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イノシシと蒲生稲置三麿。綿向大神に見込まれた。

こんにちは。


蒲生家氏神の馬見岡綿向神社。

綿向山に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、545(欽明天皇6)年、その頂上に祠を建てたのが始まり。

796(延暦15)年に里宮として現在の地に遷し祀られたのが、現在の馬見岡綿向神社。




社伝によれば。

545(欽明天皇6)年。

蒲生郡の豪族、蒲生稲置三麿と山部連羽咋。

綿向山麓で狩りをしていると、一天にわかにかき曇り、4月というのに吹雪に。
岩陰に隠れてやり過ごし、雪がやんだので外へ出たら。


どでかい猪の足跡発見。

それを追って山頂に到着。
すると、一人の白髪の老人が現れて。


「綿向山の山頂に祠を建てて、我を祀れ」と御託宣。

老人は、綿向大神(天穂日命《あめのほひのみこと》)の化身だったのでした。

こうして建てられたお宮が、今も綿向山の山頂に建つ大嵩神社。


現在は馬見岡綿向神社の奥の宮になっています。


蒲生くんのおうちとは、蒲生稲置三麿以来かれこれ千年のお付き合いとなるわけで。


この伝承により、猪は綿向大神の使いとされております。

亥年の絵馬は、代々伝わるイノシシの焼き印を宮司様自らがジューっと押して制作。


イノシシに押したらあかん。


さて。奥の宮の大嵩神社は、伊勢神宮のように、20年毎に新宮(にいみや)に造り改めて、神様にお遷りいただき、御神威の蘇りを願う式年遷宮を行ってきました。

地元の榧(かや)材をもって建て替えられております。


来年は第75回式年遷宮を迎えます。


【創始の物語メモ】
一人の老人に出会ったら、ここに我を祀れ、と言われちゃったよーという話。各地の寺社にこのような創始話は散見されますが。


能楽「田村」前段。京都の清水寺の創始を語る場面があります。

「そもそも当寺清水寺と申すは。大同二年の御草創。坂上田村麿の御願なり。

昔、大和の国、子島寺といふ所に。賢心といへる沙門。生身の観世音を拝まんと誓ひしに。

ある時木津川の川上より金色の光差ししを。尋ね上つて見れば一人の老翁あり。

かの翁語つて曰く。我はこれ行叡居士といへり。
汝一人の檀那を待ち。大伽藍を建立すべしとて。東をさして飛び去りぬ。

されば行叡居士といつぱ。これ観音薩埵(かんのんさった)の御再誕。また檀那を待てとありしは。これ坂上田村麿。」

そして、後段の坂上田村麿の鈴鹿の鬼退治の話へと続きます。


紅葉のきれいな清水寺。ニュースなどで清水寺を見たら、ちらっと思い出していただければ幸いに存じます。


参考文献
現地説明書


いつも応援いただきありがとうございます。皆様、老翁にはご用心あれ。お寺や神社を建ててね、っとおねだりされるかもしれません。壇那とはパトロンのこと。お婿さんじゃないですよー。
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