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サクラチルチル篠山春日能

こんにちは。


丹波篠山の春日神社で、篠山春日能を見てきました。


篠山は桜満開でとっても目の保養心の保養。


演能中、シテの感情に同調するように時折、花吹雪が舞いました。


たまにはお外で能を見る、なんて贅沢。うふふ。
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狛ちゃんの夏休み。お花の観察日記と大人達。追入神社

こんにちは。


兵庫県篠山市の追入神社。

追入地区は、古来より但馬・氷上方面と摂津を結ぶ重要な街道筋で、東の福住、南の古市とともに宿駅として大いに繁栄しました。


すがすがすぃ~です。


はいはーい。


朝早くにごめんね。


あ、そう。


丹波地域に見られる扇形の石。


どもー。

集落北方の山中に祀られていた聖権現と愛宕社を1908年/明治41年に合祀し、1912年/大正元年に現在地に遷座。

聖権現は熊野神、愛宕社は迦具土神、稲荷神は宇迦御魂神。
刈野神社も後に迎えられ、今の「追入」神社となる。



【由緒】創立年不詳。明治6年(1873)、村社。
【祭神】宇賀魂命(ウカノミタマノミコト)
【配祀神】聖大神(ヒジリノオオカミ)火之迦具土命(ヒノカグツチノミコト)
(兵庫県神社庁HPより)
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6307074.html


こちらは、「中井権次正胤」の彫刻群があります。(銘あり)


わくわく。


あひゃ♪うさぴょーん。


海、行きたいなー。


どうしましたか。


・・・ぎ

ぎゃああああ


そうか、夏といえば、やはり怖いおはな・・・


そうねー、ビールよね♪


そうねー、すかーっとねー♪


そうねー、美味しいよねー♪


うふふふ。


うおー。


楽しくお酒を飲むために、がまーん。


奥さんじゃないけど、何でしょう。


・・・ぎ

ぎゃああああ



のんきだこと。


まぁ、楽しみね。


おっきくなったねー。


ぎゃー!!


よかったよかった。


そうねー。にぎやかねー。


何よりです。


わくわく。


素そうめん。


素麺とおつゆonly。夏の節約。


動物くんがいっぱいの追入神社でした。


追入神社
《住所》兵庫県篠山市追入166



いつも応援いただきありがとうございます。丹波地域の神社の彫刻群、お久しぶりの登場でした。みんな元気に跳び跳ねて、生き生きとして、こちらも元気になれそうです。ちょっと怖い狛犬さんは箱入り息子くん。狼さんなのかなー。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

春日神社。子狛ちゃんが待つ八上城の登山口だぜぃ

こんにちは。

綾部市のお社の在庫を放置して、気分転換に篠山市。
あれ?あんまり変わらない場所ねー。へへへー。


篠山市のマンホール。いのしっし。


春日神社はとある筋では有名。


ふっふっふ。


明智光秀の丹波攻めに抗し、見せしめに光秀の母を処刑した波多野さんちの八上城城址。


これを見て、血ぃ沸いて肉が小躍りしました。


(クリックで拡大)「現在地」が春日神社。


もの欲しげに案内板を見つめる怪しいわたくし。いいもん。悔しくないもん。

花粉の季節は駄目なのです。


・・・ちっ。


崩れた壁の中の建物。


八上城での攻防を思うと、この辺りも戦場だったろうと。


4月11日。土曜日。気温9度。


未練がましい。


しつこい。


さぁて、ご挨拶してこよっかなー。


いい雰囲気。


本殿前の石。

扇形の「拝石」と言われているもので、この手前で参拝するのだとか。


篠山市から兵庫県の丹波地域に散見される石。


うにゃー。


なんの告白でしょう?


あまえんぼの子狛ちゃん。


素晴らしく獅子の顔立ちのとーちゃん。


かーちゃんも獅子やった。


きゃー。


いやー。


ひとりっこは重圧なのだな。


戦場だった場所で見ると、背筋がぞわぞわします。


これからは虫とか虫とか虫とか・・・。


いつも応援いただきありがとうございます。うっかり薄着で出かけてしまい、車に常備の軍手で防寒。小雨が降り続いていたので、城址には一歩も入ってないです。今日の目的地は篠山市の先。道中の安全をお願いしました。
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閑話休題・篠山城のサクラサク

こんにちは。



ちょろっと丹波篠山城へ。


サクー♪


ここは外せません。


ちょろっと。


来週がさくら祭。まだ大丈夫。

とっても駆け足だったのは、


これを仕入れに行ったから(≧∇≦)

いえーい。


いつも応援いただきありがとうございます。篠山城へ行った後、大阪の友人宅で花見。皆が手料理を持ってきてくれるので、豪勢でした。花より団子、団子よりライスジュース♪久しぶりに行き倒れて参りました。
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大賣神社。おでき治す稲荷と義経の道案内の鷲尾三郎

こんにちは。


丹波の式内社「大賣(おおひるめ)神社」。


付近はこんな感じ。


越後村上藩主村上忠勝の墓所。

背後に見える笛吹山(384m)に、笛吹山城(大熊城)。麓に大賣神社。


のどかな道端に社標。


さてここで、いきなり源義経の登場。

平家追討のため都から須磨浦方面へ向かう源氏御一行様。

平家物語では、平家10万(実勢は7千~3万程度)、対する源氏は範頼軍5万義経軍1万(実勢3千程度)。

兄の範頼の進軍は西国街道(70~80km)。
これに対し、義経は亀岡から丹波篠山を大迂回する丹波街道(120~140km)を進軍し、「鵯越」から須磨浦へ。


内陸部ざっくり地図。下の国道372号がデカンショ街道。
京都府亀岡から播磨姫路へ。

(※阪神淡路大震災の時に海辺の道路が壊滅の中、大活躍した迂回ルートです)

さて、笛吹山。

京都から「三草山~鵯越~須磨浦」ルートで、篠山を通り合戦に向かった源義経がこの辺りで少し休憩。

このとき。

松に掛けていた義経愛用の笛が、風を受けてか不意に鳴り出し、笛の音に合わせて裏山から太鼓の音が響いてきたと言うことから、笛吹山となったという伝説。



本殿に向かって左側に、


笠鷺稲荷神社。

【祭神】大己貴命、宇賀魂命

五穀豊穣・商売繁盛・家内安全のほか”おでき”の神様として”おでき解除”のご利益があることで良く知られているお稲荷さん。

「おでき」、つまり、瘡蓋の瘡(かさ)→「笠」鷺稲荷神社。

天然痘の別名「疱瘡」、また梅毒も「瘡」と呼ばれており、単なる「吹き出物ちゃん」ではなく、命にかかわるものを退けてくれるありがたいお稲荷さん。

篠山藩主松平若狭守康信の祈願所として崇敬が厚かったとか。

笠、今は麦わら帽子がいくつか奉納されていました。


さて。もう一度お参り。祭神のお名前に注意。



【主祭神】大宮売(おおみやひめ)命

【配祀神】素盞嗚命、大歳命、応神天皇、菅原道真公、武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、姫大神、大山主命、鷲尾十郎


神様が並ぶ中、「鷲尾十郎」

誰。画像リピート。


のどかな道端に社標。

実はここから背後(北東)へ進むと、鷲尾集落。

この「鷲尾」さんは、西摂津から播磨にかけて勢力を張り、要路の要所を押さえていた「鷲尾党」の一族。

ここには、「(鷲尾)十郎屋敷跡」と「鷲尾三郎供養の宝筐印塔」があります。

鷲尾三郎。

「源平盛衰記」では鷲尾三郎経春、「平家物語」では鷲尾三郎義久として登場。

西国不案内の義経一行を道案内した人物です。

弁慶が道案内を猟師(鷲尾良久)に頼みますが、年をとっているからと三男を差し出します。

義経一行は彼を家臣に加え、鷲尾三郎は鵯越への案内役を勤めました。結果、義経は鵯越にて須磨浦へたどり着き、大活躍。

鷲尾三郎は、奥州衣川館で藤原泰衡等に襲われ、義経が自害するまで従い、衣川で討死。義経に殉じます。

残念ながら、鵯越ルートは諸説あり、また、鷲尾三郎の出身地も神戸市東下、白川と多井畑など、諸説。

※鷲尾三郎出身地と鵯越ルートを楽しく検証されているサイトあります。(http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/yoshitsu.htm)



じーちゃま、こんにちは。









とても楽しい大賣(おおひるめ)神社でした。おしまい。



大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。義経の大迂回。本人さんと御一行様は大変でしょうが、あちこちに残る足跡を追うのも楽しいです。狛犬さん達のかわいい「大賣(おおひるめ)神社」、桜の篠山城など見所史跡がてんこもり。丹波篠山へぜひお越しくださいませ。
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大賣神社。恐竜の子供ちゃん狛犬、こんにちは

こんにちは。


大賣(おおひるめ)神社。


人懐こい狛くまちゃん。


歌う吽さん。


室町時代作というこ長老狛犬二人を冷静に見つめる神殿狛犬。


神様を守護する重鎮。じ、じゅう、ち・・・。


ちーん。


陶製のちび狛犬。お土産物かしら。連れ帰っていいかしら。


この渦巻きのような模様は実際の若いライオンに表れる「つむじ」を紋様化したもので、「若い獅子」を表現。

獅子舞の体の緑の幕に同じような模様があるかと。


例えば、舞鶴のちび狛犬さんにも同じ模様。


二人ともおちびちゃん。


真面目です。


吽ちゃんのはずですが、ま、細かいことはさておいて。


意地悪してみる。


よーいどーんっなんて言ったら野山を駆け回りそうです。


そこはちゃんと見張り番あり。


お雛様では、親戚から贈られるお人形の位置です。

かわいかったー♪


さてこの狛犬。
「1863(文久3)年を記した陶製の狛犬」と紹介されている記事もあったのですが、どうなのかしら。しかし。

氏子さんに大切にされているお社なんですもの。気は心。
かわいい狛犬さんに会えて嬉しかったです。



大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。ちびちゃんも見張り番を頑張るお社。お仕事は期末に向けてどったばったしておりますが、私もがんばろーっと。
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大賣神社。三岳修験道の名残とちびっこ狛犬人面犬

こんにちは。


大賣(おおひるめ)神社。

拝殿横に建つのは、元の拝殿を移したもので、そもそもは丹波修験道場の中心であった三岳修験道場「鳥の堂」の遺構。


ちび狛さんの後ろに見えるのは


多紀連山にあった知足廃寺からここへ移動させたと伝わる石。

俗称は「鳥居の袴石(或は靴石)」ですが、形と寸法からみて知足廃寺の宝塔の真柱の礎石と推定されています。

多紀連山は、篠山市北部に連なる山々で、鎌倉から室町時代にかけて栄えた丹波修験道場でした。
三岳を中心とし、「三岳山いただき隠す法の道 」とも言われ、最盛期には吉野の大峰山よりも栄えたといいます。


無邪気は罪である。


狛くまちゃん。

さて。本殿を拝見したいので。


う。


出たー。


いやぁ、いいわ。


せーんろは続くぅよ~♪


どーこまっでっもぉ~♪

・・・ちょっとお待ちなさーい。


あら。頭にかわいい角の名残が。

いやいや、あなた、室町末期の作と言われる狛犬さんですわよね?
なぜ異国のお歌を。


この浦舟に帆をかけーてぇー。

こらー。謡やんかー。


もう少し馴染みのある歌とかさぁ。


では、阿ちゃんと歌ってみましよ。


やけくそ。


篠山市の解説等では室町末期の作と推定され、市の指定文化財なのですが、台座もなく、このように地べたに転がっております。


まだ狛犬在中でした。

この子がまた、予想外にお年寄りなので、つづく♪



大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。作風からみて室町末期の作という狛犬さんですが、奉納年月日等詳細は台座がなく不明です。でも小さな子達が愛嬌たっぷりに迎えてくれるだけで幸せ。少し人面犬に見えなくもないお顔の吽ちゃんです。
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大賣神社。室町時代の狛犬ちゃんがかくれんぼ

こんにちは。


丹波篠山。篠山城の北東に鎮座する式内社。


かわいいお社。


本殿の彫刻が素敵らしいので、ちょいとお邪魔。


なんやらにぎやかしい。


なんか、おる。


いやぁ~ん。かわいい。


あ~そ~ぼ♪鬼ごっこはいかが?





こぐまちゃん、鬼さんを呼んでどうする。


え?


狛くまちゃん。


背中がちくちくすると思ったら。


お愛想なしめっ。


んまっ。


石製狛犬(現地説明板より)

「室町末期の製作と考えられており、篠山市内で最も古い狛犬のひとつである。保存状態がよく、当時の狛犬の様子がよくわかる貴重な文化財である。
篠山市指定文化財(工芸品)指定。」

あらぁ~。これはこれは。



やり直しません。



大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。ちびっこい狛犬くんに歴史あり。室町末期といえば、八上城で波多野氏や三好氏ががんがん張り切っていた時代。大賣(おおひるめ)神社の横にも山城がありました。どんな事が起きていたのか、お話してくれたらいいのにな。
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大賣神社。おおひるめ神社からこんにちは

こんにちは。


篠山城から


こんな景色を眺めつつ北上すると


のどかな道端に社標です。

昼目谷、というところ。


明るいお社のようです。うふふ。


丹波の式内社「大賣(おおひるめ)神社」です。

旧多紀郡北の庄十一ケ村の総社。
旧多紀郡内の延喜式内社(大社2座1社、小社7座6社)のひとつ。


小さな流れでも、清々しいな。気持ちいいな。


箱庭みたいにかわいい♪



【主祭神】大宮売(おおみやひめ)命
太玉命の子で、天照大神に奉仕して、君臣間の感情をやわらげる女神で、保食神。

【配祀神】素盞嗚命、大歳命、応神天皇、菅原道真公、武甕槌(たけみかつち)命、経津主(ふつぬし)命、天兒屋根(あめのこやね)命、姫大神、大山主命、鷲尾十郎


手前に花粉てんこ盛りの杉。ぱらっぱ~。


中にあんこが入っていそうな。

社伝によれば、創始は第11代垂仁天皇の御代。
皇女が天磐船で当地にやってきて、榊を植え、注連縄を張り木を曲げて奉ったのが始まり。

781年。桓武天皇の御代に初めて神殿が造営。


じーちゃま、こんにちは。


おっと、失礼。


でも、じーちゃま。

旧多紀郡北の庄十一ケ村の総氏神ですから、


1560(永禄3)年。八上城主波多野秀治は、ここを祈願所とし、自ら大般若経350巻を書き写して奉納しています。


1662(寛文元)年。篠山藩主松平若狭守康治は、神田を寄附し社殿を再建。
歴代の篠山藩主もこの神社を崇敬。

1733(享保18)年。後西天皇の女子、宝鏡門跡が「正一位大売神社」の神額を御染筆。

1837(天保13)年。社殿を再建。

当社は、多紀郡北の庄11ケ村の総社であり、社を「盡目山円光寺」と称しました。 お寺も神社も仲良しこよし。

しかし、1867(明治元)年、社と円光寺が分離。
以降、城北村9ヶ村の村社6・無格社10の合計16社を合祀。



式内社であり、時の権力者の崇敬厚く、とても素敵なお社で・・・



で、で、で・・・。



どうやらここには奴等が潜んでいるようですぞ。



まだおった。



にぎやかですな。


大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356

参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」

いつも応援いただきありがとうございます。荘厳な雰囲気のお社も素晴らしいですが、こんな明るくてかわいいお社もいいですね。境内はきれいに掃き清められ、禊の小川はさらさら流れ。これで花粉さえなければっ。帰宅して画像を見て、驚愕してゾンビです。
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まけきらい稲荷。負けず嫌いな藩主をお助けどすこい

こんにちは。


違います。花の粉です。

さて。

王地山稲荷社ですが


案内に「まけきらい」。


意地っ張りな水口ぴょん太。


ぴゃー。

なんなの、このアグレッシブな神社は。


末社、平左衛門稲荷。

扁額に「平左衛門稲荷大明神 まけきらい」と記載。

ここかー!


なんだなんだ?大阪場所か?

私の知ってるお狐様は


華奢だとか


にーちゃんと


反省する弟とか


マイペースな兄と狭い弟とか

(兄弟2組は徳島市諏訪神社境内社・稲荷神社の狐くん)


丹波篠山藩主は松平家が続いた後、青山氏。


青山家は家康時代から徳川に仕える譜代。

とある日。老中、篠山藩主青山忠裕は憂鬱でした。


毎年、江戸吹上御殿にて将軍上覧大相撲が行われます。


(三重県熊野市、産田神社の狛犬)

他藩ではお金で本物の力士を雇い、優勝を目指します。


(京都府亀岡市、穴太寺境内社の狛犬)

しかし、篠山藩5万石ではお金で強い力士を集めることもかなわず、負けず嫌いな藩主青山忠裕は、悔しくて悔しくて。

今年も力士体型にはほど遠い面々がご挨拶に来ました。

「殿、ご機嫌うるわしゅー。手前が頭取の高城市松、こっちは王地山平左衛門、波賀野山源之丞、飛の山三四郎、黒田山兵衛、小田中清五郎、須知山道観、曽地山左近、頼尊又四郎、それに行司の金山源吾にございます。」

青山くん、憂鬱でも参加しないわけにもいかず。

ところがどすこい。


あらびっくり。


藩主青山忠裕が褒美の酒を与えようとしますが、力士達の姿はなく。

「探せー!」

早駕籠で追いかけさせるものの、見つけることあたわず。
丹波篠山に着いてしまいました。

事情を聞いた城代家老もびっくり。


(篠山城・大書院。再建)

力士達を送り出したのは国元ではなく。

「探せー!」のご命令があるので、篠山藩内の庄屋全員集合。


草の根分けても探さなあかん。

と、その時。

名主の一人が「王地山、波賀野山、みんな、お稲荷さんがおんで。きっと、そりゃお稲荷さんでは・・・。」と言い始めましたが。

城代家老「んな阿呆な~」

しかし。


(滋賀県日野町・馬見岡綿向神社境内社の狐)

言われてみれば確かに、力士のしこ名にはお稲荷さんが鎮座。


さらに、お相撲期間中にはお供え物がそのまま残っていたこと等、不思議な事が数々あったと皆が口々に言い始め。

従って。

王地山、飛山、頼尊、波賀野、小田中、曽地、須知、金山、高城、黒田等の各地の稲荷が、藩主青山忠裕の面目のため力士に化神したと判明。


細まっちょ、恐るべし。

城代家老から報告を受けた藩主青山忠裕は、それぞれの稲荷に幟や絵馬を奉納して感謝しました。

これが「まけきらい稲荷」の起こりだということで。


王地山稲荷社末社、平左衛門稲荷。


力士に化けて藩主さんの鬱憤を晴らしました。


頑張ったお稲荷さん。

情が深くその愛情はきめ細やかという狐。


こんな彼を見るに見かねたのかもしれません。


お江戸までえっちらおっちらと出張までするのは、大変だっただろうに。

ところで、この藩主青山家。
篠山の人々にとても愛され親しまれたおうちだったようです。

篠山城に鎮座する青山神社は、篠山城が1871(明治4)年に廃城となった後、藩主青山家の旧恩を追慕する人々が、青山家の御霊を祀る神社の創建を熱望。
青山家の遠祖・青山忠俊を御祭神として1882(明治15)年5月に創建されました。


まけきらい稲荷社の境内社、能勢妙見宮分社。


読めません。


境内の灯籠。

狐さんへの恩返し。ほっこり。


どこぞの狛犬さん、焼きもちもっちもち。


いつも応援いただきありがとうございます。昨日はあたたかいお言葉を賜りまして、ありがとうございました。嬉しくて心が踊っております。さて篠山のまけきらい稲荷のお助けお狐さんのお仲間達。今も篠山の各地に鎮座し、大切に守られています。どすこい。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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