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神秘の蛇のヒゲがある大原神社は彫刻ぶらぼー。京都府福知山市。

こんばんは。つねまるです。


大原神社。




拝殿正面の彫刻群。ごっちゃり。


ぱおーん。



さてこの大原神社に伝わる昔話。

むかしむかし、この地方を荒らしていた化け物さんを、石粉主利助が退治しました。その時に姿を現し逃げ出した竜は、なんとヒゲを落としていきましたとさ。


いもむしではござらん。


大原神社には伝説を記した巻物と共にこの「蛇のヒゲ」が残されているとのこと。(竜ではなく蛇、らしい)


竜の丸彫り。


なんでこんなにここの竜のおひげは目立つんかなーと思ったら、おひげ伝説が残されていたんですね。



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絵馬が豊かな大原神社。京都府福知山市。

こんにちは。


京都府福知山市の大原神社。





【祭神】
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大日霎命(あまてらすおおひるめのみこと)
月読命(つきよみのみこと)

【由緒】
852年(仁寿2年3月23日)文徳天皇の御世、北桑田郡野々村樫原(現、南丹市)より遷座。
国司大原雅楽頭が社殿を造営、同年9月28日遷宮。

大原神社といえば、

国道を走っているとこの絵馬殿がずっしりと見えます。

絵馬いろいろ。

「隠れし神を出さんとて。八百万の神遊び。これぞ神楽の始めなる」(三輪)






これは幕末の丹波の四季折々の耕作の様子を描いています。


いろんな人の集会


敦盛だ敦盛だー

「後ろより熊谷次郎直実。逃さじと追っかけたり。敦盛も馬引き返し」(敦盛)

少年を呼び止めるおじさん、の、図。

信長の、「人間五十年。化天のうちを比ぶれば。夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」は、幸若舞様の文言です。


静かな静かな大原神社。

しかし。

丹波でのお約束。

1573年 明智光秀が領主になる際、戦禍で焼失。

1655~1658年 復活

九鬼氏が綾部に領主に封じられて以降は九鬼氏累代の庇護を受け、現在の社殿は1796年の再建。






22時20分追記。先生と飲んだくれた。


なんということでしょう…これをいただいちまったぜい。

森伊蔵。うひょー!




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今夜は行き倒れ

こんばんは。つねまるです。



こやつが生原酒なもので度数あるくせに、さらっと飲めて心地よくて…



皆様の教えをいただく立場にありながら申し訳ないです。
明日は先生と酒席なので、前祝い。いや、ただ、休日前だから飲んでただけです。

ブログ、というものを本気で始めて一ヶ月弱。
毎日様々なブログ様を拝見して、すごいなーすごいなーと思って、このまま続けていけるのかなーと悩んでます。

でも日本のあちこちに残る様々な石や神社やお寺が…




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以上、まだ足りないので、剣菱を仕入れてきたつねまるでした。


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鬼女か否かの見分け方は装束にあり。「安達原」島熊山桜能

こんにちは。

前回は鬼女が現れたときの内緒の言葉をお伝えしました。
今日は、鬼女の見分け方。

女の鬼の場合は、装束に決まった模様があります。それは…


お魚のうろこだったら、ファンタジー。ここは蛇に象徴される女の情念をご想像下さい。むーん!

で。

この模様のあるものを着ていたら、実は鬼女なのです。しかし、



こんな風に着てくれたら簡単なんですが。



襟元しか見えない時もあるかもしれません。

「安達原」では、こんな感じ。


よーくよーく観察して、どこかにうろこ模様があったらすぐに逃げましょー!!


これは北条さんちの三つ鱗紋。北条時政に江ノ島弁財天の神託を告げた大蛇が残した鱗みっつ。逃げなくても大丈夫。

能楽には、「女の鬼」と「男の鬼」がいて…というのは、それはまた別のお話。


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ありがとうございます。
明日は会社です。夢の中に旅立たないようにしなくちゃ。

「安達原」で鬼を祈り伏せる言葉の数々・島熊山桜能

こんにちは。
今日は、鬼女に遭遇したときの内緒の言葉をお伝えしまーす。


もしあなたが、こんな鬼女に追いかけられたら…。

怖くて逃げてもいいのです。だって修験者だって、「きゃー」って逃亡したんですから。


はい。冷静になりましょう。


以下、「 」内は「安達原」の詞章。

まず、五大尊明王を勧請します。

「東方に降三世明王」「南方の軍茶利夜叉明王」

「西方に大威徳明王」 「北方に金剛夜叉明王」

「中央に大日大聖不動明王」


五大尊明王案内マップ


次に、陀羅尼(呪文)を唱えます。


「おんころころ せんだりまとうぎ」(薬師如来に祈る呪文)

「おんなびら うんけんそわか」(大日如来に祈る呪文)

「うんたらかんまん」(成就・吉祥の意味。呪文の結びに唱える)




次は、不動明王が衆生を救う誓いの四ヶ条。

「見我身者。發菩提心」(我身を見る者は 菩提心を発せん)

「聞我名者。断悪修善」(我声を聞く者は 悪を断ち善を修めん)

「聽我説者。得大知恵」(我説を聴く者は 大知恵を得ん)

「知我心者。即身成佛」(我心を知る者は 即身成仏せん)



「即身成佛と明王の緊縛にかけて。責めかけ責めかけ祈り伏せにけり。さて懲りよ。」

すると。

なんということでしょう。。鬼女が弱っていくではありませんかー。仏の力は強いのです。


鬼女は、安達原の黒塚に隠れ棲んでいるうちに浅ましい姿となった自分が恥ずかしい、と言い残して夜嵐のなかに姿を消しました。


成功です!

あなたも鬼女退散の道を極めましたね!

これで山城攻めもばっちりです。いってらっしゃーい!


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ありがとうございます。

お城に行きたい病になってます。石が見たいです。石が。

櫛石窓神社(名神大社・篠山市)と明智光秀ファイヤー!

こんばんは。

あ。間違えた。



櫛石窓(くしいわまど)神社をご紹介します。



祭神は、櫛石窓命(くしいわまどのみこと)・豊石窓命(とよいわまどのみこと)


天孫降臨の際のニニギの従者として三種の神器に添えられた三神に「天石門別神(あまのいわとわけのかみ)」の名があります。同神については「またの名を櫛石窓神・豊石窓神という」とあり、また「御門の神である」と記しています。(「『古事記』天孫降臨の段」)

宮中の神祇官西院において「御門巫祭神 八座」に、櫛石窓神・豊石窓神が4面の門に各1座ずつ祀られています。(「『延喜式』神名帳」)

同「『延喜式』神名帳」において、「丹波国多紀郡に『櫛石窓神社二座 並名神大』」と記載され、2座として名神大社に列しています。


現地案内板には「天照大神の天の岩戸隠れ」の際に、櫛石窓神・豊石窓神が御門を護った、とあります。


この「天照大神の天の岩戸隠れ」関連まめまめ知識。

「まずは岩戸のその始め。隠れし神を出さんとて。八百万の神遊び。これぞ神楽の始めなる」(「三輪」)

神楽舞、の原点は、岩戸の前で八百万の神々が遊んだもの、と。
おひゃーらーりーいやーららーりーいやーらあらあらあらあひゃーいとー。
(おかしくなったん違いますっ。お笛の音色をこうやって歌うのですっ)







右から、拝殿・本殿・宮山

宮山の頂上付近に巨岩がみっつ。
「宮山は神奈眉(かんなび)、巨岩は磐座(いわくう)」「磐座は櫛石窓神・豊石窓神降臨の磐山で、禁足の神跡」(現地案内板)


「ご神体である岩座」のある神域を神奈備(眉)といい、それが宮山である、ということ。


背後に宮山。


実は「ばんざいカメラ」で撮影しました。身長欲しい…。



しかし、お約束の。

光秀の丹波侵攻いけいけどんどんの兵火により一切を焼失。

災厄を追い払い皇居の御門を守護する神の鎮座する神社として朝廷や領主の信仰を集め、大芋(おいも)荘他48村の総社であり、丹波唯一の名神大社も戦の炎には一瞬にして焼かれてしまったのですね…。


ここの隣には私のものがあります。



やめなさい。

はー。

光秀もこんな景色を見たのかな。


櫛石窓神社でしたー。


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ありがとうございます。



島熊山桜能で「安達原」鑑賞。美辞麗句だけでない言葉。

大阪北部の島熊山で「島熊山桜能」と名付けられた催しに行ってきました。

お寺のお参りする所に敷舞台を設置して、屋外で演能。夏なら薪能ですね。春だから桜能と名付けられたのかな。


以前はサクラサク季節にされてたのですが、観ている方は寒くて寒くて。その時は寒すぎて気分が悪くなり、お寺のトイレのぬくぬく便座で暖をとりましたの。


曲は「安達原」

陸奥の国の安達原(福島県安達太良山麓)で修験者と山伏一行が夜になってしまったので、無理矢理おばーちゃんちに頼み込んで泊めてもらう。

「えーか、私の寝室を見たらあかんで。えーな?」「ほんまにあかんで」「あかんで!」っと再三再四念を押して、夜なのに山へ薪を拾いにいくおばーちゃん。

んなこと言われたら、見てしまうやーん?

見た。

「ぎゃーーー!!」

おばーちゃんの部屋にはおびただしい数の死体が天井まで山積み。

「わー!あれが安達原の黒塚に住む鬼女だったんだー!わー!」
修験者一行、脱兎の如く逃走。

「みぃたぁなぁー!!」っと鬼女の姿で追っかけてくるおばーちゃん。



修験者達は必死に祈り伏せます。やがて鬼女は弱りはて、夜嵐の中へ姿を消しましたとさ。

おしまい。


能楽の詞章というと、「花前に蝶舞ふ粉々たる雪。柳上に鶯飛ぶ片々たる金。花は流水に随って香の来る事疾し」(熊野)など美しい言葉を連想されると思いますが、この「安達原」で修験者一行が見たときの描写が…。

「膿血忽ち融滌し。臭穢は満ちて膨張し。膚臓悉く爛壊せり。人の死骸は数知らず。軒と等しく積み置きたり」(安達原)

(ノウケツたちまちユウテキし。シュウエはみちてボウチョウし。フニことごとくランネせり。以下略)

うえー。

こんな詞章も、曲によってはあるのです。「うわぁー」と思います。だけど、だからこそ面白い…かなあ?

最後に本日の教訓。

何にもいいことありません。


ポチ、していただけたら、安達原を枕元で謡います。ノウケツたちまちユウテキし…
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ありがとうございます。

仕舞「東北クセ」を熱血先生のもとでお稽古してきました。

お稽古に行ってきました。

発表会まで一ヶ月なので、突き放された私。
今日の先生は、熱血バージョンらしい。では私も熱血で、ごー。

仕舞、とは、能楽の素敵な箇所だけ抜き出して、地謡(じうたい)というコーラスに合わせて、様々な動きをします。

お稽古はマンツーマン。曲が習いたての時は横で謡をしながら一緒に舞って下さいます。(私がおねだりしてるのは、このお稽古)

この時に、先生の動きや間(ま)を覚えます。
自分が好きで尊敬してる先生なんだから、何でも素直に真似っこです。



型を思い出しながらぎくしゃく舞ってるので、初心者でもしない、ありえへん間違いをしちゃった。


「所は九重の。東北の霊地にて。王城の鬼門を護りつつ…」


仕舞は型を覚えてからがスタートで、曲趣に沿った位までもっていくのが、お稽古なんだろうな。

頑張りますとも。ぼちぼち。


ポチ、して下さったらあなたの鬼門を護ります。私じゃない、ナニカが。
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ありがとうございます。

まり姫様リンク御礼


まり姫様のブログを拝見するたび、自分のあほーを思い知るのです。
これからもよろしくお願いいたします。

名月姫と平清盛の伝説残る名月峠。大阪府豊能郡能勢町。

ローカルな場所でごめんなさい。今日は豊能郡能勢町のお話。


有岡城の戦いの際、当初は共に荒木側についていた中川清秀・高山右近は信長に応じて開城。能勢頼次の動向は不明。
本能寺の変後は明智についたため以降は一旦潜伏し、関ヶ原後、徳川幕府の旗本として明治まで能勢氏はこの地で続きました。

尚、能勢氏の発祥は多田源氏。

大阪府の最北端で、別名「大阪の北海道」。標高も高くて、市内より5-6度低く、冬は凍結注意。
でも、ここの作物は四季折々に豊かで、お住まいの方々は温かくて、とても素敵なところです。週末は、ドライブついでにこの辺りへ野菜を買いに行きます。


能勢町から西へ向かう道中の名月峠がお話の舞台。



「摂津御園荘浜村(現、尼崎市)の三松刑部尉国春が大日如来様に願掛けして、とても美しい名月姫を授かり、姫はやがて能勢家包(いえかね)の妻となり幸せに過ごしていた。

ところが、平清盛に見初められてしまう。

権力には逆らえず、清盛のいる福原(現、神戸市)に向かう途中、名月姫は夫への貞節を守り、この峠で自害し果てた。

姫のなきがらは峠に葬られ、以来、誰からともなくここを名月峠、と呼ぶようになった。」(現地案内板、能勢町教育委員会 より抜粋)


清盛~ (ノ`△´)ノ !!

だから貴方には、〇盛、□盛、☆盛、と、子供がモリモリ… o(`^´*)

どこで見初めてん。能勢で平和に暮らす人妻を。なーなー、清盛ぃー?

姫だけでなく、家族もかわいそう (;_q)






中央が名月姫の宝篋印塔で、両側に、父(国春)と夫(家包)の五輪塔。

姫の側に今も寄り添って守ってるように見えます (ノ_<。)


月姫の宝篋印塔。屋蓋の隅飾りの散蓮は、能勢特有の近江式装飾文。
鎌倉時代後期の作。

今も名月姫を憚って、嫁入りの時は前を通らない風習が残っている名月峠。



きーよーもーりー (*`Д´)ノ!!!

こわかったやんかー!


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ありがとうございます。

プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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◎画像と記事の無断使用厳禁!!
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宜しくお願いいたします。

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