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富田八幡宮(7)境内社・須賀社。龍と虎と狛と

こんにちは。


こまちゃーん。


んまっ。


あれ?海坊主?

お耳はどこへ。


ぺたーんなお耳。


なんだよー、嬉しいのかよぉ。よーしよしよし。


くるくるの髪と尻尾がきれいです。


拝殿。


須賀社。須笑社ではありません。


夏に須賀社にて祇園祭が行われ、御神輿や約45本の竿灯が町内を練り歩くとか。

「祇園祭」ですから、京都の八坂神社や姫路の廣峯神社のように、牛頭天王・須佐之男命を祭神とする祇園信仰の神社。

ヤマタノオロチ退治後、スサノオがクシナダヒメと構えた新居が島根県安来市須賀の地(別に須賀神社がある)なのよーっということで、島根県には須賀の名のつくお社(境内社)が点在。

今いる富田八幡宮&須賀社も安来市。

明治の神仏分離時に仏教色の強い牛頭天王を避け、祭神を須佐之男命へ。

牛頭天王社の名称も廃し、「わが心すがすがし by スサノオ」からとって「須賀」神社へ。

一般的な祇園信仰のお社はこんな感じ。



こちらも富田八幡宮と同様、彫刻がお見事。


龍&虎ちゃん。


狛ちゃん。


まぁ。何て、しゅっとした子。

ここは富田八幡宮参道の石段の途中。


わんこって、嬉しいとお耳がぺたーんってなるのよね。かわいい。


とってもスタイルのいい狛犬さんです。


のびーっとしてるのかな。おっきなあんよもかわいいな。

さて。

名残惜しいですが、そろそろ失礼しようかな。


帰る前にもう一度、よーしよしよし。


振り返ると拝殿の見事さにびっくり。


素敵なお社だったなー。


富田八幡宮、須賀社それぞれに鳥居があり、各々の社殿へ参道があります。


目の前の山上には、月山富田城。

富田八幡宮、おしまい。


いつも応援いただきありがとうございます。
富田八幡宮の狛犬天国におつきあいいただきありがとうございました。いろいろな姿の狛犬さんに一ヶ所で出会えてうはうはでした。それに中井家の建築や金沢の名匠による彫刻群は、とても素晴らしかったです。数年前に訪れた時は歴史だけに興味津々でしたが、今回再訪して狛犬天国と彫刻群の素晴らしさに改めて感動しました。

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富田八幡宮(6)ちびちびーずと先代さん

こんにちは。


ここにも、ちび狛ちゃん。


むくむくの子犬ちゃん。


思慮深そうな吽ちゃん。ちょっと苔すぎ。


せっかくのかわいいお顔が苔で見えないよー。


そうそう。温泉できれいきれいしようね。


き、傷つけちゃったー。ごめんねごめんねっ。


ではここらで私はしつれい。


富田八幡宮拝殿と


楼門を後にして


狛犬親子にさよならして、


神門を眺めて~


おや。


出雲、松江などこの辺りのお社では、先代さんも大切にされています。


まぁるい石のようになっても、現役さんと仲良く並んで。


神様の使いの狐さんは、おまもりだけがお仕事じゃないのかな。


甘えん坊。


でたでたきばがぁ~♪


ちびちゃん、どーこだっ。


ここだ。


きゃー。


勇ましいことを言ってますが、こんなに穏やかなお顔です。


奉納のお狐様がたくさん。


牛馬商が奉納した絵馬。

島根県は古くから牛馬の飼育が盛んで、大山(だいせん)では日本最大の牛馬市が開かれていました。


本殿もあるお稲荷さんです。

さーて。帰るぞー。


は、はいはいっ。


いつも応援いただきありがとうございます。
ちっちゃい狛犬さんは、笑顔の阿ちゃんと思慮深そうな吽ちゃんが仲良くおすわり。ぬいぐるみみたいにかわいい子達です。お稲荷さんでは、先代のお狐様達も一緒に並んでお出迎えしてくれました。社殿の裏側や床下に除けられてしまうより、こうして大切にされている姿にほっとします。

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富田八幡宮(5)毛が3本とひとりぼっちの狛犬

こんにちは。


勝日神社。

もとは月山に鎮座していましたが、月山に富田城を作る際に現在地へ遷座(伝・景清)。

八幡信仰の台頭と共に富田八幡宮がメインになりましたが、勝日神社は「出雲国風土記」「延喜式」記載の古社。

明治に富田八幡宮と共に郷社となるも、「ひとつの境内地に同格ふたつはちょっとねー」となり、勝日神社が降ろされるはめに。

あらま。


あら、かわいい。


うふふ。


のりのり。


小振りながらお上品です。

立派な社殿のお社を「さすが式内社です」と評する無意味さを考えます。


あそぶ♪


これまた絶妙なところに。


こまちゃん、どーこだっ。


いやぁん、かわいいっ。


ぷふ。


ちっちゃいちっちゃい狛犬さんです。


きゅっと、ちまっと、まぁるい子。

前足を揃えた可愛らしさと、ぷくっとしたお腹など、子犬のようにかわいいです。石工さんの愛情がいっぱい。

でも、吽ちゃんがお留守です。


ほんと?


・・・よかった。



いつも応援いただきありがとうございます。
ちゃっちゃと進めーっと言われそうですが、狛犬天国な富田八幡宮なので無理です。えへへへ。式内社といえども境内社と同じ並びに鎮座する姿は、少し哀愁。狛犬さん達にはそんなことは関係なく、今日も元気にちょっと苔ながら神様やお社をおまもりしてます。

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富田八幡宮(4)境内社大社神社。こける狛犬

こんにちは。


はいはい。


とっても賑やかなのは、


富田八幡宮の境内社・武内神社。

・・・の背後に


あやしい影がふたつ。

はい。


こまちゃーん♪


こ、狛犬さんよね?


ふっさふさ。


こんな毛並みのわんこ、いたなぁー。


見えにくくても、お仕事頑張ってます。


社殿は立派でも狛犬不在の武内神社に向かって意地っ張り。


おちりはラピュタ風。×毛、○葉っぱ


狛犬さんがおまもりするのは境内社・大社神社。


おや。ずいぶんストレートです。


苔でこけこっこな狛犬さんです。


「苔むして風格が増している」とか、どうでしょう?


あらぁ。下まつ毛が生えてる。かわいー。

よく見ると、垂れ耳で大きなお目目のとても可愛い顔立ち。

頭がぺたんこなので、何か置きたくなりま


すみません。

まぁるくてむちむちのお手手が、参道側は大きく社殿側は小さく。遠近感を出しているのかな。


大きな尻尾は大変そうです。


かわいい・・・。



いつも応援いただきありがとうございます。
社殿は東向きなのですが、大きな木々に日差しを遮られて苔だらけ。次に行ったらマリモになっているんじゃないかしら。いわゆる「出雲構え」の狛犬さんですが、顔つきも体つきも少し幼い感じがして、とてもかわいい子達でした。

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富田八幡宮(3)境内社武内神社

こんにちは。


富田八幡宮。拝殿の彫刻が見事です。


幕府の京都御大工頭中井家による設計・監理の物件。

設計監理:中井藤三郎(幕府の京都御大工頭)
施工:大阪十八番組/大工棟梁:森川六右衞門豊武
協力:加賀の名匠玉右衞門及び彫刻師、鉄師(松江藩より)

寛政7年(1795)竣工。


さすが中井さんち。


大社造りより見慣れているので、何だか「ほっ」とします。


今日はこっちの境内社。


こちらへは楼門から富田八幡宮拝殿へ続く参道とは別の参道があります。


うーむ。いつからあるのかなぁ。


武内神社という名前しかわかりませんが、

八幡宮の祭神である応神天皇(=八幡神)に仕えた武内宿禰を祀るお社が八幡宮の境内社に多いので、それと同じなのかなー?


拝殿も本殿もご立派で、ちょっとしたお社の風格です。

それでもここでは、境内社。


おおお。賑やかです。


名乗るほどのものでは。


やぁねぇ。なぁに、その人を小馬鹿にしたお目目は。


すっごい寝グセですな。


ニアウニアウ。

お口の中の舌や歯、細かい毛の彫り、体の細かい模様など、とても細かく彫られています。


まー。細かい彫刻♪


トリさん、にやっとしてます。


ふっさふさの尻尾がある亀さん。玄武かねぇ?


毎日どきどき。


それにしてもご立派。


ぎゃー。何かいるっ。

うふふふふ。


いつも応援いただきありがとうございます。
境内社武内神社のご立派なこと。すごいなぁと思いました。所かわれば顔かわるというか、真っ赤な子達の表情もとても面白いですね。これは狛犬さんか獅子さんだとは思いますが、いやぁ、酔っぱらった人みたいな愉快な子達です。

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富田八幡宮(2)江戸幕府京都御大工頭中井家による社殿造営

こんにちは。


無邪気なちび狛 in 富田八幡宮


今日のとーちゃんは厳しいです。


月山に鎮座の勝田神社を富田城築城の際に遷座させた事に始まる富田八幡宮。

月山富田城の鎮守として、尼子→毛利→吉川→堀尾(出雲富田藩立藩)→京極→松平の崇敬を受けます。

堀尾時代に松江城へ移り、尼子氏以前の出雲国守護京極氏が入るも、跡が続かずわずか3年で一旦改易となり、播磨・龍野へ。

寛永15年(1638)結城秀康三男・松平直政入封(from 信濃松本藩)。18万6千石。


(これも行ってきました♪強行突破)

富田八幡宮鎮座の地は、寛文6年(1666)より広瀬藩。
松平直政の次男・近栄が3万石を分与され立藩。明治まで存続。


富田八幡宮は、安永2年8月に広瀬藩第5代藩主・松平近輝が祈願所と定めます。


楼門。


わくわくします。


・・・樹が邪魔なんて言っちゃだめ。


決して言っちゃ・・・じゃまままま。


寛政2年(1790)3月。火災により神門を除いて焼失。藩費により再興。

奉行:吉川梁左衞門

設計監理:中井藤三郎(幕府の京都御大工頭)
施工:大阪十八番組/大工棟梁:森川六右衞門豊武
協力:加賀の名匠玉右衞門及び彫刻師、鉄師(松江藩より)

大工のみで4千5百人の大工事。

藩船二艘で大阪より運び入れ、寛政7年(1795)4月竣工。


拝殿。


【天下人の大工・中井家について】

中井家は、江戸幕府の「京都御大工頭」。大和法隆寺の工匠の出身。

ほぼ500石40人扶持の旗本格。

中井家歴代当主及び中井役所の棟梁衆は、「城大工、禁裏大工、寺社大工、数寄屋大工」として上方を中心に多数の建物を設計・施工。

特に江戸時代初期の「大工頭中井大和守」(初代・正清、2代・正侶、3代後見・正純、3代・正知)は、幕府の城作事を一手に引き受けます。

元禄8年(1695)頃、京都の屋敷内に中井家を中心とした専門家集団「中井役所」設置。

建物の破損見分・仕様帳等、絵図の作成など作事に伴う手続事務が中井家負担から幕府経費となり、中井役所は公的なものとなり、

膨大な設計図等は、きちんと保管。

中井家伝来の建築指図(平面図、立断面図、透視図)を含む「中井家文書(597点926通)」は重文です。

設計・施工実績としては、

江戸城 二条城 水口城 永原御茶屋 宝永度内裏 寛政度内裏 修学院離宮 方広寺 清水寺 知恩院 賀茂社 北野社 吉田社 東照宮(日光 金地院) 茶室起こし絵図 大徳寺大仙院庭園 大坂城 伏見城 淀城 駿府城 名古屋城 伊庭御茶屋 小浜城 亀山城などなど

図録『天下人の城大工 中井大和守の仕事』(発行:大阪市立住まいのミュージアム/2015年より)


中井藤三郎の名は、

『蝸牛廬文庫目録(1) 池田村文書  33:順礼橋』「乍恐返答書/文化10年(1813)10月14日」(順礼橋普請用木切出棟梁大工不帰依につき)
摂州半町組杣木挽与頭武兵衛、同組惣代清左衛門、同組伊兵衛・治兵衛より中井藤三郎役所

『中井藤三郎歎願書写帳(文化6巳11月)』
「近江六ケ国大工杣木挽之儀」につき、from中井藤三郎・to江戸幕府

『日本災異誌』(大田南畝)
天明8年(1788)団栗辻からの出火で内裏が焼失した際に、中井藤三郎は二条城へ手勢を率いて入った

など、中井役所関連の資料に見えます。



素晴らしい彫刻です。

丹波を拠点とする彫刻師の中井権次一統は同じ中井ですが、系譜を示す根拠となる資料は未だ確認されず(研究会等では一族と記すものあり)。


それはいかん。


子供かっ。


定番の「龍&虎」ならこの子は虎ちゃん。


賑やかですね。


ほんと、重そう。


ひとえに藩主が松平様だから出来た事でしょうなぁ。


本殿も重厚な造りです。


あれ?


食べちゃだめー。

魔除けの獅子噛さん。大阪のだんじりの彫刻によく見られます。

「施工:大阪十八番組/大工棟梁:森川六右衞門豊武」の影響かしら。


とても重厚な感じの拝殿の扉。

開けっ放しではなく毎日開閉されている様子。きっちりした印象です。


じぃー。

あ。鳴き龍さんがいる。ぱんぱん(拍手)。


違う、そうじゃない。


八幡さんだねぇ。勇ましいねぇ。


詳細不明。


後ろからの本殿、拝殿、楼門。

寛政7年(1795)4月竣工後、数度の屋根葺き替えを行いますが、社殿は往時のもの。

すごいなー。


いつも応援いただきありがとうございます。
中井家文書がすごいのは、図面がしっかり揃っているとこ。これさえあれば泥棒さんは楽ちん。修復時にも図面は必要になるので、とても貴重ですね。年に一度、大阪の住まいのミュージアムで中井文書の展示があり、実物を見ることが出来ます。実物は現在の建築図面同様、とても細かく記されていて、ぼーっと眺めているだけでもとても面白いですよー。

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富田八幡宮(1)砲丸投げ狛犬。あるいは招きこま

こんにちは。


富田八幡宮へ。

富田八幡宮のはじめは、月山富田城のある月山に鎮座していた式内社・勝日神社を、保元年間に平家の将悪七兵衛景清が富田の城郭を築くにあたり現在地に遷座と伝わります。

月山富田城の築城経緯が不明のため景清云々も伝承かもしれませんが、勝日神社が月山に鎮座していたのは、延喜式に名前があることから、確かなのでしょうね。

その後、八幡信仰の隆盛と共に八幡宮が本社となり、勝日神社は境内社へ。


神門。


さりげなく手の込んだ門。


まさかこんなに奥が深いとは。


楼門です。


狛犬さーん@逆光


おおおっ。狛犬界では有名な砲丸投げ狛ちゃーん♪


きゃー♪ちび狛、いたー!!

うはうは。


私も私も♪


投げてごらーん。


ちび狛もとても丁寧に彫られています。


真っ赤な舌。なかなかの迫力ですな。

犬歯なども細かく彫られ、石工さんの愛情がみっちり。


砲丸投げというより、まねきこま。


宿題は先に済ませましょう。


ちび狛、さめてるよ・・・。


どうしたー。


さりげなくちび足 on かーちゃん。


いばりんぼーのお顔。


そりゃそうだ。


宿題するのね?


え。


こら。


とーちゃんの孤独な背中。

毛の流れがとても細かく、きれいなきれいな狛犬さんですね。


うふふふ。


いつも応援いただきありがとうございます。
砲丸投げ狛犬さんは、大阪府堺市の開口神社で初めて会いましたが、島根県安来市でも出会えて嬉しいです。我が家も父と二人でこそこそっと抜け出して、遊んでました。真っ赤な顔して怒る母の前で二人で正座。生き生きとした狛犬さんを見ると、こちらもわくわくして元気になります。

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月山富田城物語と富田八幡宮。

こんにちは。


今日は昆虫採集。じゃなくて


安来市広瀬の月山富田城。北側からの遠景。


【月山富田城】

月山富田城といえば、


尼子氏ですがその前に。


「築城年代は諸説有り定かではなく、平宗清による築城説、保元・平治の頃に悪七兵衛平景清による築城説などがある。

文治元年(1185)源頼朝は佐々木高綱の弟義清を出雲守護職に任じ、義清は下向して富田城に入城。
その後、佐々木氏が代々出雲守護職となるも南北朝時代に山名氏に敗れ、明徳の乱で山名満幸が没落すると京極佐々木高詮が守護職。」


《尼子氏時代》

「京極高詮は一族の尼子持久を守護代として下向させ、持久→清定→経久と続く。

文明16年(1484)尼子経久は京極政経により守護代を罷免・追放され、かわって塩冶掃部介が守護代に。
しかし、文明18年(1486)元旦。経久は奇襲をかけて富田城を奪還し塩冶掃部介は討死。」

(「城郭放浪記」様の「月山富田城」より)
http://www.hb.pei.jp/shiro/izumo/toda-jyo/


月山富田城は尼子氏の拠点となり、大内・毛利とすったもんだ。

天文12年(1543)大内・毛利連合軍が大軍を率いて月山富田城へ。

大内方に寝返っていた出雲国人衆が再び尼子方へ寝返り、大内・毛利連合軍は総崩れ。

永禄8年(1565)大内氏を滅ぼした毛利元就は、月山富田城へ。
毛利方は三面から攻撃。この時のメンバーが

毛利元就(御子守口)、吉川元春(塩谷口)、小早川隆景(菅谷口)

らぶらぶうきゃきゃ♪勢揃い♪

戦いは籠城軍の善戦で毛利方は一旦洗合まで引くも、軍備を整え再び富田城へ。

山中鹿介VS品川大膳(毛利/益田藤兼(包)家臣)の川中島一騎討ち等がありつつ

永禄9年(1566)富田城は兵糧が尽き、降伏開城。
尼子義久・倫久・秀久兄弟は安芸へ連れられ、尼子氏滅亡。


《毛利氏時代》

城代として安芸国金明山城主の天野隆重が入城。


そこへ、尼子氏再興に命をかけた山中鹿介が


尼子勝久を旗頭とする尼子氏再興軍を興し、富田城を攻め・・・

攻めますが、城代・天野隆重はこれを撃退。


その後、月山富田城は吉川元春の所領となり

吉川広家の時、出雲国・伯耆国・隠岐国・安芸国に14万石の所領を得、富田城を居城に。

関ヶ原後は堀尾吉晴・忠氏父子(from遠江国浜松)入封。24万石。

慶長16年(1611)松江城へ居城を移し、富田城は廃城。


尼子氏全盛時代は尼子経久。

経久像は、月山富田城を背後にし、天文12年(1543)に大内義隆が5万の軍で月山富田城攻めの時に布陣した「京羅木山」と、永禄8年(1565)に毛利元就が布陣した「勝山」に「いけー」と言ってます。

では、いざ。


えへへ。

富田八幡宮のはじめは、月山富田城のある月山に鎮座していた式内社・勝日神社を、保元年間に平家の将悪七兵衛景清が富田の城郭を築くにあたり現在地に遷座と伝わります。

その後、八幡信仰の隆盛と共に八幡宮が本社となり、勝日神社は境内社へ。


川を挟んだお向かいさんです。


足腰が筋肉痛。


神門。


まだあるのか?


うそーん。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
月山富田城址は、安来市による整備が進められています(H28.10月まで)。ちょっとおハゲちゃんになるほどの整備で、崩れたりしないのかと気がかりです。大内・尼子・毛利の三つ巴の時代を象徴し、また尼子氏滅亡とその後の山中鹿介奮闘の地でもある月山富田城。ちゃんと山登りの準備をして訪問したいです。富田八幡宮も狛犬天国。うはうはです。

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美保神社(5)先代狛犬とちび狛。由緒まとめ

こんにちは。


美保神社。


影向石さん。


子だくさん。


あ。先代ちゃんだ。


ゆるゆると皆をおまもりしてるのね。


あちこちお怪我ですが、とても丁寧に生み出された感じがします。


ちゃんとしっぽも保存されてるとこが、いいですね。


がんばれー。


皆生温泉なんてどうでしょう?


皆生温泉へ行くのよ。うふふ。

さて。

「境内地からは4世紀頃の勾玉の破片や、雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土している」という美保神社。

古墳時代以前より、ここは何かの祭祀が行われてきた大切な場所。

『出雲国風土記』(天平5年/733)在神祇官社14所のひとつに「美保社」の記載があり、『延喜式』(延長5年/927)にも記載。



その後中世まで文献資料には現れませんが、

中世に普及した福の神「えびす」と事代主命が混ざって一体になった「えびす=事代主命」の民間信仰が美保神社にも及び、目の前が美保の港であることから海運や豊漁の神様として存続はしていたようです。

祭神の変遷⇒⇒⇒「代わる祭神と国譲り。出雲国風土記など」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-1075.html


年代が明らかなものは、尼子と毛利のすったもんだの頃。


もうすぐだ。

永禄12年(1569)尼子と毛利との兵火により一切を焼失。
文禄5年(1596)富田城主吉川広家が朝鮮出兵に際して武運長久を祈願して再建。

再建するということは、そこにお社があった、わけで。


(全体を写してなかったので美保神社HPより拝借)

本殿は文化10年(1813)の再建。
拝殿は昭和3年。伊東忠太の設計監督により造営(美保神社HPより)

祭神の三穂津姫命・事代主命共に歌舞音曲を好みその守護神と位置付けられている(美保神社では)ことから、拝殿は神様に奉納する音楽ホール。


壁はなく、


天井板も貼らない構造は、周囲の山々を取り込んだ音響効果があるらしい。



伊東忠太の設計は他に、橿原神宮・平安神宮・明治神宮・築地本願寺など多数(美保神社HP)。

明治に新しく生まれた神社が多いですね。


ふぅーん。


こちらも昭和3年。

帰る前にもう一度、狛ちゃんにご挨拶。


好き。


中世には海関が置かれ、江戸時代には日本海の西廻航路の風待ち港、漁港として栄え、藩の為替倉が置かれた美保の港。


おかげの井戸。お船にも供給したんでしょうね。


井戸の前の石柱。中世より横山氏が代々の宮司。

近世には、出雲国内の神社の大部分は「出雲国造家」「佐陀(佐太)正神主家」のいずれかの支配を受けますが、美保神社はどちらの支配下にも入らず。

美保神社には独自の頭屋組織があり、祭祀の一部を支えてきた歴史があります。

氏子の中の「頭筋」と呼ばれる頭屋組織の中から「一年神主」を選び、祭祀の一部を行うもので、現在も脈々と受け継がれています。



美保神社は「事代主命=えびす」として人々の崇敬を集め、独立独歩でも維持できたということかしら。


雨に濡れると青色になるという石畳。今は、静かです。


美保神社
《住所》島根県松江市美保町美保関608

参考文献
『美保神社の研究』(弘文堂/和歌森 太郎 )
島根県立古代出雲歴史博物館「音曲の神さま-美保神社奉納鳴物(2014)」展示時のパネル・図録

参考サイト
「社家の姓氏・横山氏」http://www.harimaya.com/


いつも応援いただきありがとうございます。
古いんだか新しいんだか、頭が混乱する美保神社境内。おっきいねぇ、すごいねぇ、でも、邪魔だねえ、神様遠いねぇ、と無礼者な私。荘厳な社殿に対してちびちゃん揃いの狛犬ズ。先代さんも大切にされていて、狛犬好きにはたまらないお社でした。ああかわいい。

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美保神社(4)笏谷石狛犬的なちびちゃんと、お食事

こんにちは。


美保神社。


基準点の狛犬さん。


あらやだ、ちっちゃー。


お待たせしました。

ちょっとお顔が崩れてお気の毒ですが、子犬のむくむく感満載の狛犬さんです。


何ごっこでしょう。


この子達は福井県に多い笏谷狛犬さんに似てます。

円丈師匠の「狛研」でどうぞ⇒⇒⇒笏谷石の狛犬
http://enjoo.com/komaken/higasi_best10.htm


ちょっとくせ毛のおかっぱ頭ちゃん。


大事大事?



ここには、下記の四社が合祀。


【宮御前社(みやみさきしゃ)】
埴山姫命(はにやまひめのみこと)『の神様』

【宮荒神社(みやこうじんしゃ)】
奥津比売命(おきつひめのみこと)『竈(かまど/食事・調理)の神様』
土之御祖神(つちのみおやのかみ)『の神様』
奥津彦神(おきつひこのかみ)  『竈(かまど/食事・調理)の神様』

【船霊社(ふなたましゃ)】
天鳥船神(あめのとりふねのかみ)『の神様』

【稲荷社】
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)『食物を司る神様』


・・・確かに、大事な神様です。

美保神社自身の祭神の一柱・三穂津姫命は

高天原の斎庭の稲穂を持ってきて皆に配り農耕を進めた五穀豊穣の神様。


もし。おにぎりじゃなくて、稲穂ですよ。


えらい不機嫌ですが、どうしたのかしら?


なるほど。


狛ちゃん、お食事中。(兵庫県養父市のお宿の夕食)


新米の季節ですね。(三重県熊野市のお宿のご飯)


よかったねー。


ああもう、ただひたすら、かわいい。


長生きしますね。きっと。



いつも応援いただきありがとうございます。
この子達はお船に乗って福井から来たのでしょうか。それとも、福井で笏谷狛犬を見た人が地元の石工さんに特注したのかしら。ころんっとした体つきが何とも子犬子犬したかわいい子達です。足元にまとわりついて喋りかけてくるようで、つい、よっこいしょっと座り込んでなで回したくなりました。小難しく考えるより、狛ちゃんを愛でる方が楽しいですね。おほほほほ。

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つねまる

Author:つねまる
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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