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《太子町》厩戸皇子の姿を見たよ、斑鳩寺

龍野歴史博物館で見た古代から龍野藩や姫路藩などの変遷の地図で、
唯一形が変わらない場所がありました。

それが、太子町。

なぜここに「太子町」「斑鳩寺」という聖徳太子縁の名前があるのかずっと気になっていたので、今回初訪問。



柿食えば鐘が鳴るかも斑鳩寺







太子町のゆるキャラ「におうくん」にどうだろう。



斑鳩寺。
聖徳太子が推古天皇に勝鬘経を講説したご褒美に、播磨国揖保郡の水田百丁をもらった。
「斑鳩荘」と名付け伽藍を建立。それが斑鳩寺。

以降、法隆寺の荘園として栄えたが、1541年、赤松氏の関わる戦災で焼失。
再建後は、天台宗となる。
秀吉は300石を与え、徳川幕府は代々将軍の朱印地として保護。

聖徳太子の仏敵・守屋氏討伐に由来する「勝軍会」(戦勝祈願法会)、「法伝哉」(守屋討伐の凱旋の式)などここにしかない古式が現存。




1556年再建。(毛利元就が陶晴賢を厳島で破った年)(藤堂高虎が生まれた年♪うひょひょ)
1765年再修造。

本尊在中。ただし2月22日と23日しか開扉せず。
鎌倉時代の薬師・釈迦・如意輪の三体の仏像。
写真を見たら、天平時代の仏像が座った感じの姿。

如意輪さんだけ、半目で頬杖ついて「あー、かったるいわぁ。めんどくせー」ってしてる。



1565再建。伽藍内最古の建物。重文(国)。
赤松政秀が、天下泰平を祈願して発願した、と銘文あり。

龍野城主の赤松政秀。
薬草取りに来たちびっこ官兵衛を見つけて、パパに連絡してくれた人(違)。

姫路に攻めてって、官兵衛親子に負けた人。(青山の戦い・母里親子が戦死した戦い)



1575年、赤松広秀により再建。

赤松広秀。
政秀の子。兄の死去後家督を継ぐ。すごく頑張った人。(大河を待て!)

天空の城、竹田城の城主。




赤松親子共演…。


赤松親子の供養塔。新しいけど、ここにあって嬉しい。


なんていうのかなあ…戦をしても心の根幹では天下泰平を願ってたんだなあって、きゅん、ってなるなあ。
龍野城を見た後に来たからかしら。赤松好きに変身なう。


1551年再建。1665年再修造。
本尊「聖徳太子の御孝養のお姿」像。


有料ですが、宝物殿と聖徳殿内部を住職さんのご案内で拝観できます。

宝物殿では、数々の仏像や十二神将、等々多数。
「戦災で焼失したから、近所のお寺から集めたんですなっ」とサラッと説明されました。はははー。でも鎌倉時代のものばかり。

拝見しつつ、つい仏像の顔真似したり、戦の神様が乗る猪の笑顔に爆笑したり、十二神将(それぞれの干支が頭上に載ってる)の動物を覗き込んだり。

住職さんと仲良しこよしになりました。


聖徳殿の本尊、聖徳太子像。
門外不出で写真すら非公開。ここに来ないと見れないって。

聖徳太子16歳の姿。
自分の髪の毛を植毛したので「植髪(うえがみ)の太子」。
あーとねいちゃー。

右手の杓で神への信仰を表し、左手の仏具で仏への信仰を表す。

パパの用命天皇の病気平癒を神と仏に願う「聖徳太子の御孝養のお姿」。

そして、代々の親王皇家から寄進される衣を身につけています。
現在は高松宮様からの衣。



あかちゃん聖徳太子。
いきなり東を向いて「なむぶつ」と言った姿。


三重塔も、びっくり…


法隆寺夢殿を模した八角堂。

ここに、聖徳太子16歳像と2歳像があります。


おもしろいところでした。


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龍野では「夕焼けこやけぇの…」


輪抜き紋風シンボルマークと、赤とんぼ。

龍野は、「赤とんぼ」の詞を書いた三木露風の生誕地。


です。



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脇坂さんちの龍野城

赤松氏のいなくなった後は、戦国末期から江戸期にかけてコロコロと藩主が交代し、一時幕府の直轄領となり代官が支配。

1672年、脇坂安政、ふろむ信州の飯田、が、藩主になります。

安政君が入った時は城・侍屋敷は壊され「城郭の地ことごとく田畑となるありさま」。

商家に仮住まいしながら町を再建。

でも外様なのですごーく遠慮して、麓にあったボロボロの御殿式の城を修復して使用。(赤松さん時代も、毎日の登山は辛いので、麓に居館がありました。その辺り。)

以降、脇坂さんは廃藩置県まで10代続きます。

そんな脇坂さんちの龍野城。
ずーっと大事に使ってたのに、明治に壊されて競売にかけられました。これは、昭和50年代再建。










いかがでしょう?


ほっこりする梅園。なんか、すごく好きになった。

ここはね、梅の木が少ししかないから、1本ずつ可愛がれるのよ、っとお話ししてくれた職員さん。庭師、設備、掃除(館はホウキと雑巾のみ)、全部一人でされてるんですと。

話し込むこと30分。

脇坂のお殿様、現在も続いているそうで。
ただ、今は都会にお住まい。ちょっと寂しいって。


さて。脇坂さんといえば、輪抜き紋。


知恵の輪。

庭石にも、輪(右側)。これは江戸上屋敷の庭石。



飯田から来た安政君は、譜代の老中、堀田氏から脇坂家に入りました。
後に、実の弟が老中のとき、外様から「願譜代」と格上げしてもらいます。後に、正式な譜代大名になります。

脇坂さん・・・はっきり解らなくても、どこかで聞いたことある名前?


①脇坂氏初代、安治


JR木之本駅で働く官兵衛と七本槍ズ。

ここの、


真ん中のミドリの人。


②四代、安照
忠臣蔵で、赤穂城請取りの正使。お隣さんのよしみ?

③十代、安宅(やすおり)
桜田門外の変当時の老中。

代々有能な人が続いたので「五万石でも脇坂様は花のお江戸で知恵頭」なんて言われたり。


え?


「五万石でも岡崎様は城の下まで船が着く」でしょ?ぶうぶう。



そんな龍野といえば、この隅櫓に桜満開写真が有名かと。




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赤松さんちの龍野城

龍野といえば、赤松さんち。


ちびっこ官兵衛、越境。


大人になったら正面から堂々と訪問。


赤松氏は、1499年に鶏龍山(けいろうざん)の尾根に山城を築造。

土塁、石積なんかも残っているようでして。


でも、こんなの登ったら、口から肺が飛び出そうです。


こんな形の山を見ると、てっぺんに山城!?っと思ってしまう病。

ここがどうなるのかは、今後の展開をお楽しみに。


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