蟇股と簑束と大瓶束とお菓子。但馬国式内社中嶋神社
こんにちは。

起きてっ。

中嶋神社。

真っ赤な本殿は、国の重文。

境内説明板(クリックで拡大)。
なぜ重文指定されたかといえば、
①建築年代が明白

但馬領主・山名氏により「1423~1428年建築」と棟札写しから明白。
②構造が珍しい

二間造は、重文では6件。
③パーツが素敵

本殿には、箱入り狛犬。

本殿木鼻で叫ぶぞうさん。
まぁ~、ほんと、素敵なパーツねー(≧∇≦)
ではなく。

本殿の妻側(建物の横側、三角形の部分)の構造。

二本の虹梁(横向きの梁)と屋根を支える大瓶束と簑束。
【大瓶束(たいへいづか)】
〈例:酒垂神社/1438年建築(棟札による)〉

中嶋神社と同年代に建築された酒垂神社本殿。重文。

ころん、っとしたものが「大瓶束」。(酒垂神社)

力持ちです。(名草神社・三重塔)
【簑束(みのづか)】
〈例:現・名草神社の三重塔/1527年建築(出雲杵築大社に建立)〉

出雲杵築大社の1661-1673年の神仏分離の折りに但馬国帝釈寺(日光院)へ譲渡。
建立は、尼子経久。

初層階に、

とまと 簑束。
「間斗束(けんとづか)」という短い束の上部に、装飾の付いたものが「簑束」。
「間斗束」に植物の装飾彫刻が施されるようになるのは、鎌倉時代の頃から。
※「束の間」の「束」は、「間斗束(けんとづか)」のこと。

中嶋神社本殿。妻側。

中嶋神社では、大瓶束・簑束に渦巻きの模様。
ここが、「美麗な装飾」(境内説明板による)で貴重。
【蟇股(かえるまた)】
当初、構造材と装飾材兼用だった「蟇股」は、建築技法の向上で不要になり、装飾は日本独自の発展を見せます。
装飾専用となると、棟梁が自由にデザイン出来る為、視線が集まる場所でもあり次第に華麗になります。
後には、大工の棟梁から、専門の彫刻家の範疇へと移行します。
丹波・但馬・丹後に広がる中井権次一統の彫刻の登場です。
全国的には左甚五郎作の蟇股は「伝」を含め多数。
日光東照宮の「眠猫」は、蟇股にあります。
〈蟇股いろいろ〉

高野山、金剛三昧院の多宝塔。1223年建立。
蟇股が構造材で、装飾はない。

酒垂神社本殿、正面。1438年建立。
蟇股の外側に装飾。

同。蟇股の彫刻。

現・名草神社の三重塔。1527年建立。
蟇股と簑束、華麗に変身。簑束は、とまとになりました(違)。

梵字の装飾。読めん。

金剛三昧院境内の三所神社。1578年頃建立。
蟇股、華麗に変身。

柏原八幡宮の三重塔。1815年建立。
中井権次一統が中心となり建築。蟇股がどえらいことに。

はいはい、中嶋神社ね。
ここ、中嶋神社では。

彩色が施されています。
さて。

祭神「田道間守」は
「非時香菓(トキジクノカグノコノミ)をとってこーい♪」との垂仁天皇の勅命により「常世国」に渡り、橘を持ち帰りました。

帰国時に既に崩御していた垂仁天皇に殉死した田道間守です。
果物は「果子」と呼ばれていた事から、
田道間守を祀る中嶋神社は

別名、「お菓子の神社」に。

どこか悲しげな狛犬さん達が

ちょっと、元気出してっ。

お待ちしてます。

こんな会話が聞けるかもしれません。
お菓子の神社、中嶋神社。
とても明るくて素敵なお社でした。
おしまい。
中嶋神社
《住所》兵庫県豊岡市三宅1
参考文献
中嶋神社/現地説明書
兵庫県神社庁HP「中嶋神社」
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6322083.html
いつも応援いただきありがとうございます。灼熱の中の訪問でしたが、中嶋神社はとても勉強になる社殿の建築と、かわいい狛犬、興味深い由緒のお社でした。お祭りの時はお菓子がいっぱい並ぶのかなー。自販機でポカリんを買って一気飲みして、次回へ走ります。



ぽちぽちぽち、ありがとうございます。とても励みになります。

起きてっ。

中嶋神社。

真っ赤な本殿は、国の重文。

境内説明板(クリックで拡大)。
なぜ重文指定されたかといえば、
①建築年代が明白

但馬領主・山名氏により「1423~1428年建築」と棟札写しから明白。
②構造が珍しい

二間造は、重文では6件。
③パーツが素敵

本殿には、箱入り狛犬。

本殿木鼻で叫ぶぞうさん。
まぁ~、ほんと、素敵なパーツねー(≧∇≦)
ではなく。

本殿の妻側(建物の横側、三角形の部分)の構造。

二本の虹梁(横向きの梁)と屋根を支える大瓶束と簑束。
【大瓶束(たいへいづか)】
〈例:酒垂神社/1438年建築(棟札による)〉

中嶋神社と同年代に建築された酒垂神社本殿。重文。

ころん、っとしたものが「大瓶束」。(酒垂神社)

力持ちです。(名草神社・三重塔)
【簑束(みのづか)】
〈例:現・名草神社の三重塔/1527年建築(出雲杵築大社に建立)〉

出雲杵築大社の1661-1673年の神仏分離の折りに但馬国帝釈寺(日光院)へ譲渡。
建立は、尼子経久。

初層階に、

「間斗束(けんとづか)」という短い束の上部に、装飾の付いたものが「簑束」。
「間斗束」に植物の装飾彫刻が施されるようになるのは、鎌倉時代の頃から。
※「束の間」の「束」は、「間斗束(けんとづか)」のこと。

中嶋神社本殿。妻側。

中嶋神社では、大瓶束・簑束に渦巻きの模様。
ここが、「美麗な装飾」(境内説明板による)で貴重。
【蟇股(かえるまた)】
当初、構造材と装飾材兼用だった「蟇股」は、建築技法の向上で不要になり、装飾は日本独自の発展を見せます。
装飾専用となると、棟梁が自由にデザイン出来る為、視線が集まる場所でもあり次第に華麗になります。
後には、大工の棟梁から、専門の彫刻家の範疇へと移行します。
丹波・但馬・丹後に広がる中井権次一統の彫刻の登場です。
全国的には左甚五郎作の蟇股は「伝」を含め多数。
日光東照宮の「眠猫」は、蟇股にあります。
〈蟇股いろいろ〉

高野山、金剛三昧院の多宝塔。1223年建立。
蟇股が構造材で、装飾はない。

酒垂神社本殿、正面。1438年建立。
蟇股の外側に装飾。

同。蟇股の彫刻。

現・名草神社の三重塔。1527年建立。
蟇股と簑束、華麗に変身。簑束は、とまとになりました(違)。

梵字の装飾。読めん。

金剛三昧院境内の三所神社。1578年頃建立。
蟇股、華麗に変身。

柏原八幡宮の三重塔。1815年建立。
中井権次一統が中心となり建築。蟇股がどえらいことに。

はいはい、中嶋神社ね。
ここ、中嶋神社では。

彩色が施されています。
さて。

祭神「田道間守」は
「非時香菓(トキジクノカグノコノミ)をとってこーい♪」との垂仁天皇の勅命により「常世国」に渡り、橘を持ち帰りました。

帰国時に既に崩御していた垂仁天皇に殉死した田道間守です。
果物は「果子」と呼ばれていた事から、
田道間守を祀る中嶋神社は

別名、「お菓子の神社」に。

どこか悲しげな狛犬さん達が

ちょっと、元気出してっ。

お待ちしてます。

こんな会話が聞けるかもしれません。
お菓子の神社、中嶋神社。
とても明るくて素敵なお社でした。
おしまい。
中嶋神社
《住所》兵庫県豊岡市三宅1
参考文献
中嶋神社/現地説明書
兵庫県神社庁HP「中嶋神社」
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6322083.html
いつも応援いただきありがとうございます。灼熱の中の訪問でしたが、中嶋神社はとても勉強になる社殿の建築と、かわいい狛犬、興味深い由緒のお社でした。お祭りの時はお菓子がいっぱい並ぶのかなー。自販機でポカリんを買って一気飲みして、次回へ走ります。



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