うから。


いつも応援いただきありがとうございます。
開口神社のでっかい狛犬さんは有名人のようですが、今回はわき役。うふふふ。力石を持ち上げる大会は主に江戸時代から明治が盛んだったようですが、現在も行われているお社もあります。皆様の近所の神社にも力石があるかもしれませんよー。地面に転がっていたり、埋まっていたり、少しお気の毒な目にあっている力石くんも多いようですので、目をお皿にして、ぜひ。

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四国八十八箇所霊場第1番・霊山寺。長宗我部元親ファイヤー

こんにちは。


まぁ、どうも。


四国八十八箇所霊場の第1番札所・霊山寺。

札所番号の順に巡拝するお遍路さんには、ここが「発願の寺」となり大師様と一緒の「同行二人」の長い旅が始まります。

まず、しっかり心の準備と装具を整えることが必要ってことで。


お遍路さんの装束や道具一式、売店にあります。


 竺和山(じくわさん) 一乗院 霊山寺。


「縁起によると、聖武天皇(在位724~49)の勅願、行基菩薩が開創。

弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難をはらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。

その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で『竺和山・霊山寺』と名づけられた。」


(四国八十八箇所霊場公式HPより引用)
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/01ryozenji/


インドと日本、仲良しこよし、ってことかなー。
カレーライス的な。(違)



ほっそりした小柄な仁王様。

好き。


しっかりしろよー、って言っているようです。


奉納された柄杓も多く。



室町時代には三好氏の庇護を受け、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つともなりました。

が。

もはやおなじみ。あれが、来る。



天正年間(1573年 - 1593年)に長宗我部元親の兵火により、焼失。



阿波徳島藩、第3代藩主蜂須賀光隆により再興。


(徳島市の興源寺、蜂須賀家墓所)

文学好きな光隆ですが、37歳の若さで他界。



蜂須賀光隆による再建後、明治時代の出火でまた多くの建物を焼失。

本堂と多宝塔以外は近年の再建。


そう思うとなおさら、多宝塔、素敵。


本堂の天井画の龍、素晴らしいものでした。



十三佛は、冥途の裁判官である十王(閻魔王など)と、その後の審理(七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る裁判官の本地とされる仏様、あわせて十三佛。

十三仏に名を連ねる仏様のうち8仏が十二支の守護仏。

(wikipediaを参照⇒「十三佛」わかりやすいです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/十三仏)


お不動様は、初七日。


いぬ好き。

戌・亥は共に阿弥陀如来様なり。


大師堂に、狛犬さん。

はぁー。ほっとするよー。こまちゃーーん (T▽T)


放生池には、色鮮やかな鯉さん。


パンダくんも、います。

・・・え。


お仕事してます。


霊山寺
《住所》徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126



板東は、大麻比古神社や板東俘虜収容所のある所

板東俘虜収容所を知っていますか
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-314.html

板東俘虜収容所所長・松江豊寿。会津の心と武士の情け。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-315.html

四方の海と日本初の「第九」全曲演奏。板東俘虜収容所。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-316.html

きっかけは一通の手紙。忘れない事が大切。板東俘虜収容所。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-318.html

何か吸ってませんか?大麻比古神社の狛犬くん
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-319.html


いつも応援いただきありがとうございます。
四国八十八箇所霊場を巡るお遍路さんが大勢おいでのお寺は、ちょびっと苦手です。皆様の邪魔にならないように、おとなしくおとなしく。売店で見ていると、どうもスタンプラリーの感覚の人も幾人かはおいでのようですが、きっと、巡礼しているうちに何かを得ていくんでしょうね。きっかけは何であれ、まず「行動する」ってのはすごいなーと思います。

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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

春の徳島の旅。蜂須賀桜と上桜城とか

こんにちは。

今日はお城少しと、狛犬さん。


道の駅にあった、蜂須賀桜。


阿波は蜂須賀くんが入りましたね。

桜つながりで


徒歩数メートルで城域という、私に優しい山の上の上桜城。

三好政権を文武両面で支えた重臣・篠原長房の居城。

しかし、その三好家に攻められ、ここ、上桜城にて自害。

理由は讒言であったとも、長房の力が強大になりすぎたとも。


カメラが壊れたわけではなく。枯れ草。


ベンチもあるのに残念。


吉野川が遠望出来ます。


お返事してるのは、


模擬だか再建だかの、川島城。


覚えてます?この狛犬さん。


これは、昨年1月に訪問したとき。

お着替えしてました。うふふふ。


1年ぶりでーす。

大麻比古神社。


雲ひとつない、ド晴天でしたー。


ここ、昨年は初詣でごった返してました。


第1番札所・霊山寺にて。

徳島から橋を渡って、下道で淡路島内を北上。


うん・・・じゃなくて、お気に入りの異常巻アンモナイトの公園。


鳴門大橋が遠くに見えるの。


小豆島も見えます。

淡路島を南北に動くには、島の西側の道がおすすめ。

がらがらですし、夕日がきれい。


淡路島は縦長。

明石海峡に着く頃には、すっかり真っ暗。

宝塚トンネルは、連休最終日の大渋滞。
なので、淡路島でお風呂して、夜ごはん。


淡路島玉ねぎラーメンの、チャーシューのったやつ。

淡路島といえば、玉ねぎ。ねー。

野菜スープがあっさりしていて、おいしかったなり。


時間をずらしたので、帰途はスムーズ。

今回の旅のお供は、こちら。


すだちの風味がさわやかです。

楽しかった~(*^_^*)


いつも応援いただきありがとうございます。
今回の旅のテーマは、三好さんちと、洲本から北海道の静内へ入植した阿波徳島藩家老の稲田さん。今回は、稲田氏が洲本へ行くまで治めた脇町にお宿をとりました。三好氏発祥の地も程近く。うきうきしながら部屋の窓から見える風景を肴に呑むお酒がおいしかったです。うふふふ。

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史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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