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蒲生貞秀墓所。千とせの後の人もたつねむ。氏郷断腸の思い。

こんにちは。


蒲生氏郷の故郷・滋賀県蒲生郡日野。


1547(天文17)年まで日野川の河床だった田園地帯。
向こうに見える高台は、日野城へ続きます。

赤い葉っぱのあるところ。そこには大抵お寺とか史跡とか。

てくてく。


うふふふ。

蒲生氏14代・貞秀の墓所。(氏郷は19代)

1504(永正元)年、貞秀は自分が死去してからの墓所を自ら定め、一本の松を植えました。それがここ「標の松塚」。



近江南部の有力国人であった蒲生氏。

貞秀は数々の戦で勇名を馳せ、戦国武将・蒲生氏を起こした英主と称されています。



50歳で出家した後も隠居せずに戦場へ。

槍の先に阿弥陀仏をかけて念仏を唱えながら戦に臨んでいたとか。


蒲生家菩提寺の信楽院。

こちらの本尊の阿弥陀仏。別名「槍かけ本尊」。
貞秀が槍の先にかけてた阿弥陀仏。


「標松塚」の石碑。from信楽院。


貞秀戒名「信楽院殿大弐法眼知閑大徳」


永正11年3月5日(1514年3月30日)死去。



「武芸はいふに及ばず、歌道にも達したり」(『蒲生軍記』)と記述のある貞秀。

『新撰菟玖波集』(室町時代後期の准勅撰連歌撰集)に5首が選ばれ、また、『蒲生貞秀詠草』『貞秀朝臣集』等を残しています。



お漬物で美味しい「日野菜」は、ここ、日野の地場野菜。

貞秀の時に後柏原天皇へ献上したらとてもとても喜ばれたので、以降、蒲生氏上洛の手土産になりました。

日野菜があればご飯もりもり。文武家計三道。


貞秀の植えた松は枯死してしまったようですが、


墓所の前にだけ、紅葉。


貞秀は自分の墓所を自ら定め、一本の松を植えた時に一首の歌を添えます。


「引うべし 松の下はに世をへれば 千とせの後の人もたつねむ」



来たよ、数百年を経て。ちとせの後もきっと、誰か来るよ。



かもっちにご挨拶。


さすが、レオン氏郷の故郷のかもっち。


いつも応援いただきありがとうございます。秀吉や徳川幕府の政策で先祖代々の土地を離れなければならなかった領主達。どんな思いで去ったのかと日野に来る度に思います。蒲生氏郷が去った後も、日野の人々は彼を追い、松阪、会津へ。そして日野の地には、蒲生氏に関わる史跡が残り。ぜひ日野へお越しくださいませ。
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