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洲本城の変遷と蜂須賀家家老稲田氏

こんにちは。


炭火焼きあなご。


昨今漁獲高の落ち込みが懸念される生しらすどん。


オニオンでビーフなバーガー。


たまねぎ。

はい。たまねぎといえばー?


本州からこの橋を渡りたどり着く


淡路島。


熊野水軍の頭領の安宅治興が1526年に築城。


三好氏の重臣であった安宅氏は、最初に由良、洲本、他6箇所に築城。

治興の後は、養子安宅冬康(三好長慶弟だが兄に誅殺される)→信康(冬康長男)→清康(同・二男)。

1581年。秀吉の淡路攻略。

安宅信康は本拠地であった由良城を秀吉に明け渡し、 洲本城もこれに倣って開城。

その後の淡路国には、仙石秀久(高野山へ追放)→脇坂安治。


現存する石垣の大部分は、脇坂安治時代に造られたもの。


洲本城から見える由良城。


由良の高台から見渡せば、怪しい動きのお船も一目瞭然。

脇坂安治は慶長14年(1609)までの24年間、ここ洲本城に在城。

1609年。脇坂安治は伊予に移り、藤堂高虎が預り、城代を置きます。
1610年。池田輝政が淡路国を与えられ、三男・忠雄が、まず岩屋城に、そして、由良城に居城します。



1615年。淡路国は阿波徳島藩主である蜂須賀至鎮へ加増。
蜂須賀家家老の稲田氏一族が由良城代となります。

このとき、淡路島を領する者が、本州側から、四国側へと移ったことになります。

しかし、由良という場所はどうも使い勝手が悪い。


由良城を廃し、洲本城に再び本拠を移すことを決定。


「由良引け」と呼ばれる、由良城下をごっそり全部お引っ越しの作業です。

1631年から1635年、なんと4年間もかかりました。

この「由良引け」で由良城は廃城、洲本城が淡路政庁と定められ、明治維新まで稲田氏が洲本城代を務めることとなったのです。


やがて上のお城は廃され、麓に政庁機能を移します。

以降、上のお城が使われることはありませんでした。


今は、洲本市立文化史料館や裁判所が建ってます。


鳴門海峡を挟んで対岸は徳島。


徳島から見た淡路島。

蜂須賀家家老、稲田氏。


徳島県徳島市丈六町丈領にある、丈六寺。


「阿波の法隆寺」と呼ばれるほど寺宝の多い丈六寺には、
蜂須賀家の重臣達の供養塔や墓所が並びます。


初代家老の稲田種元の供養塔。


稲田氏の拠点、洲本。

彼らは後に、この港から旅立ちます。行き先は


シベチャリチャシ跡のある、北海道の静内。


アイヌの英雄シャクシャイン。


シャクシャインの拠点であるシベチャリチャシ跡。



なぜ温暖な淡路島から、はるばる北海道の静内へ向かったのか。

次回につづく。


いつも応援いただきありがとうございます。お久しぶりの淡路島。淡路島へ行くたびに、北海道の静内へ行きたくなっておりまして。やーっと先日、念願かなってほくほくです。淡路島といえば、たまねぎ。淡路島の美味しいものも、北海道と同じくらいだぞっと。何だろうな、やっぱり産地でいただくと何でも美味しいのかな。
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