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元は日光院の護摩堂。現・名草神社拝殿

こんにちは。

但馬妙見日光院【第9回】

小難しいお話が続いたので、今日は現在も残るすばらすぃ~社殿のご紹介。


日光院が秀吉の兵火に焼失した後


こんな山道を延々と登った「奥の院」の場所に造営した社殿です。


高野山釈迦文院の高僧朝遍阿闍梨が日光院第35世を兼務、その弟子快遍阿闍梨を第36世として復興に尽力。

1632(寛永9)年。「奥の院」に妙見大菩薩を奉持して登り、日光院を妙見山の山腹に移転復興。


このわくわく感がたまらなくて。


出雲大社からやって来た三重塔。

このお向かいに


何かしら。


「弘化」年間。1844年頃かしら。


きれーなトイレがあるので安心です。


広々とした石段が私を待つ。


石段のふもとにあった謎の基礎。山門かなー。


神仏分離時まで幕末に寄進された青銅の鳥居が立っていました。

明治7年4月に青銅製の大鳥居を京都の商人に売却、重量は688貫目(2580kg)あったといいます。(『八鹿町史 下巻』引用元はhttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken43_2.htm)

名草神社になった後の十年前の画像では鳥居が写っていて、再建された鳥居があったのかと思います。

この左奥には。


妙見山からの湧き水でもあったのかしら。


妙見山登山口にもなっています。


振り返ると鳥居の基礎が残っていました。


社務所向かいの石灯籠。

「現住龍寶代」「文化元年六月吉日」の文字があります。
「龍寶上人(日光院第四十三世)」が1804年に建立したもの。


気になるわぁ。


1689(元禄2)年、竣工(棟札による)。


三重塔も素敵ですが、こちらも迫力のある木造建築物です。


旧・日光院の護摩堂。現・名草神社拝殿。

桁行5間、梁間2間。椽を四周に廻らせた構造。
割拝殿(建物の間に通路がある)の形式を採り、正面は懸造、屋根は入母屋造・柿葺。


向かって右側に掛かる額。


真ん中の通路部分の天井。

わずかに彩色が残っています。木組の美しさにうっとりです。


視線を下に移すと、本堂(現・本殿)。1754(宝歴4)年竣工。


通路の天井にかかる牛さんの額。


牛さんの彫刻。


向かって左側の部屋の天井。

「歴代住職がこの拝殿で寛永9年から明治9年までの245年間、ここで妙見護摩を焚いていました。そうです、ここは日光院の護摩堂だったのです。

天井が真っ黒になっているのはその為で、格子になっている部分が、煙抜きなのです。密教寺院の特徴の一つです。」(日光院HPより引用)



ちょっと不気味な感じがしましたの。


通路を挟んだ反対側の部屋。ふたつとも、2間四方。

昔は何のお部屋だったのか、何もないのでわからないです。


柱は円柱。

外の木々の巨大さが伝わりますかしら。


おにぎりー。おなかすいたー。



残る彩色から、建築当時は朱色と白の護摩堂だったのかな。
さぞかし緑に映えたことでしょうね。

でも、今の光景の方が味わい深いなー。



いつも応援いただきありがとうございます。山の中の素敵な社殿。実物は想像以上に大きく、迫力がありました。什器などは一切残っていませんが、天井と壁の真っ黒な煤を見れば、確かにかつてここで護摩を焚いていた事が一目瞭然。うわー♪うわー(≧∇≦)っと、一人で笑顔になって拝見してきました。
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