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名月峠の名月姫。およしになって、清盛様

こんにちは。

大阪から丹波篠山へ向かうルートの途中。
能勢町から国道173号線へ向かう道中に名月峠があります。

ここ、なんか好きなんです。車道の上に伝説の足跡。



「摂津御園荘浜村(現、尼崎市)の三松刑部尉国春が大日如来様に願掛けして、とても美しい名月姫を授かり、姫はやがて能勢家包(いえかね)の妻となり幸せに過ごしておりました。

ところが、平清盛に見初められてしまい。

人妻なのに。

権力には逆らえず、清盛のいる福原(現、神戸市)に向かう途中、名月姫は夫への貞節を守り、この峠で自害。

姫の亡骸は峠に葬られ、以来、誰からともなくここを名月峠、と呼ぶようになりました。


清盛~ (ノ`△´)ノ !!

だから貴方には、〇盛、□盛、☆盛、と、子供がモリモリ… o(`^´*)

姫だけでなく、家族もかわいそう (;_q)


(現地案内板、能勢町教育委員会 より抜粋)






中央が名月姫の宝篋印塔で、両側に、父(国春)と夫(家包)の五輪塔。

姫の側に今も寄り添って守ってるように見えます (ノ_<。)


月姫の宝篋印塔。屋蓋の隅飾りの散蓮は、能勢特有の近江式装飾文。
鎌倉時代後期の作。

今も名月姫を憚って、嫁入りの時は前を通らない風習が残っている名月峠。



きーよーもーりー (*`Д´)ノ!!!


いつも応援いただきありがとうございます。北向に走るときはいつも通る名月峠。いつお参りしてもとてもきれいに手入れされています。お気に入りの所なので、再掲でごめんなさい。峠道は桜並木。開花宣言は来週です。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

大賣神社。おでき治す稲荷と義経の道案内の鷲尾三郎

こんにちは。


丹波の式内社「大賣(おおひるめ)神社」。


付近はこんな感じ。


越後村上藩主村上忠勝の墓所。

背後に見える笛吹山(384m)に、笛吹山城(大熊城)。麓に大賣神社。


のどかな道端に社標。


さてここで、いきなり源義経の登場。

平家追討のため都から須磨浦方面へ向かう源氏御一行様。

平家物語では、平家10万(実勢は7千~3万程度)、対する源氏は範頼軍5万義経軍1万(実勢3千程度)。

兄の範頼の進軍は西国街道(70~80km)。
これに対し、義経は亀岡から丹波篠山を大迂回する丹波街道(120~140km)を進軍し、「鵯越」から須磨浦へ。


内陸部ざっくり地図。下の国道372号がデカンショ街道。
京都府亀岡から播磨姫路へ。

(※阪神淡路大震災の時に海辺の道路が壊滅の中、大活躍した迂回ルートです)

さて、笛吹山。

京都から「三草山~鵯越~須磨浦」ルートで、篠山を通り合戦に向かった源義経がこの辺りで少し休憩。

このとき。

松に掛けていた義経愛用の笛が、風を受けてか不意に鳴り出し、笛の音に合わせて裏山から太鼓の音が響いてきたと言うことから、笛吹山となったという伝説。



本殿に向かって左側に、


笠鷺稲荷神社。

【祭神】大己貴命、宇賀魂命

五穀豊穣・商売繁盛・家内安全のほか”おでき”の神様として”おでき解除”のご利益があることで良く知られているお稲荷さん。

「おでき」、つまり、瘡蓋の瘡(かさ)→「笠」鷺稲荷神社。

天然痘の別名「疱瘡」、また梅毒も「瘡」と呼ばれており、単なる「吹き出物ちゃん」ではなく、命にかかわるものを退けてくれるありがたいお稲荷さん。

篠山藩主松平若狭守康信の祈願所として崇敬が厚かったとか。

笠、今は麦わら帽子がいくつか奉納されていました。


さて。もう一度お参り。祭神のお名前に注意。



【主祭神】大宮売(おおみやひめ)命

【配祀神】素盞嗚命、大歳命、応神天皇、菅原道真公、武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、姫大神、大山主命、鷲尾十郎


神様が並ぶ中、「鷲尾十郎」

誰。画像リピート。


のどかな道端に社標。

実はここから背後(北東)へ進むと、鷲尾集落。

この「鷲尾」さんは、西摂津から播磨にかけて勢力を張り、要路の要所を押さえていた「鷲尾党」の一族。

ここには、「(鷲尾)十郎屋敷跡」と「鷲尾三郎供養の宝筐印塔」があります。

鷲尾三郎。

「源平盛衰記」では鷲尾三郎経春、「平家物語」では鷲尾三郎義久として登場。

西国不案内の義経一行を道案内した人物です。

弁慶が道案内を猟師(鷲尾良久)に頼みますが、年をとっているからと三男を差し出します。

義経一行は彼を家臣に加え、鷲尾三郎は鵯越への案内役を勤めました。結果、義経は鵯越にて須磨浦へたどり着き、大活躍。

鷲尾三郎は、奥州衣川館で藤原泰衡等に襲われ、義経が自害するまで従い、衣川で討死。義経に殉じます。

残念ながら、鵯越ルートは諸説あり、また、鷲尾三郎の出身地も神戸市東下、白川と多井畑など、諸説。

※鷲尾三郎出身地と鵯越ルートを楽しく検証されているサイトあります。(http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/yoshitsu.htm)



じーちゃま、こんにちは。









とても楽しい大賣(おおひるめ)神社でした。おしまい。



大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。義経の大迂回。本人さんと御一行様は大変でしょうが、あちこちに残る足跡を追うのも楽しいです。狛犬さん達のかわいい「大賣(おおひるめ)神社」、桜の篠山城など見所史跡がてんこもり。丹波篠山へぜひお越しくださいませ。
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大賣神社。恐竜の子供ちゃん狛犬、こんにちは

こんにちは。


大賣(おおひるめ)神社。


人懐こい狛くまちゃん。


歌う吽さん。


室町時代作というこ長老狛犬二人を冷静に見つめる神殿狛犬。


神様を守護する重鎮。じ、じゅう、ち・・・。


ちーん。


陶製のちび狛犬。お土産物かしら。連れ帰っていいかしら。


この渦巻きのような模様は実際の若いライオンに表れる「つむじ」を紋様化したもので、「若い獅子」を表現。

獅子舞の体の緑の幕に同じような模様があるかと。


例えば、舞鶴のちび狛犬さんにも同じ模様。


二人ともおちびちゃん。


真面目です。


吽ちゃんのはずですが、ま、細かいことはさておいて。


意地悪してみる。


よーいどーんっなんて言ったら野山を駆け回りそうです。


そこはちゃんと見張り番あり。


お雛様では、親戚から贈られるお人形の位置です。

かわいかったー♪


さてこの狛犬。
「1863(文久3)年を記した陶製の狛犬」と紹介されている記事もあったのですが、どうなのかしら。しかし。

氏子さんに大切にされているお社なんですもの。気は心。
かわいい狛犬さんに会えて嬉しかったです。



大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。ちびちゃんも見張り番を頑張るお社。お仕事は期末に向けてどったばったしておりますが、私もがんばろーっと。
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大賣神社。三岳修験道の名残とちびっこ狛犬人面犬

こんにちは。


大賣(おおひるめ)神社。

拝殿横に建つのは、元の拝殿を移したもので、そもそもは丹波修験道場の中心であった三岳修験道場「鳥の堂」の遺構。


ちび狛さんの後ろに見えるのは


多紀連山にあった知足廃寺からここへ移動させたと伝わる石。

俗称は「鳥居の袴石(或は靴石)」ですが、形と寸法からみて知足廃寺の宝塔の真柱の礎石と推定されています。

多紀連山は、篠山市北部に連なる山々で、鎌倉から室町時代にかけて栄えた丹波修験道場でした。
三岳を中心とし、「三岳山いただき隠す法の道 」とも言われ、最盛期には吉野の大峰山よりも栄えたといいます。


無邪気は罪である。


狛くまちゃん。

さて。本殿を拝見したいので。


う。


出たー。


いやぁ、いいわ。


せーんろは続くぅよ~♪


どーこまっでっもぉ~♪

・・・ちょっとお待ちなさーい。


あら。頭にかわいい角の名残が。

いやいや、あなた、室町末期の作と言われる狛犬さんですわよね?
なぜ異国のお歌を。


この浦舟に帆をかけーてぇー。

こらー。謡やんかー。


もう少し馴染みのある歌とかさぁ。


では、阿ちゃんと歌ってみましよ。


やけくそ。


篠山市の解説等では室町末期の作と推定され、市の指定文化財なのですが、台座もなく、このように地べたに転がっております。


まだ狛犬在中でした。

この子がまた、予想外にお年寄りなので、つづく♪



大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。作風からみて室町末期の作という狛犬さんですが、奉納年月日等詳細は台座がなく不明です。でも小さな子達が愛嬌たっぷりに迎えてくれるだけで幸せ。少し人面犬に見えなくもないお顔の吽ちゃんです。
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大賣神社。室町時代の狛犬ちゃんがかくれんぼ

こんにちは。


丹波篠山。篠山城の北東に鎮座する式内社。


かわいいお社。


本殿の彫刻が素敵らしいので、ちょいとお邪魔。


なんやらにぎやかしい。


なんか、おる。


いやぁ~ん。かわいい。


あ~そ~ぼ♪鬼ごっこはいかが?





こぐまちゃん、鬼さんを呼んでどうする。


え?


狛くまちゃん。


背中がちくちくすると思ったら。


お愛想なしめっ。


んまっ。


石製狛犬(現地説明板より)

「室町末期の製作と考えられており、篠山市内で最も古い狛犬のひとつである。保存状態がよく、当時の狛犬の様子がよくわかる貴重な文化財である。
篠山市指定文化財(工芸品)指定。」

あらぁ~。これはこれは。



やり直しません。



大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。ちびっこい狛犬くんに歴史あり。室町末期といえば、八上城で波多野氏や三好氏ががんがん張り切っていた時代。大賣(おおひるめ)神社の横にも山城がありました。どんな事が起きていたのか、お話してくれたらいいのにな。
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大賣神社。おおひるめ神社からこんにちは

こんにちは。


篠山城から


こんな景色を眺めつつ北上すると


のどかな道端に社標です。

昼目谷、というところ。


明るいお社のようです。うふふ。


丹波の式内社「大賣(おおひるめ)神社」です。

旧多紀郡北の庄十一ケ村の総社。
旧多紀郡内の延喜式内社(大社2座1社、小社7座6社)のひとつ。


小さな流れでも、清々しいな。気持ちいいな。


箱庭みたいにかわいい♪



【主祭神】大宮売(おおみやひめ)命
太玉命の子で、天照大神に奉仕して、君臣間の感情をやわらげる女神で、保食神。

【配祀神】素盞嗚命、大歳命、応神天皇、菅原道真公、武甕槌(たけみかつち)命、経津主(ふつぬし)命、天兒屋根(あめのこやね)命、姫大神、大山主命、鷲尾十郎


手前に花粉てんこ盛りの杉。ぱらっぱ~。


中にあんこが入っていそうな。

社伝によれば、創始は第11代垂仁天皇の御代。
皇女が天磐船で当地にやってきて、榊を植え、注連縄を張り木を曲げて奉ったのが始まり。

781年。桓武天皇の御代に初めて神殿が造営。


じーちゃま、こんにちは。


おっと、失礼。


でも、じーちゃま。

旧多紀郡北の庄十一ケ村の総氏神ですから、


1560(永禄3)年。八上城主波多野秀治は、ここを祈願所とし、自ら大般若経350巻を書き写して奉納しています。


1662(寛文元)年。篠山藩主松平若狭守康治は、神田を寄附し社殿を再建。
歴代の篠山藩主もこの神社を崇敬。

1733(享保18)年。後西天皇の女子、宝鏡門跡が「正一位大売神社」の神額を御染筆。

1837(天保13)年。社殿を再建。

当社は、多紀郡北の庄11ケ村の総社であり、社を「盡目山円光寺」と称しました。 お寺も神社も仲良しこよし。

しかし、1867(明治元)年、社と円光寺が分離。
以降、城北村9ヶ村の村社6・無格社10の合計16社を合祀。



式内社であり、時の権力者の崇敬厚く、とても素敵なお社で・・・



で、で、で・・・。



どうやらここには奴等が潜んでいるようですぞ。



まだおった。



にぎやかですな。


大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。荘厳な雰囲気のお社も素晴らしいですが、こんな明るくてかわいいお社もいいですね。境内はきれいに掃き清められ、禊の小川はさらさら流れ。これで花粉さえなければっ。帰宅して画像を見て、驚愕してゾンビです。
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まけきらい稲荷。負けず嫌いな藩主をお助けどすこい

こんにちは。


違います。花の粉です。

さて。

王地山稲荷社ですが


案内に「まけきらい」。


意地っ張りな水口ぴょん太。


ぴゃー。

なんなの、このアグレッシブな神社は。


末社、平左衛門稲荷。

扁額に「平左衛門稲荷大明神 まけきらい」と記載。

ここかー!


なんだなんだ?大阪場所か?

私の知ってるお狐様は


華奢だとか


にーちゃんと


反省する弟とか


マイペースな兄と狭い弟とか

(兄弟2組は徳島市諏訪神社境内社・稲荷神社の狐くん)


丹波篠山藩主は松平家が続いた後、青山氏。


青山家は家康時代から徳川に仕える譜代。

とある日。老中、篠山藩主青山忠裕は憂鬱でした。


毎年、江戸吹上御殿にて将軍上覧大相撲が行われます。


(三重県熊野市、産田神社の狛犬)

他藩ではお金で本物の力士を雇い、優勝を目指します。


(京都府亀岡市、穴太寺境内社の狛犬)

しかし、篠山藩5万石ではお金で強い力士を集めることもかなわず、負けず嫌いな藩主青山忠裕は、悔しくて悔しくて。

今年も力士体型にはほど遠い面々がご挨拶に来ました。

「殿、ご機嫌うるわしゅー。手前が頭取の高城市松、こっちは王地山平左衛門、波賀野山源之丞、飛の山三四郎、黒田山兵衛、小田中清五郎、須知山道観、曽地山左近、頼尊又四郎、それに行司の金山源吾にございます。」

青山くん、憂鬱でも参加しないわけにもいかず。

ところがどすこい。


あらびっくり。


藩主青山忠裕が褒美の酒を与えようとしますが、力士達の姿はなく。

「探せー!」

早駕籠で追いかけさせるものの、見つけることあたわず。
丹波篠山に着いてしまいました。

事情を聞いた城代家老もびっくり。


(篠山城・大書院。再建)

力士達を送り出したのは国元ではなく。

「探せー!」のご命令があるので、篠山藩内の庄屋全員集合。


草の根分けても探さなあかん。

と、その時。

名主の一人が「王地山、波賀野山、みんな、お稲荷さんがおんで。きっと、そりゃお稲荷さんでは・・・。」と言い始めましたが。

城代家老「んな阿呆な~」

しかし。


(滋賀県日野町・馬見岡綿向神社境内社の狐)

言われてみれば確かに、力士のしこ名にはお稲荷さんが鎮座。


さらに、お相撲期間中にはお供え物がそのまま残っていたこと等、不思議な事が数々あったと皆が口々に言い始め。

従って。

王地山、飛山、頼尊、波賀野、小田中、曽地、須知、金山、高城、黒田等の各地の稲荷が、藩主青山忠裕の面目のため力士に化神したと判明。


細まっちょ、恐るべし。

城代家老から報告を受けた藩主青山忠裕は、それぞれの稲荷に幟や絵馬を奉納して感謝しました。

これが「まけきらい稲荷」の起こりだということで。


王地山稲荷社末社、平左衛門稲荷。


力士に化けて藩主さんの鬱憤を晴らしました。


頑張ったお稲荷さん。

情が深くその愛情はきめ細やかという狐。


こんな彼を見るに見かねたのかもしれません。


お江戸までえっちらおっちらと出張までするのは、大変だっただろうに。

ところで、この藩主青山家。
篠山の人々にとても愛され親しまれたおうちだったようです。

篠山城に鎮座する青山神社は、篠山城が1871(明治4)年に廃城となった後、藩主青山家の旧恩を追慕する人々が、青山家の御霊を祀る神社の創建を熱望。
青山家の遠祖・青山忠俊を御祭神として1882(明治15)年5月に創建されました。


まけきらい稲荷社の境内社、能勢妙見宮分社。


読めません。


境内の灯籠。

狐さんへの恩返し。ほっこり。


どこぞの狛犬さん、焼きもちもっちもち。


いつも応援いただきありがとうございます。昨日はあたたかいお言葉を賜りまして、ありがとうございました。嬉しくて心が踊っております。さて篠山のまけきらい稲荷のお助けお狐さんのお仲間達。今も篠山の各地に鎮座し、大切に守られています。どすこい。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

ブログ始めて一年らったった♪

こんにちは。皆様、いつもありがとうございます。

すっかり忘れておりましたが実は、昨日でブログ開始から一年経っておりました。



飽きっぽくてとっ散らかすばかりの私が続けられたのは、皆様の励ましがあればこそ。

心より御礼申し上げます。



びみょーに行方不明な記事の連続ではございますが、

今後とも末永くよろしくお願い申し上げます。



これからもこんな感じで。



いつも応援いただきありがとうございます。これから先も、楽しくいこうぜ、よよいのよい♪で。へへ。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

まけきらい稲荷。茨城県土浦から丹波篠山へ

こんにちは。


なんてストレートな。

さぞかし意地っ張りなお稲荷さんがいるに違いない。


あらやだ。かわいい。


これはこれで正解なのか否か。


こっちもこう来ましたか。


こちらにもかわいい方々が。

やほー。


温かい飴ちゃんなら欲しいです。寒い。

お狐さんの背後には、ミニ清水の舞台のような建物があるのですが。

ここは王地山という山の上に鎮座する


そう、忍耐神社です。

ちゃうわっ。


鎮座するのは、蜷寵吒枳尼天王で、お名前は王地山稲荷大明神。

本経寺の鎮守のお稲荷さん。


あうちっ。


へ、へへへ。裏から来ました。


悪かったわねっ。


へぇー。土浦ってどこ?


えーっと。


こらー。

私は浜名湖から向こうはわかんないんだー。


土浦は茨城県。

本経寺は元々、1601(慶長6)年。高崎藩主・松平安房守信吉(藤井松平家3代。桜井松平家からの養子)が実母(徳川家康姉)菩提のため、家臣の都築和泉に奉行を命じ、茨城県土浦の地に建立した寺。

妙長山本経寺と称しました。


失礼せんばん。

蜷寵吒枳尼天王(稲荷大明神)は、「伝教大師最澄聖人一刀三礼の御尊像」と伝わり、信吉の実父、松平伊豆守忠吉(桜井松平家5代)が陣中守護神として帰依していました。

本経寺の開山は高僧持経院日泉上人。

吒枳尼天王の霊像を鎮守神として勧請し、本経寺境内に併せて堂宇を建立します。

1619(元和5)年。松平安房守信吉は篠山藩主として転封。

篠山藩とは。


篠山の八上城には1608(慶長13)年に松平康重が入りますが、


王地山、篠山、飛の山の候補の中から篠山を選んで1609(慶長14)年に築城を開始。

こちらが篠山藩主の政庁となり、松平康重は八上城の城下ごとお引っ越しします。

候補地のひとつであった王地山が、ここ。


さて、松平安房守信吉と共に土浦から篠山へお引っ越しとなる本経寺。

本堂を解体し船に乗せ、土浦から瀬戸内海→加古川口より曳き舟に乗せ替え→久下から牛車にて陸送→篠山市河原町の現在地へ。

山号寺号はそのままとし京都大本山妙顕寺の末寺となりました。


階段回避のため、車で来たの。下りませんわよ。ほほ。

吒枳尼天王御神体も共に篠山に移され、王地山の地に奥の院として観請されました。

以来「王地山稲荷大明神」と称します。


水口ぴょん太。

1649(慶安2)年。松平安房守信吉の後を継いだ忠国は明石へ移封。

しかし、「永く当山にとどまり衆生を救え」との霊告により、本経寺・王地山稲荷社とも篠山の現在地にとどまる事を許されました。

・・・フレキシブル。

以降、松平(形原松平家)家、青山家の歴代藩主の帰依を受け、現在に至る。


死ぬほど冷たかった。


はくしょん。

寒いから花粉はまだまだね♪っと思っていましたが。
画像を見たら、花粉がてんこもりもり。きゃー。


何の密談ですか?


王地山稲荷社(まけきらい稲荷社)
《住所》兵庫県篠山市河原町92



参考文献
王地山稲荷社「参拝の栞」


いつも応援いただきありがとうございます。大きくてお茶目なお狐様やちびっこお狐様と出会えて幸せなひととき。王地山は篠山城築城の候補地であったと知っただけでもわくわくします。どうしてここじゃなかったのかな、狭かったのかな。お狐様の密談もわくわく。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

磯宮八幡神社ハダカガヤ。光秀丹波攻めと神仏習合四天王

こんにちは。





・・・どいて、狛ちゃん。

丹波篠山の磯宮八幡神社。


たまたま子ども狂言の発表会に出会いました。


えーっと。拝殿と本殿。

賑やかだったので、少し回避しまして。


正面の鳥居。内側より。


裏口スキーのお姉さまに捧げます。えへ。


裏から見ても見事な本殿。



【主祭神】応神天皇
【配祀神】上筒男命(ウワツツノオノミコト)・天兒屋根命(アメノコヤネノミコト)

【由緒】
933(承平3)年。石清水八幡宮より分霊を勧請。
五十神(いそのかみ)を末社としたため五十宮と称したといいます。
磯宮の名前は、水辺(=磯)に鎮座していたことが由来とも。

もとは、曽地・後川荘など四ヶ荘の総社(他二ヶ所が気になるわ)。


摂社・末社群


生活に必要な神様御一同様。


頭脳とお金は何より必要。

あああ、私に一番欠けとるものやー。よろしくよろしく。


力石にしては、ちっこいわ。


護摩堂。

明治の廃仏毀釈でもこちらは生き延びたのでしょうね。

日本古来は神仏習合。神様仏様。

磯宮八幡神社には、木造持国天立像と多聞天立像(国重文)が残っています。


(クリックで拡大)

「神宮寺にあった」木造持国天立像と多聞天立像(篠山市HP磯宮八幡神社(日置))と篠山市の説明にある事から、この磯宮八幡神社は明治の廃仏毀釈までは神宮寺と神社が一体となっていたと推察されます。

四天王のうちの二人。持国天と多聞天。今は収蔵庫に安置。祭礼の時に拝見できるらしく。是非拝見したいなー。


本殿。

1336(建武3)年、足利尊氏が九州への途中参拝し、願書や鏑矢等を奉納し、田畑も寄進したと伝わります。

建武の中興に功があった足利尊氏。
しかし、新政府に重用されるはずが、1335(建武2)年11月には政権に敵対する者とされ、追討を受けるようになってしまいました。

新田義貞・北畠顕家らの軍勢と京都で激戦するも敗北。
尊氏は丹波に逃れます。

「旗揚げの地」篠村八幡宮(京都府亀岡市)で一旦兵を整え、丹波路を播磨へ向かいます。

国道の372号線(デカンショ街道)は亀岡から播磨へ通じています(←国道を走ったんじゃないぐらいは、私でもわかるけど、でもぉ)。

その途中。

曽地(篠山町)の土豪、内藤入道道勝の館へ立ち寄り、磯宮八幡神社に参詣。


カヤの大木三兄弟。

真ん中の木が突然変異で生じた世にも珍しい、


ハダカガヤです。

かったい堅い殻がなく、ブドウの実のような皮だけの実がなる不思議な木。この木の種子を蒔いても、普通の堅い殻のカヤになるそうで。

と、いわれても、カヤの実を知らんので、説明板をご覧下さい。


(クリックで拡大)

磯宮八幡神社に立ち寄った際に、社僧の勝心がお菓子としてカヤの実を出したところ、尊氏は皮をむいて社前に奉げ、武運長久と共に、この実が育って無皮の実が成るようにと祈って蒔いたところ、なんと、ほんとに堅い殻がない「無皮の実」が結実。


今や国指定の天然記念物。

足利尊氏と同じように、磯宮八幡神社は領主、武将らの信仰が厚く。

八上城主波多野秀治も城内武運長久の守護神として崇敬し、各種寄付。せっせせっせと。


丹波篠山といえば、このお山が城域そのものの、八上城。


だって、山頂の割れ目があれだ。

そして恒例の


光秀による信長のための丹波攻めファイヤー。


下々が騒々しくてごめんあそばせ。しかしこちらも


1579(天正7)年、兵火により磯宮八幡神社は焼失。

翌1580(天正8)には再建。


本殿の神前狛犬さん。木製わんこ。


立派な角がある狛犬さんです。たくますぃ~。


誰に。


また建てるの大変なので燃やさないで下さい。


他人のフリしないで。こら。


さて。関ヶ原を経て


天下普請の篠山城も出来上がった後。

1654(承応3)年。
篠山城主の松平康信が境内並びに田地二反余を黒印除地とします。

※徐地とは、納税義務の免除された土地
※黒印とは、藩主が目下の者へ出したお手紙に押すはんこ (勉強中)



1672(寛文12)年。社殿建立。

現存社殿は1848(弘化5)年に造営されたもの。

丹波地域の特徴。本殿の彫刻が見事です。


馬?鹿?


とりさん。


地場野菜は葉っぱ付きで嬉しい。


熱田神宮のチャボは、飛び蹴りしてくる。


へいへい、かくれんぼぉ~♪

・・・なんの記事でしたっけ?


磯宮八幡神社でした。

周囲を見渡せば、山城のてんこもりもり。


磯宮八幡神社
《住所》兵庫県篠山市日置167




参考文献
兵庫県神社庁HP
篠山市HP「丹後ささやま五十三次」「磯宮八幡神社」

「丹波篠山とっておきの話Ⅱ 戦国動乱の時代と丹波の支配者たち」(梶村文弥著 あいわ書房刊)


いつも応援いただきありがとうございます。神仏混合の名残ある磯宮八幡神社。足利尊氏の逸話や丹波国人衆の攻防と光秀の丹波攻めファイヤー。八上城とそれを取り囲む山城や砦群。興味の尽きない楽しいお社です。木製の狛犬さん、実はでかわんこなのです。わん。
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