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洲本八幡の金天閣。蜂須賀家の御殿です。淡路島。

こんにちは。


淡路島。


洲本市のマスコット、ポン太。


洲本八幡神社。


山門前の男前な狛くん。


柔らかそうなしっぽ。むふん。


ここから山の上にある古い方の洲本城が見えます。
ろまんてすとな吽ちゃんですねぇ。


におい嗅いでるだけかい。


失礼しちゃうわっ。



【由緒】
伝・淳仁天皇の創祀。

◇淳仁天皇(733年- 765年)

在位:758年9月7日 ‐764年11月6日
古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)。
諱は大炊、践祚前は大炊王。
天武天皇の皇子である舎人親王の七男(3歳で父と死別)。

「孝謙上皇・道鏡 VS 淳仁天皇・仲麻呂」

結果として淳仁天皇・仲麻呂が政争に破れ、天皇は淡路島へ流されました。


淡路島で他界し、淡路島に葬られた淳仁天皇。

淡路廃帝の記事はこちら→→→
淡路廃帝淳仁天皇と母の当麻氏




驚かさないで下さい。ぶさかわ阿くん。


見つけてしまった。


かわいい。

【創建】
990年。
「奇瑞を授けられた」という淡路国国司代・藤原成家(定家の同母兄)により、当国の安寧と繁栄を願い「淡路州神」と称え創建されました。

【祭神】
誉田別尊(応神天皇)、神功皇后(応神天皇母)、ヒメノカミ、クラオカミ(龍神)


無理です。


けちですが、なにか。


文化六己年五月吉日。石工は、伊右衛門 長全。


なんとこの子達、にひゃくちゃい。と、ちょっと。


1526年。熊野水軍の頭領の安宅治興が洲本城築城。

→安宅冬康→信康→清康

1581年。秀吉の淡路攻略。

仙石秀久(高野山へ追放)→脇坂安治→阿波徳島藩蜂須賀家の所領となります。

淡路島は、蜂須賀家家老の稲田さんが治めます。

ここ、洲本八幡神社は、藩主蜂須賀氏、家老稲田氏の祈願所となりました。


春秋の祭りの際には寺社奉行が遣わされる程の崇敬を受けました。


そして、洲本城は。


蜂須賀くんの徳島藩になった後は、山の上の戦うための城は不要となり、山の下に造られた洲本城(洲本御殿)で政務をとります。


現在は、資料館や裁判所が建っている下の洲本城です。


そして洲本八幡神社の境内には。


金天閣。
1641年に徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)が、三熊山山麓の洲本城内に建てた洲本御殿の一部。

洲本御殿の大部分は明治維新後に取り壊されましたが、この玄関と書院だけが移築され残りました。

江戸時代初期の書院造の建築物として貴重。

数度の移築で改変の跡はあるものの、内部は当時のまま。
黒漆塗の折り上げ格天井に金箔が施されていることから、金天閣。


それは違うでしょ。


蜂須賀くん。

私と同じく愛知県出身の蜂須賀くんには、とても親近感がもりもりです。


いつも応援いただきありがとうございます。明日から三連休なので、どこ行こーかしら?と思いつつ、朝になればぐーたらしてそうな予感がします。
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