fc2ブログ

鳥取県中部を震源とする大きな地震

こんにちは。

金曜日に発生した鳥取県中部を中心とする大きな地震。

大阪でもゆらゆらとした不気味な揺れの後、ガタガタと大きく揺れ、とても怖かったです。

弊記事をお読みいただいている方は少し覚えて下さっているかと思いますが、私は先月、川六の狛犬を巡り鳥取県を旅してきました。

旅先で出会った何人もの方々が今も怖い思いをされているかと思うと、心が痛みます。心よりお見舞い申し上げます。


震源地に近い倉吉市。博物館は倉吉市役所近く。

どこかわかりますか?


ここですよ。

発生直後の某番組に「島根県鳥取市」なんて出たそうですが。こら。


お正月には初詣で賑わう倉吉市の賀茂神社。震度6弱。


石灯籠は倒壊しているのだろうか。


三徳山三佛寺の鳥居。

倉吉市から三朝温泉経由で鳥取市へ向かう途中。震源地南東付近。
震度5強地域。


山岳信仰のお寺で、岩山の上にある投入堂が国宝。


(10月22日19時のNHKニュースより)こちらは無事のようですが


文殊堂の基礎部分の岩盤に亀裂が数十メートル生じているそうです。

ここをさらに鳥取市(北東)方面へ進むと


鷲峯神社。


震度5強の地域です。


もう少し進むと山中鹿介墓所のある鹿野の城下町。


テレビ画面の震度6弱と5強の境界東側(ぴょこっと出てる場所)には、夏泊神社。



なぜ観光案内のような画像を続けたかというと。
鳥取県を知らない方へ、こんな感じの所だよと伝えたくて。

ここが今、大きな地震に見舞われた場所なんですよ。


鳥取県は遠いし大都会じゃないし、全国区でキャッチーな場所の被害がないからつまらないなどと思っているのか知りませんが、全国ニュースでの扱いはひどすぎます。

地震当日のNHKでも、数分。これは関西ローカルでも同じです。
まさか現地ローカル局でこんな事はないと思いますが。

旅して感じたのは高齢者の多い事と、集落が小さく離れていること。

ネットで情報を集めろと、この人達に言えますか?
言えるって人は、行ってこい。

私は以前、和歌山県の熊野川そばで、豪雨に遭遇。
当初の予報が大きく外れて、ゲリラ豪雨が長時間連続しました。

氾濫が危ぶまれる夜に、ネットは元から不通、宿のテレビはアナログでデータ放送は見えず、防災無線は何を言ってるか全然聞こえない。

こんな時、頼りになるのはテレビのニュースしかありません。



倉吉市関金町の関金温泉(訪問は10月)。

実は今回の大きな地震の前、9月28日に同じ鳥取県中部を震源とする震度3の地震が起きていました。


お向かいの鎌倉時代作の木造地蔵菩薩半跏像(重文)がある地蔵院。

その9月の揺れで仏像修復の折りの細工物が数センチ移動しているのを住職さんと確認してますが、今回の地震の影響は確認していないので不明です。


倉吉市から大山(だいせん)を挟んで北西の


大山寺の宝物館「霊宝閣」で展示の「銅造観世音菩薩立像」(重文)は地震後、首の部分で真っ二つになっているのが発見されています。


再び倉吉市の賀茂神社。


とても細工が丁寧なきれいな狛犬さん。

首飾りまでしてる子は初めて会いました。


とってもとっても愛しくなる子達です。

この子達が今も無事で、これからの復興を見守ってくれるよう祈るばかりです。

全国ニュースでは流れないかもしれませんが、今回の大きな地震が起きた場所を少しでも知って、興味を持ってください。

壊れた家屋には、笑顔が素敵な家族が住んでいたかもしれません。
早くその笑顔が戻るように、自分に出来ることを考えてみてください。


いつも応援いただきありがとうございます。
まだ被害状況が全て明らかになってはいませんが、せめて少しでも早く余震が落ち着くことを願っております。ニュースを見ていると、既に鳥取県中部を震源とする大きな地震の事は扱いが小さくなりつつあります。くどいようですが、くれぐれも、鳥取県ってどこ?とか、言わないで下さいね。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

大山寺と大神山神社の神仏分離。関金温泉で旅のシメ

こんにちは。


だいせん。

「國に固堅め立てし加志は、伯耆国なる大神岳是なり」と国を引き寄せる綱(鳥取県の弓ヶ浜半島)をつなぎ止める杭として、伯耆国の「大神岳(火神岳)」の記述(『出雲国風土記』)。

「云々、昔大己貴命、少名彦名命、須勢理姫命、伯耆国大神山に御坐、出雲國由来郷に来坐して云々」(『神祗志料』左比売山神社の条)

草昧の国土を見下ろし国見をし、国造りを相談した大山の山頂。

古来より、山そのものをご神体とする信仰がある大山です。

そして、大山といえば大山寺と大神山神社。


古来「大山寺」という名の寺はなく、南光院・中門院・西明院の総称でした。

奈良時代に創建され、平安末期、室町時代には、天台宗山岳仏教の修験場として隆盛、「三院一八〇坊僧兵3千人」の大寺院に。

僧兵3千人の名残が


足がぐきぐきっとなる自然石の参道の横に


落ちてた 残っています。


僧兵の力石です。

これを持ち上げて力を競ったとか。すごいなー。


お寺と神社、どっちだ?

正解は、神仏分離で廃れたお寺の門を大神山神社奥宮へ移築した、です。

・・・わかるかよっ。



「神仏習合」の時代には、祭神「大己貴命」+地蔵菩薩=「大智明権現」

明治の神仏分離で、大智明権現の社殿を大山寺から分離し、大神山神社奥宮に。(大神山神社本社は麓の米子市)


大神山神社奥宮は、日本最大級の権現造りの社殿。

引くと、


火災による焼失後、文化二年(1805)再建。

大山は「大己貴命、少名彦名命、須勢理姫命、伯耆国大神山に御坐」(『出雲国風土記』)とあるように、神様が降臨した山。

神仏分離で「元の形に戻った」(地蔵院住職談)と言えるそうです。

では、すんなり分けておしまい、かと思えば


破壊行為はあったようですね。


痛々しいです。

さて。今回の旅。

大山山麓のペンションに宿泊。

オーナー女史が学生時代に外国を一人旅した経験から作ったお宿は清潔で、とても居心地がよかったです。

彼女はお話しているととてもわかるのですが、とても賢明な方で、利用者が何を求めているか、そして自身に出来ることは何かをすごく考えていて、心の琴線にバリッと触れました。

とても素晴らしい方に出会えたことがこの旅の一番の収穫です。

狛犬さんも好きになってもらえたかなー?


一泊目の朝ごはん。焼き立てパンが自慢です。


二泊目の朝ごはん。


お持ち帰り出来るので、お昼にもいただきました。

最終日は


大山西側から反時計回りに移動して、東側へ。遠くに海。


関金温泉共同浴場で、ラドン含有量が半端ないお湯につかって、

お姉さま方とゆっくりお話して。裸のつきあい満喫。

中国道の宝塚トンネルで15キロの渋滞にずぼっとはまって、ゲロゲロになりながら帰宅。けろー。


参考資料は、大神山神社説明パンフ、現地説明板など。


いつも応援いただきありがとうございます。
大山の博労座駐車場から、ずーーーーっと登り、大山寺や参道の横やあっちこっちをふらふらしたので、午前中はここで費やしました。あ、関金温泉に入る前。お向かいの地蔵院の住職さんに少しお話を伺うつもりが、二人ともノリノリになってしまって。一時間以上ご案内いただきましたの。おほほほほ。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

鹿野城と鹿野の町。山中鹿介墓所のある幸盛寺へ

こんにちは。


さて本日のスタートは、鹿野城のお堀。


切れてますが背後のお山に、山城。


手前の右下、まぁるいとこ。

鹿野城。

「築城年代は定かではないが志加奴氏によって築かれたと云われる。 志加奴氏の出自は詳らかではないが、因幡国守護の山名氏に属していた。

天文12年(1543年)に尼子晴久が因幡へ侵攻したさい、志加奴入道は鹿野城に籠城して討死している。

尼子氏が衰退して毛利氏が台頭すると鹿野城も毛利氏に属したが、天正9年(1581年)羽柴秀吉が鳥取城を攻めたとき、配下にいた旧尼子家臣の亀井茲矩が鹿野城を攻め落とした。茲矩はこの功によって一万三千八百石が与えられ鹿野城主となった。

(中略)

元和3年(1617年)亀井政矩は石見国津和野へ転封となり、鹿野藩は鳥取藩池田家の所領となり、鹿野城も廃城となった。」

※『城郭放浪記』様より引用
http://www.hb.pei.jp/shiro/inaba/shikano-jyo/


そんな鹿野城下の町は小京都の趣。


「京風千本格子」です。釘を使用しない「木組み」で出来ています。

建物自体は近世のものながら、

鹿野の大工技術は、応仁の乱(1460年代)の頃、戦乱を避け京都の山城地区から宮大工が移り住んだことから、京風の技術が伝わったとか。(鹿野町観光案内より)


亀井茲矩

鹿野藩初代藩主(3万8千石)。

江戸時代。幕府の朱印状を得てシャムと交易を行なうなど、東アジアに注目していた人。



生まれは出雲国八束郡湯之荘(現在の島根県松江市玉湯町)。

尼子氏の家臣・湯永綱の長男。

同じ尼子氏家臣であった山中幸盛の養女(亀井秀綱の次女)を娶り、亀井姓を名乗ってその名跡を継ぎました。(wikipediaより)

つまり、山中幸盛は亀井茲矩の義父。

で、山中幸盛って誰。


そうそう、しちてんばっ・・・違います。


尼子氏再興に命をかけた、はた迷惑な 熱い人。

山中鹿介、の名で知られていますね。

この鹿野城下に、


こちら。迷子になってました、私。


茲矩が鹿介の菩提を弔うため既存の寺を移築。

「山中鹿介幸盛」から2字をとり「幸盛寺」と改めたお寺。



幸盛の尼子氏再興運動を後援しようとしたのは、


生野銀山に目をつけた山名祐豊(やまなすけとよ)。

備後・伯耆・因幡を侵しつつあった毛利氏に対する防御と失地回復のために幸盛を支援しようとするも、信長の勢いに負け、支援ならず。

ざんねん。

幸盛はものすごく頑張ります(!)が、最終的に上月城の戦いで敗北。

人質となった幸盛は、備中松山城に在陣する毛利輝元の下へと連行される途中の備中国合(阿井)の渡(現在の岡山県高梁市)にて、毛利氏の刺客により謀殺されます。(wikipedia)



亀井茲矩は義父の「山中鹿介幸盛」の菩提を弔うため、境内に幸盛の墓と、幸盛の甲部川の難に殉じた13勇士の墓を建立。


山中幸盛の墓所。

尼子氏再興運動は幸盛の死により終息。

ところがどっこい。

上月城陥落時、亀井茲矩が率いる尼子氏遺臣団の一部隊は秀吉に従属。


鹿野城主となった亀井茲矩。



尼子氏遺臣団はこの亀井氏の家臣団として関ヶ原で東軍、徳川幕府時代を生き延び、幕末。

おめでとう。


亀井茲矩により造られた水路は今も、町の中を流れています。


鹿野町には鹿野温泉があります。


いつも応援いただきありがとうございます。
鹿介墓所があるから鹿野町、ではないです。しかしまぁ、亀とか鹿とか。何となく、うふふ、な町。車から降りたら雨がしとしと。うすぐらーい画像ですみません。案内の矢印はあるんですが、道が入り組み、まいご。お寺の門が道からかなり引いていたので、なかなか見つけられず、右往左往。お月さまは私にまで七難八苦を与えなくていいです。ぷん。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

夏泊神社の川六狛犬。かわいさ百倍。

こんにちは。


おや。ご機嫌な歌声が。


鳥居、石工・川六作。

さらに。


こまちゃーん。


なぜ演歌。


のど自慢ですか。


心配ね。

前足をいばりんぼーみたいにひろげてお座りしている吽ちゃんと、心なしかお行儀よくちんまりお座りする阿ちゃん。

えーっと。

後ろ足の外側に前足をのせる吽ちゃんと、後ろ足の内側に前足がある阿ちゃん。


お魚とって、おうちに帰るまでが漁ですよ。


今日は、波が高め。心配ね。


大漁だといいねー。

この子のお腹の下に、半球状のボール。

うーむ。男の子?

えーっと、これは何だろう。

この狛犬ズ、流れとしてはこの


出雲丹波の狛犬さんかと思われますが、

川六の狛犬ズは阿吽共に、絶妙にかわいいおくちをしてます。
ほんと、彼はかわいい狛ちゃんの名人ですね。あー、かわいい。


それから、拝殿前の扇形の拝み石。

あちこちのお社にありました。
たまに丹波地域で見かけますが、この辺りは高確率でした。



まぁ、たいへん。


こまちゃん、よだれ。

この子の尻尾、先端がとがってソフトクリームみたいです。
毛並みもすごいわぁ。


この子達の尻尾を派手に縦にのばし、お顔をおちゃめにして、


かわいい川六狛犬ちゃんの出来上がり♪


いつも応援いただきありがとうございます。
海辺にたたずむお社で、海を見つめる二人の狛犬。こんなかわいい子達が待っていたら、帰るのが楽しみでしょね。たとえこまちゃんが待っているものがお魚であろうとも。うふふ。潮風にさらされてもきれいな姿をとどめているのは、石の材質によるものなのかな。吽ちゃんは可哀想に前足が折れたようですが、このまま笑顔でいてほしいです。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

鳥取県の旅、池田氏墓所などざっくり

こんにちは。

初日


鳥取へ来たのは、川六のこまちゃん。


かわいかったー( 〃▽〃)


刺身定食。お味噌汁にエビがわんさか。

朝4時半に出発したので、ねむねむ。


2日目。


午後、さすがに降りだした雨。


鳥取県は温泉天国。

はしごすると疲れるので、ゆっくりできるとこへ。

宝喜温泉。
http://www.houki-onsen.com/onsen/project/index.html

近年掘りあてられた温泉ですが、源泉かけ流しのプール(リハビリの歩行浴用)が男女各々の風呂場にあるほど湯量が豊富。

すっぽんPONで歩き回るプール。ふふふふふふ。


ちょっとだけお酒。

とうふちくわ、さっぱりしてて美味しかったです。


鳥取駅駅弁の蟹づくし弁当。むひ。


3日目。


おさるもあと数ヵ月。


うべじんじゃ。


ここまー!


境内社の国府神社。※川六じゃないです


鳥取藩といえば、もと姫路藩主の池田さんち。


初代・光宗の墓所前の石灯籠群。


歴代藩主の墓所が並びます。他にも数ヵ所にずらっと。


目的はこちら。

亀趺(きふ)と呼ばれる亀の形の台座。


時代によって姿が違います。


現代のきっふん。墓所のゆるキャラて・・・ちょいとびっくり。


鳥取砂丘は海まで遠いので、ここ。


ずーっと砂丘。のはず。

このあと、学生時代に毎年夏合宿をしてた岩美へ。

とっても海がきれいな浦富海岸が。


はじめて見た荒れ荒れの浦富海岸。ほほ。

そして、旅のシメも温泉。


うおーう。


岩井温泉。古くから栄えた温泉街です。かけ流し。

ガラガラで、貸し切り状態でした。

夜になってもほっこほこ。


朝、鳥取駅で買ってきた駅弁をおうちでゆっくり堪能。


いつも応援いただきありがとうございます。
鳥取県といえば三朝温泉などが有名ですが、宝喜温泉も岩井温泉も素晴らしかったです。大阪は茶色の湯で塩素消毒のとこが多くて、湯上りにプールのにおいがするほど。2日目の午後と帰り道だけ降られましたが、雨なら雨で、したいことがたくさん。郷土館巡りや、温泉三昧。あー、気持ちよかった♪

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

石工・川六の狛犬の、キレッキレ

こんにちは。


姫路神社。石工・川六。

本日も、石工・川六のこまちゃん。


子狛の内緒の相談。


ぎゃーっ。


あら、かわいい。


切れ込み過ぎな、子狛のおちり。


ずいぶん作風が違いますね。


まぁ、どうもありがとう。


この子はころんころーんで、ぐでんぐでーん。

他はどうかしら?

ねーねー。


見せてください。


こちらはキレッキレです。

い、いたたたた・・・。


私は何をしてるのでしょう。


最強。


いつも応援いただきありがとうございます。
丹波佐吉は端正な作風で一貫していますが、川六は変化が激しいですね。尻尾の毛並みが複雑で、ちゅーっと指先でたどりたくなります。しかし、鷲峯神社の狆(ちん)には誰も勝てないですね。あー、もう一回会いたくなっちゃう。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

石工・川六の狛犬。鷲峯神社のまんまる狆

こんにちは。


台風のせいで秋雨前線がお目覚めらしく。

ぷーってしたら、進行方向が変わらないかなー。


まぁ、どうもありがとう。


あたためたら強くなっちゃうよー。

・・・誰?


こんなとこに来ました。


ケロケロさん、こんにちは。


まるいものが。


いやーん♪


連れて帰りたい。

さて、ここはどこかというと、鳥取県。

目的は、


石工・川六の狛犬さんを愛でるの。

んふふふ。



ころんころんのこの子達も、川六の狛ちゃん。

狆(ちん)らしいです。かわいいですよね。んふふ。


照れなくても。


いつも応援いただきありがとうございます。
大阪から鳥取は、距離200km強。いろいろなルートがあるので、楽しいです。今日は狛犬三昧。中でもこの子達のかわいさは一等賞です。もー、たまりません。何をどうしてこんな子達が生まれたんでしょうね。タイトルはおやじぎゃぐにしてみました。むふ。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

参加してます♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
最新記事
カテゴリ
カレンダー
08 | 2023/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
最新トラックバック
ブログ村さんに参加中
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ご来場御礼