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室津では八朔にひな祭り

おたつちゃん…。
嫁入り最中に赤松に急襲されて落命した官兵衛の幼なじみの子でしたね。第3話冒頭で、描かれました。
色白で、可愛かったねえ。若いっていいねえ。

それはさておき。
このエピソードは、室津の伝承がもとになっていたようです。


黒田家の娘としておたつちゃん(伝承では黒田家の志織姫)が浦上政宗の息子、清宗に嫁いだお日取りは、3月3日のひな祭り。

可愛いなあ…お雛祭りの日にお輿入れ。

が。


婚礼のその夜に、

黒田と浦上の縁組に怒った龍野の赤松政秀が浦上君ちの室山城(大河では、室津城と称してた)を急襲。

室山城は落城、浦上清宗は新妻と共に討死(自害とも)。

その悲劇を悼み、室津の人々は、雛祭りを婚礼の日の3月3日から半年遅れの八朔に行うようになりました。(室津追考記)



岬には梅林がいっぱい。なんか、悲しいな…。落城の頃に梅が咲くの。




おのれぇ、赤松め!むっきい~(*`Д´)ノ!!!


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御着城址と黒田家廟所



御着城跡は、公園に整備されてます。

しかし、埋文センターの人が「あのう…ほんとにちっちゃい公園ですから…」と、みょーに恐縮されてた御着城跡公園。

…どんぐり広場!?


(現地案内図より)

御着城は、自然の川を何重にも堀に利用したお城でした。

(同)

中では町内会の人がお揃いの服着て、小学生さんが説明してくれます。
途中で話しかけたら「…あれ?」っとなっちゃいます。
ご、ごめん(^o^;)






黒田家の家紋(黒田藤巴紋)は、官兵衛が有岡城に幽閉されてた時に心の慰めになった、藤の形だそうで。

下がり藤とかもあるのに、なぜクルクル回したのか。
官兵衛、すてき。


「朱漆塗合子形兜 黒糸威五枚胴具足 小具足付」
兵庫のゆるキャラ、はばタン風にしてみた。


本物は福岡市博物館にあります。具足は中身の人と異動したのですな。

ただし、兜は、官兵衛臨終時に栗山利安(善助くん♪)に贈られ、黒田騒動で息子の利章(栗山大膳)が盛岡に追放になった後、盛岡城主に献上されたので、もりおか歴史文化館にあります。

すぐそばに、黒田家廟所。


向かって左がじいさま(黒田重隆)
向かって右が母上様(明石氏)

何故にじいさまと母上だけが並んで…?
いけない恋ですか…?

実は、この近くに家老屋敷があったので、じいさまはそこで亡くなったそうです。(すっきりした~!)
一時は廃れていたのを、1801年に福岡藩藩主の黒田斉清により福岡から運んだ石で再建されました。

廟所の門には、黒田家家紋の藤がくるんくるん、が二つ。その、真ん中に、なーんにも模様のないただの、丸、が、ひとつ。

これは、竹中半兵衛の家紋「黒餅」です。
弊社謹製鏡餅

とある戦で弓に貫かれた半兵衛。しかーし、懐に持っていた餅のおかげで無事でした!!な、とこから、半兵衛んちの家紋がこの餅…「黒餅」になったとさ、なのです。

ネタバレるので詳細は省きますが、半兵衛に恩義と友情いっぱいな官兵衛は、黒田のくるんくるん藤紋とこの黒餅紋を使うように定めました。

廟所の門は、紋が立体になっていたのでまさにこんな感じ。



義理堅い話。


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《随願寺》休夢様は最愛の官兵衛を日々観察しているらしい

随願寺を後にして、山を降りかけた道沿いに。




今年の初ウグイスは、前日、龍野城で梅を見ながら聞いた。


けきょけきょけきょ…o(^o^)o












きゅーむ様愛用、甥っ子観察もにゅめんと (*≧∀≦*)


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《随願寺》黒田休夢様と同じ景色を見ようではないか!




梅林を抜けて…




ここを左折…


ねじねじの横の道を上る。





かつての僧坊跡なのか、ふいに平地が現れます。

















ベンチと大きさを比較下さい。




有明山城の有明の文字を見ただけで、てんしょんまっくす。










たぶん。



なちゅらる・ハイ。



ここは東側の眺望が開けてます。

市川を下ると、妻鹿。


南から北へ視線を移していきます。
きゅーむ様の見た景色をお楽しみください♪ヽ(´▽`)/









増井山・有明山の東には因幡街道。ここは東側の交通の見張り台。


帰りは速い。







別所長治により随願寺が焼き討ちされた後、僧兵達は播磨国印南郡佐土(御着の近く)に逃れました。

佐土から、官兵衛の妻の出身地である志方辺り(加古川市)まで広がった僧兵達は、糧を得るため尺八を手に、虚無僧となります。

秀吉による天下平定後、増井山に帰った僧兵達は尺八を奉納したそうです。

当時を偲んで、増井山尺八保存会さんが記念碑が建立。












こんなとこを、お散歩してきました。

はー、楽しかった♪


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《随願寺》官兵衛の孫娘がかかわる姫路藩主の墓所にお参り



姫路藩では、江戸時代の初期と中期の2回、榊原家が藩主になりました。

第1期…榊原忠次・政房(1649-1667)
第2期…榊原政邦・政祐・政岑・政永(1704-1741)

ここ随願寺には、忠次と政邦の二人の墓所があります。
政房・政祐の墓所は書写山圓教寺。



本堂横には、榊原忠次の墓所があります。

☆榊原忠次(1605ー1665)☆
徳川四天王の榊原康政の孫。

父は大須賀忠政(榊原康政の嫡男だが、母方の祖父・徳川二十将の大須賀康高に跡継ぎなくて養子に)。27歳で逝去。

母は家康の姪。忠次一代に限り「松平」を名乗る事が許されてます。
妻は、官兵衛の孫娘♪(黒田長政の娘)


忠次は、始めに大須賀家の家督を継ぎ、今度は榊原家に跡継ぎがいなくなったので榊原家の家督を継ぎます。

遠江横須賀藩主(大須賀)→上野館林藩主(以降、榊原)→陸奥白河藩主→播磨姫路藩主。

1663年、井伊直孝の後に大老となります。

加古川に堤を作って二つの川をひとつにしたり、新田開発したり、和歌等もたしなんだり、文武両道な人。


随願寺を榊原家の菩提寺と定めたのも忠次です。
そんな、榊原忠次の墓所。








次に榊原が姫路藩主になるのは、政邦の時代から。

榊原政邦の墓所

この上に…


一枚だけ半開き…


ひいっ






「式部大輔侍従 従四下源朝臣」


「夫人藤原氏」

仲良し。


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《随願寺》黒田(小寺)休夢さまの住むところ

官兵衛パパの傍らに必ず佇み、「兄じゃ兄じゃ」を連発している坊主頭の僧兵が気になる・・・。


彼は、官兵衛パパ「職隆」の同母弟、黒田(小寺)休夢、といいます。

演じる役者さんは、隆大介様です。

むかーし昔、海外ドラマの「マイアミ・バイス」で、ドン・ジョンソンの吹替をされてまして。渋いお声に一耳惚れ。


さてその休夢様。

正確には、増位山随願寺の一角、有明山地蔵院に居住していました。

名を「安芸法印休無(休夢)」と称します。

姫路城の北方を守る重要な役割をもつ有明山にある地蔵院は多くの僧坊を構える大きな寺で、今は土塁・石垣が残っているとか。

「有明山城」とも称された場所に配されたきゅーむ様。

つまり、毎日経を読む僧侶というよりは、姫路城の支城を任された城主だったわけですね。

まずは、その随願寺に行きます。
場所は広峰神社の東隣の山。


☆由緒☆

他もこれくらい簡潔に書いて欲しい…。

別所長治め!
休夢様のおうちに何をする(*`Д´)ノ!!!





…あ、あれれ?開山堂って普通は一番奥にあるのに。
地図見て、発見。車だと奥にアクセスしてしまうのでした。
参道は麓から真っ直ぐ正面に向かってます。









姫路藩藩主の榊原忠次により、再建されました。

姫路城を改築した池田輝政は初代藩主で、関ヶ原での功績と、家康との縁組により52万石も領しました。
しかし、孫の代で鳥取藩へ減転封。外様は大変。

以降は、姫路は西の要所であるため本多や榊原などの譜代・親藩が入れ替わり立ち代わり藩主になる落ち着きのなさ。



さ、お参りしましょ。お靴を脱いで、中に入りまーす。


おおお…中、すごおい!

さ、本堂の中に♪

おおお…立派です!



お参り。さ、見学♪




素敵♪細かいわ。地味派手だわ。

天井画。狩野探幽作。


本堂の奥も見学しました。
本尊の薬師如来様を納めた厨子(2m以上ある巨大な金庫?)の彫刻が細かくてきれいで、十二神将は惚れてまう男前で、うほほほほ。


ここは天台宗なので、比叡山延暦寺や書写山圓教寺と一緒。

休無様の僧兵仕様は、弁慶からの伝統的装束(嘘)。

次は、境内を散策します。


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《広峯神社》(2)神仏習合の雰囲気漂う社殿とか

さて、お参りします。




まだ拝殿。階段上がって、お参り。

重要文化財(国)
「1626年、姫路藩主本多忠政が再建。
正面十間、側面四間。巨大。奥の本殿より右端がー間小さい。
本殿に向かって地面が登り坂のため、建物前面は舞台造りのようになっている。」(現地案内板より)



奥が本殿。

重要文化財(国)
「1444年再興の建物。檜皮葺入母屋造。室町中期の様式を持ち、中央七間に神殿と仏間を交互に配した神仏習合の建物」(現地案内板より)

正面十一間(約20m)、側面四間の巨大な建物。

建立年代が明白、かつ、類例の少ない神仏習合神殿として特異な建築様式なので、極めて貴重で価値が高い。


拝殿と本殿それぞれが特異な建物。それが両方現存している点が、貴重。

確かに、異様…というか、圧迫されるような建物ふたつ。



拝殿より本殿。左から見る。


同じく。右から見る。

さらに、右を見・・・み、見る、と。


!?

おいっ!しっかりしろ!


…はい?



種明かしは、これ。



今は途絶えていますが、毎年9月に天祖父社(あまさいしゃ)(《広峯神社1》に画像あり)への御幸が行われていたので、その時の神輿。

を、引くお馬さんなのでした。

しばし、唖然。


気を取り直して、本殿の裏側へ廻ります。





由緒の項目に書いたように、真備の意向で牛頭天王を祀るように、陰陽道の雰囲気が残ります。

「九星詣り」できます。
それぞれの星の守護神が小穴の中に鎮座しているので、願い札と賽銭(ここ、ポイント)を入れて小声でお願いするんですと。





穴、覗いたけどなんも見えなかった。


この本殿裏側の前には、摂社が並びます。建築は江戸期ですが、一斉に造られたわけではないため、建築の変化が面白いです。
私には全部同じにみえます。









さて、さらに奥へ。近畿自然歩道になっていて、よい道です♪

てくてくてく…

ざざざざざざ…

「☆〇◎※□●!?」

背後からマウンテンバイク?モトクロス?な、自転車が抜かして行きました。びっくりした。


御師さんちが建ち並んでいた辺りは、石積だけが残ってました。




こんな石積と建物の名残の平地が森の中に点在します。
いったい何件あったことか。

今は2件しか残っておりません。


さて。この広峯神社から見える景色は




黒田官兵衛関連だけではなく、純粋に神社巡りだけでも興味深い広峯神社です。


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《広峯神社》(1)効果絶大な御札を求めて

皆様の記憶も薄れつつある官兵衛幼少期。

御札を付けるだけで飛ぶように売れた官兵衛のおじいちゃまの目薬。

遠く離れた土地でもそんなに宣伝効果のある御札を発行する神社って、どんなとこなのでしょう?


麓の道から、対向車の来ない事を祈りつつ…ちんたら登りました(車が)。




「総本店」と、ちゃう。


働くかんべー君。


あまさいしゃだよ。


夫婦石だよ。


落ちてたよ。


御師さんち跡を見ながら行くよ。

麓から十八丁もあります。けっこう高い。


美形で、きりっとした姿が素敵な、これは。



・・・です。



風情ある道が続くのかと思いきや、ぴょこん、っと出ました。


広(廣)峯神社です。


随神門。


随神門の天井。あらきれい。


・・・です。






でかっ!!でも、これは拝殿。


お参り前に、ここでちょっと由緒☆

遡ること2000年。スサノオノミコトがここに鎮座。

天平時代。ここの山に来た吉備真備がご神託を受けて、聖武天皇に社殿を建立してもらった。

真備は唐で極めた陰陽道を広めるため、スサノオノミコトを「星の運行を司る神」であり「祇園精舎の守り神である牛頭天王の化身」であるとした。


平安時代。都は疫病大流行。

清和天皇が夢で見たお告げに従い、869年、廣峯神社から分霊し祀ったら疫病は収まった。
そのお祝いが祇園祭。分霊を祀り建立されたのが八坂神社。

広峯神社は、祇園本社(牛頭天王総本宮)として、とても栄えた。




お参り前に、小太郎君をワシャワシャワシャ…。

次回に続く…


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「軍師官兵衛」第10話 毛利が来たぞ!!


毛利軍の皆様のご到着地、英賀は左奥。


あたふたする御着城址



廣峯神社より姫路方向。ガスってます。麓では小寺軍が右往左往。


頼りになる父・職隆。その弟・休夢様。

お住まいは増位山随願寺の地蔵院。

官兵衛の初陣で窮地を救い「わしから離れるな!」と、官兵衛に、きゅ、っと言わしめた男。休夢。


・・・脱線した。



痴話喧嘩の長浜城。
雪吊りのてっぺんには瓢箪。粋なはからい長浜市。


おなごに優しい天下布武。


信長も秀吉も家康も欲した要所。
物資は船で宜しくね。


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はじめまして

やっとできました。

慣れてないので、ぼちぼち勉強。疲れました…。
くくりが何なのかもよくわかりません。
でも、よそさまの歴史ブログを拝見したら、ものすごく専門的なので、ゆるゆる散歩でいこうかな、と。

能楽もぼちぼちご紹介できたら。

でも今は…


へとへと。

こんな感じでよろしくお願いいたします。


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Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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