サバを運んで鯖街道。浅野長政作成の熊川宿。

こんにちは。


ふふふ…。夏に見る紅葉は暑さ百倍。本日のプレゼント。


あまりの蒸し暑さに昨日はぐでんぐでんでした。


さて。海の幸豊かな若狭。(唐突ですが)

古代より朝廷に魚介類を献上する「御食国(みけつくに)」のひとつでした。

お魚が豊かに捕れる若狭から京都へ大急ぎで運ぶ必要があり、若狭街道が古来より使われてきました。

特に大量の鯖が江戸から明治にかけて運ばれ、幾筋ものルートが発展。
それを総称して「鯖街道」と呼称します。

「京は遠ても十八里(72キロ)」と豪語して運ぶ鯖。

与謝蕪村も鯖を背負い都に入る若狭の人々が目に止まったのか
「夏山や 通ひなれたる 若狭人」と詠んでいます。



地図の赤丸が鯖街道の熊川宿。

お値段も高騰するだー。

秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政が、天正17(1589)年に熊川が交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町としました。

かつては40戸ほどの寒村が200戸を超えるような町となりました。


防災上から近年に道幅を拡げたのかと思うほど、広いです。

道端には前川という用水路が流れてます。


復元された番所。


中に入るには100円。


熊川宿から西へ進むと

瓜割の滝。

さらに西へ進み、地図の黄色い四角地域には

こんな涼しげな川の


こんなところがあります。





いつも応援いただきありがとうございます。小浜と敦賀間の高速が今月開通したので東からも行きやすくなりました。丸ごと焼き上げた鯖、美味しいです。庶民の味方の鯖ですが、京都の鯖寿司は目ん玉が飛び出て転げ落ちるお値段に。美味しいんですけど。くすん。
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覚行法親王御陵所の九品寺と船阪八幡宮。真夏の寺社探索は苦行だわ。

こんにちは。


九品寺の大門。


いやーな予感がするけれど、なんとなく心惹かれて中へずんずん進みます。気温38度。思考力崩壊中。


前回の続きです。九品寺の大門から参道を少し歩きました。


お寺の門がありました。


「弘法大師開基(弘仁元年 ※810年)」「鴫尾山 九品寺」


「白河天皇勅願道場」「白河天皇御廟塔所」「覚行法親王御陵所」

白河天皇が皇后賢子の安産を祈願し、御堂を建立。土地を寄進。

皇后賢子は無事に皇子を出産、白河天皇は、阿弥陀堂・鐘楼堂・五重塔・経蔵・護摩堂・仁王門を建立。

第二皇子の覚行法親王(1075-1105)を中興開山として入寺させ門跡寺院として復興。



参道の左側には観音様。


九品寺の別名は、船阪観音。丹波三十三観音霊場の第二十番札所。


いろんな虫がぶんぶんぶん。


参道の両側には昔の寺院跡とおぼしき平地と石組が散見されます。

参道の突き当たりには、こちら。




白河天皇第二皇子の覚行法親王の御陵です。

幼い頃に仁和寺に入り出家した覚行は、父の白河天皇の寵愛厚く、出家の身でありながら親王宣下を受けて最初の法親王となった人物です。

出家した皇子が親王宣下を受けるとは前例がない!との反対意見に対し白河天皇は「内親王といふこともあれば、法親王もなどかなからむ」と言って強行しました。(『今鏡』326段)

仁和寺が歴代治天の君の保護を受け、その子が法親王として御室を継承する慣例を作った二人です。




宮内庁が管理している宝篋印塔。ふたつ。はて?
左が1.4m、右が1.3m。製作年代は不明。

一旦下りて、参道に戻ります。


ここをのぼれば何かある!くんくん。

その前に汗くっさいお手手を洗いましょ。

埋もれすぎ。


やっとここまで来ました。


山寺の趣です。


本堂は観音堂となってます。


白河天皇と覚行法親王により復興した九品寺。
しかし、南北朝から戦国の戦乱によって、本堂と仁王門を残して焼失、衰微。

元和9(1623)年、園部藩主小出吉次が再建しましたが、ほとんどの末寺が地域の神宮寺であったために神仏分離以後は衰退。
さらに第二次世界大戦後には大門(仁王門)を残して荒廃。

無数の寺宝が流出してしまいました。
不動明王像と十一面観音像は、メトロポリタン美術館。

ご本尊の千手観音様は京都の正法寺。


ね。
 

本堂の左横にあった「雷除ヶ石」。かつては雷除けの祈願が行われていました。

戦後、近隣数ヵ所に同時に落雷があったとき、九品寺をお祀りせず荒廃させてしまったから天罰が下ったのだー!と言われたほど霊験あらたかな雷神だとか。

そのわりには…もごもご。

本堂に向かって右を見るとこちら。



泣きそう。正面の建物は舞殿らしき風情。


いろんなもんが足元でばっさばっさと飛んでました。


船阪八幡宮です。


覆屋の中を覗いてみました。失礼しております。


ちらり。


船阪八幡宮の標識に従って小道を入ると、こんなすごい道を車で通ることになるので、九品寺の駐車場からてくてくするのがおすすめです。


気ままなドライブで、素敵なところに立ち寄ることが出来ました。


おまけ

これはヤバイと思って、車に常備の山寺散策セットで完全武装。


参考文献
園部町教育委員会『園部の歴史~郷土の資料~』
Wikipedia「覚行法親王」
九品寺現地説明板(南丹市教育委員会)

九品寺・船阪八幡宮
住所・京都府南丹市船阪大門47-1



いつも応援いただきありがとうございます。日本一の大天狗様になる前の白河天皇って、どんな人物だったのかなー。この辺りはお城もわんさかあるのですが、今回は消えそうなお寺の探訪。神仏分離と廃仏毀釈。む。
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九品寺。白河天皇が皇后の安産祈願し息子を法親王にした寺。

こんにちは。

週末は南丹市のお寺に立ち寄りました。


のぉどかーなーのぉどかなぁ、さーとの猛暑ぉー♪


のんきにドライブしていると、唐突にこんな大きなものが現れます。


車から出たらそこはサウナだった…。


檜皮葺の大門。鎌倉時代後期に建立。国重文。



鴫尾山九品寺。真言宗御室派。

縁起によると、弘仁元(810)年、弘法大師の開基と伝えます。

寺伝によると、さらに承暦3(1079)年。

白河天皇が皇后藤原賢子の安産を義範という僧に祈祷させた。
西の方向に金色の霊光があり、山上に三面千手観音菩薩の尊像が出現するのをみて、天皇は霊地(当地)に伽藍を建てて本尊とされた。

船井郡十一郷に及ぶ広大な寺田を寄進し、御堂建立。

皇后賢子は無事に皇子を出産、白河天皇は、阿弥陀堂・鐘楼堂・五重塔・経蔵・護摩堂・仁王門を建立。

第二皇子の覚行親王を中興開山として入寺させ門跡寺院として復興。

別名船坂観音。
丹波三十三観音霊場の第二十番札所。


柱の間が3つなので「三間」、通り抜ける戸に該当する所が真ん中の1つなので「一戸」


現物確認。これは向かって左側。
右側にも同じものがあるので、控柱は4本×2=8本。よって、「八脚」


合わせて「三間一戸八脚門」です。



パーのお手手の仁王様左。しゃらんらー♪


成敗!だめ!


お目目ぎょろんの仁王様右。


脱力。

このお二人の仁王様は、南丹市の指定文化財。


うー。迷うところです。
大門の背後に続く鬱蒼とした参道らしき道。


少しだけ歩いてみたら、こんな建物。


どうしようかな。すごくいいものがある予感がするんだけどな。
大門とは雲泥の差のこの参道はいかなることか。


まあ、かわいい。よし、怖いけど進んでみよう!


もぉーいや。帰るぅー!


くじけそうな夏のお寺散策。ヤブ蚊と格闘しつつ、次回に続く!


九品寺
住所・京都府南丹市船阪大門47-1



いつも応援いただきありがとうございます。京都府南丹市の郊外をのんびり走っていると、突然見えてくる巨大な赤い楼門。たまにはナビなしで気ままにドライブ。気になるところにふらぁーっと立ち寄ってうろうろするのが楽しいです。
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二頭身狛犬の待つ神社。若狭の天徳寺境内・岩上神社。

こんにちは。
午後1時に、お外が41度を指した大阪の自宅を見捨てて京都府亀岡市に避暑に来ました。38度です。あれ?

はー。

では、今日も若狭町の天徳寺境内ご案内。


さわやかな空気です。
天徳寺観音堂に向かって右側。階段を上がれば四国八十八箇所の石仏様。
今日は、手前の神社さんにお参りに行きます。


一の鳥居さん。


二の鳥居さん。


とても味がある鳥居さんです。

舞殿の背後にまわると、どっしりした狛犬を侍らせたご本殿あり。

岩上神社です。

天徳寺境内に鎮座する神社。

和歌森太郎編『若狭の民俗』の天徳寺の項目。

「この湧き水(瓜割の滝)を中心に寺が出来、ムラが出来た」
「天徳寺の所在地が、村氏神の岩上神社発祥の地、水の森に近く、集落を足下に控える渓口に位置し、かつその寺名を集落の名称としているところから、この寺が集落成立の草分け的役割を担った」(Wikipediaより)

福井県神社庁にも住所以外の説明がありません。
そんな奥ゆかしい神社。


確かに。




集落が眼下に見えます。若狭町天徳寺よいとこ一度はおいで♪

こんなものが飾ってありました。

屋根を葺き替えたときの昔の瓦しら。寄付者芳名録が社務所に掛けられていました。


懐かし過ぎる・・・。


さ、わんわんに会おう!


どっしり。


踏ん張ってる手足のどっしり感がたまりません。


垂れ耳、かわいいです。立ち上がったしっぽに抱きついていいかしら。


獅子舞の獅子頭のような顔、がっちりした体、惚れます。


闘犬のごときたくましさです!
いぼいぼしてるのは、筋肉の実か?


そんな強がりを言わなくても。しっぽが。


あかん。かわいい。きゅっ。


いつも応援いただきありがとうございます。亀岡は夜になって、涼しくなりました。大阪と比べると、ですが。これならエアコンなしでもよさそうだなあ。いいなあ。
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天徳寺は苔むす石積と馬頭観音様。

こんにちは。
本日の大阪は38度になりました。気象情報より、実測は2度も高いようです。


またここへ行きたいわ。

さて天徳寺の境内散策続きます。まだご本尊様にお会いしてません。


こんにちは。


馬頭観音道です。


この門のお向かいにある、瓜割の滝から流れる小川を渡ります。


かんのんばし、ね。


おんまさんじゃなくて、馬頭観音様です。

隆盛を極めた天徳寺が、南北朝の争乱や自然災害で衰退しても無事だったのが本尊・馬頭観音様。

養老年間、天徳寺の開基、泰澄大師が宝篋ヶ山で彫ったと伝えられています。その後、天徳年間にここへ移されました。17年ごとに御開帳を行っています。

1615年ここに安置されました。
本堂の観音堂は明治に焼失・再建。


ふと右を見ると延々と続く石段があります。
あの上には、弘法大師が命じて、佐渡の石で作らせた四国八十八箇所の石仏が並んでいます。

今日はパス。


観音堂ですってば。ほら、さっさと。


はやくー。


はよー。


う、うん。素敵な自然石ね。


上を見れば・・・


「宝篋山 天徳寺」です。


ね。


造りが細かいのです。


床下の基礎を覗きこむのが、好き。柱の形とか、礎石のいろいろとか。


鐘楼は別にあるし、鐘、ぶら下がってたし。あ、これ、コンクリート製みたいです。記念碑かなー?


ほら、鐘楼ね。


観音堂の石積の下には、繭の形の池がありました。その畔にあったこれ。

ラピュタにいた兵隊さんみたいです。
頭に生えた草を見ると、歌いたくなります。からんころんころーん♪



いつも応援いただきありがとうございます。森の中のあちこちに、昔のお堂の跡地らしきところが見えます。瓜割の滝を中心に、とても爽やかな境内です。ああー、大阪にもっと近ければいいのになあ。殺人レベルの高温。夜に気温が下がらないのがきついです。まだ34度もありまする。
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瓜割の滝は天徳寺境内なので。庭園拝見。あら素敵。

こんにちは。只今23時過ぎ。なんと、まだ32度もありまする。ひい。

こんな時は、瓜割の滝に浸りたいです。


ちょっと休憩しましょ。


何を突然に。


ですねえ。


いいこと探してうろちょろしてるんだよー。(ポリアンナか…古っ)


昨日の記事で右足どぼん、したとこはここです。おすすめです。


ぶつくさ言いながら、てくてく歩き出しました。


同じ種類の岩っぽいですけど…


足元にも子供がしがみついてます。


馬鹿にされたのか、抱っこされて楽しいのか、微妙です。


瓜割の滝からの水なので、紅藻類がここでも生息してます。赤い。


岩に生えてた大文字の形のお花。なんだろう?


楽しそうで、なによりです。

さてここ瓜割の滝は天徳寺境内なので。


本坊にご挨拶していきましょう。

天徳寺は、高野山真言宗のお寺。
723年(養老年間)、ここ宝篋ケ嶽に上った泰澄大師が、馬頭観音像一躯を刻んで山腹の岩窟に安置し去ったことを以て開基としています。

平安時代に村上天皇の勅願寺となり、その時の年号「天徳」が「天徳寺」の名前の由来と伝えられています。

「村上天皇は宣旨を下して堂宇の建立に着手。
天徳元年、七間四面の観音堂が成り、遅れて食堂、鐘楼、大門等が竣工し七堂伽藍を具備。次いで村上天皇より斎田二十町歩が寄進され、正治2年北条政子が源頼朝の菩提を祈る法華堂を建立寄進した等々と伝えている。爾来、本尊馬頭観音所在に約して山号を宝篋山とし、村上天皇治世の元号になぞらえて天徳寺と称すようになったという。」(Wikipediaより)

さて。門から中を拝見。おおおー。

名勝「天徳寺方丈庭園」


枯滝式池泉庭園。江戸初期天和年間の作庭。作者不詳。

方丈の縁側(?)側から眺めてみましょ。

ぽけー


時間を忘れて眺めて幸せ。いいこと、ありました。


遠くから瓜割の滝の音が聞こえてきそうな静けさです。


違うわよ。運ばないわよ。


それにしても、


皆様、お気をつけあそばして。


いつも応援いただきありがとうございます。枯山水の庭園は難解ですが、こういう自然がいっぱいのお庭はひたすら「ぽけー」っとするのに絶好です。こんなに見事な庭園なのに、気付かずに皆さん通りすぎてました。もったいないオバケが出るぞぉー。
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瓜割の滝で涼しくなろう。若狭へ行こう。

こんにちは。んもう、暑い。毎晩たいへん。皆様お元気ですか?

今日は少し涼しくなる画像をお届けします。

それは、瓜割の滝。じゃーん。

あれ?

これは、鯖街道の熊川宿で食べたざるそば。関西のざるそばは、たっぷん、っとつけてもいいように、おつゆがたっぷりです。

うずらの卵は、ついてなかったの。ざんねん。
(うずらの卵を切るはさみ、あれは名古屋ローカルなんだろうか。)


熊川宿から西へてろてろ走ってたどり着く天徳寺の参道。
瓜割の滝は、この天徳寺の境内奥にあります。


じゃーん。


くだらんこと言ってないで、はやく行きなさいよ。


境内の森の中はさわやかです。


泳げるもんなら。


気持ちよく散歩してると、ほどなく到着。瓜割の滝。

「泰澄大師(天徳寺の開基)の昔から神泉と尊ばれたこの瓜割の清水は、五穀成熟諸病退散の効あり。また水中の石には珍しい紅藻類が生育している」(現地説明書)


鳥居の向こう側の柵の足元からぼっこぼっことわき、だーだーと流れていきます。

山あいの岩間から湧き出る清泉は、一年を通して水温が変わらず、夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たい事から、「瓜割の滝」の名前がつけられました。(反対に冬はぬくくて幸せ?)


手は、割れないかな。でも3秒もつけていられません。ちべたー。


水中の赤い石には、この水質水温でのみ生育する、珍しい紅藻類が繁殖。


☆ヒルデンブリンチアリブラリス☆
若狭町ホームページの現地説明の紅藻類の名前がこの表記なのでなんのことだか。これで検索しても瓜割の滝の記事しか出てこないです。

学名「Hildenbrandia ribularis ヒルデンブランディア リブラリス」

これは、紅藻類の「淡水ベニマダラ」のこと。

緑色のもとになるクロロフィルの他に、紅色の色素フィコエリトリンを含んでいるので、紅色や紫色をしてます。
「ベニマダラ」で検索すれば全国各地の生息地が確認できます。

淡水産は少なく、冷水・清水のところや木洩れ日環境の指標生物として位置付けられています。
生息地としては岐阜県の養老公園の菊水泉が有名。
日本では、準絶滅危惧種に指定されています。

こんなおもしろ生物が着生している赤い石、実はここ瓜割名水公園の隠れ名物。



幸せいっぱい。


ちと、無理があろう。


右足、おちた。


あまりの冷たさに、足がちぎれました。


落ちる気まんまん、よくありません。


この瓜割の水は、幾重もの地層が自然のフィルターとなり、長い歳月をかけてろ過した純度の高いミネラル成分が溶け込んだ水。
保存可能期間についても、名水百選の中でトップクラスにランクされてるとのこと。

【名水認定】
昭和60年 環境庁 「名水百選」選定
平成8年   国土交通省「水の郷」認定
平成18年 福井県「ふくいのおいしい水」認定


「瓜割名水公園」
住所 福井県三方上中郡若狭町天徳寺38-3
国道27号線に案内あります。


参考文献
現地説明書
若狭町HP「瓜割名水公園」
栃木県HP「レッドデータブックとちぎ」


いつも応援いただきありがとうございます。瓜割の滝で遊んではいけません。私はずるんっと足が滑っただけです。ここのお水は有料です。駐車場側に、くみ取る(?)場所があります。ペットボトルなどを持参した場合は売店でラベルを購入して貼り付けましょう。
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軍師官兵衛第29話。清水宗治渾身の「誓願寺 クセ」

こんにちは。


出しそびれた紫陽花。梅雨明けて、灼熱地獄の大阪の夜。

さて。軍師官兵衛 第29回「天下の秘策」。
腹黒田官兵衛、素敵でした。これからも楽しめそうだなー。

で、清水宗治の宇梶さんが船上にて白装束で謡った言葉。


宇梶さん必死のお稽古の賜物。

能「誓願寺」の「クセ」という部分でした。

宗治は、この「誓願寺クセ」をひとさし舞い、切腹。
辞世「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」


「誓願寺クセ」の詞章(赤文字が大河で謡われた部分)

☆☆☆☆☆☆☆☆
笙歌。遥に聞ゆ。孤雲の上なれや。
聖衆来迎す。落日の前とかや。
昔在霊山の御名は法華一仏。今西方の弥陀如来。
慈眼視衆生現れて。娑婆示現観世音。
三世利益同一体有難や我等がための悲願なり。

シテ「若我成仏の。光を受くる世の人の。」

我が力には行き難き。
御法の御舟の水馴棹ささでも渡る彼の岸に。
至り至りて楽を極むる国の道なれや。

十悪八邪の迷の雲も空晴れ。真如の月の西方も。
こゝを去ること遠からず。唯心の浄土とは此誓願寺を拝むなり。
☆☆☆☆☆☆☆☆


「誓願寺」
ワキ 一遍上人
シテ (前)里女・(後)和泉式部の霊

内容はほぼ「洛陽誓願寺縁起」の通り。

熊野本宮證誠殿に七日七夜参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」の札を広めよという霊夢を見た一遍上人。

誓願寺に参籠して人々に札を配っていると、里女が尋ねます。

符に「六十萬人決定往生」とあるが、六十萬人以外の衆生は往生に洩れるの?と。


いますね、めんどくさい子。

一遍上人が答えます。符の文は、神託の四句の文の頭の字をとったもので、

字名號一遍法
界依正一遍體
行離念一遍證
中上々妙好華

南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰もが必ず往生できるよ、と説きます。



里女は感涙にむせびつつ、「誓願寺」の額を、上人が書いた六字の名號「南無阿彌陀仏」の額にしてくださいな。これは本尊阿弥陀如来の御告です、と言い残して和泉式部の石塔に姿を消しました。



一遍上人が『南無阿弥陀仏』の名号を書いて本堂に掲げたところ、阿弥陀如来と二十五菩薩と共に、歌舞の菩薩となった和泉式部が現れます。



誓願寺が天智天皇の勅願によって創建された縁起、阿弥陀如来が西方浄土より誓願寺に来迎した様子などをうたい、舞います。

最後に、菩薩聖衆一同は、本堂の六字の額に合掌礼拝し、おしまい。


記事中の和泉式部の石塔は、書写山円教寺の奥の院のものです。
書写山と和泉式部についてはこちら→→→
書写山と和泉式部と鵺

「誓願寺」と同じく和泉式部がシテの「東北」についてはこちら→→→
能楽「東北(とうぼく)」って?
こちらはあっさりとした曲です。


いつも応援ありがとうございます。なぜ「誓願寺」だったのかはわかりません。往生できるよう願ったのでしょうか。ちなみにこの能楽「誓願寺」は、仏教用語がわんさかと出てきて、謡本を見ていても難しいです。位も重くて、たーーーっぷりと能楽って芸術を堪能できます。よ。きっと。私、いいです。遠慮しまっす。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

穴太寺。西国三十三箇所札所。ちびっこ狛犬お出迎え

こんにちは。

山越えして亀岡へ。

戻りませんよ。やっと越えたんだからね。

あの山々には、大阪府北端の能勢方面から亀岡へ抜ける国道423号線のくねくね道の法貴峠。

ここに「屏風岩」があります。
明智光秀が丹波平定に向かう途中、この巨岩に行く手をさえぎられ引き返したとか、中国攻めに向かう途中のここで本能寺に攻めるぞぉー!っと引き返したとか伝わる、別名「明智戻り岩」。

この岩の上の方に法貴山城があるんですってー。

すみません。交通量がわりと多いので、毎回「あー」っと泣きながら通り過ぎてます。


あなたの思考が「あなふしぎ」です。


今日は亀岡の光秀巡りではなく、手頃なところへ。

車内でエアコンをがんがん効かせてきたので、湿気がつらい。


お気の毒なムクノキです。命あるもの、大切にしましょう。


「穴太寺」と書いて「あのうじ」ね。他の読みもあるけど、あなぶとでら、ではないです。

仁王門。江戸時代中期再建。


きゃっほー。


こらこらこら。


そうだ、京都、行こう。(亀岡市だけど京都府だもん)


お参りしましょう。


西国三十三箇所第21番札所。西国巡りの方々で春や秋は賑わいます。観光バスの団体さんと遭遇したときは、駐車場の売店で時間をずらしましょう。


めっ。仁王門を入って左を見れば多宝塔。1804年再建。


右を見ればこちら。


確かに「水」なんですが。さっさと手を清めましょう。くちゃいです。


踏ん張る両手もかわいい龍さんです。角がすごくながーい。


ふと横を見たら、ブーメランを発見。これ、好き。


関西は梅雨明けもまだですが。


ここぞというときに、惜しい事態に陥るジンクス。


暑い。


だからね、穴太寺(あのうじ、あなおおじ等)です。


「懸仏(かけぼとけ)」様です。


少し拡大。電球じゃまー。


きれいです。


ご朱印帳を持参して廻る西国三十三箇所。
お参りするのが目的のはずが、スタンプラリーの如く「いかに1日にたくさん廻るか」が目的になってしまいがち。

2周して、ご朱印帳と掛軸を母に持たせてやったのでおしまい。


こっちがいいや。鎮守様のこまこま。

やほー。この子のお手手のむちむちさがたまりません。


ああ、かわいい。


むちむち。


よく見ると、わき〇あり?大人への階段をのぼる途中。


子犬兄弟。

だって本来の私の目線はこちら。

ちびっこ狛犬。


仁王門を入ってすぐ左。すべてがかわいい。


穴太寺
所在地: 〒621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46

☆この穴太寺のすぐそばが、円山応挙の生誕地です。

☆光秀戻り岩は、穴太寺そばの423号線をずーっと南へたどり、七曲りのような峠の途中にあります。


いつも応援いただきありがとうございます。
こちらはお庭が有名なんですが、むっしむしな上に、蚊に刺されまくって今回はパスしました。むちむち狛犬兄弟に会えて嬉しいです。
この後丹波篠山に向かいますが、その途中、ゲリラで雷雨で豪雨に遭遇しました。


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ありがとうございます。

ゲリラ雷雨の豪雨の連休初日

こんにちは。


連休だー。やっと、連休キター。でもなんだー、この天気ー。

ご用があるので、大阪でうだうだする連休ですけど嬉しいな。


高速があっちこっちで大渋滞してます。なので、下道をうろうろ。
丹波細工所城のあったお山です。只今、緊急避難ちゅー。


ずーっとAMラジオがばりばり言っていて、とうとう視界が真っ白になるくらい光りまして。
JA事務所とスーパーと食堂が併設されて、野菜市も開かれる道の駅みたいなとこで、お昼ごはんも買い込んで待機ちゅー。


これであんしん。


来ました。どかーん。
ヒョウが降ったら車ごと軒先に突っ込もうと、ごはんをもぐもぐしながら待機ちゅー。黒豆コロッケ、うまー。

ポットに入れてきたお湯でコーヒーをいれて、丹波の黒豆ようかんをデザートに、もぐもぐ。もぐもぐもぐもぐ…まだかー!?

そして、小一時間経過。丹波の黒豆おかきも食べてしまった。


ゲリラの雷雨の豪雨は過ぎ去りました。さわやかです。気温20度まで下がってます。

そして、灼熱のおうちに帰宅。

皆様も楽しいお休みをお過ごしください。


いつも応援いただきありがとうございます。
亀岡のお寺を見たあと丹波篠山に行こうとして、あとわずか、という辺りで丹波篠山方面が真っ暗で稲光がびっかびっかし始めたので、くるんっとUターンしました。
車内でぽけーっと見てて、これはこれで楽しかったです。食後はお昼寝。稲光が目を閉じててもピッカ、ピッカチウ。おほほ。

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ありがとうございます。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

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