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但馬妙見日光院のリベンジ。全ては裁判で明らかに

こんにちは。

但馬妙見日光院【第16回】


(画像:書写山園教寺に残る廃仏毀釈により朽ちた仏像)

「明治の廃仏毀釈が無ければ現在の国宝といわれるものは優に3倍はあっただろう」(梅原猛)

これは神仏分離の布告後に政府の意図を越えて勝手に吹き荒れた「廃仏毀釈」の凄まじさを表す言葉としてあまりにも有名です。



【山を下りた日光院】

明治元年(慶応4年)3月13日。
「此度 王政復古神武創業ノ始ニ被為基、諸事御一新、祭政一致之御制度ニ御回復被遊候ニ付テ、(略)」(『太政官布告』(慶応四年三月十三日))


「王政復古・祭政一致」を宣言する「太政官布告」より始まった「神仏分離」。

詳細は→→→「神仏分離の実施。法令で確認」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-444.html


明治4年1月。「社寺上知令」の布告。
【主旨】既に各藩が領地を奉還した以上、「朱印地」「除地(のぞきち)」等の「社寺領」も当然「上知」すべきである。


詳細は→→→「神仏分離と上知令」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-445.html


明治5年6月23日。
日光院、上知令により妙見社の境内地・寺所有山林500町歩余を没収される(但馬妙見日光院は、妙見全山を所有していた)。



「明治政府は日光院の唯一の資産であった妙見山を不法にも全部取り上げたのです。」(『日光院HP』より引用)

詳細は→→→「但馬妙見日光院を襲った謎の神仏分離。簒奪される寺院」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-452.html


明治9年7月8日。

兵庫県は「帝釈寺は廃寺」、名草神社は「仏像仏器を除き動不動産を悉く受け取るように」と通達。

同年9月5日。

妙見七尊体尊像を始め全ての仏像、教典、法具、蔵書等、寺宝を護持し、鐘楼以外の日光院の建物のみを山上に残し、元の日光院が寛永年間まであった山麓の石原に降り、末寺成就院と合流。

詳細は→→→「さようなら山上の社殿。但馬妙見日光院の神仏分離」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-453.html




お山を下りるんだよ。

(前回、ここまで)


【妙見信仰の日光院はもう山上にない】


成就院と合流した日光院。


境内に、五十体のお地蔵様が集められています。

これは、「元・日光院」となってしまったあの場所までの参道に一丁ごとに並んでいた丁石地蔵。

日光院から元・日光院までが五十丁なので、五十体。

「妙見さん(日光院)」が山を下りたので、もはや参道を登る事がなくなったため、信者・檀家の人々がお地蔵様を全て日光院の元へ集め、一緒にお祀りしたもの。


さて。明治5年6月23日の上知令により妙見社の境内地・寺所有山林500町歩余を没収されて、日光院にはお寺の基本財産がありません。


霞を食べて生きられるわけはなく、苦難の時間を堪え忍びます。

苦節28年。そこへ。


明治32年4月。

「国有土地森林原野下戻法」(法律99号・明治32年4月)

【主旨】「地租改正又は社寺上知処分に依り官有に編入せられ,現に国有に属する土地」等について、「其の処分の当時之に付所有又は分収の事実ありたるもの」は、翌33年6月30日までに下戻の申請を行うことができる。


つまり、上知令により国有地に編入された土地を元の所有者に返還するという法律。


明治33年6月13日。
先の法律の発布をうけて、日光院は農商務省に対し「妙見山還付の申請」をします。




3年待った。

明治36年10月20日。


なんと、不許可の指令が下りました。

「国有土地森林原野下戻法」では、不許可となった場合の救済措置が明記されています。


申請に対して不許可となった者は不服ある場合、行政裁判所へ訴えを起こすことができると定められているのです。


明治36年10月25日(不許可の指令の5日後)。

日光院は、直ちに、政府を相手に行政裁判所に提訴しました。

行政裁判所は、大日本帝国憲法下の時代に存在した一審制の特別裁判所。
つまり、判決に不服がある場合でも大審院に上訴することは出来ません。

※現在は廃止。日本国憲法第76条第2項の規程により、司法権から独立した形での行政裁判所は設置できません。



「其の処分の当時之に付所有又は分収の事実」があった事を日光院は証明し、不許可の指令の取消を求めます。


裁判ですから、証拠の積み重ねが大切。


日光院には、1269(文永6)年から1579(天正7)年間の寄進状を含む「日光院文書」が存在します。

1445(文安2)年に山名宗全(但馬守護・山名持豊)と山名四天王が祈願状を納めたこと等、武家をはじめとする諸国信者の寄進が相次いだ事が、この文書により明確になります。

詳細は→→→「日光院文書」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-440.html


引越をするといろんなものがなくなりますねぇ。探せ。



寛文5年、杵築大社(出雲大社)より移築した三重塔。

出雲大社に残る「寛文御造営日記」で詳細は明らか。
はっきりと「但馬妙見山日光院」へ送る旨が明記されています。

詳細は→→→「出雲大社の三重塔」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-441.html

このような細かい記録の積み重ねにより、明治5年6月23日の上知当時に当該土地は日光院が「所有又は分収」していた事実を示したのでしょう。



「行政裁判所長官」と14人の「行政裁判所評定官」で全国の社寺の提訴に対応するのですから、時間はかかります。


明治39年6月23日。


日光院の提訴理由を全て認める判決が下りました。

即ち、妙見全山が日光院に帰する事になったのです。

《メモ》
この時点では、まだ「朱印状がなければ当然租税を負担すべきであった土地であることは、朱印地が社寺の私有地であったことを意味する」との論考に至っておらず、「一乗寺山林下戻請求事件(明治37年1051号事件)」に対する明治41年10月の判決で、農商務省の処分を取り消し、係争対象たる山林・立木を原告(一乗寺)に下げ戻すべきであるとの判決を行政裁判所が下すまで、管轄官庁である農商務省の指令に沿った判決が多数を占めておりました。

ですから、日光院の揃えた証拠がいかに確固たるものであったのかを示唆しているものといえると思います。


やったね!

「『但馬妙見は日光院であり、妙見山は日光院に帰する』と、歴史的検証の結果、司法が判断した判決」(日光院HPより)でした。

これにより、日光院は所有権に基づき自由に使用、収益できる権利を得ます。



妙見杉を伐採し、裁判報酬と日光院の再興隆の資金に当てられたのです。

出雲大社の本殿造営に用いられた程の妙見山の杉ですもの。さぞかしお高く売れ・・・こほんこほん。



明治5年6月23日に、上知令により奪われた土地が日光院に返還されるまで、実に35年もの年月が流れてしまいました。

これにて日光院のリベンジ終了。


ところがどっこい(古)。


今度は、名草神社が日光院を相手取り、妙見全山の所有権返還請求訴訟を起こします。



明治39年11月14日以降、名草神社側は日光院を相手に、実に45件もの民事訴訟を次々と神戸地裁に起こしたのです



日光院の戸惑いがHPに記されています。

「返還とはこれ如何に?全く意味が分かりません。
ここで、よく歴史を振り返ってみてください。
日光院が名草神社にされたのは、先に示した通り、明治9年7月8日の事なのです。
つまり、上地命令が発布された明治5年にはまだ名草神社は存在していないのです。その、存在していなかった神社に『返還』という意味が分かりません。」(以上引用終わり)


当該裁判の結果は、全て日光院側の勝訴でした。



余程明快な判決だったようで。

「その詳細を述べることはここではこれ以上差し控えますが、
もし知りたければ裁判記録を調べて頂ければ全て明らかになります(略)。事実は唯一つなのです。」(日光院HPより引用)


・・・台無しです。ううう。



参考文献
「但馬妙見日光院ホームページ」http://www.tajimamyouken.com/
「兵庫県史」(兵庫県編纂)
「日本の塔婆」http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/touba3.htm


いつも応援いただきありがとうございます。今回は少しずつ書き散らしてきたお話の一時回収日。神仏分離を簡単にまとめることは困難ですが、日光院を調べることでほわーんっとした輪郭が見えたような余計ややこしくしたような。うーむ、難しいなー。
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