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甲賀忍術屋敷。それは甲賀五十三家筆頭・望月出雲守宅。

こんにちは。


滋賀県甲賀市甲南町の風景。


こんなぷりちーな、えべっさんのいたところは。


元禄年間に造られた望月出雲守の屋敷。

望月氏は信濃国からやって来ました。


朝廷へ献上する馬の牧場「勅旨牧」は奈良時代より存在。

865(貞観7)年に、信濃国の貢馬の「駒牽(こまひき)」の儀式が、満月(望月)8月15日に改められ、この日に駒牽された貢馬を「望月の駒」と呼ぶようになります。

朝廷への貢馬の数が最も多かったのが、信濃御牧の牧監とも伝えられる滋野氏。信濃十六牧の筆頭「望月の駒」を継承した一族として「望月」の姓が与えられました。

滋野氏はその後分家。望月氏、海野氏、根津氏(滋野三家)として継承されていきます。


東国に置かれた「勅旨牧」から貢進された馬を天皇に披露する「駒牽」の儀式。

勅旨牧は信濃・甲斐・武蔵・上野の4国。
それぞれの牧では50頭から80頭の馬を養っておりました。

駒牽の儀式は後に、16日が信濃、17日は甲斐穂坂、20日は武蔵国小野、23日は信濃望月、28日は上野、という順に引かれるようになります。(『延喜式』『政事要略』)


信濃の望月家と同じ九曜紋。

平安時代に平将門の乱の武功のあった信濃の望月三郎兼家が、朝命により甲賀十六ケ村を贈られ赴任、甲賀望月を起こしました。


今は「甲賀忍術屋敷」という名称で公開されております。

室町時代。
幕府の命に背く佐々木六角高頼討伐のため将軍足利義尚自ら大軍を率いて近江に来攻した時、甲賀武士団は佐々木六角氏に助勢。

それが、1487(長享元)年、鈎の陣。

山中でさまざまな奇襲攻撃をかけ、時には夜陰に義尚の本陣に迫って火や煙を放つなど、活躍。

「鈎の陣」で六角氏に味方した甲賀の地侍五十三家の筆頭格が、望月氏。

これを機に、望月出雲守を筆頭とする甲賀武士団の神出鬼没の戦術やその高い戦闘能力の印象が、「甲賀忍者」と呼ばれるようになったとか。


なりません。

奈良時代より、甲賀は、杣地方として巨大木が多く、京都奈良の建築物に多く使用され、巧みな建築技術も伝わります。

素早くその場を離れることを最優先にしたからくりの考案設計技術等、防御建築(防衛建築)としての観点から貴重な史跡なのです。




貝殻の内側が太陽によって光り、鳥避けになります。


忍び込まなくてよい。


にんにん、は、いいから。

中世後期、甲賀の小領主達は、同名一族同士で「同名中惣」を組織。

甲賀全域に拡大し、同規模の武士団が連合し合う「甲賀郡中惣」と言われる形になっていくのです。

「他所の一揆衆との間に争乱が起これば、一味同心に合力して戦う」等、有事の際の具体的な行動を一族内で取り決めていました。

同名中惣内部では、総領家を中心としながらも庶子家の自立度は高く、それぞれに城を構えます。

それが国指定史跡「甲賀郡中惣遺跡群」。

(甲南町・村雨城)
望月さんちの望月城もあります。


参考文献
忍術屋敷現地説明書とHP・新宮支城現地説明板


いつも応援いただきありがとうございます。忍者にんにん♪も面白いこの望月さんち。周囲には甲賀郡中惣遺跡群が点在し、のどかな風景を眺めつつ心踊るところです。信濃の望月氏、甲賀市でも頑張ったんですね。
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