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加賀百万石墓所。子沢山と九谷焼。高野山奥の院。

こんにちは。


高野山奥の院編。


前田利家の長男・利長墓所。


利長夫人墓所。

向かい合う二人の墓所。

高野山奥の院に漂う、らぶらぶ視線。

しかし、夭逝した姫のあと、子供に恵まれなかったものの、利長は側室を迎えることもせず、奥様一筋。

二人は、前田利常(利家四男。利長の年の離れた異母弟)を養子に迎えます。

前田利常は、利家が名護屋城に詰めてたときに出来た子。
利家ってば、御年56歳。

総勢六男九女の子沢山な利家でございます。


と、ここまでが前回で。


兄・利長の養子に入り加賀藩第2代藩主となった利常。

利常の妻は、徳川秀忠とお江の娘・珠姫。

崇源院(お江)墓所。


利家が他界し、その子利長が家康に振り回されて前田家が危うくなったとき、家康たぬたぬが出した条件は

一、おかんのおまつ様は江戸へ人質として差し出せ。。
一、秀忠の娘・珠姫と、利長の養嗣子・利常を結婚させろ。

はにゃー。

こんななれそめの二人ですが、仲はどうだったのかといえば。


利常と珠姫の間には、三男五女が生まれました。

長男・光高は加賀藩第3代。利常から家督を継いだものの30歳で急死。
光高の子・第4代綱利は幼少のため、祖父・利常が補佐。

二男・利次は富山藩初代藩主。

三男・利治は加賀藩の支藩・大聖寺藩初代藩主。

前田利治墓所。

父・利常が小松へ隠居する際に、大聖寺7万石を与えられ、大聖寺初代藩主となります。

利治は、茶道を好み、小堀遠州に習いました。

茶に傾倒すれば陶器にも関心を持ちますよねー。
茶器類を収集したり,楽焼きを試みたとも伝えられております。

また産業振興にも熱心で、鉱山の開発に取り組み金山銀山を発見。
その開発途中で、領内の九谷村(石川県加賀市)にて良質の陶石を発見。

おおお。

茶人と陶土が揃ったら、あとは焼くしかなかろー!

新たな産業にしちゃおう!趣味と実益!

しかし、当時領内に製陶の技術はなく、利治は九谷鉱山で錬金の仕事に従事していた後藤才次郎を陶業技術の修得のために肥前有田に派遣。

彼の帰藩後九谷の地に窯を築き、2代藩主利明の代(利治、まだ生きてます。隠居しただけ)の1655(明暦元)年頃より、藩の殖産政策として色絵磁器の生産を始めます。


九谷焼のはじまりはじまり。

この時期の作品は「古九谷」と呼ばれます。
大聖寺藩主導の、いわば官営の窯。

ところが何故か50年後に中断してしまいます。

約100年後の1807年。

前田家は京都から青木木米を招聘して新たに加賀九谷焼を再開。

春日山窯・吉田屋窯・宮本屋窯等、次第に数々の窯が出来ました。
こちらは民営の窯。

これは「古九谷」に対し「再興九谷」と呼ばれ、現代まで様々な形で続くのでした。


加賀百万石物語。

加賀・前田家墓所。

巨大な供養塔は、加賀百万石を誇示するかのようにそびえ立っておりました。


いつも応援いただきありがとうございます。加賀百万石・・・これからの季節、魚も酒もうまいでしょうねぇ。あんこう鍋、食べたいです。あんきも、たまりませんねぇ。じゅるるる。
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