勝浦八幡神社。例大祭は神事です
こんにちは。

那智勝浦に来たら、生マグロ丼どん。

那智勝浦港。いつもおごちです♪

那智勝浦といえば、忘帰洞のある、こちらの巨大なほてーる。
館内で祖母が「もう歩けせん」と言い出し、おんぶした思ひ出。

こちらは、漁港。
山の向こうは

こんな景色。

いわ。

あそこまではたどり着けないのが残念。

最高の遊び場です♪
いえーい、と言っている沖合の島。
維盛が「これもり、参上」と書き記し、入水した場所。

この磯遊びの岩場の端からは

補陀落渡海の出発地の浜辺が見えます。
そんな那智勝浦に鎮座するのが

勝浦八幡神社。

神社のふちに、石標。

海海海。

すかっと気持ちのいいお天気。
こちらのお社、台風等の被害が大きく。
社叢は、
昭和34年。伊勢湾台風により樹齢300年近き杉十数木が倒れる。
平成2年。台風19号により椎ノ木の巨木でなる森が全滅。
御社殿近くの椰ノ木(樹齢推定400年)と境内の楠ノ木(昭和天皇御大典記念樹)を残すのみとなる。
平成御大典記念事業として馬目樫1,200本、杉桧等1.300本を植樹。
建物は、
昭和58年4月1日。突風による大樹倒木山崩れの直撃を受け御社殿は全壊。
平成御大典記念事業として平成2年6月2日、勝浦護国神社として復元御造営成る(総桧銅板葺)。
(和歌山県神社庁HPより)

拝殿。
【主祭神】応神天皇
【配祀神】事代主神 少彦名神 八百萬神 猿田彦神 皇大神 保食神

海のお社らしく、ガラス玉を網で包んだもの(?)があります。
【由緒】(和歌山県神社庁HPより)
「当村鈴木某祖先より鎮守として崇敬せしところ、弘安年中(1278―1287)村民等同氏に恊議し氏神と為すと」いう(『神社明細帳』)。
古くは大勝宮と称せしとの伝承あり。
「慶長十五(1610)年の本殿上棟式に始まり、新しくは明治四十三年本殿御造営の棟札あり」(『神社財産登録台帳』)。

【合祀】(和歌山県神社庁HPより)
明治44年9月15日。町内字祭渡島海中の岩上に鎮座無格社祭渡神社(祭神猿田彦神、由緒往昔備後国靹浦渡ノ神社より勧請すと云う)を本殿に合祀。
明治10年8月15日、村内字神明に鎮座神明宮を本社境内へ移転。
(祭神皇大神、保食神の2神)
由緒不詳だが、
「上鏡天和癸亥(1683)当神社神主三代末高橋杉太夫藤原実次代と銘記の御神鏡あり、当社神主四代高橋右近藤原実晴貞享三(1686)年より代々村社八幡神社の両社に奉仕す」とあり、『高橋文書』又町名にも神明、神角が残されており古き勧請なり。
いずれも、本社に合祀。

生マグロと太平洋。那智勝浦の夜は、よよいのよい。
「勝浦に過ぎたもの三つある、お寺と祭りと三水米」
例祭では、神輿渡御行列、還御舟行列を始め大黒天の黒塗り、櫂伝馬、徒士山伏、餅搗、獅子神楽、船謡等々多彩な伝統行事が行われます。

櫂伝馬行事と神輿海中神事。
入水した神輿に対し、祭りを終わらせてないわよっと神輿に近づき、沖へと運ぼうとする5隻の櫂伝馬(カイレンマ)と、神輿の駆け引きです。

舟渡御。
櫂伝馬がやがて駆け引きを諦めると、
神輿は、専用の小舟に乗せられて、舟謡の声と共に神社へ帰ります。
海路還御は、櫂伝馬・高砂舟・猩々舟・恵美須舟・鳩舟・神楽舟・大黒天舟・山伏舟・謡舟・御船の順。

この海で行われます。
また、この神事に関わるものは、社宝。
神船(1艘) 大黒天像(1体) 高砂寿老人像(1体) 鳩像(1体) 蛭子像(1体) 猩々像(1体)
海上遷御は、那智勝浦町の指定無形民俗文化財。

普段はとても静かな勝浦八幡神社なのでした。
参考文献
和歌山県神社庁「勝浦八幡神社」
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=8017
和歌山県ふるさとアーカイブ「勝浦八幡神社の例大祭」
http://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/matsuri/katuura.html
那智勝浦町「勝浦八幡神社例大祭」
http://www.town.nachikatsuura.wakayama.jp/forms/info/info.aspx?info_id=9446
いつも応援いただきありがとうございます。那智勝浦町の指定無形民俗文化財に指定されたことで、年々観客が増えているとのこと。しかし、この一連の行事は、勝浦八幡神社の神事ですので、那智勝浦町HPでは、「神輿を2階など上から見下ろさない慣わしがありますのでご協力お願いします。」と注意しています。お祭りだー!っとはしゃいでしまったり、夢中で撮影したりしがちですが、神社のお祭りは神事だということ、忘れてはいかんですね。



ぽちぽちぽち、ありがとうございます。

那智勝浦に来たら、生マグロ丼どん。

那智勝浦港。いつもおごちです♪

那智勝浦といえば、忘帰洞のある、こちらの巨大なほてーる。
館内で祖母が「もう歩けせん」と言い出し、おんぶした思ひ出。

こちらは、漁港。
山の向こうは

こんな景色。

いわ。

あそこまではたどり着けないのが残念。

最高の遊び場です♪
いえーい、と言っている沖合の島。
維盛が「これもり、参上」と書き記し、入水した場所。

この磯遊びの岩場の端からは

補陀落渡海の出発地の浜辺が見えます。
そんな那智勝浦に鎮座するのが

勝浦八幡神社。

神社のふちに、石標。

海海海。

すかっと気持ちのいいお天気。
こちらのお社、台風等の被害が大きく。
社叢は、
昭和34年。伊勢湾台風により樹齢300年近き杉十数木が倒れる。
平成2年。台風19号により椎ノ木の巨木でなる森が全滅。
御社殿近くの椰ノ木(樹齢推定400年)と境内の楠ノ木(昭和天皇御大典記念樹)を残すのみとなる。
平成御大典記念事業として馬目樫1,200本、杉桧等1.300本を植樹。
建物は、
昭和58年4月1日。突風による大樹倒木山崩れの直撃を受け御社殿は全壊。
平成御大典記念事業として平成2年6月2日、勝浦護国神社として復元御造営成る(総桧銅板葺)。
(和歌山県神社庁HPより)

拝殿。
【主祭神】応神天皇
【配祀神】事代主神 少彦名神 八百萬神 猿田彦神 皇大神 保食神

海のお社らしく、ガラス玉を網で包んだもの(?)があります。
【由緒】(和歌山県神社庁HPより)
「当村鈴木某祖先より鎮守として崇敬せしところ、弘安年中(1278―1287)村民等同氏に恊議し氏神と為すと」いう(『神社明細帳』)。
古くは大勝宮と称せしとの伝承あり。
「慶長十五(1610)年の本殿上棟式に始まり、新しくは明治四十三年本殿御造営の棟札あり」(『神社財産登録台帳』)。

【合祀】(和歌山県神社庁HPより)
明治44年9月15日。町内字祭渡島海中の岩上に鎮座無格社祭渡神社(祭神猿田彦神、由緒往昔備後国靹浦渡ノ神社より勧請すと云う)を本殿に合祀。
明治10年8月15日、村内字神明に鎮座神明宮を本社境内へ移転。
(祭神皇大神、保食神の2神)
由緒不詳だが、
「上鏡天和癸亥(1683)当神社神主三代末高橋杉太夫藤原実次代と銘記の御神鏡あり、当社神主四代高橋右近藤原実晴貞享三(1686)年より代々村社八幡神社の両社に奉仕す」とあり、『高橋文書』又町名にも神明、神角が残されており古き勧請なり。
いずれも、本社に合祀。

生マグロと太平洋。那智勝浦の夜は、よよいのよい。
「勝浦に過ぎたもの三つある、お寺と祭りと三水米」
例祭では、神輿渡御行列、還御舟行列を始め大黒天の黒塗り、櫂伝馬、徒士山伏、餅搗、獅子神楽、船謡等々多彩な伝統行事が行われます。

櫂伝馬行事と神輿海中神事。
入水した神輿に対し、祭りを終わらせてないわよっと神輿に近づき、沖へと運ぼうとする5隻の櫂伝馬(カイレンマ)と、神輿の駆け引きです。

舟渡御。
櫂伝馬がやがて駆け引きを諦めると、
神輿は、専用の小舟に乗せられて、舟謡の声と共に神社へ帰ります。
海路還御は、櫂伝馬・高砂舟・猩々舟・恵美須舟・鳩舟・神楽舟・大黒天舟・山伏舟・謡舟・御船の順。

この海で行われます。
また、この神事に関わるものは、社宝。
神船(1艘) 大黒天像(1体) 高砂寿老人像(1体) 鳩像(1体) 蛭子像(1体) 猩々像(1体)
海上遷御は、那智勝浦町の指定無形民俗文化財。

普段はとても静かな勝浦八幡神社なのでした。
参考文献
和歌山県神社庁「勝浦八幡神社」
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=8017
和歌山県ふるさとアーカイブ「勝浦八幡神社の例大祭」
http://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/matsuri/katuura.html
那智勝浦町「勝浦八幡神社例大祭」
http://www.town.nachikatsuura.wakayama.jp/forms/info/info.aspx?info_id=9446
いつも応援いただきありがとうございます。那智勝浦町の指定無形民俗文化財に指定されたことで、年々観客が増えているとのこと。しかし、この一連の行事は、勝浦八幡神社の神事ですので、那智勝浦町HPでは、「神輿を2階など上から見下ろさない慣わしがありますのでご協力お願いします。」と注意しています。お祭りだー!っとはしゃいでしまったり、夢中で撮影したりしがちですが、神社のお祭りは神事だということ、忘れてはいかんですね。



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