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顕本寺。堺公方滞在地と三好元長墓所

こんにちは。


堺市にあります、顕本寺。

もとは開口神社の近くにありましたが、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の兵火により焼失。

再建された際に、現在の場所に移りました。

なぜここへ来たかといいますと~


堺幕府が置かれたのが、ここー。

うひひひ。


【堺幕府ってなんだー】

阿波公方を再び。


室町幕府第10代将軍・足利義稙が阿波撫養で没した後に

室町幕府第11代将軍義澄の子で義稙の養子であった足利義維(よしつな・後に義冬)(1507-1573)がその遺志を継ぎます。


京都の室町御所で第12代征夷大将軍となっていた実兄の足利義晴と対立。


三好元長及び弟の康長の武勇と器量は大きな支え。


大永7年(1527)2月。桂川原の戦い。
三好元長・細川晴元は、第12代将軍・義晴を擁する細川高国を打ち破り、将軍義晴は近江朽木谷へ逃亡。京都室町政権は瓦解。

同年3月。

細川持隆、三好元長に擁立され、義維(義冬)は阿波を出立。


大阪の堺へ入ります。

同年7月。

「従五位下左馬頭」に叙任。

これは、征夷大将軍になる者が事前に命じられる官職。

あとは朝廷からの勅使を迎え、征夷大将軍の宣下を待つのみ。



足利義維(義冬)の周りには、都を追われ鳴門の撫養で死去した第10代将軍・足利義稙に従ってきた幕府吏僚達がおり、奉行人奉書の発給を始めています。(wikipediaより)

しかし、朽木谷へ逃れたとはいえ、現職の将軍・義晴は存命。


かれこれ5年間、将軍宣下を待つ。

待ちぼうけした 政治の中心となった場所が、顕本寺。


【顕本寺と三好元長】


おおお、さすが南国(違)。


メタルな手水。


マンションが建ち並ぶ町中にある顕本寺。


おや?


これは茶道のお道具ではありませんか?


堺は周知の如く、千利休のいたところ。


とても立派な本堂。

常住山顕本寺は、法華宗本門流の寺院。

三好氏は、法華宗。


しび。


堺公方・足利義維(義冬)を支えた三好元長ですが。

幕僚同士の勢力争いは、絶えず。


ここで、三好氏の宗派、法華宗が関わります。

元長は、かつて本願寺門徒による和泉や山城の法華宗徒への圧迫の一件に対し、本願寺側を弾圧。

恨み骨髄。

元長派の守護畠山義堯と対立していた河内守護代・木沢長政の働きかけにより、畿内宗門の責任者・蓮淳は、法主である証如に出陣させ、畿内における『浄土真宗と法華宗の最終決戦』と位置づけることで全畿内の門徒を結集。

摂津・河内・和泉の一揆衆が蜂起。

『単なる武家の騒乱でありながら宗門が参戦』の事態。

同年6月15日(7月17日)、10万(一説には20万)と言われた本願寺門徒は、最終的に三好元長を追い詰めます。



凶報。

天文元年(1532)6月。後見人の三好元長が幕僚同士の勢力争いに敗れ、顕本寺で自害。


この時、お腹から中身を取り出して天井へ投げつけたとか。

頼みとしていた三好元長の死。


足利義維(義冬)、しょーっく。

三好一族と共に阿波へ帰国。


(阿南市の西光寺、阿波公方墓所)

将軍宣下の前フリである「従五位下左馬頭」となりながら、将軍になれなかった足利義維(義冬)は、阿波の地で生涯を終えました。

さて。自害した三好元長ですが。


ここ、顕本寺には元長の墓所があります。



尚、前述したように、顕本寺は元は開口神社の近くにありました。


開口神社のおっきな狛犬さんの


こちらの足元に


「三好元長戦死跡」の石碑が


ひっそり。

また、三好氏の本拠地・阿波の勝瑞城跡に建つ見性寺境内には。


三好一族(之長・元長・義賢・長治達)の墓所。

足利義維(義冬)が滞在し政治の中心となり、三好元長の墓所のある顕本寺でした。


顕本寺
《住所》大阪府堺市堺区宿院町東4―1―30


南東に仁徳天皇陵。百舌鳥古墳群のある堺市です。


参考文献

『三好長慶 諸人之を仰ぐこと北斗泰山』(天野忠幸・著/ミネルヴァ書房/2014)
『戦国三好氏と篠原長房』(若松和三郎・著/戎光祥出版/2013)
『三好一族と織田信長 「天下」を巡る覇権戦争』(天野忠幸・著/戎光祥出版/2016)

その他、適宜「wikipedia」を閲覧


いつも応援いただきありがとうございます。
堺は二度、激しく焼かれています。一度目は大阪夏の陣。二度目は先の大戦。それを踏まえた上で史跡巡り。三好元長の最期は強烈な印象ですが、彼の息子・長慶達の活躍は信長前に畿内を治めるに至る戦国時代。一番ややこしくて興味深い時代です。元長といえば、お腹の中身ぶんぶん。これを長慶達兄弟はどう思ったのかな。三好くんへの興味は尽きず、堺と阿波をうろちょろしてます。

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開口神社の関西最古と伝わる力石

こんにちは。


でっかい狛犬さんがお出迎え。


まんまるなちび狛ちゃん。


投げちゃだめー。


けなげなちっちゃい狛ちゃんもお出迎えするここは、


大阪府堺市の開口神社。

かいこう、ではなく、あぐちじんじゃ。


拝殿手前横に、あっ!


おおお。


どすこいっ。

ちからいしです。

おおおー、力石。やっと会えたよぉ~。

神社巡りのブログ様ではちょくちょく見かけてはいたのですが、
力石を力石と認識して面と向かったのは初めて。

いつもお世話になっている、専門的な力石の研究と民俗に詳しい力石に魅せられて 姫は今日も石探し様の記事で、力石にはいろいろな背景や悲喜こもごもがあり、全国津々浦々をフィールドワークされている専門の先生方がおいでと知り、とってもとっても会いたかったのよー。


【力石とは?】


「力石とは、力試し、力競べをするために使われた石のこと、およびその競技をさす言葉です。
昔の農村の青年は米俵を担ぐなど力仕事をすることが多く、力試しをよくしたと伝えられています。江戸時代中期から明治にかけて、 各地の神社やお寺の祭の際には、力自慢を競う競技が行われていました。」
(保利神社HP「力石について」より引用)
http://www.oct.zaq.ne.jp/hori-jinja/keidai/tikara/tikaraisi.htm

力石には、「力石」の他に、「鶴亀」「雲龍」といった縁起のいい名前や、持ち上げた人の名や重量を刻んだものなどがあるそうです。



丹後半島の浦嶋神社。




力石を知らない頃に訪問したので、画像が投げやり。


那智勝浦の補陀落山寺と熊野三所神社の間。

力石は二つだと説明板にあるけれど、みっつ並んでいるの。
リボンつけるとか、目印が欲しいところです。よよよ。

さて。


指先までかわいいちび狛ちゃんの開口神社に話を戻して。


「大判石」

抱っこは無理よー。

大判ってぐらいだから、重いクラスなのかな。


明治24年9月の銘


「力石」

上端部には奉納者の氏名が刻まれています。


「五十五貫目」「文政丁亥十一月吉日」(1827年)


五十五貫目とは、約200キロ。

持ち上げたのかなー、これ。
ちょびっとごつごつしているのが、気になります。

だって、こんなの失敗したら怪我しちゃうわ。

力石には、これを持ち上げた若い衆の涙や汗、喜びや悲しみが詰まっているから、撫でて愛でてあげてね、って力石に魅せられて 姫は今日も石探し様に教えていただいたので。

みんな、撫でた。

まぁるい石は、何となく触り心地がよろしい。

不思議な感じでした。


「長雲?(まだ下に文字がありそう)」

天保4年(1833)のこちら、関西最古の力石と言われているとか。(保利神社HP「力石について」より)

ってことは、「五十五貫目」くん(どすこいっの文字が重なっている石)は、記念の奉納石なのかなー。


すごいなー。すごいなー。

こんなのを持ち上げるんだなー。


でっかい狛ちゃん、それ、違うから。


いつも応援いただきありがとうございます。
開口神社のでっかい狛犬さんは有名人のようですが、今回はわき役。うふふふ。力石を持ち上げる大会は主に江戸時代から明治が盛んだったようですが、現在も行われているお社もあります。皆様の近所の神社にも力石があるかもしれませんよー。地面に転がっていたり、埋まっていたり、少しお気の毒な目にあっている力石くんも多いようですので、目をお皿にして、ぜひ。

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