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天湯河板挙、鵠(くぐい)をゲット。垂仁天皇の臣下は右往左往

こんにちは。


お菓子の神社、中嶋神社。兵庫県豊岡市。

祭神の田道間守命は、垂仁天皇の勅命により、「常世国」へ
あるものを探して幾星霜。


ようやく帰国したときには、垂仁天皇は崩御あそばし。


田道間守命は嘆き悲しみ、殉死。

この時、田道間守命が探したものは、
「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)。


そうねー。あなたが持ち帰ったものは、


橘でした。


笑ってあげて。

果物を「果子」と称していたことから、田道間守命を祀るこの神社は、お菓子の神社。


祭神は田道間守命。


配祀に、天湯河棚神(あめのゆかわだなのみこと)。


安美郷中の四社(有庫神社・阿牟加神社・安美神社・香住神社)を合祀し総社として「中島神社五社大明神」と称した頃があり。

後に、各神社を分離移転。

安美神社(祭神・天湯河棚神)のみ相殿に奉祀したようですが、「由縁沿革詳かならざる」(社伝)で。

現存する本殿は、1423年から1428年に造営。


中嶋神社本殿。柱の間がふたつ。二間造。

この時点で既に二間造の形になっている事から、安美神社(祭神・天湯河棚神)の合祀は1423年以前の事と推察されています。


【天湯河棚神、鳥をさがす】

中嶋神社の配祀神、天湯河棚神(あめのゆかわだなのみこと)のお話。
(『日本書紀』では天湯河板挙/あめのゆかわのたな)

垂仁天皇には、三十歳を過ぎても声を発しない子・誉津別命(ほむつわけのみこと)がいました。

ある日。


鵠(くぐい)という鳥が、ふぁさーっと飛び。


・・・飛んでください。

その時。

歴史は動いた 物言わぬ皇子・誉津別命が



「なんだこりゃー(これは何物ぞ)」


と言葉を発したのです。

垂仁天皇はとても喜び、「あの鳥をとってこーい」と勅命。


(但馬国/養父神社の狛狼)尻尾にかたつむり。

天湯河板挙は、鳥を追って東奔西走。



ついに、出雲国、もしくは但馬国で捕らえ、献上。

誉津別命は鳥と仲良し。物を言う皇子となりました。



天湯河板挙は、この功により鳥取造に。
鳥取部・鳥養部・譽津部を賜ったのです。

さてこの、「鵠(くぐい)」という鳥。


豊岡市といえば、これ。


鵠(くぐい)とは、コウノトリの古い呼び名なのでした。



そして、天湯河板挙がコウノトリを捕らえた所を眺める場所、「三宅」に合祀以前の安美神社(祭神・天湯河棚神)は鎮座していたといいます。


それにしても。


「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)も


鵠(くぐい・コウノトリ)も

「とってこーい」の垂仁天皇様、どこか憎めないお方でございます。

つづく


中嶋神社
《住所》兵庫県豊岡市三宅1


参考文献
中嶋神社/現地説明書

兵庫県神社庁HP「中嶋神社」
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6322083.html


いつも応援いただきありがとうございます。お菓子の神社は、豊岡市名物に係わる神様も鎮座。これがコウノトリを焼き鳥にしましたわ、なんてお話じゃなくてよかったよかった。この中嶋神社の祭神二人は、共に垂仁天皇のために尽力したんですねー。片方は、間に合わずにお気の毒でした。
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