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金堂・講堂・文珠堂の礎石達。世尊寺(その4)

こんにちは。


奈良県吉野郡大淀町の比曽寺(現・世尊寺)。


とぉ~くに見える中門。

左右のもこもこは、東西の塔跡。

二つの塔は共に推古天皇による建立と伝わります。


東塔は現在の三井寺の三重塔として現存。


西塔は南北朝の動乱期に焼失。


江戸時代に描かれた比曽寺。

往時は東西に塔を構え、山門・金堂・講堂等が直線に並ぶ伽藍配置。

比曽寺跡が面白いのは、東西の塔以外にも礎石が形よく残存している点で、昔の伽藍配置を想像する事が楽しいです。


【金堂跡の礎石たち】


中門から本堂。

ここにも礎石が残ります。

本堂への石畳の参道の東西にほぼ左右対称。8個の礎石。


東側に4つ。


西側に4つ。


礎石のひとつ。一部欠損してます。


そうだねぇ。寂しいねぇ。


【講堂跡の礎石たち】

現在の本堂の周りには、講堂跡の礎石が残ります。

《南側》


これは大きい。


大事に残そうとしたのかなー。


ほんとだねー。どっしりさんだねー。


この狛犬母子は、本堂正面にいます。

背後に礎石達。うふふ。


やきもちとーちゃんの側にも


ずらーりと並ぶ礎石くん。

《西側》


西側では、二重に並んでいる礎石がよく見えます。


北西角部分。


《北側》


よもぎもちくんは、北東角の子。

大小の礎石が混在。


食べてみないわよ。


《東側》


ずらーり。

このように本堂の周りには往時の「講堂」跡の礎石がぐるーっと囲んでおり、一部(西側)は二重になっていました。

講堂が現在の本堂よりも大きかった事がわかると思います。

あ、そうそう。


本堂の下に、瓦ちゃんがいました。


本堂の屋根。「橘」でいいのかな?


【文珠堂跡の礎石たち】


本堂と太子堂を眺める北西方向。


鐘楼などを眺める南東方向。

このように現在は回廊がそれぞれの建物を結んでいますが、中門を入ってすぐ左側(西側)は一部途切れています。


矢印は金堂の礎石。

なんだろう?


うはは~並んでるぅ~(*^_^*)

ここは、現在の境内図によると文珠堂跡。


太子堂の南隣になります。


少し小振りの礎石たちが一列に。


植栽の根元に並ぶのが礎石です。


ぎゃー。

危うく踏んづけるとこだったよー。


悲しいね~・・・くすくす。かわいい。


以上のように、境内あちこちに往時の礎石がきれいに残っている比曽寺跡(現・世尊寺)なのでした。

つづく。


世尊寺(史跡・比曽寺跡)
《住所》奈良県吉野郡大淀町比曽762




参考サイト
minaga様『がらくた置場』「大和比曽寺・近江園城寺三重塔」

こちら→→→大和比曽寺・近江園城寺三重塔

http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/iti_miitera.htm


いつも応援いただきありがとうございます。石、石、石・・・石にもいろいろあるんですね~(*^_^*)~栄枯盛衰を繰り返し、今の世尊寺の伽藍が整ったのは江戸時代。繁栄していた頃の比曽寺伽藍配置は、礎石や出土する瓦等から推定されますが、さぞかし大きく荘厳であったのだろうと思います。礎石郡がきれいに残るこの世尊寺は、「比曽寺跡」として国の指定史跡です。
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