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愛宕神社。建物をまもる神様四柱に会いました

こんにちは。


JR綾部駅南側で、気がついた。


位田城。

お山のてっぺんに郭の形が見えまする(≧∇≦)

むんっ!今日は神社巡り仕様の格好なので、次はここ!

1489(延徳元)年より1年間、地侍の大槻氏と荻野氏がたて籠もり、丹波、摂津など十三カ国の兵を集めた守護代上原豊前守元秀・紀伊守賢家父子と戦った城。籠城側が自ら城に火を放ち落城したと伝えられています。


花粉が済んだら行くだよ・・・くしょん。

などとぶうぶう言いつつ、お社発見。


こんな雰囲気好きです。お社のいいかほりがします。くんくん。


あらまあ。

今日はいいお天気。


いいなー。


鳥居の上にまだまだ階段が。ああ、天国へ続いているのかしら。


お稲荷さんなのかなーっと眺めつつ、ちょいと休憩。


今さら引き返すことも出来ぬっ。とりゃー!


心が折れそうです。ぜーぜー。


「寛政七乙卯年 当(?)村願主」「奉寄進」「若者中」の文字が見えます。
寛政七乙卯年は、1795年。


静かなお社。ここは、愛宕神社です。


宝暦年間は、1751年から1763年。


右側の棟札を見ると、本殿の基礎等が平成25年に補修されたようです。今も大切にされていて幸せなお社です。

左側の札は、「愛宕神社本殿屋根改修工事」の棟札。年代は多分裏側に書かれているかと。

「奉鎮祭」の文字の下に、上棟の際に産土神様の他に祀る建物に係わる四柱の神様のお名前が並んでいます。竣工後も建物が無事であるように祈願したのですね。

手置帆負命(たおきほおひのみこと)
讃岐忌部の祖
古代の建築技術者、また笠・矛の製作専門技術者
木工の祖神

屋船久久能知神 (やふねくくのちのかみ)
木の神

屋船豊受姫神 (やふねとようけひめのかみ)
建物の神

若狭知之神(若狭知命・わかさしりのみこと)
紀伊忌部の祖
古代の建築技術者、また盾の製作専門技術者
木工の神様


拝殿正面上部。


簡素かと思いきや。


かわいいな。


清掃が行き届いた清々しい社殿の周囲です。


本殿様は恥ずかしがり屋さん。


どちら様かしら。こんにちは。


何か遺構があればいいなーっと思ったの。


郭だったら面白いのにぃ。残念。


この集落の愛宕さんなのかな。

大事にされているお社は心がほっこり。


愛宕神社
《住所》京都府綾部市栗町桧端1-乙




参考サイト
「城郭放浪記」様→→→城郭放浪記「丹波・位田城」

富山県神社庁様→→→富山県神社庁「上棟祭」


いつも応援いただきありがとうございます。通りすがりに立ち寄ったお社なので、記事にする前に、どこだったかしら?っと、探してしまいました。ほほほほ。ふらーっと立ち寄るお社巡り、好物です。
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阿須須岐神社の茗荷神事。志賀の七不思議

こんにちは。


綾部市志賀郷に鎮座する阿須須岐神社。


床下の鬼瓦コーナーで教えてもらったのは


旧拝殿鬼瓦の茗荷紋。

茗荷、みょうが。


この先には何か?


何かありますねぇ。


なにかな。


じゃーん♪

志賀の七不思議「茗荷田」です。


【志賀の七不思議】

『神社仏閣七不思議縁起』(18世紀中頃)によると、

崇俊天皇の時に麻呂子親王が大江山の凶賊を退治するため何鹿郡に来た折りに、志賀郷に篠田神社や願成寺等を勧請開山し、また七仏薬師を安置しました。
そして千日祈願したところ、それに応じて神仏は様々な奇瑞を見せます。

正月
朔日 藤波神社に藤の花が咲く
二日 別所の御用柳坪に七色柳の花が咲く
   (あるいは、諏訪神社の御用柿が正月六日に七色になる)
三日 金言大明神に茗荷を生ず。作物の吉凶をしめす
四日 篠田大明神に筍を生ず。作物の吉凶をしめす
五日 若宮大権現の社前に萩の花が咲く。耕作の豊凶をしめす
六日 向田・鍋倉にある滴松より雨の如く滴りが落ち、日柄・水難をしめす
七日 向田・松の下にある動(ゆるぎ)松の葉の動く場所で都の吉凶を知らせる

このうち、朔日の藤の花、二日の七色柳は花と柳が飛び去って奇瑞がなくなり、七日の松は明智光秀が福知山城の棟木としてしまったと記しています。

七不思議の多くは、日本各地で行われている、農作物の豊凶を占う「年占い」。

その七不思議のうち、残るのは、茗荷と筍。


【阿須須岐神社の茗荷神事】

旧暦正月三日、現在は2月3日に茗荷神事は行われます。


みょうがの田。


ちょいと失礼。


晩稲(おくて)・中稲(なかて)・早稲(わせ)の区画があります。


ちびっこ茗荷がいました。



神事当日の日の出より8時までの間に、清水の流れる「お宝田」の茗荷が3本出ます。(誰が何と言おうと、出るんです)

宮司さんが晩稲・中稲・早稲の区画から1本ずつ鎌で刈り取り、これを神前に供えます。


(画像元「京都新聞」2015.2.4記事)

茗荷の出る場所、育ち具合から、その年の稲作の早稲・中稲・晩稲の吉・凶を占い、またその年の作物の出来具合、風水害、干魃を占います。

参拝者には、この占いの写し(お宝付きの写し)と魔除けの矢、甘酒、お餅などがふるまわれるそうです。


また、京都府与謝野町の須木神社は、明治30年頃に阿須須岐神社から戴いた茗荷の苗(地下茎)を植えて、茗荷神事を行っています。


ひんやりしてます。


清々しいとはこのこと。


お社の向こうから流れているお水。


来たときは「なんでしょう」と不思議だったのは茗荷田。
ここからお水は流れ出て


こんな感じの所を通って


ここを通って


ここに流れ込んでいたのでした。


初めの場所に戻りました。


今回で阿須須岐神社はおしまい。





とても面白くて素敵なお社でした。



阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




参考文献
「綾部市史(上巻)」(発行・綾部市役所)


いつも応援いただきありがとうございます。阿須須岐神社のみょうが三昧、いかがでしたでしょうか。ひとつのお社に様々なものが凝縮されていて、ここを調べるだけでとても楽しかったです。長々とお付き合いいただきありがとうございました。
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正月太りのお狐くん。ちょいと一息よっこいしょ。

こんにちは。

うわぁー、書きかけでアップしとったー!ご覧になった方、すみません。


静かな阿須須岐神社。の、はず。


本殿も摂社も覆屋の中。


とても素敵なお社で、で、で。


は?


そうよー。さっぶー。


おキツネこんこん、花粉のなかぁ~♪(T▽T)♪


社殿前に不思議な石。


そうなのよ。やんなっちゃうわっ。


ううっ。


諭吉と諭吉がわっさわさー\(^o^)/


ちゃららちゃっちゃっちゃ♪


見ましたよ。狂言するあやかしちゃんでしょ。


強いぞ~♪強いぞ~♪

はて。

ではもう一度。


覆屋の中の本殿。


この下。


旧拝殿鬼瓦コーナー。


はいはい、どうも。


でっかい瓦たち。


どっしり。


なんだろう。


なんだろう。


なんだろう。



みょうが?

茗荷というと夏のうまうまですね。お味噌汁に入れたり、冷奴にのせたり。



ふむ。なにがあるのだ。つづく。



阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




参考文献
「綾部市史(上巻)」(発行・綾部市役所)


いつも応援いただきありがとうございます。旧拝殿の鬼瓦、とても大きなものでした。どんな建物だったのかなぁ。さて。みょうががいっぱいの阿須須岐神社。その不思議は次回につづく。
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丹波猿楽と梅若家と翁面。盛り沢山な阿須須岐神社祭礼

こんにちは。


京都府綾部市の阿須須岐神社。


百射の神事で的中したら始まる祭礼。当ててください。


はーい、お見事♪


さて、祭礼。

明治25年6月の記録による順序(町名は当時のもの)

一 露
二 振小太刀
三 小太刀
四 御太刀
五 御太刀
六 大太刀
七 花ノ躍(花の踊り・坊河内)
八 御年貢(狂言「御年貢」上演・金河内)
九 御能(能舞「難波(なにわ)」上演・坊河内)
十 上ニ太鼓
十一 下ニ太鼓





【狂言「御年貢」】

大蔵・和泉・鷺の各流派にはない演目です。

都へ年貢を献上に行く者二人のお話。
津の国住吉の人は「松」、同国片山家の人は「楪(ゆずりは)」という、共にお正月に使うものを年が改まってから持参。



それを殿に責められても、何だかんだと言い逃れ、歌を詠み、まぁるく納めて帰る、というお話。

お話の骨子だけは大蔵流「松楪(まつゆずりは)」に似ている(『綾部市史』p676)とか。
確かに、狂言の他の曲でも、主(あるじ)に何とか誤魔化そうと知恵を絞る太郎冠者・次郎冠者のストーリーは数多く見られます。


【花の踊り】

「新発意(しんぼち・しんぽち)」と呼ばれる子供二人が笹の枝と軍配を持って、二人同形の動作で踊ります。

大太鼓のリズムにのり、三人の大人がうたいます。

いわゆる「風流踊」の系統ですね。
丹波一宮の出雲大神宮(京都府亀岡市)の古文書(1459年)に「雨悦風流事・・」と記録があり、中世末期から江戸時代に流行した踊り。

「新発意(しんぼち・しんぽち)」とは、新たに発意して仏門に入ったばかりの人。
狂言でもしばしば登場します。

旅の雲水から念仏踊りを習ったものが、雨乞い・雨悦びの神事となり、やがて五穀豊穣を祝う神事に変化して伝承された踊り。各地で散見されます。

阿須須岐神社では、現行曲は「花の踊り」「雨の踊り」「御所櫓」。
台詞のみ残るのは「露おどり」「清水おどり」。


【能舞「難波(なにわ)」】

能楽「難波」。

世阿弥原作である事が確証されている数少ない曲のひとつ。

仁徳天皇の側近「王仁博士」の霊と、天皇家の祖先神である「木華咲耶麻姫(このはなさくやひめ)」が登場し、仁徳天皇の賢政による難波の都の泰平を讃え、全ての国の永遠の泰平を祈るお話。

シテの百済から来た王仁は、仁徳天皇が難波の皇子と言われ中々即位出来なかったときに

「難波津の さくやこの花冬ごもり 今は春辺と さくやこの花」

と、詠んだ人物です。


能「竹生島」の後ツレ「天女舞」

能楽の「難波」では、ワキ・シテ・ツレ・天女が出ますが、阿須須岐神社の祭礼では、シテ以外は全て地謡が分担。

舞い手はシテ(裃姿)のみ。面もつけません。(「直面」ひためん、といいます)

演じるときは、翁面と女面を面箱にのせ、正面に置きます。


神事舎の尉の面の写真。

桃山以前(南北朝の頃とする史料もあり)と思われる古式の面が今も数点、坊口町に残されているとのこと。


能楽において、「切顎(顎が分かれている)」が特徴の「翁(おきな)」の面は、「尉(じょう=おじいちゃん)」の中でも特別なものです。

白式尉・肉式尉(「翁」に使用)、黒式尉(「三番叟(そう)」で狂言方が使用)、父尉と延命冠者がこの「翁」に分類される面です。

※現在は、父尉と延命冠者は用いません。


切顎になっている「翁」の面は、能楽成立以前の「猿楽」の名残とされる古式の面で、現行は神事の扱いの特別な曲である「翁(おきな)」においてのみ用います。

出演者は舞台裏の「鏡の間」でお神酒を口にし、火打ち石で身を清めてから、舞台へ進みます。


篠山市の春日神社の翁像。「翁」の面を付けた状態。

「能であって能にあらず」と言われる「翁」。

「どうどうたらりたらりら」と謡い出したり、面箱に入れてきた面を舞台上で付けたり、とても不思議な神々しい曲です。


なぜ丹波の綾部市の阿須須岐神社の祭礼に能楽が伝わり残っているのか。


まず、能楽の元祖は猿楽であり、丹波地方は「猿楽発祥の地」ともいわれ、平安末期から鎌倉時代初期に職業的猿楽師の団体が、大きな神社や仏閣に属して猿楽座を称していました。


能「竹生島」の後ツレ「天女舞」


観世流の名門に梅若家があります。

当主の梅若玄祥先生は当代きっての名手ですが、漫画「ガラスの仮面」の劇中劇「紅天女」を能にしてしまうなど、素敵な活動もされています。

元々は京都太秦の梅津にいたという梅若家祖先。

934(承永4)年。丹波国何鹿郡大志麻荘(綾部市大志麻)に本拠を移し、梅若家一門は、綾部市から和知・周山・美山・殿田等の丹波地域に居住。

丹波猿楽の梅若座を構えます。

丹波猿楽には、この梅若のほか、日吉・矢田・榎並等に猿楽座がありました。

梅若家氏神様の福田神社は綾部市大島に鎮座、菩提寺の曹源寺は南丹市日吉町殿田。

やがて、時の権力者と結び付き優勢になる大和猿楽に呑み込まれていく丹波猿楽ですが、綾部市はじめ丹波の神社には今もこの猿楽や梅若家の能楽が伝承されているのです。


(クリックで拡大します)

では、最後に能楽「難波」より、仕舞の部分の言葉を。
シ=シテ、地=地謡
シテと地謡の掛け合いと、踏み鳴らす足拍子が面白い曲です。

青字は「附祝言(つけしゅうげん)」として、お祝いの席のシメなどに謡うおめでたい部分です。


シ あら面白の音楽や。
地 時の調子にかたどりて。春鴬囀(しゅんおうでん)の楽をば。
シ 春風ともろともに。花を散らしてどうど打つ。
地 秋風楽(しゅうふうらく)はいかにや。
シ 秋の風もろともに。波を響かしどうと打つ。
地 万歳楽は。
シ よろず打つ。
地 青海波(せいがいは)とは青海の。
シ 波立て打つは。採桑老(さいそうろう)。
地 抜頭(ばとう)の曲は。
シ 返り打つ。
(以下、地謡)
入り日を招き返す手に。入り日を招き返す手に。
今の太鼓は波なれば。寄りては打ち、返りては打ち。
この音楽に引かれつつ。聖人御代にまた出で。
天下を守り治むる。天下を守り治むる。
万歳楽ぞめでたき。万歳楽ぞめでたき。



阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




参考文献
「綾部市史(上巻)」(発行・綾部市役所)


いつも応援いただきありがとうございます。ついつい熱くなってしまう能楽のお話。昔々丹波に興味を持ったきっかけは、梅若先生のルーツが丹波にあると知ったこと。学生時代に能楽堂の虫干しでへろへろに疲れていたときの、梅若六郎先生の差し入れのケーキが美味しくて。以来、せんせを追っかけてました。うふふふ。じまん。
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百射の神事。金的的中まで始まんない阿須須岐神社祭礼

こんにちは。


京都府綾部市の阿須須岐神社。

氏子は内久井・金河内・坊口・仁和の四ヵ町。


こちらの神事舎にあったのは


那須与一といえば、扇を射抜いたお話で有名人。

中世末期になると、郷村(共同体)が成立して農民達が村の自治を行い、生活に必要な事柄だけでなく「娯楽としての芸能」を持つようになります。

五穀豊穣祈願の為に神社の祭礼に奉納する形をとり、当時の流行りものを取り入れた様々な芸能。


綾部市にはこのような起源を持つ祭礼が多く伝承されています。


「志賀」さんのお名前も見える奉納額。そして、大弓。

阿須須岐神社の祭礼はまず、「百射の神事」で始まります。

なので、那須与一の絵があったんですね。


拝殿前の広場が矢場。神事舎から矢を放ちます。
画像では、右から左へ。


正面に見えるのが、「的(まと)」を置く場所。25m先。


的を置くための盛り土を「安土」といい、的を外れた矢の受け場所になります。

白い壁にも無数の穴ぼこ。ふっ。はずしたわね。



氏子の四ヵ町×三名=12名が射手。



大的(8寸・24cm)→5寸(15cm)→金的(1寸・3cm)

・・・当たるんか!?3cmなんて、当たるんか!?
いや、とにかく金的に当たらなくては、祭礼が始まらないことになっているのです。


おめでとー!



さあ、いよいよ祭礼の始まりです。

明治25年6月の記録による順序(町名は当時のもの)

一 露
二 振小太刀
三 小太刀
四 御太刀
五 御太刀
六 大太刀
七 花ノ躍(花の踊り・坊河内)
八 御年貢(狂言「御年貢」上演・金河内)
九 御能(能舞「難波(なにわ)」上演・坊河内)
十 上ニ太鼓
十一 下ニ太鼓



狂言、こんな感じかしら。年貢っていうぐらいですものねー。

そして、祭礼に「能舞『難波』」です。ナンバちゃいます、ナニワです。


実は昨日の記事で、棟札横にでかでかと出ていた面(おもて)。へへへ。

これは、尉の面です。


境内にポスターがありました。


(クリックで拡大します)

綾部市資料館の館長さんオシオシの綾部市各神社の祭礼。
阿須須岐神社の祭礼については、また明日♪


阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




参考文献
「綾部市史(上巻)」(発行・綾部市役所)


いつも応援いただきありがとうございます。弓道をされている方ならたいしたことないのかな、3cmの的って。視力が悪い私には、ぜったい見えません。誰も当たらなかったらどうなるのかしら。わくわくどきどきしますねー。
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建物の履歴書、棟札。私が生まれたのはいつでしょう。

こんにちは。


京都府綾部市の阿須須岐神社。


すてきなお社。


狛犬のコケちゃん、幸せそうです。

さて。


絵馬殿かと思ったら、「神事舎」でした。

なぜわかったのでしょー?

それは、この建物の「棟札」に「神事舎」と書かれていたから。

んで。「棟札」?


これでーす。


【棟札ってなんだー】

ムナフダ、ムネフダといいます。

「工事の由緒・願主(発注者)・施工者(建築者・大工さん)・年月日などを墨書した頭部が山形の木札」

鎌倉時代頃から始まり、室町期以降、国主延命・無病息災などを祈る文字も書きました。

棟木に直接書くのを棟木銘といいます。


滋賀県西浅井町の菅浦の四足門。

この屋根裏に


棟札が見えます。

建物の新築・修復された年月日が明白になるので、貴重な資料です。

もう一度神事舎の棟札を見ます。


中央に大きく「神事舎 昭和三十三年拾月 阿須須岐神社」

上部右に「□□修」(補修?)

下部右に「氏子総代 □□町□□□□(住所と個人名が四人)」
下部左に「大工 志賀郷町・□見要三 志賀郷町坂根重太郎・外」

と(一部は読めず)書かれています。


昨日の記事で


阿須須岐神社の摂社、大川神社社殿。

1701(元禄元)年建築(棟札による)。
1805(文化2)年、縁回りの修復(縁板裏の墨書銘による)。

と書いていたように、棟札には建物の歴史が文字ではっきり記されているのです。


阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




参考文献
「綾部市史(上巻)」(発行・綾部市役所)


いつも応援いただきありがとうございます。棟札は現在も建物の屋根裏に納めたり棟木に打ち付けたりしています。「上棟式」は建物の棟上げの時に、この棟札を納める区切りの時です。施主が建築屋さんを労って式の後にささやかな宴会を催すこともあります。自分の名前が建物が存在する限り残るのですから、大工さんにとって一番誇らしいひとときなのです。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

イカルがちゅんちゅん何鹿郡。長板葺の阿須須岐神社摂社

こんにちは。


綾部市、ざっくり位置。ここは京都府。

古来の郡名は「何鹿(イカルガ)郡」

平城宮東大溝から出土の木簡(750年から760年のものと推定される)が、最も古い記録。

私はてっきり、奈良の斑鳩との関係からかと思い込んでいました。


【「何鹿」の読みについて】

「伊加留我」(『倭名抄』)と訓註があり、「イカルカ」と読んでいたことがわかります。

では、「イカルカ」って、なんだー?

「按スルニ此郡鵤(イカルカ)多ク住栖ス。因テ号シ文字ヲ転セラレタルカ」(『丹波志』総国何鹿郡の条)

「郡名ノ起因詳ナラズ。斑鳩(イカルカ)ノ産地ナルヲ以テ古人ガシカ名ヅケタリト言フ」(『丹波誌』何鹿郡の条)

等とあることから、鳥の「イカルカ」、別名「イカル」が群棲していたので名付けられたのではないかと推定しています。

現在の綾部市の「市の鳥」はイカルです。(イカルってどんな鳥かは検索してねー。)

「伊加留我(イカルカ)」が「何鹿」となった件は、定説がありません。

元明天皇の詔により編纂させた各地の「風土記」では、国・郡・郷名を「佳い二字」で記すことが必須となっており、このときに「何鹿」の二文字としたのでしょう。(「綾部市史」より)

なぜ「何鹿」の漢字になったのかは不明。


さぁて。


飴ちゃんとーちゃんのいる


阿須須岐神社。

本殿に向かって右側。


阿須須岐神社の摂社、大川神社社殿です。

1701(元禄元)年建築(棟札による)。
1805(文化2)年、縁回りの修復(縁板裏の墨書銘による)。

綾部市内屈指の古社殿なんですとー。


お話が古すぎて答えにくいでしょ。それは大川○作って演歌の人でしょ。


こちらも覆屋の中です。一間社流造。

流造(ながれつくり)というと


(敦賀市・気比神宮の摂社)

流れるような形、ではなく、前後非対称の形をいいます。
神社の社殿では一番一般的な造りですね。


阿須須岐神社本殿のお屋根も、流造。

同じ境内にある流造でも、大川神社のお屋根は


武骨なまっすぐさんです。

長い板で葺いている「長板葺」な点が、ここの特徴。


苔がついてますが、昔の色が感じられます。


すっきり。


小ぶりだけど、素敵な社殿。

阿須須岐神社の本殿と摂社大川神社社殿は、京都府登録文化財です。



阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




参考文献
「綾部市史(上巻)」(発行・綾部市役所)


いつも応援いただきありがとうございます。末社のお屋根の葺き替え工事中の大工さんに奇妙な目でチラチラ見られつつ、うひゃーうひゃーっとお散歩。ここは旧志賀郷。戦国の地方豪族志賀氏の地元です。地味?
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

阿須須岐神社。慶雲。それは、僕が見たケムリぃー

こんにちは。


素敵な両部鳥居をくぐり


賑やかな石造鳥居をくぐって見えてきたのは


・・・違う。

いきなり紀伊山地まで飛んだら、「どこでも鳥居」でしょ。


阿須須岐神社の建物群です。


「いかるが郡」。

いかるが、といえば、奈良の「斑鳩」ですが。

綾部市に古来よりある「いかるが郡」は、「何鹿郡」と書きます。

延喜式神名帳に記された「何鹿郡十二座の式内社」は阿須須岐神社等、綾部市と隣の福知山市に鎮座。


「何鹿郡」名の最古の記録は、二万点も出土した平城宮跡出土の木簡。

その中に「丹波国」に関するものが数点あり、何鹿郡名のある木簡は、ひとつ。

「丹波国何鹿郡高津郷交易小麦五斗」

(昭和39年12月19日、平城宮東大溝より和銅開珎・銅銭・土器等と共に出土。241mm×28mm、厚さ5mm。750年から760年頃のものと推定)

「何鹿」に「伊加留我」(『倭名抄』)と訓註があることから、「イカルカ」と読んでいたことがわかります。



拝殿の後ろに本殿。この趣ある建物、いいねぇ。


誰だー?


あらぁ。苔玉みたいにまんまるです。


楽しそうねー。


コケコちゃん、かわいいなー。


拝殿に向かって左側の末社の覆屋の屋根の修復中。


二人ともちゃんと修理してもらって、ばりばりっとお客様をお待ちしてます。

さて。拝殿の後ろに弊殿を挟んで本殿。


巨大な覆屋の中の箱入り娘。

遠ざからないと全部見えません。境内社のお稲荷さんにお邪魔して拝見。


本殿。

【祭神】
天御中主神・高産霊神・神産霊神

『何鹿郡誌』はこの三神のほかに道主貴神を加え、『志賀郷村誌』では市杵比売命となっています。


向拝(お参りする正面部分)付近。

【由緒】創立は不詳。社伝によると崇峻天皇の頃。

古くは現社地の西、金河内と坊口の境・金ヵ峰に鎮座していましたが、
713(和銅6)年、改祭(棟札による)。

879(元慶3)年11月9日。事件です!

「丹波国言上 慶雲見管何鹿郡阿須々岐神社」

「何鹿郡の阿須須岐神社に慶雲が現れました!! from丹波国司」
(『日本三代実録』「879(元慶3)年11月9日の条」より)

「慶雲」とは、「烟の如くして烟に非ず、雲の如くして雲に非ず、大瑞なり」(『治部式』)。

天下の慶事として国司より言上したのですね。


以降中世以前までは「吾雀(あすすき)宮」と呼ばれておりました。

この地域は12世紀末より新熊野神社の荘園「吾雀(あすすき)荘」となり、戦国末期まで「吾雀(あすすき)」(『安国寺文書』)、やがて「志賀」へと地名が変わります(1619年寄進の興隆寺鐘銘「丹波国何鹿郡志賀庄」)。


獏さんと獅子さんかしら。


四枚の扉。一間社流造。一間(柱が2本なので柱と柱の間がひとつ)なのに間口八尺。でかいです。


骨太。

社殿は1528(享禄元)年に再建した棟札が残ります。
現在の本殿は1721(享保6)年に再建と棟札に記されています。

江戸時代は「金宮大明神」と唱えていました。


適度な彫刻と木組みのバランスがいいなぁ。


本殿の真裏には何かがかかっています。


うーんうーん。「祝凱旋」か?

明治2年に、式内社・阿湏々伎神社に比定されていたものの、明治12年、同じ志賀郷の篠田神社と「式内社争い」が起こり、阿須須岐神社の神社名を使用することのみ許され、式内社指定を取り消されてしまいました。

・・・あちゃー。

さて。よっこらしょ。


基礎を覗くの好き。


うーんうーん。これは支えなくていい柱なのかな。そんな柱はないよなぁ。


本殿床下に特設コーナー。これはなんと素敵なご配慮でしょう。


ぎゃー。


ぎゃー。


いたー。もののけ、いたー。

つづくっ。



阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




参考文献
「綾部市史(上巻)」(発行・綾部市役所)


いつも応援いただきありがとうございます。ご近所さんとの会話「ここは格式の高い神社なんや♪」「式内社?」「それがなぁ、取られたんやっ。篠田神社にぃー」「あらまぁ」「広めてや。みんなに宣伝してや」「はーい」・・・お約束、実行中。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

あ、すすき、神社。いや、阿須須岐神社です

こんにちは。


高野龍神スカイラインで紀伊山地を眺めた思い出を胸に。


すんませんすんません。

ここは京都府綾部市金河内町東谷。以前は志賀郷村と称した地区。


細い道に入る手前で停めておけばよかっただ。

降りては確認、降りては確認を繰り返しつつなんとかこの奥のお社の前の駐車場へたどり着き。冷や汗びっちょり。

静かな静かな集落をどすどすと通った大阪ナンバーの車に驚いたお宅の方に「ここ、通れますかっ」と、見ればわかるやろ、って事をお尋ねし。

そのご主人、このお社をとても誇りに思われていて、地区全域でもり立てていくんだということと、お社の由緒をキラキラした目で語って下さいました。

素敵だなぁ。大好き。


そんな前振りがあるので、尚更わくわく。


柄杓があるんだもん。ここでしょ、きっと。


アレってなんだ。


上流を辿る。


わざわざ岸辺の小石をまたいで水にはまるお馬鹿です。


顔がふにゃふにゃになるほど、素敵な空気。


何やら神聖な趣です。

阿須須岐神社の「これなぁに?」は、後日ご報告します。
なーいしょ♪

鳥居まで戻って、正面から参りましょう。


両部鳥居ですね。

笠木の上などには檜皮が葺かれています。素敵♪


寛政年間は江戸中期、光格天皇の時の年号。1789年1月25日~1801年2月5日。

鳥居横には別途、手水舎がありました。


おや。にぎやかな。


「とーちゃんの動く玉」はこちらのお社でしたの。うふふ。


ぶっといあんよ。

でもそんな事言ったら、かーちゃんに叱られるぞ。


子狛って、どの子も全身で甘えてますよね。


助っ人とーちゃん。




とーちゃん、どんな時も子狛の味方。

我が家の両親、かくの如し。


子狛はとーちゃんの真似っこがしたくて仕方ない。


子狛には気が利くとーちゃん。かーちゃんにはデリカシー喪失。

では、改めまして。


ではお詣りれっつごー。


あら、すてきな阿須須岐神社です。

つづく。


阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




※当社の社号は資料によって「阿須須伎神社」「阿須須岐神社」「阿須々伎神社」などと表記が異なっています。記事では鳥居扁額に記載されている表記に統一しました。


いつも応援いただきありがとうございます。ないしょないしょの垣根の内。清々しい空気を運んでくれる山からのお水の流れがお社を囲んでいます。いささか「じゃぼーっ」過ぎて、台風や豪雨の時が心配です。
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狛犬の口の中。飴ちゃんころころ

こんにちは。

綾部市のとある神社にて。うふ。


狛ちゃん、暗くて見えませんわよ。飴ちゃんはどこに?


おや。子狛ちゃんが甘えてます。


はいはい、なんでしょう?


なんと!とーちゃん、すごいぞ!

よっしゃ。では、試してみましょ。


ころーん。


ころろーん。

おお、これは素晴らしい。

丹波や丹後などに見られるこの狛犬さん。
お口の中の宝珠がころころするんですよー。

後から入れるには大きすぎます。

狛さんが、「あーん♪」っと口を開いてくれるはずもなく。

ひとつの石から彫り出す時に、この珠がお口の中でころころするように細工したんですね。

こんなまんまるちんのもの、どうやって彫ったのかなぁ。すごいなー。


落ち着く場所っての、あるもんです。


石工さん、うきうきしながら珠を作ったに違いない。


あり?左にずれちゃった。


いつも応援いただきありがとうございます。狛犬さんの口のなかに指を入れてコロコロさせていただきました。ごめんあそばせ。石工さんの腕の見せドコロなのかな、どうかな。すごい技だと思うんだぁ、飴ちゃんコロコロ。
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