平家相伝「抜丸」と「折れず曲がらず良く切れる」日本刀の作り方
こんにちは。
【大原鍛冶と源平】

源氏の宝剣「童子切安綱」と、双剣「鬼切安綱」の生みの親、大原安綱。
安綱の子・真守(さねもり)が作ったのは、

抜丸(ぬけまる)。こっちは平家相伝の太刀。
嵯峨帝の勅により真守が打ち、元は「木枯(こがらす)」。
「忠盛一日池殿にて昼寝せしに大蛇出で呑まんとす、この木枯の太刀自ら抜出たれば大蛇畏れて水に入る。これより抜丸と云ふとあり」(『平治物語』)
平忠盛→頼盛(忠盛5男/池殿)→重盛(清盛嫡男)→維盛(重盛嫡男)
平治の乱では平重盛はこの抜丸で悪源太義平と戦い、壇ノ浦の合戦のときは、維盛(重盛の嫡男)が所持。肥後守平貞能に預けおき。
現在、行方不明。
安綱を始祖とする大原一門は、息子・真守以降も栄え、平安末期から鎌倉中期まで繁栄します。
刀の原材料である良質の真砂砂鉄に恵まれたこともあり、大原鍛冶は、多くの国宝・重要文化財・重要美術品級の名刀を鍛え出しました。
この大原鍛冶が活躍した時代を、特に「古刀期」といいます。
【日本刀の作り方】

たたらと刀剣館

月に2回、刀鍛冶実演がありまして。

食べてきた 見てきた♪

普段はプレスも用いるそうで。
これは堺の刀鍛冶も同様。

岐阜県関市の刀鍛冶実演では、「予算豊富なので」(たたらと刀剣館実演時のお話)イメージ通りのとんてんかん、が見えるとか。

(狐の画像/大原神社)
素材は大別して鋼、銑、鉄の3種類。
鋼のうち、特に炭素量が適量で優れた品質のものを「玉鋼」と呼び、直接、日本刀の素材として使用されます。

玉鋼は、たたら炉(ケラ押し法)で作られます。
銑、鉄はそれぞれ脱炭、吸炭させ鋼に変えて(おろし鉄)使用。

日本刀は、「折れず、曲がらず、良く切れる」という三つの条件に加え、刀身の地肌や刃文の美しさ、ゆるやかに孤を描く姿から、現在は芸術品として高く評価されており、高値で取引。

日本刀剣は、太刀、刀、脇差、短刀、薙刀、槍等の総称。

あれ?
《折れず曲がらずよく切れるためには?》
玉鋼をただ単に伸ばすだけでは、ふにゃけた棒(西洋の刀剣)。
日本刀の強さは、「折れず曲がらずよく切れる」点にあり。
「切れる&曲がる」←鋼は硬いのがよい←炭素量高い
「折れず」←鋼は柔らかいのがよい←炭素量少ない
どうすりゃいいんだ?

答えは、昆布巻(イメージですよっ)
柔らかい心鉄(しんがね)を硬い皮鉄(かわがね)でくるむ方法。
これが西洋の刀剣との違いで、日本刀の特徴。
《皮鉄の作り方》
皮鉄=炭素量高く、硬い

送風機と並行して、特に風を送りたい時にはふいごを使用。
炭素の含有量を調整し不純物を除去するために、鍛錬。

(奥から)水減し(みずへし)→小割り→積み沸かし→折り返し鍛錬(下鍛えと上鍛え)
ころんっとした玉鋼を薄く打ち伸ばし、小割り。
積み重ねて熱し、タガネを入れて打ち伸ばし、折り返して重ね(下鍛え)

短冊鍛え、柝木(たくぎ)鍛え、木葉鍛え等、様々な方法で各々の材料を組合わせて積み上げ鍛錬(上鍛え)することで、板目や杢目、綾杉など地金の変化が生まれます。

この折り返し鍛練を15回ほど繰り返すと、
約3万3千枚の層になります。
これが、日本刀が強靭である理由のひとつ。
《心鉄の作り方》
柔らかくていいので、数回の折り返し
《造り込み》
心鉄を皮鉄で包みます。
これで、「折れず曲がらずよく切れる」が実現。
甲伏(こうぶ)せ、本三枚(ほんさんまい)、四方詰(しほうづめ)など時代、流派、個人によって異なります。
以降、素延べ(すのべ)、火造り(ひづくり)といういわゆる「とんてんかん」の作業、研ぎ等を行い、

あああ、やっとこさ出来たよー。
参考サイト
公益財団法人日本美術刀剣保存会(日刀保)
※「日刀保たたら」の母体です。
「日本刀の製作工程」
http://www.touken.or.jp/seisaku/koutei.html
和鋼博物館(安来市)
「日本刀」
http://www.wakou-museum.gr.jp/spot9/
※製作工程が図解してあり、わかりやすいです
いつも応援いただきありがとうございます。
砂鉄の採集から見てきたたたら製鉄。やーーーーっと、刀になりました。長かったですねぇ。たたら製鉄史跡巡りはぼちぼち続けますが、何しろ山奥が多いので冬はお休み。このままでは年単位でお蔵入りする狛犬さんとかあっちこっちの史跡とかが、肩にずっしり。たたらのお話、我ながらよくはまったものだとびっくりしてます。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
【大原鍛冶と源平】

源氏の宝剣「童子切安綱」と、双剣「鬼切安綱」の生みの親、大原安綱。
安綱の子・真守(さねもり)が作ったのは、

抜丸(ぬけまる)。こっちは平家相伝の太刀。
嵯峨帝の勅により真守が打ち、元は「木枯(こがらす)」。
「忠盛一日池殿にて昼寝せしに大蛇出で呑まんとす、この木枯の太刀自ら抜出たれば大蛇畏れて水に入る。これより抜丸と云ふとあり」(『平治物語』)
平忠盛→頼盛(忠盛5男/池殿)→重盛(清盛嫡男)→維盛(重盛嫡男)
平治の乱では平重盛はこの抜丸で悪源太義平と戦い、壇ノ浦の合戦のときは、維盛(重盛の嫡男)が所持。肥後守平貞能に預けおき。
現在、行方不明。
安綱を始祖とする大原一門は、息子・真守以降も栄え、平安末期から鎌倉中期まで繁栄します。
刀の原材料である良質の真砂砂鉄に恵まれたこともあり、大原鍛冶は、多くの国宝・重要文化財・重要美術品級の名刀を鍛え出しました。
この大原鍛冶が活躍した時代を、特に「古刀期」といいます。
【日本刀の作り方】

たたらと刀剣館

月に2回、刀鍛冶実演がありまして。


普段はプレスも用いるそうで。
これは堺の刀鍛冶も同様。

岐阜県関市の刀鍛冶実演では、「予算豊富なので」(たたらと刀剣館実演時のお話)イメージ通りのとんてんかん、が見えるとか。

(狐の画像/大原神社)
素材は大別して鋼、銑、鉄の3種類。
鋼のうち、特に炭素量が適量で優れた品質のものを「玉鋼」と呼び、直接、日本刀の素材として使用されます。

玉鋼は、たたら炉(ケラ押し法)で作られます。
銑、鉄はそれぞれ脱炭、吸炭させ鋼に変えて(おろし鉄)使用。

日本刀は、「折れず、曲がらず、良く切れる」という三つの条件に加え、刀身の地肌や刃文の美しさ、ゆるやかに孤を描く姿から、現在は芸術品として高く評価されており、高値で取引。

日本刀剣は、太刀、刀、脇差、短刀、薙刀、槍等の総称。

あれ?
《折れず曲がらずよく切れるためには?》
玉鋼をただ単に伸ばすだけでは、ふにゃけた棒(西洋の刀剣)。
日本刀の強さは、「折れず曲がらずよく切れる」点にあり。
「切れる&曲がる」←鋼は硬いのがよい←炭素量高い
「折れず」←鋼は柔らかいのがよい←炭素量少ない
どうすりゃいいんだ?

答えは、昆布巻(イメージですよっ)
柔らかい心鉄(しんがね)を硬い皮鉄(かわがね)でくるむ方法。
これが西洋の刀剣との違いで、日本刀の特徴。
《皮鉄の作り方》
皮鉄=炭素量高く、硬い

送風機と並行して、特に風を送りたい時にはふいごを使用。
炭素の含有量を調整し不純物を除去するために、鍛錬。

(奥から)水減し(みずへし)→小割り→積み沸かし→折り返し鍛錬(下鍛えと上鍛え)
ころんっとした玉鋼を薄く打ち伸ばし、小割り。
積み重ねて熱し、タガネを入れて打ち伸ばし、折り返して重ね(下鍛え)

短冊鍛え、柝木(たくぎ)鍛え、木葉鍛え等、様々な方法で各々の材料を組合わせて積み上げ鍛錬(上鍛え)することで、板目や杢目、綾杉など地金の変化が生まれます。

この折り返し鍛練を15回ほど繰り返すと、
約3万3千枚の層になります。
これが、日本刀が強靭である理由のひとつ。
《心鉄の作り方》
柔らかくていいので、数回の折り返し
《造り込み》
心鉄を皮鉄で包みます。
これで、「折れず曲がらずよく切れる」が実現。
甲伏(こうぶ)せ、本三枚(ほんさんまい)、四方詰(しほうづめ)など時代、流派、個人によって異なります。
以降、素延べ(すのべ)、火造り(ひづくり)といういわゆる「とんてんかん」の作業、研ぎ等を行い、

あああ、やっとこさ出来たよー。
参考サイト
公益財団法人日本美術刀剣保存会(日刀保)
※「日刀保たたら」の母体です。
「日本刀の製作工程」
http://www.touken.or.jp/seisaku/koutei.html
和鋼博物館(安来市)
「日本刀」
http://www.wakou-museum.gr.jp/spot9/
※製作工程が図解してあり、わかりやすいです
いつも応援いただきありがとうございます。
砂鉄の採集から見てきたたたら製鉄。やーーーーっと、刀になりました。長かったですねぇ。たたら製鉄史跡巡りはぼちぼち続けますが、何しろ山奥が多いので冬はお休み。このままでは年単位でお蔵入りする狛犬さんとかあっちこっちの史跡とかが、肩にずっしり。たたらのお話、我ながらよくはまったものだとびっくりしてます。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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