fc2ブログ

賀集山万福寺。淳仁天皇淡路陵を護る人々

こんにちは。


今日も淡路島。

淡路島の賀集には、天皇陵があります。


■代数 第47代
■御父 舎人親王
■御母 大夫人山背
■御陵名 淡路陵(あわじのみささぎ)
■所在地 兵庫県南あわじ市賀集
(宮内庁ホームページより)



◇淳仁天皇(733年- 765年11月10日)
在位:758年9月7日 ‐764年11月6日
古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)。
諱は大炊、践祚前は大炊王。

天武天皇の皇子・舎人親王の七男(3歳で父と死別)。

藤原仲麻呂の推挙により立太子。
大炊王は仲麻呂の子(真従)の未亡人粟田諸姉を妻とし、仲麻呂の私邸に居住。

758年に孝謙天皇から譲位を受け践祚(桓武天皇以前は即位と同義)。同時に孝謙天皇は、太上天皇(孝謙上皇)となります。


これは5月のたまねぎ畑。


◇藤原仲麻呂(恵美押勝に改姓改名)
祖父は藤原不比等。父は不比等の長男武智麻呂(藤原四兄弟は、武智麻呂、房前、宇合、麻呂)。

天皇の保良宮滞在中に孝謙上皇が弓削道鏡を重用し始め、危機感を抱いた仲麻呂は淳仁天皇を通じて、孝謙上皇と道鏡との関係について諫言。

これを契機にして両者の関係は対立。


孝謙上皇・道鏡 VS 淳仁天皇・仲麻呂


762年6月28日、孝謙上皇は「今の帝は常の祀りと小事を行え、国家の大事と賞罰は朕が行う」と宣告。

764年9月11日、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱。
上皇側の責任者は吉備真備。

藤原仲麻呂は上皇側と戦いますが、琵琶湖の三尾(近江国高島郡)まで追い詰められ、湖畔で斬首されました。

淳仁天皇は、仲麻呂の乱には同行していないものの、「仲良し」を理由に上皇に廃位を宣告され、淡路国へ流されます。



皇位は孝謙上皇が重祚、称徳天皇となります。

一方、淳仁天皇は、廃位のため太上天皇号(上皇)にはなれないどころか、天皇の数にも入れられず。


「天平神護元年十月庚辰、淡路公、幽慎ニタエズ垣ヲコエテ逃グ。守佐伯宿禰助、接高屋連 並木等、兵ヲ率イテコレヲサエギル。公、還リテ明日院中に於テ甍ズ」(続日本紀)

765年10月、「幽憤に勝(た)えず、垣根を越えて逃げたが、明日、院中に薨(みまか)りぬ」。死因不明。薨年33歳。


逃亡をはかった翌日、お亡くなりに。怪しい。


淳仁天皇陵から数百メートル。


母上の「大夫人・当麻山背」も共に淡路島へ流されてきました。


お邪魔申し上げます。


のどかです。


二人の陵墓からはお互いの姿が見えるところが、きゅん、です。


暗殺の疑いが濃い淳仁天皇は、怨霊として皇室を悩ます故に、772年、光仁天皇が僧侶60人を派遣し、斎を設けて、その魂を鎮めました。


その僧侶達の宿所、賀集山万福寺。

淳仁天皇の冥福を祈る本尊・金剛界大日如来と、母の当麻夫人の菩提を回向する本尊・台蔵界大日如来。

ふたつの大日如来が合祀されています。



天皇の数に入れられず「廃帝」のままであった淳仁天皇(大炊王)。

明治3年7月24日(1870年8月20日)に、ようやく、弘文天皇(大友皇子)・仲恭天皇と共に明治天皇から「淳仁天皇」と諡号を賜られます。

明治6年(1873年)には、同様に配流先で歿した崇徳天皇を祀る白峯神宮に合祀されました。


恵美酒太神は、御陵に鎮守として迎えられた福の神だとか。

明治初年に御陵が宮内省の管轄となり、鎮守の恵美酒太神を万福寺の住職が当寺に迎えました。

「天皇の森のえべっさん」と崇められた御神像には、『淡州三原郡賀集荘舟森廃帝陵鎮座恵美酒太神』と、朱印があるそうで。


山門横のちびちゃん。

万福寺は、鎌倉時代には高野山の庇護を受けますが、やがて衰退。


室町末期に賀集氏が備後より阿波を経て当地に領主として移り、城を構えた時に復興され、今日に至っています。


山門の屋根瓦。

1613(慶長18)年、脇坂安治の後に淡路島へ入った池田忠雄。


洲本市由良の成ヶ島に由良成山城を普請した際、播磨国から播州瓦の名工清水理兵衛を招いて瓦を作らせます。


それが淡路瓦のはじめ。


万福寺の現在は、淡路島七福神巡りの第一番霊場。


えべっさんのお寺です。


賀集山万福寺
《住所》兵庫県南あわじ市賀集鍛冶屋87-1


いつも応援いただきありがとうございます。淳仁天皇淡路陵と万福寺のある「賀集」地域。天皇陵があることからわかるように、この付近の歴史は古いです。また、賀集は、「淡路島玉ねぎ発祥の地」。明治21年に賀集村で試作が行われたのがはじまりとされているのだとか。たまねーぎ、うまー。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
スポンサーサイト



洲本八幡神社。境内社・天満神社の微妙狛犬ず。

こんにちは。


ずっとお城の探検していても殺風景なので。


たまねぎが美味しい淡路島。


淡路島はこんな感じの形。


徳島県鳴門市の宇志比古神社の狛犬くんを見たとき、こう見えまして。
おほほほ。


阿波徳島藩蜂須賀家の時代になると、上のお城は棄却され、下の城で政務を行っていました。

その下の城から程近く。洲本八幡神社に立ち寄りました。


探検してきたのよ。


模擬天守がよく見えます。


いやぁん。

室町末期の1526年。安宅治興が三熊山に洲本城を築いた際に、安宅秀一が当社に参籠。その後も代々洲本城主に崇敬されました。

江戸時代には、淡路国における徳島藩の代参所となると共に藩主蜂須賀氏及び家老洲本城代稲田氏の祈願所として崇敬をうけました。

また、淡路国で初めて檀尻(だんじり)が出された神社でもあります。


微妙に男の子。


無理です。


境内社の天満神社。

ここの子達に会いに来ました。


こんにちは。


きゃー。


か、かわいいっ、のかな!?


頭に小さな何か。


こっちはソフトクリーム。

獅子くんかな。


ありがとー。考えとく。

洲本八幡神社には、国端彦(くにみずひこ)護国神社というお社があります。



祭神は、国端彦大神(蜂須賀家政)・ 蜂須賀茂韶・城代(家老職)稲田家一族・蜂須賀家三代有功臣・護国神と、洲本出身の英霊。

徳島の端彦神社より1879(明治12)年に文霊を迎え創建。


拝殿と本殿の間に見えた後ろ姿。

箱入り狛ちゃんに、会いたい。


いえいえ、とんでもない。


いつも応援いただきありがとうございます。洲本八幡神社の境内社の狛犬くん。初めて会ったときはびっくりしました。よーく見ると、いい顔してます。国端彦護国神社の箱入り狛犬くん、私の好きなちびっこ笑顔な子達のような気がします。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

洲本城。東の丸を探検。年代異なる石積と曲輪。

こんにちは。


(クリックで拡大)淡路島の洲本城。上が北側。


今も残る巨大な石積の城を作ったのは


脇坂安治君。

目印は、知恵の輪のマーク(違うよ、輪違い紋だよ)。
発掘調査で洲本城から出土した瓦は、脇坂さんちの輪違い紋のみだとか。


安宅氏時代から武勇名高い淡路水軍を引き継いだ脇坂安治。
水軍をまとめたり、洲本城を作ったり、多忙。

だって戦国時代の真っ最中ですもの。


洲本城の中で、最初に作られたという東の丸。
こんな感じでてくてくしました。

まずは、赤い矢印コース。


東ーの門(画像では途切れてる右端)を入ると


武者溜。


武者溜の周囲を支える石積。


東二の門です。(紫の矢印の示す狭いところ)

ここを通る前に右側の石積に添っててくてく。


一部崩落。

(赤い星印の辺り)

洲本城の東側で第一線となり、本丸を守ります。
高く長く連なる石積は文禄・慶長初期の構築といわれています。


石積を直角に曲げず鈍角になっているものを「シノギ角」といいます。


東の丸の北側の急斜面に築かれた石積。

この奥には、登り石垣がありますが危険なので行きません。

登り石垣。

これは自然石が連なっていたのですが、登り石垣はこのように斜面の上下方向に走っている石積。



斜面をよじ登ってくる敵の横方向の動きを食い止める働きがあります。
異国での戦いで学んだ石垣で、洲本城の他は松山城、彦根城に見られます。


彦根城の登り石垣。

洲本城では、山の高さ140mの本丸から麓まで連なるため、階段状。
登山道を通ると見ることができるとか。宿題。

この辺り、私には面白かったんです。


ぼたもち君がいますの。


三熊山一体が岩山なので、石積の材料には困らなかった事でしょう。


石積くん、満腹だそうです。


上には何があるのか探検たんけん。

(紫の矢印のコース)


東二の門を通りまして。


なんとなーく、石段があったので。


入口。

ここは東の丸の南側と東側を囲む曲輪部分。
周囲は低い土塁?・・・ただの盛り土かしら。

東の丸全体は、小高い地山に作られています。


一段高くなっているのは東の丸。
この曲輪で敵の攻撃を食い止めるのかな。

曲輪を北側へ進むと石積。


角の積み方から、天正年間のものと推定される、洲本城で一番古い石積だとか。

秀吉の淡路・四国攻めの際に安宅氏洲本城は開城。
城主は仙石秀久となり、次に脇坂安治。この頃の構築の石積。


うふふ。おもしろーい。


東の丸内部へ入る階段。

(紫の丸印の辺り)


ここは小高い地山の上。

そして、北側には

見張ったのかな。



★ここの下は崩れているので端っこに近付いてはいけません★


現況はこの高石垣の上。崩れかけていますから。


まず、信長の命令で秀吉が淡路・四国攻めを行った天正年間に東の丸を構築。

信長死後、秀吉晩年の文禄・慶長初期に、地山の補強と防御の為に高石垣を構築。

そんな感じ。


すんません。

(青い矢印のコース)


安宅氏が1526年に洲本城を構築する際に勧進した八王子社。磐座。


八王子社へ下りる八王子木戸という出入口。

正面に見える柵の向こう側は

斜面に添って石積がうねっております。

これが、東の丸の北側になります。入ってみましょ。


東の丸の出入口。


目の前にこの石積。


恐らく二段目。

東の丸の北側を見下ろすと

北側から山を登ってきた敵さんも、いきなり東の丸に着いたらびっくりするでしょうねー。

まずここで食い止めるのかな。


南側に残る石積。
南側にも、曲輪があります。


図面青丸部分。


こんなとこで煮炊きしたのだろうか。

第一、釜にしてはでかいので、これは何かなー。


次に現れたのがこれ。


危なそうなので上がりませんでしたが、ここの向こう側は、さっき見たこれ。


東の丸内部へ入る階段。


洲本城、楽しいです。



ないしょ。


いつも応援いただきありがとうございます。洲本城の東の丸付近は崩落している部分が多いので、散策は自己責任です。今回は真冬の訪問なのでハチやヘビはいなかったのですが、暖かくなったらうじゃうじゃいるので、やめておきましょう。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

洲本城東の丸。水軍を率いる頭領の城

こんにちは。


脇坂安治時代の石積がてんこ盛りの洲本城。



三熊山に最初に築城したのは室町末期の1526年。三好氏の重臣・安宅治興。

熊野水軍の頭領である安宅氏は、由良を拠点として島内八箇所に築城。
そのうちの一つが洲本城。

ポイントは、安宅氏が水軍の頭領であること。

治興→養子・安宅冬康→長男・信康→二男・清康。


安宅氏時代は、石山本願寺と対立する信長側につき、彼等の率いる淡路水軍は毛利水軍とも戦いました。

しかし、織田信長により淡路島攻略の命令が出されると、三好・安宅氏は永らく信長と対立。

松永久秀が信長に討たれると、安宅信康は本拠であった由良城を羽柴秀吉・池田元助らに明け渡し、 洲本城もこれに倣って開城(1581年)。

安宅氏時代は石垣の城ではなく、洲本城が現在の形となるのは、1582年に一瞬だけ入城した仙石秀久と、その後に入った脇坂安治の時代。


脇坂安治は淡路水軍を吸収し、洲本城を水軍の本拠地とします。


この淡路水軍は豊臣水軍の中核となり、北条氏の小田原城攻めで海上封鎖作戦を行い戦果を挙げました。


(クリックで拡大)洲本城概略図

洲本城は三熊山に作られた城。尾根の東西に拡がります。
北側には異国での戦いから学んだ登り石垣が東西に二本あります。

東側の構築物が一番最初に作られたとか。
まず、東端の東ーの門から入ってみます。


洲本から120m程の比高。

おんぶ~っと言いつつ、大手口まで車で来てます。へへ。


武者溜の広場。

ここに洲本城に勤務する武者さんがたむろしていたのかしら。


安宅氏は水軍の頭領。



石垣を増改築した脇坂氏の前に、ここ、三熊山に目をつけた安宅氏。
当然、城からも水軍の動向が見えるようにしたことでしょう。


当時のように樹木を伐採すれば、海が見渡せる位置。


馬屋、という場所からは南側の由良方面も見渡せます。


敵方の攻撃に備える為の城ならば他に適した場所があるでしょうが、淡路水軍を率いるには、ここが最適だったのですね。



いつも応援いただきありがとうございます。洲本城のある三熊山。先端はそのまま海。水軍さん達がこの海を動き回っていたかと思うとわくわくします。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

洲本城に磐座?巨石重なる城の鎮守。

こんにちは。


ごきげんよう。


淡路島の洲本城。

熊野水軍である安宅氏が1526年より構築したのは中世山城。
その後に洲本へ入り、石積を駆使して現在残る城を作ったのは脇坂安治。

脇坂時代の中でも変遷が見られる石積。ぶらぼー。


四苦八苦したんだろうなー。


石の天国。


大手側の虎口へつながる大石段。


めんどくさいです。


左折してー。


やっと本丸。


本丸を囲むのは、武者走台。


外側からは見えません。

天守台にそびえる天守は、昭和3年に作られた日本最古の模擬天守。


洲本城下が眼下に広がります。


阿波藩蜂須賀家の領地となった後は、下の城で政務を行いました。
筆頭家老の稲田家が城代となり、淡路島を治めます。

下の城と稲田家屋敷跡が見えます。


天守台から洲本城下方面の斜面には、一直線に並ぶ大きな自然石が。


一旦大手大石段を下りて、下から本丸の石積を見学。


崩れている方へ向かうと。


大きな石をそのままにして、石積を組んでいます。不思議な石。


うろちょろしている場所は3mほどの高さがある曲輪。矢印の方へ歩きます。


通路は石積になってました。


石積の下から石積。


戦国真っ盛りの脇坂安治時代。常に臨戦態勢?


八王子社、の鳥居があります。はてな。


ここは、八王子木戸、の名前の出入口。

私、北へ向かってます。山の下は洲本の城下町。


外側から見た。お向かいの石積の奥は、


東の丸の石積が連なってます。

さて。こっち側には、


びっくり。


脇坂時代には、これ、ありません。


現れたのは大きな石。


1526年。熊野水軍の安宅治興が洲本城を構築する際に勧進した八王子社。


・・・これ、磐座ですよね。


古墳とか磐座は、常にどきどきどき。

まぁ♪パワースポット~♪とかではなく、崩落せんかと、どきどき。


例え腰が引けていようとも。

ご神体は、さざれ石の巨石。


支え合う巨石。


一人は皆のために、皆は一人のために(違)。


怖いと言いつつ裏へ回り込むと、さらに巨大なさざれ石。


背中に冷や汗かきつつ、お参り。


洲本市のパンフには、蛇神様を祀る、とありますが。

この磐座は洲本城の天守台の真下の北側斜面にあり、一列に並んでいた巨石の一部。



安宅治興時代の洲本城は、石積ではなく中世山城の土の城だったことを考えると、ずっと以前から磐座は存在していたのではないかなーっと、からっぽ頭は考えてみました。


洲本城の面白いのは、戦国真っ盛りの脇坂安治時代の繰り返し強化した石積と、自然石の巨石群がごく自然に並んでいるところ。

うきうきです。


いつも応援いただきありがとうございます。洲本城のある三熊山の巨石群。お城を訪れた時は、ぜひこのお社にもお参りください。ぞわぞわしながら。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

さざれ石。洲本城の石の百面相

こんにちは。


ここは淡路島の洲本城。てへっ。


洲本城より見た洲本市。

1526年。安宅治興が構築し、後に脇坂安治が石積を設けた洲本城。

江戸期は、阿波蜂須賀藩から筆頭家老の稲田さんが城代としてやって来ましたが、その時は麓に政庁を行う「下の城」を作り、ここ「上の城」は棄却。


脇坂時代の様々な石積を観察出来ます。


にゅるん、としていたり、


ばしっとしていたり、


切り出したものの、残念ながら放置されていたり。


残念石、と言います。


大きさ比較。


防御に高さ不足と思ったのか、約4m拡張。
脇坂時代初期は、戦国の緊張感がばりばりです。


新築、増築、改築。


大手側(表玄関)の大石段。

この辺りは脇坂時代後期に改築しているのだとか。

誰か通らないかなーっと待っていたら、チェーンソーを手にした人が来て心底びっくり。
洲本城のお手入れをされてる方でした(;^_^A


大手側。石段を上った正面。玄関に魔除け。

搦手側(裏口)にもあります。


大手側。中に入ると

日本最古の模擬天守。必死に踏ん張ってます。

天守台の石積は

関ヶ原後の改築といわれ、角は「算木積」、面は穴太積。


東の丸では坂に合わせて斜めに上ってます。

東の丸は脇坂時代初期のもので、石積の高さも低く、本丸付近の石積とは様相が異なります。


一番古いと言われる部分。


ところで洲本城を歩いていると、真ん丸の石がころころ転がってるのですが。山の上なのに。


洲本城の石積に用いられている石の多くが「さざれ石」。


洲本城のある三熊山一帯の岩には、さざれ石が多く見られます。
石積は現場調達したようで。

さざれ石。
「学術的には『石灰質角礫岩』などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。」(wikipediaより)


君が代のさざれ石は、この固まったものではなく、小石のこと。


帰りに洲本八幡神社にお参り。


ごめんよー。


いつも応援いただきありがとうございます。洲本城はいろいろな石のお顔が楽しめるところ。ここも、「淡路島にも天空の城があったのだ」と売り出し中。竹田城のように手遅れになる前に、対策をとっておいて欲しいなぁと思うのです。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

晴れたら淡路島。あなごうまー。

こんにちは。


未年ですね。今さらですが。

未年なんて、丸めたコットンを飾っとけばいいでしょー!なんて言ったの、誰。

わたくし。


ころころしたもんが好きです。


この子とはおのころ神社で、出会いましたの。


親近感。

本日関西は晴天にて。晴れたら海でしょ淡路島でしょ。

ってことで。


やって来ました淡路島。


炭火焼きの穴子を白ごはんにのっけて、朝ごはーん。

香ばしーい。うまーい。幸せー。酒よこせー!


うるさいわねっ。

さて。淡路島といえば、何でしたかぁ~?

ちっちっち・・・はいっ。


そうですね、たまねぎねっ♪

今の季節は、若者のたまねぎさんでした。

葉っぱは切って鍋に入れてー。玉のとこはサラダでも焼いても、うまー。

淡路島のたまねーぎ、あまーいのです。


道の駅うずしおで、ご当地バーガー2013年優勝、2014年準優勝!の、あわじ島オニオンビーフバーガーを購入。

たまねぎ輪切りのフライ、淡路牛の甘辛煮、淡路島産トマトと淡路島のたまねぎのみじん切りを混ぜたソース、たまねぎチップ、たまねぎスライス、たまねぎピクルス、が、挟まれておりまする♪


これを渡れば四国なのね、と思いつつ。

とある駐車場で、あわじ島オニオンビーフバーガーに、かぶりつき。

なんかわからんけど、美味しいんです。


淡路島は瓦の産地でございまして。


ちょっとー、邪魔しないでっ。


そうね。大人げないですね。


許容範囲を超えたー!


そ、そうですか。


いつも応援いただきありがとうございます。大阪から徳島県に行くには、淡路島を縦断して鳴門大橋を渡ります。淡路島で下りたいなーっという欲求と必死に戦っておりましたの。今日は晴れ。晴れたら海でしょー!っと、淡路島へドライブでした。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

宇志比古神社。ないすばでーの狛犬様

こんにちは。


明石海峡を渡り


鳴門海峡を渡り

やっと着いた四国の地。うきうきやっほー♪な気分でまず立ち寄ったのは。


宇志比古神社。くんくん。


うはー!


めっちゃ笑顔♪


おっきくて丸くて、思わず撫でたくなるような後ろ姿。


何からつっこんだらいいのかしら。


くねる狛子さん。


なーいすスタイル♪


ほめちゃった。


おばちゃんは見た。


そう。よく見ないとわからないほど微妙に。


おほほほほ。


朝一番から素敵な狛犬様に会って、こりゃー幸先いいぜっ♪っと、ほくほくのまま、車を発進させたのでしたー。

そう。参拝するのをすっかり忘れて・・・(ノ_<。)


いつも応援いただきありがとうございます。徳島県に入って、鳴門市。一面に広がっていたのは、レンコン畑(・・・畑?)。無人販売でレンコンを置いてるなんて、初めて見ました。そして、お初にお目にかかった、むっちりおしりの狛犬さん。徳島県、恐るべしっ。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

諏訪神社の狛犬ぱらだいす。蜂須賀家はわんこ好き?

こんにちは。


美形なのに不運な狐兄弟。


ちびっこ狛犬の群れ。


まだおった狛犬。

徳島市の諏訪神社。蜂須賀家政が創建したのよ、というお話をかっ飛ばしてもいいくらい、ここは楽しいお社。


やっと辿り着いた諏訪神社。

徳島市周辺は、鎌倉時代より伊予国地頭の河野氏が支配。
室町時代に細川頼之が四国地方にあった南朝方の勢力を討ち、現在の徳島城のある城山に小城を築きました。


ちょっと大柄な狛犬ズ。

頼之はこの辺りを中国の渭水に例え、この地を渭津、山を渭山と名付けたといいます。


どうしようかなー。

戦国時代、阿波の地は群雄割拠の時代となりますが、1582年(天正10年)、土佐国の長宗我部元親が侵攻し阿波が平定されました。


しめ縄飾りすら風にたなびく強風。

1585年(天正13年)、豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政(蜂須賀正勝の子)が阿波国18万6000石を賜り、徳島に入封。


がんばれー。

当初は徳島市西部の一宮城に入城しますが、山城故に不便。
入封早々に平山城の徳島城を築造し、翌年完成。

徳島藩主蜂須賀家は移封なく明治維新を迎えます。


この鳥さんのような三角のお顔、徳島の狛犬くんの特徴らしく。


手袋してマフラーぐるぐるにしてても、寒い。


好きと言いつつ、かーちゃんを踏んづけておりますが。


ふふふ。

1585(天正13)年。徳島藩主蜂須賀家政が豊臣秀吉の命により徳島城を築城した際に、創祀されたと伝わる諏訪神社。

「渭津五社」の随一と称され、蜂須賀家の崇敬を受けます。


奥に「渭津五社随一」の額。

「渭津五社」とは、もと渭津(渭山、猪山、城山、等と称す)にあった5社。現在残るのは諏訪神社、伊勢祠、住吉社、龍王宮、弁天社の4社。



祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)。

建御名方神は神(じん)氏の祖神。
神氏の後裔である諏訪氏、他田氏、保科氏などの諏訪神党の氏神。


拝殿内部の奉納画。


本殿だけ真っ赤。

長野県諏訪市の諏訪大社を始め、全国の諏訪神社に祀られている建御名方神。

「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」(『梁塵秘抄』)とあるように軍神として知られ、また農耕神、狩猟神、風の神として信仰されています。


神紋の鎌。

神紋の鎌は、建御名方神が信濃国諏訪を領有するにあたり、「山国はイバラを切り開くが如しだぜ、べいべー」と、ぶーぶー言いながら鎌を用いたという故事によるもの。


丁寧に申したつもりなんですが。




絶景かなー。



諏訪神社は、藩主蜂須賀家の崇敬篤く、社殿の修理造営等は全て藩費で行われました。よかったよかった。



さぁて。帰ろっと。


せっかく石橋があるのだから、渡ってみましょ。


んまっ、まだ、おったー!


わんこさんなのに、八頭身。


みよーな色気のある狛犬くんです。


むっちり。


どうだっ。むちっ。


ここは諏訪神社の末社、事代主神社なのでした。

おや。お隣にまだお社があります。

天神社さん。


うおーう。おちびちゃんがおったー!

かわいいなー。徳島の狛犬くんって。


私もちびちゃんに会えて嬉しいぜ、べいべー♪

とても幸せな気分の諏訪神社でした。


さて質問です。

諏訪神社には、狛犬ズは何組いたでしょーか?


いつも応援いただきありがとうございます。狛犬くんに会いたくなったら諏訪神社へ是非。摂社末社にまでわんわんてんこ盛りでした。あ、美形狐兄弟も忘れないでねー。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

狛犬くん、何組?の正解は、下の《続きをよむ》をポチっと。

続きを読む»

事勝神社。狛犬いっぱいの諏訪神社摂社末社群。

こんにちは。

徳島市の諏訪神社。


美形狐兄弟の前を通り、坂道を登り続けます。


おっさんかっ。


摂社の若宮神社です。


うふふ。


おっきな足ですねー。毛並みがきれい。

この狛犬くんの後ろが眉山の登山口。


ずらーっと並ぶ神々。


なにすんのっ。


お参りしましょ。


何が始まる。


まぁ、たくさんの狛犬ズ♪

改めましてご挨拶。


きゃー♪


徳島名産、青い石のお社です。


事勝神社。ことかつじんじゃ。

「日本書紀」の天孫降臨で、日向の高千穂の峰に天降ったニニギが笠狭崎に至った時に、ニニギに自分の国を奉った「事勝国勝長狭神(ことかつくにかつなぎさ)(別名・塩土老翁)」が登場しますが、その人なのでしょうか。

由緒もご祭神も不明です。


ぱーらだいすぅ~♪


阿ちゃんず。


無邪気なちびちゃんは、1885(明治18)年11月吉日生まれ。
ミカンが落ちた子は、昭和49年11月吉日生まれ。


あかん。かわいい。


吽ちゃんず。

無邪気なちびちゃんの尻尾が天使の羽根に見えた。大丈夫か、わたし。


きゅーん。


「ことかつさん」と呼び、ここぞという時に氏子の皆様は必ずお参りされると近所のおじいさま談。

まるかつの印が眩しい。


おおいばり。


ここにも元気な狛犬ズ。



お散歩がてらお参りされる方々に何人もお会いしましたが、お社を維持するのは大変だろうなぁ。


こんなに可愛い狛犬ズがいるのでぜひお越しを。


末永くお社が続くために狛犬会議。頑張れー。

さて。いっぱい可愛い狛犬くんに会えたし。もう帰ろかなー。


まだ諏訪神社の本殿にたどり着いていないのでした。



いつも応援いただきありがとうございます。ちびちゃん狛犬にうはうはしていたら、なかなか諏訪神社の本殿にたどり着けず。さぁて、この諏訪神社にはいったい何対の狛犬ズがいるのでしょうか。まだまだいたのよ、うふふふふふ♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

参加してます♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
最新記事
カテゴリ
カレンダー
12 | 2015/01 | 02
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
最新トラックバック
ブログ村さんに参加中
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ご来場御礼