FC2ブログ

きっかけは一通の手紙。忘れない事が大切。板東俘虜収容所。

こんにちは。


お髭さん、こんにちは。


ドイツに行ったら役に立つかしら。


徳島県鳴門市に残る板東俘虜収容所跡地。


【板東とドイツの交流】


跡地に残る、ドイツ人俘虜の慰霊碑。

帰国前に俘虜達が仲間を弔うために建立。

建立時には、自分達が帰国した後は慰霊碑が放置され死者を傷つけるかもしれないという不安がドイツ人俘虜達の中にもありました。

そして第二次世界大戦。

彼等の不安の通り慰霊碑の管理者は誰もなく、放置。

1947年。第二次世界大戦終了後。
満州から引き上げてきた人々が、坂東俘虜収容所に居住します。



1948年にシベリアから引き上げてきた夫と共に、ここに暮らしていた高橋春枝さん。

裏山で薪拾いをしていた時に、草むらからドイツ語で書かれた慰霊碑を発見。夫妻は定期的にこの慰霊碑を清掃し、献花。

やがて地域の人々も一緒に清掃。

13年後の1960年、この慰霊碑の清掃が徳島新聞で紹介されます。

記事を見た当時のドイツ大使ハース夫妻と神戸総領事・ベルガー夫妻が、この慰霊碑を訪問。




一方、ドイツでは。

坂東俘虜収容所で収容生活をした仲間がドイツ各地で「バンドー会」を結成。

1962年。バンドー会会員ライボルト氏が在ドイツ日本国大使館宛に坂東俘虜収容所の近況を知りたいとの手紙を出します。

この手紙が発端となり、坂東(現在の大麻町)とバンドー会が再び交流を始めます。



バンドー会に収容所の近況を伝えようと坂東の「独逸人を偲ぶ協議会」は、8mmフィルムで収容所跡地を撮影し、ドイツに送付。



ドイツ各地のバンドー会で上映。

このフィルムを見て、ドイツ人俘虜達が建てた慰霊碑が、高橋春枝さんらによってきちんと管理されていることを知ったバンドー会は深く感謝し、慰霊碑への感謝として募金を坂東に送金。

1963年。その募金で坂東(大麻町)で、慰霊祭を行います。

1964年。高橋春枝さんに、ドイツ政府からドイツ功労勲章が贈られました。



【ドイツ人俘虜からの手紙】


ドイツ人俘虜達が帰国前に作ったメガネ橋(大麻比古神社)

ヴェルサイユ条約の締結によりドイツ人達は本国へ送還となりますが、約170人が日本に残ります。


彼等は、収容所で培った技術で肉屋、酪農、パン屋、レストラン等を営みました。


カール・ユーハイム。アウグスト・ローマイヤー。

お菓子のユーハイム、ソーセージ等のローマイヤー、今でも有名店。

(敷島パンの初代技師長ハインリヒ・フロインドリーブは名古屋の俘虜収容所)


当時の板東俘虜収容所。

ドイツへ帰国した後も、松江所長と板東俘虜収容所を懐かしむ人が多く。


●ポールクーリー(リューデンシャイト市在住)

「私は、今度の第二次世界大戦にも召集をうけ、運わるくソ連の捕虜となり、1956年に解放されましたが、ソ連のラーゲルで冷酷と非情をいやというほど知らされたとき、私の脳裏に浮かんできたのは、バンドウのことでありました。

バンドウにこそ国境を越えた人間同士の真の友愛の灯がともっていたのでした。(中略)
私は確信をもっていえます。世界のどこにバンドウのようなラーゲルが存在したでしょうか。世界のどこにマツエ大佐のようなラーゲルコマンダーがいたでしょうか。」





●エドアルド・ライポルト(コーブルグ市在住)

「懐かしきバンドウの皆さま。私は今から47年前、貴町の俘虜収容所にいた元俘虜であります。
バンドウラーゲルの5ヵ年は、歳月がどんなに経過しても、私たちの心の中で色褪せることはありません。否、ますます鮮やかによみがえります。
あのころの仲間で、現在も生き残って西ドイツに住んでいる者のうち、連絡のとれる33名は、年に何回かフランクフルトに集まって「バンドウを偲ぶ会」をもう20数年続けております。
会合のたびに、私たちはバンドウのめいめいの青春の日々を限りなく懐かしみ、遥かな御地へ熱い思いを馳せているのです。(中略)

目をつむると今もまざまざと、マツエ大佐、バラック、町のたたずまい、山や森や野原などが瞼に浮かんできます。」



【現在の板東(鳴門市大麻町)】

1976年。新たな慰霊碑が建立されます。



ドイツと収容所のあった鳴門市との文化交流は、100年足らずたった現在でも盛んに行われています。

鳴門市には「ドイツ館」というその象徴的な施設があり、収容所での生活の様子が再現されていたり、松江所長の紹介もされています。



板東俘虜収容所のお話は映画「バルトの楽園」となり、


その時に使われた映画セットは「バルトの庭」で見ることができます。


板東俘虜収容所跡地は公園になっております。



公園の奥の方、池の畔にふたつの慰霊碑。



その奥に。

慰霊碑をずっと清掃し続けた高橋夫妻のお墓が立っています。


最後に。「バルトの楽園」とまで呼ばれた板東俘虜収容所所長、松江の言葉をもう一度、残します。


【ドイツ人俘虜達を迎える前に部下へ語った言葉】

「実は、私は会津人だ。(中略)戊辰戦争のみぎり、鶴ヶ城に拠って官軍に抗し、朝敵の汚名を被った会津藩士の子として、この世に生をうけた。
私の父祖たちは、鶴ヶ城落城と同時に俘虜となって、会津降伏人とよばれ、屈辱と惨苦の境涯におちいったのである。(中略)

降伏人、すなわち俘虜というものがどんなに悲しいものであるかを、私は幼心に深く刻み込まれ、それはいまも忘れることができない。
『薩長人ら官軍にせめて一片の武士の情けありせば』
とは、あのみぎり大人たちがよく口にしていた言葉であった。
これも、今もなお私の耳底に残って忘れることのできぬものである。

さて、明日は第1次俘虜が当所にやって来る。そこで諸官へ、所長としての私の俘虜に対する方針を述べておきたい。

『武士の情け』これを根幹として俘虜を取り扱いたい。わかってくれるかね。」


【ドイツ人俘虜達を迎えた時】

「諸子は祖国を遠く離れた孤立無援の青島において、絶望的な状況のなかにありながら、祖国愛に燃え最後まで勇戦敢闘した勇士であった。
しかし刀折れ矢尽き果てて日本軍に降ったのである。
だが、諸子の愛国の精神と勇気とは敵の軍門に降ってもいささかも損壊されることはない。依然、愛国の勇士である。
それゆえをもって、私は諸子の立場に同情を禁じえないのである。
願わくば自らの名誉を汚すことなかれ。」


【ドイツ敗戦。ドイツ人達に向けた言葉】

「諸君。私はまず今次大戦に戦死を遂げた敵味方の勇士に対して哀悼の意を表したい。もとい。いま敵味方と申したが、これは誤りである。

去る6月28日調印の瞬間をもって、我々は敵味方の区別がなくなったのであった。同時にその瞬間において、諸君はゲファンゲネ(俘虜)ではなくなった。ドイツ国民の一人一人であり、一個の自由なる人間になったのである。(中略)

さて、諸君が懐かしい祖国へ送還される日も、そう遠くではないと思うが、既に諸君が想像されているように、敗戦国の国民生活は古今東西を問わずみじめなものである。

私は幼少期において、そのことを肝に銘じ、心魂に徹して知っている。
それゆえ、帰国後の諸君の辛労を思うと、今から胸の痛む思いである。(中略)

どうぞ諸君はそのことをしっかり念頭において、困難にもめげず、祖国復興に尽力してもらいたい。」


【松江所長の息子さんの言葉】

「(収容所所長であった父のことを)、アウシュビッツやソンミ村事件に比べて、ヒューマニズムという言葉でいう人もありますが、ヒューマニズムというような今日的な言葉よりも、「武士の情け」という言葉のほうが、一番ぴったりしているように思います。

父は武士らしい厳しさと、強い正義感をもつ反面、人間を全面的に信頼し、情にはひどくもろいところがありました。」



徳島県に行く時は一度、お立ち寄り下さいませ。




「阿波大正浪漫 バルトの庭」(映画ロケセット)
徳島県鳴門市大麻町桧字野神ノ北22-1

「板東俘虜収容所跡地」
徳島県鳴門市大麻町桧(バルトの庭の近く。公園になってます)

「鳴門市ドイツ館」
徳島県鳴門市大麻町檜字東山田55-2

「大麻比古(おおあさひこ)神社」(メガネ橋・ドイツ橋)
徳島県鳴門市大麻町板東広塚13


《参考サイト・参考文献》

鳴門市ドイツ館HP
http://www.doitsukan.com/index.html
→→→(HPへ)鳴門市ドイツ館

「板東俘虜収容所物語―日本人とドイツ人の国境を越えた友情」
(棟田博/著・光人社NF文庫)

「板東俘虜収容所の全貌 所長松江豊寿のめざしたもの」
(田村一郎/著・朔北社)


いつも応援いただきありがとうございます。自分達が帰国した後は慰霊碑が放置され死者を傷つけるかもしれないと憂慮したドイツ人俘虜達。誰に頼まれたでもなく、ずっと清掃し続けた高橋夫妻。今日は阪神淡路大震災から20年。慰霊碑をずっと守り続けることが供養ですね。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
スポンサーサイト



あれから20年


今日は阪神淡路大震災から20年。

忘れないことが供養。


いつも応援いただきありがとうございます。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

参加してます♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
最新記事
カテゴリ
カレンダー
12 | 2015/01 | 02
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
最新トラックバック
ブログ村さんに参加中
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ご来場御礼