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出雲大社様、御用材と三重塔の交換でいかが?但馬の日光院より

こんにちは。

但馬妙見日光院【第5回】



「日光院 森田祐親殿

『当神社(※出雲大社)寛文造営の際、但馬妙見山日光院より、本殿の御用材を購入し大永時代尼子恒久の建立せし当社境内にありし三重塔を妙見山日光院へ送りしこと事実相違無之候。  出雲大社考証課長 矢田 豊雄」
(『日光院HP』より引用。※は管理人)


出雲大社(当時は杵築大社)の「寛文造営」は、まさに神社が行った神仏分離。境内から仏教色を払拭し、本殿の造営を実施。

しかしまぁ、こんな立派な三重塔が境内に建つほど杵築大社(出雲大社)でさえ仏教色が色濃かったとは驚きました。

この経緯を詳細に記録したものが、出雲大社に残る「寛文御造営日記」
。(←証拠は文書で)




「寛文3年(※1663)12月17日
岡田半右衛門と宮内市之丞面談、両国造家より御祝儀樽肴持参、村上方入札物語承り候
大社御本社の木材諸国に無之由、伊勢に大木3本、熊野山に11本有之候・・山出し難成・・、秋田山たんさくにても無之・・・、
松柱に仕より外無之と申す所に雲州・・の竹内三郎兵衛と申す者・・但馬国妙見山に杉の木有之の由承及旨・・・」


杵築大社(出雲大社)は本殿造営のための用材を全国津々浦々探して、但馬の妙見山に杉があるとの話を聞き付けます。


「寛文3年10月15日竹内三郎兵エ、北川杢右エ門、両人を但州へ遣被申候。
12月3日妙見山へ参着、此山は真言宗1寺日光院朱印の地百石、寺領在の由、杉の大木山壱里半四方、其外寺山の分、五里四方有之由、八端杉と申して18抱半有之神木、七曜の杉と申して難及言語大木有之候則大社の間尺に相応の杉12本買取申べく約束仕候木10本を金子180両値段仕唯今前金20両日光院へ相渡申候」


日光院の現況と、「八端杉と申して18抱半有之神木、七曜の杉と申して難及言語大木有之候」という巨木を発見。

縄文杉のような巨木だったのでしょうか。

20両を前金としてその場で支払っている様子。御用材といえどもここは丁重。


(続き)「惣別此山の木枝葉にても取申事神の祟りつよくて昔より取不申故何此大木にて候然れども大社の御木材に被成候事妙見神も冥加に御叶候と日光院被申10本の外2本相添被申候
右の段々岡田半右エ門殿竹内三郎兵衛物語承り書付申候末代にも御木材より出可申越と一入社家の大悦と申事に候」


ご神木なので枝葉さえ切ることを躊躇ってきたものの、杵築大社(出雲大社)の御用材になるなら「妙見神も冥加に御叶候」と日光院が応えています。

んー?妙見神?




「寛文4年5月7日
但馬国妙見山より岡田善兵衛殿飛脚半右エ門殿へ到着大社大木材不残本伐仕由・・・善兵エ殿其外之衆へ 心入之通日光院被申候様は今度大材木進上候代金子を以て二重之塔造立可仕覚悟に御座候承り候へば大社に三重之塔並びに輪蔵破却被成候由左様候はば幸之事に候間取崩妙見に立申度旨善兵衛へ議被申通書中参候」


背景として、日光院の伽藍が天正5年の秀吉による兵火で一部を残し焼失しており、奥の院の場所に移転し再興。

今回の売却代金で二重塔を建立したいなーと日光院は考えたところ、杵築大社(出雲大社)は三重塔を破却予定。

それならば、三重塔と用材を物々交換なんてどうかしら?と申し出ます。



「寛文4年5月12日
善兵衛追状に杵築三重塔之事両国造殿社家中御造営奉行衆迄妙見山へ可被下旨、日光院隠居老僧73歳先以大悦」


大社では三重塔譲渡の決定がされ、当時の日光院隠居(快遍)が「大悦」。


(出演:兵主神社のちびちゃん)

なんでしょう。「隠居老僧73歳先以大悦」に萌えてしまいました。


「寛文4年9月19日
但馬よりの材木値段太守様より御尋ねあり金子230両但御戸板は妙見山の住持日光院寄進の旨奉行より上申す」


「日光院寄進」となった事が明白に語られています。


「寛文5年正月23日
但州妙見より塔こわしのため日光院代僧法住坊、並に八鹿村西村新右エ門、大工与三エ門来る」
「寛文5年27日
三重塔今日迄に崩済申候此塔は大永7年(※1527)尼子経久建立也」


そうと決まれば早々に解体。



めでたく妙見山にお引っ越し。



なにかしら。


塔を支える力士さんかな。


とまと、ちゃうしぃ。


おーい。


どちら様でしょう。


とてもそうは思えませんが。


・・・。


見たくて見たわけではありません。


んふふ。

最上層の軒下四隅には、見ざる、言わざる、聞かざる、「??ざる(不明)」さん達がいます。


が、がっつだぜ?


この子、なんの子、しくしく。


はるばる出雲大社からやって来た三重塔。
今は妙見山の標高800mの所に静かにたたずんでおります。


静かに・・・


・・・たたずんでください。



日光院
《住所》兵庫県養父市八鹿町石原450番地


参考文献
「但馬妙見日光院ホームページ」http://www.tajimamyouken.com/
「兵庫県史」(兵庫県編纂)

本文中「」内緑字の引用元は「日本の塔婆」http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/touba3.htm


いつも応援いただきありがとうございます。後々、大変な意味を持つことになる「寛文御造営日記」。証拠は文書で、です。
昭和59年2月の豪雪(積雪3m)により二層目と一層目の屋根が落下したため、3年間を費やした「昭和の大修理」で復活。歴史的背景を含め見事な建築物でした。

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