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神仏分離の実施。法令を確認

こんにちは。

但馬妙見日光院【第7回】


1867(慶応3)年10月徳川慶喜大政奉還

さあ、明治の始まりです。



出雲大社の穏やかな神仏分離で日光院へ移された三重塔。


出雲大社が神仏分離を早々に行った事からわかるように、当時の神社では神殿と仏堂が同居し、神と仏は同列に祀られ、神殿に仏像・仏器が置かれ、僧侶が神に奉仕し、神前で読経などが行われ、さらに寺社の経営、人事管理までも行っていました。

それが、ごく普通の光景でした。


【明治の神仏分離概要】

政治背景として、幕末より「神社の復興・廃仏」を唱えた後期国学者や復古神道家の台頭があり、彼等は性急に諸法令を布告させ、実行に移します。

神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われます。

祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などを急激に実施したために大混乱。

当初は「神道と仏教の分離」が目的で、仏教排斥を意図したものではなかったものの、結果的に廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまいます。

明治4年(1871年)ごろ終熄したものの、あまりにも影響は大き過ぎたのです。


各法令を見てみましょう。




「王政復古の太政官布告」

【太政官布告】慶応四年三月十三日

「此度 王政復古神武創業ノ始ニ被為基、諸事御一新、祭政一致之御制度ニ御回復被遊候ニ付テ、先ハ第一、神祇官御再興御造立ノ上、追追諸祭奠モ可被為興儀、被仰出候 、依テ此旨 五畿七道諸国ニ布告シ、往古ニ立帰リ、諸家執奏配下之儀ハ被止、普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡間 、官位ヲ初、諸事万端、同官ヘ願立候様可相心得候事
但尚追追諸社御取調、并諸祭奠ノ儀モ可被仰出候得共、差向急務ノ儀有之候者ハ、可訴出候事」


まず、「王政復古・祭政一致」を宣言し、「神祇官」の再興が「太政官布告」の形で示されます。

明治政府は「古代の律令制に基づく官制」を目指し、太政官制を採用。
明治2年(1869年)6月には、神祇官は太政官から独立して、行政機関の筆頭に置かれます。

太政官布告により、全ての神社は、この神祇官に属することを定められます。

「王政復古・祭政一致」の宣言された新政府の下での神祇官は「太政官から独立した行政機関の筆頭」という存在として登場するのです。


「神祇事務局から諸社に対し、別当・社僧の復飾の達」

【神祇事務局ヨリ諸社ヘ達】 慶応四年三月十七日

今般王政復古、旧弊御一洗被為在候ニ付、諸国大小ノ神社ニ於テ、僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ、復飾被仰出候、若シ復飾ノ儀無余儀差支有之分ハ、可申出候、仍此段可相心得候事 、但別当社僧ノ輩復飾ノ上ハ、是迄ノ僧位僧官返上勿論ニ候、官位ノ儀ハ追テ御沙汰可被為在候間、当今ノ処、衣服ハ淨衣ニテ勤仕可致候事、右ノ通相心得、致復飾候面面ハ 、当局ヘ届出可申者也


復飾とは、僧侶が還俗すること。

神社に於ける僧職の復飾の命令が発せられます。



【神祇官事務局達】 慶応四年三月二十八日
一、中古以来、某権現或ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不少候、何レモ其神社之由緒委細に書付、早早可申出候事、但勅祭之神社 御宸翰 勅額等有之候向ハ、是又可伺出、其上ニテ、御沙汰可有之候、其余之社ハ、裁判、鎮台、領主、支配頭等ヘ可申出候事、
一、仏像ヲ以神体ト致候神社ハ、以来相改可申候事、附、本地抔と唱ヘ、仏像ヲ社前ニ掛、或ハ鰐口、梵鐘、仏具等之類差置候分ハ、早々取除キ可申事、右之通被仰出候事



神祇事務局から命じた事は

一、権現号あるいは牛頭天王号(共に仏教語)の廃止(仏教語を神号とすることの禁止)
二、仏像を神体とすることの停止(禁止)
三、本地仏・鰐口・梵鐘・仏器などを取除くこと(禁止)


ここで、滋賀県の日吉山王社のように、過激な神仏分離が多発。


【太政官布告】 慶応四年四月十日
諸国大小之神社中、仏像ヲ以テ神体ト致シ、又ハ本地抔ト唱ヘ、仏像ヲ社前ニ掛、或ハ鰐口、梵鐘、仏具等差置候分ハ、早早取除相改可申旨、過日被仰出候、然ル処、旧来、社人僧侶不相善、氷炭之如ク候ニ付、今日ニ至リ、社人共俄ニ威権ヲ得、陽ニ御趣意ト称シ、実ハ私憤ヲ斉シ候様之所業出来候テハ、御政道ノ妨ヲ生シ候而巳ナラス、紛擾ヲ引起可申ハ必然ニ候、左様相成候テハ、実ニ不相済儀ニ付、厚ク令顧慮、緩急宜ヲ考ヘ、穏ニ取扱ハ勿論、僧侶共ニ至リ候テモ、生業ノ道ヲ可失、益国家之御用相立候様、精々可心掛候、且神社中ニ有之候仏像仏具取除候分タリトモ、一々取計向伺出、御指図可受候、若以来心得違致シ、粗暴ノ振舞等有之ハ、屹度曲事可被仰出候事、
但 勅祭之神社、御震翰、勅額等有之向ハ、伺出候上、御沙汰可有之、其余ノ社ハ、裁判所、鎮台、領主、地頭等ヘ、委細可申出事、


日吉権現破壊を受け、再度「神仏分離・神仏判然」の主旨を述べ、神仏分離の実施に当っては「穏ニ取扱べし」と命じています。

全国各地で極端な行動に出る者達が頻発したんですねぇ。

しかし、苗木藩や富山藩等や、政府直轄地では、地方官がこれを無視して強硬な抑圧・廃仏策を進めたのです。




「寺院の統廃合」など神仏分離の方針を超えた「廃仏棄釈」とよばれる事態が1874年(明治7)ごろまで続きました。

過激な「廃仏棄釈」により破壊されてきたお寺に、とどめとなる法令が布告されます。

それが、

1871(明治4)年正月5日付太政官布告の「寺社領上知令」。

境内を除き、お寺や神社が所有していた土地を国に取り上げられる法令。
これにより、寺社は経済的な基盤を失い、益々困窮し、荒廃していくことになるのです。


参考文献
「但馬妙見日光院ホームページ」http://www.tajimamyouken.com/
「兵庫県史」(兵庫県編纂)

本文中「」内緑字の引用元は「日本の塔婆」http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/touba3.htm


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