閑話休題・灼熱の琵琶湖。湖東と湖北の博物館巡り。

名神高速の集中工事最終日のため、昨夜は大阪と滋賀の間が通行止でした。
朝6時の解除直後に、ぶうーっと走りました。一年で一番道路がきれいなんだわ、っと思って。なんかさわやか。



ここはどこでしょう。いやあ、暑いわー。気温32度ですわー。


吹いても飛びません。

あ、ひこにゃんの彦根に来ました。で。


雅楽も好きなので、井伊家伝来の舞楽装束・道具・面を彦根城博物館に見に来ました。特に装束が初公開と聞いたもんで。またご紹介致します。とても興味深かったです。

彦根城博物館
テーマ展「雅な舞ー井伊家伝来の舞楽装束ー」
5月16日(水)ー6月17日(火)
詳細は、彦根城博物館HP様をご参照ください。


彦根から湖岸道路を北上して、高月へ。

賤ヶ岳・姉川等の数々の戦いの舞台や通り道となった湖北。戦火に巻き込まれる度に、村人の手で観音様を守ってきた土地、それが、高月。
「湖北観音の里」として、注目されています。




地面に埋めたり、水中に沈めたりして必死に隠して守ったけど、隠した場所が場所だけに仏像が傷んでしまいました。それでも今もとてもとても大切にされています。

その傷んでしまった仏像を敢えて特集。
外見は同じでも、明治のほにゃららという方針で目茶苦茶にされたのではなく、大切に守ったのに朽ちてしまったという姿には心を打たれました。

高月 観音の里 歴史民俗資料館
「黒田官兵衛博覧会連携会場・開館30周年記念特別企画『戦火をくぐり抜けたホトケたち』」12月28日(日)まで。
詳細は、高月 観音の里 歴史民俗資料館HPをご参照ください。



高月から少し北上して…

よごこ、です。余呉湖。のーんびり、静かーなところ。
で、賤ヶ岳は、すぐそこです。登りません。車から降りません。

嫌だ。あちいの。


車からいかに出ずに旅するか考えよう!の季節になってしまいました。おほほほ。


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伊弉諾神宮の神楽から大河の一場面「三番叟」へ脱線。


湿気も加わり、暑さ倍増。これぞ大阪の夏。

さて、伊弉諾神宮。

さくっと摂社・末社をご紹介。本殿向かって右から。










他の建物が明治に建てられた中で、これは阿波藩が寄進したもの。
ひっそりしすぎていて、皆がスルー。観てあげてー!

本殿左。




くるっとまわってきたら、拝殿で神楽してました。


ちなみに先日の大河「軍師官兵衛」で信長が観ていた、黒い面のじいさまが鈴を持っていたのは「三番三」(大蔵流では三番叟)の「鈴の段」。演者は狂言方の野村万蔵先生。

「翁」並びにそれに連続して行われる「三番叟」。
能楽ではなく神事の扱いのため、演者は出番前に鏡の間(控えの間)で火打ち石による切り火等により身を清めます。

第一に千歳が露払いの如く舞い、おシテがその間に舞台上で「白式尉」の面をつけ、天下泰平・国土安穏の謡と舞を行います。


この型は、翁だけの独特の姿です。

続いて狂言方が、直面(ひためん。面をつけない姿)で足拍子を多く踏んで舞台を清める「揉の段」、続いて黒式尉の面をつけて五穀豊穣を祈って種蒔きの仕草のある「鈴の段」を舞います。

よーく画面を見ると、小鼓が三人います。これも、翁だけの独特の姿です。

ご覧になってない方はぜひ再放送で…。




伊弉諾神宮の御値段表。ご参考まで。


いつも応援いただきありがとうございます。ストーリーそっちのけで、三番叟の場面だけ繰り返し観てしまいました。
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伊弉諾神宮の社殿を観察。すると、ながーい友達が。

こんにちは。あまりに暑いので、会社からの帰りにところてんを買いました。わくわくわく。

三杯酢のさわやかーな味をお迎えするべく用意された舌と胃なのに。

黒蜜のところてん

を、買ってきてしまった。

私が求めたのは、もっちゃりまったり極甘な世界へようこそー!な、ところてんではない。

仕方がないので、ポン酢をかけた。

「お鍋には、ま、ろにー、ちゃん♪」…になってしまった。ううう…(T_T)関西のところてんには、注意しなくては。


さて。伊弉諾神宮。

昨日はうっかり正門を出てしまったので、もう一度入ります。




お参りお参り!


文政〇年四月吉日の銘。
「あ」には見えないお口が素敵…。


からかってはいかん。


二人とも、大人の事情ですか?ほう。


お賽銭箱にも光る神紋。


拝殿背後に控える幣殿の中門。


古来、ここが神域でした。


本殿のこの形を「流造」といいます。正面の屋根が長く(非対称)、曲線を描いているのが特徴。


平安後期から見られる神社の建築様式。


ね。


花粉症はスギだけではない…。


本殿横に、このようなものが。


鉄砲玉かと思った。


わかったから。もう、亀はいいから。




いつも応援いただきありがとうございます。また亀さんに戻ってしまいました。次回はお社いろいろをお届け…したい。
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すみません…ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。



おまけ

文蔵先生のこの手が好きです!!

イザナギが隠居した幽宮。即ち伊弉諾神宮。由緒。



前回、亀さんと戯れ過ぎました。改めて、正面からお参りします。


場所はこんな感じ。


式内社 「淡路國津名郡 淡路伊佐奈伎神社 名神大」
淡路國一宮。旧官幣大社

【祭神】
伊弉諾大神 伊弉冉大神

【由緒】

国生み・神生み(神功)を終えたイザナギは、天照大御神に国家統治の大業を委譲。


最初に生んだ淡路島の多賀に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過ごし、ここでお隠れになりました。
この幽宮の跡に神陵を築いてお祀りされたのが、最古の神社である伊弉諾神宮の創祀の起源だとされています。


「故其伊邪那岐大神者坐淡路之多賀也」(古事記)

「伊弉諾尊神功既畢而霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者也」(日本書紀)




御陵地は、明治時代に整地して本殿が移築されるまで、禁足の聖地でした。

神陵を中心として神域の周囲に濛が巡らされたと伝えられ、正面の神池や背後の湿地はこの周濛の遺構といいます。




「放生(ほうじょう)の神池」
古くは放生神事(鳥や魚を放して生命の永続を祈る行事)が行われていました。


かめーの、噴水。


放生池には、今でも病気平癒のための命乞に「鯉」シャレ?を放ち、快癒の感謝に「亀」を放つ信仰習慣があります。


いつも応援いただきありがとうございます。また亀さんに戻ってしまいました。次回はお社にたどり着くつもりですっ。頑張るぞー
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ひとつ、増えました。すみません…ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。

大槻能楽堂改築30周年記念祝賀乱能を爆笑鑑賞。

大阪の大槻能楽堂改築30周年記念祝賀乱能を鑑賞しました。
大槻能楽堂…何十年通ってるやら。

で。乱能って?

能楽では囃子方は囃子(小鼓は小鼓、笛は笛)、シテ方はシテ、というように各専門分野に分かれた専業制です。

乱能では、シテ方の先生が狂言したり、囃子方の先生が装束を着てシテ方をしたりと、専門外のことをします。

普段の能楽とは異なり、先生方が楽しくアドリブ入れたり、ハプニング続出したり。爆笑やら拍手喝采やら。マニアにはたまりません。

大阪の観世流では、20年ぶりぐらい。10時半の開場前に行ったら長蛇の列。一番の方は、なーんと、札幌からお越し。朝7時半に並んだと。ひゃー。


大槻能楽堂改築30周年記念祝賀乱能ということで、鏡割りもありました。ご当主の大槻文蔵先生がおでましに。


うえーん。立ち位置間違えたー(T_T)

文蔵先生の謡もお姿も呼吸も全てを、お玄人の先生方が憧れて目指す関西の宝です。せんせー!




先生の舞台、まだまだいっぱい拝見したいから、長生きしてくださいねっ!!


お昼のお食事、おつまみ(柿ピーじゃなく、お上品なお惣菜詰合せ)、お酒、甘味(中将餅)がおふるまいいただけて、パラダイス。しかも本日限定で見所(けんしょ。客席のこと)が飲食可。

非常にマニアックな話なのですが。

能楽「土蜘蛛」で、前シテがお笛の藤田流家元の藤田六郎兵衛先生、後シテが大倉流小鼓方家元の大倉源次郎先生。うふふ。
照れる六郎兵衛先生のお顔と美声とか、源次郎先生のお姿とか、ああー、幸せです。

能楽「俊寛」は、小鼓が梅若玄祥先生、大鼓が文蔵先生。お二人が並んで座ってるだけで、うひゃっと笑顔が。
おシテは、ワキ方福王流家元の福王茂十郎先生。それはそれは重厚な舞台で。乱能、素晴らしい。

一番好きだったのは、狂言方の善竹隆司先生と小笠原先生の舞囃子、猩々乱。とてもとても端正なお姿でしたの。

もっともーっと書きたいのですが、乱能はその場で楽しんで、あとは忘れるのが粋ってもんで。なーいしょ!


あ、私の先生?
もちろん(?)、お笑い担当。先生、立ってるだけで笑いをとってましたの。私のお腹はよじれてぐにぐにです。

そんな先生が、好きです。
いじられキャラな先生が、大好きです。


大槻能楽堂は、こんなものが徒歩3分。






信長が戦った石山本願寺、大阪夏冬の陣。
実は難波宮跡を踏んづけて戦ってたんですけど…。


ま、いっか。


皆様の応援のおかげで更新頑張れます。乱能は、歌舞伎の俳優祭のようなものかしら。楽しかったです。文蔵先生の笑顔が見れたので、それだけで、幸せです。だって舞台では笑顔じゃないもん。
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おまけ

文蔵先生追っかけの私に配慮して、うちの先生が文蔵先生を舞囃子の地頭にしてくださり。有頂天のまま、舞いました。笑顔を隠すのが大変でしたー。

えへへへ。素人、ばんざーい。

閑話休題・亀と狛っち。伊弉諾神宮


伊弉諾神宮。

式内社(名神大社)で、淡路国一宮。旧社格は官幣大社。
現在は神社本庁の別表神社。

今日はさくさくっと中へ進みます。









国生み・神生みを終えた伊弉諾尊は、最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや)に鎮まりました。(古事記・日本書紀)
幽宮が、ここ伊弉諾神社の起源。


その前にきちゃない手を洗え。


瀬戸内海の荒波って…。寛永三年の銘あります。


違います。よく見なさい。




簑亀。長寿の象徴。


さて、お参りしましょう。あれ?


亀くん、日干し中。














ふりだしに戻る…。


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仕舞本番を出演者の目線で体験して下さい。東北クセ。

こんばんは。
本日は、ずっとお稽古してきた「仕舞・東北クセ」の本番でした。


目覚ましのアラームは、ばっちしだもんね。

で、朝。

目覚まし時計は床でバラバラになってました。つまり…


慌てて先生に「今、起きた。寝坊したー。きゃー」っとメールして、でもお風呂に入って…(ここは譲れない)。


能楽堂に到着。開始には間に合わなくても、自分の出番までは数時間あるから大丈夫。

で。どえらい忘れ物してました。ええ、わたくし、すっぴんでした。
もう、ええわ。顔は。

もたもたと着替えて、お社中の舞台も拝見して。
いよいよ自分の出番です。

では、本番の舞台に出るまでの心臓が口から飛び出るような緊張感を、出演者の視線でご体感下さい。(画像はお稽古場の舞台で、今日立った舞台ではないです。…とても写真撮れません)

ほい、開始。

茶室のにじり口のように、かがんで出入りします。

その切り戸口の裏側で待機。

心臓は口から転げ出ました。


この存在感が怖いの。


大小前が仕舞の開始の場所。

大小前?


大は大鼓(おおかわ)。かーんっと聞こえる音。楽譜では、どん、ちょん、という手。
小は小鼓(こつづみ、若しくは単につづみ)。ぽんぽん、と聞こえる音。楽譜では、ぷ、ぽ、ち、た、という手。

この大小鼓の間の場所なので「大小前」といいます。なんやかんやあっても必ず帰る場所。


さささ、どすどすぺたぺた、っと歩かずに、しずしずと歩きましょう。
お扇子は、両手で持ってね。
大小前に来たら下居して(右膝ついてしゃがむ)、謡出します。

「所は九重のぉー」

始まってしまったら、あとは基本に忠実に素直に舞うだけです。
本番に、あーしてやろう、こーしてやろう、っと考えたら間違えます。

お玄人の先生方は、ここはゆったーりと舞いや、ここはノッていくんやで、大丈夫、ちゃんと見て合わせてあげてるから、のびのーびと舞いなさい…っと、リードして謡って下さいます。

名手と称される先生のリードは、舞いながらも楽しくなって笑い出しそうなほど気持ちよく舞わせて下さいます。私って、すごぉい!っと勘違いです。



普段は舞台を拝見して感動する憧れの先生が、私だけを見て、私だけのために謡って下さる。あああ…これぞ素人の醍醐味。媚薬。あひょーん。

ですが。

まあ、今回は自分の先生が地謡の地頭(じがしら。リーダー)だったもので。


びびってましたが、なにか。


終わったもんは批評しても仕方ない。気持ちよーく誉めていただいて、後席で乾杯。

本番で頭が真っ白になろうとも、無意識にきっちりかっちり舞えるように基礎を叩き込んで下さる自分の先生が大好きです。



皆様の応援のおかげで更新頑張れます。舞台終えた直後の先生は無言。なんか言ってぇー(T_T)あかんかったんなら、そう言ってぇー!後から「…さすがやな」って言われても嬉しくないです゜゜(´O`)°゜
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いかに石屋の神ならば神。式内社の石屋神社。淡路島。




のんきに歌っているこの神社。

侍長屋形式の門守殿は長さ50m。

延喜式内社「淡路國津名郡石屋神社」です。

【祭神】国常立尊(くにとこたちのみこと)・イザナギ尊・イザナミ尊の三柱。


国常立尊…どちら様?

天地開闢(てんちかいびゃく)の神々の一柱の神様。


【古事記における国之常立尊】
別天神の五柱(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神) に続いて、天地開闢の最初に現れた神世七代。その最初に現れた神。
独神(性別のない神)、つまり配偶者を持たない神。


【日本書紀における国常立尊】
『故曰はく、開闢(あめつちひら)くる初に、洲壌(くにつち)の浮れ漂へること、譬へば、游魚の水上に浮けるが猶し。時に、天地の中に一物生れり。状、葦牙(あしかび)の如し。便ち神と化為る。国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号す。』(「日本書紀」巻第一 神代上《かみよのかみのまき》)

天地の中に最初に生じた神。
「陽気のみを受けて生まれた神で、陰気を全く受けない純粋な男性」だそうで。


…違います。陰と陽です。

神話の世界は難しい。そして、なんか恥ずかしい。


さ、お参りしましょ。

ご親切にふりがな付きです。


階段から落ちないよーに。


門守殿をくぐると、石屋神社の拝殿。



岩屋神社。創祀年代は不詳。当初は三対山頂に鎮座。天地大明神、岩屋明神、絵島明神とも呼ばれました。


神功皇后の三韓征伐の時に、対岸の明石の垂水浜で悪天候に遭遇。風待ちのため岩屋に着岸。
三対山頂の石屋明神に参拝し、戦勝を祈願。

「いざなぎやいざなみ渡る春の日にいかに石屋の神ならば神」

神功皇后がこう詠むと、風も波も鎮まった、といいます。
なんとも力強い言葉です。



虫さんが元気に飛び交う季節です。



三対山頂に鎮座していた石屋神社が、今は海辺に。
それは、大内義興が岩屋城を三対山頂に造るため、現在地に遷座させられたから。



関ヶ原後、淡路島を領した池田忠興が社殿を再興、阿波国藩主蜂須賀氏の藩主が参拝に訪れた記録も残っています。


小学校一年生から中学を岩屋で過ごしたそうで。


春分・秋分の日には、この鳥居の真ん中から朝日が昇るのを見ることができます。


岩屋の石屋神社でした。



いつも応援いただきありがとうございます。強烈な朝日にあたって、すでにほっぺが火照っています。
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おまけ

のーんびり

毛利と織田が争奪戦した岩屋。今は生しらす激うまです。淡路島。





岩屋は、古代より瀬戸内海航路の要所であり軍事上の要地でした。

岩屋の名は、「風土記」「続日本書紀」(石屋と記す)、「兵庫北関入舟納帳」(室町時代)に記されています。

源平合戦では、兵火に巻き込まれ辺り一帯を焼失。


1509年、大内義興が足利義植を奉じて京都に入ろうとした際に、絵島の山側、三対山山頂に「岩屋城」を築城。

(No imageです。だってすんげー藪なんです)

その後、天正年間(1573年から1592年)の織田VS毛利の海戦では、織田軍と足利義昭や毛利輝元の間で激しい岩屋の争奪戦が行われ、荒木村重が頻繁に手当て(政治・軍事両面の)をしています。




(古っ)。


関ヶ原後、池田忠興が淡路を領した際には、淡路島南側の由良に成山城を築城。岩屋城は廃城に。
その後。阿波国徳島藩主蜂須賀領となり、1643年に岩屋に藩邸を作り海上警固を厳重にします。

以降は明石と淡路島の航路の港町として栄えますが、明石海峡大橋の開通により現在は静かな港町の風情残る町となっています。


そして、4月下旬より岩屋では…


「生しらす丼」。
岩屋で水揚げした生しらす、激激うまですの。


おつゆ入れをどけなさい。


このあほーめっ!!


季節限定のうまうま食材です。淡路島では今年度は宿泊施設・食べ物屋さんなど48店舗で独自の生しらすをいただけます。

五つのこだわりの下、提供してくださいます。その中でも素敵なこだわり。

「一、水揚げ後『先取り』し、そのままの鮮度で瞬間冷凍する事
★水揚げ直後に地元加工業者へ持ちこみ瞬間冷凍する事でそのままの鮮度を閉じこめます。『先取り』とはセリをとばす画期的な取引方法。常識を覆すスピードを実現しました。」

→詳しくは 淡路島の生しらす さん をご覧下さい。(きゃー、リンクできたー)



道の駅あわじ海鮮館さんの、生しらす丼¥850
旬のお刺身と淡路島特産の玉ねぎのお味噌汁付き。

生臭さは全くなく、生しらすの甘味を味わえるここの素朴な丼が私は一番好きです。屋外のテラスで潮風に吹かれつつ食べると、また食べに来るぜ!っと誓ってしまうのです。


お金持ちにおねだりなさい。


いつも応援いただきありがとうございます。夏は生しらすに加え、沼島の鱧(はも)がうまうまですの。まさに御食國です。
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柿本人麻呂が万葉集に残した大和島…と、わんこ


絵島から漁港を挟んで南に徒歩すぐ。


はい。大和島。



「天離る 夷の長道ゆ恋来れば 明石の門より大和島見ゆ」(柿本人麻呂「万葉集」巻03-0255」)

遠く筑紫(九州)からの帰り道に詠んだ歌。

明石海峡から懐かしい大和の山々が見えた…の思いの歌に、大和島を付会されたのでしょうか。


柿本人麻呂は明石の高台に住居を構えて、対岸の大和島の景色を愛でたといいます。優雅やのう。

ちなみに行きはこんな歌。


「ともしびの 明石大門(おおと)に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず」(柿本人麻呂「万葉集」巻03-3254)

明石海峡まで来るともう家の辺りはおろか大和も見ることもできない。くすん。これからの海路が心配だわ。ほーむしっく、だわ。

…早いって。




頂上付近にしか生えていない(岩上植生)イブキ群落。

数百年の風雪と波浪に耐えてきたこの群落は、生態学上貴重なもの。
大和島とイブキ群落として県指定文化財に指定されました。


地質上は砂岩・礫岩から構成。


弁慶の身長が1mなら隠せる。

*まっすぐ並ぶレンガの跡は遊歩道の名残で地層ではありません。



こんな大和島は絵島と異なり陸続きです。









ちっ。


いつも応援いただきありがとうございます。私はわんこが大好きです。この子、以前に来たときは腹を「撫でさせたろ」ってひっくり返ったのになあ。
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