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《姫路》書写山圓教寺と英賀御堂


英賀から引っ越しさせられた旧姓「英賀御堂」の亀山本徳寺、にあった、これ。

「500年前に強奪されたので、門徒が奪い返した!」っと紹介しました。


とぼけても駄目です。

書写山圓教寺は比叡山延暦寺と同じ天台宗寺院として、播磨では一大勢力。
昔日の寺社勢力の常、僧兵在中。


英賀を拠点に急速に勢力を伸ばす本願寺は、在来の既得権益を侵すことになり、旧支配勢力や既存社寺による英賀打ち壊しが頻発。

ますます英賀は城塞化していくのでした。


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《姫路》書写山さくっと紹介

姫路駅から数キロ。

書写山へ。


せっかちな私は朝一番のロープウェイで、向かいます。








一目散にえっちらおっちら…


じゃーん!


右から順に…







常行堂を横から見る。


朝一番のお寺は清々しいです。

ここは、ラストサムライのロケ地です。

そして、大河にここが出ます!ロケ地です!おたのしみに!!


書写山圓教寺はとても大きくて広いので、ゆっくり小分けにしてご紹介します。


おまけ



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《姫路》官兵衛パパの眠る妻鹿

妻鹿城(国府山城)址から、ほど近くの住宅街のど真ん中。


右奥に見えるのは、妻鹿城のある甲山。





パパ、職隆様の廟所。


御着城址近くでは、こちらにお参りしました。


祖父・重隆と、母・明石氏の廟所。



妻鹿も御着も、確かに官兵衛と家族が暮らしていた土地なのです。

それを忘れず、福岡藩主となって幾星霜を経てからも己のルーツである土地に廟所を建てる官兵衛子孫に、なんだか、きゅん、となったのでした。


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《姫路》どうぞどうぞ秀吉様。我々は妻鹿へ引っ越します!

姫路市飾磨(しかま)区妻鹿


姫路城と御着城の間に流れる市川の下流域にあります。

太平記の時代、妻鹿孫三郎の居城「国府山城(こうやまじょう)」のあった甲(かぶと)山。


姫路城を秀吉に譲り、官兵衛親子はここへ引っ越します。




麓にある石碑。「黒田」さんも寄贈に参加させられた




姫路南ライオンズクラブ様の意地。


石碑の横



「こうじんじゃ」

奥津彦命・奥津姫命が祭神。甲山(ここの山、ね)経塚から出土した二仏の泥塔がご神体らしく。
荒神さんは、かまどの神様、ね。

ここの右側が国府山城登山口。え、登山?えー?






満足して引き返す。
城跡まで徒歩20分らしいけど…引き返す勇気も必要よ。
(負け惜し…まないもんっ)


姫路城よりも、海まで近いので毛利水軍の動静がよく見える。

さらに。

この辺りは濃尾平野クラスの平野なので、山上からは、小豆島(南)、英賀(西)、姫路城(北)、広峯山(増井山も!)が、よぉーく見えるらしい。

休夢様のおうち、増井山と峰続きの有明山城からは市川の流れが眼下に広がり…

市川が蛇行してるのですが、妻鹿は右方向。



甥っ子からも、お山がよーく見えるのです。

市川でつながるラブラブ一家♪
実際、現地に立って、広峯山や増井山が見えてびっくりしました。



近所の丘まで山城に見える病気。



ほーっこり♪


あ。妻鹿は、黒田様命!!の、母里一族の所領でした。


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姫路といえば、これです


てっきり姫路城かと思いきや、まさかの「白鷺城」の、白鷺とは。。
白鷺は、市鳥。サギソウは、市花。


しろまるひめ。


かんべーくん。

官兵衛には、このまま播磨でじっとしていていただきたい。


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《姫路》亀山本徳寺で新撰組と本願寺さんを思うカメ

はい、本堂!









とにかくお参りしなくては。


つい、お焼香をてんこ盛りしました。けほ。




この本堂は、1873年に西本願寺から移築された建物です。
西本願寺では、北集会所、として使われていました。

壬生の屯所に移るまでは、新撰組の屯所でした。

なので。


ここには…




なんやろねえ、ストレスたまってたんかねぇ。


さあて。

矢印の方へ行きます。
あ、トイレ行きたい方はつきあたり左の扉です。


今、歩いてるのはここ。

どすどすどすどす。


中庭にはこんなんが。

500年前、とある山の僧兵ご一行に強奪されたので、門徒衆が命をかけて取り戻した!そうだ。



こちらの建物は大広間とか控えの間とか食堂などがあるようで。

さ、戻りますよ。



あ。

私ってば、聖域→俗世→聖域?


本堂に戻る手前の中庭に。




そんなここは、かめ山本徳寺~(*^▽^)/★*☆♪



・・・・(ノ-_-)ノ~┻━┻


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《姫路》英賀御堂はとても重要な土地なのだ

浄土真宗の中興の人で本願寺第8世の蓮如ですが。


1515年に本願寺直営の英賀本徳寺(英賀御堂)が落慶された時は、蓮如の子「実如」の時代。

実如は、布教の根回しに播磨国守護の赤松氏へのプレゼントも忘れません(名馬を贈った)。

西の拠点として重要視。
英賀本徳寺には、実如の子、実円が下向してきます。



当時の地形は、こう。

(亀山本徳寺パンフより)


現在の地形と比較。

(亀山本徳寺パンフに加工)

囲んでいるのは、堀と土塁。


一方、英賀には鎌倉時代より砦が置かれ、播磨の守護職赤松氏一族、後、三木氏(門徒)の英賀城が既存。


当時の地形の通り、そのまんまでも要塞です。
ここにさらに自然の地形を利用した堀と土塁を築造。

播磨灘に面した絶好の港湾機能に加え、河川を利用した物流も容易。


英賀城と英賀本徳寺のもと、英賀の町は、城下町と寺内町の共存した堅固な場所として発展していきました。


英賀城の名残

土塁。

遺構。

太鼓楼。


信長は、石山本願寺との攻防に四苦八苦しながらも三河・越前・近江・伊勢長島の一向一揆を壊滅させます。

東からの陸路による援軍と補給路を断たれた石山本願寺は、西からの海路に頼ることになりました。

英賀はますます重要な地となったのです。


瀬戸内海は一向勢力が支配中。


毛利は村上水軍を中心に、石山本願寺への輸送路である木津川へ上る大阪湾で信長軍を撃破。



そのころ信長は…

しかし、九鬼水軍に鋼板武装させた信長軍が、木津川口で圧倒的勝利をおさめると、瀬戸内海の制海権は信長側に移ります。

こんな背景があって、秀吉の播磨侵攻が可能になったのです。


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《姫路》英賀御堂だった亀山本徳寺の境内

石山本願寺の西の拠点、英賀。

秀吉が来て、戦の舞台になります。

その秀吉の懐柔策により、英賀にあった「英賀本徳寺」(英賀御堂)は亀山に移され「亀山本徳寺」に。



大門。


外から中が見えないように目隠し。
ここはT字路つきあたりのため、車が突進してくる、らしい。


絶妙。





ひろーい。


ひろーい。





ここの前には

播磨には古墳が多くて、石棺再利用の手水鉢とか石仏とか、ある。
石棺を立てて、底に仏像を彫る。はい、できあがりー!
えーのか?



除夜の鐘はご自由にどうぞ。

なので、108じゃ足りないらしい。
煩悩を増やしてどうする…(T_T)


さて、前身の英賀では石山本願寺の西の拠点として信長に抵抗したこの亀山本徳寺。

戦国時代の遺構があります。


敵の襲撃を太鼓を鳴らして知らせます。
でかーい太鼓、在中。

お城の天守閣は、この太鼓楼をヒントに考案されたそうで。


素敵である。


では、本堂へ参るぞ!


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仕舞「蝉丸 道行」髪が逆立ってる姉と百人一首の弟

蝉丸のお姉ちゃんの逆髪ちゃんは、生まれつき髪が全部逆立ってたので、パパに嫌われてしまったのでした。

能には、髪が逆立ったファンキーなカツラはないので、耳の横に付け毛したり、獅子舞のお獅子みたいなパフッとした鬘(黒頭)を付けます。


本人だって悩んで、放浪。
能楽「蝉丸」では、狂女とされてます。ひどい話(-""-;)


さて。蝉丸。といえば…百人一首のボウズめくり(^o^;)

「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」

蝉丸が琵琶の名人と聞き付けた(某小説で阿倍晴明の相棒の)源博雅君が3年通い続けて、8月15日に秘曲「流泉」「啄木」を習えたとか。(今昔物語)

うふふ。


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仕舞「蝉丸 道行」…仕舞って、どこで何してどうなるの

仕舞には、型付(かたつけ)という、定められた動きを示したものがあります。

(ぼかしてます)

横に書かれたのが、型と行き先。

「粟田口にも着きしかば」からの動作は、
今は真ん中に立っているところなので、左拍子を踏んだら、右に回って常座へ行き、改めて右足かけて左斜め前に向きを替え、左、右、左と、三足出た最後の左足は右足に揃える。

文字で書くと…わけわからん( ̄□ ̄; なので。

「考えんと、体で覚えるんやぁ~!(*`Д´)ノ」
な、うちの先生の教えはわかりやすいでっす。


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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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宜しくお願いいたします。

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