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室町幕府第10代将軍・足利義稙

こんにちは。


阿波公方の菩提寺、西光寺。

ここには、歴代の阿波公方が眠ります。


その中で特に大切にされているのが、


(左から)
室町幕府第14代将軍・足利義栄
室町幕府第10代将軍・足利義稙
初代阿波平島公方・足利義維(義冬)。


今日は真ん中の、足利義稙のお話。


室町幕府第十代将軍・足利義稙(よしたね)。
(1466年9月9日~1523年5月23日)


将軍在職は2度。

1度目は延徳2年(1490)7月5日~明応3年(1494)12月27日
2度目は永正5年(1508)7月1日~大永元年(1521)12月25日。


「阿波公方」家の発端となった人。


応仁の乱を引き起こす原因となった室町幕府八代将軍足利義政の弟、足利義視の子。



八代将軍足利義政、九代将軍義尚達の相次ぐ死により、転がり込んだ征夷大将軍の座。



らっきー♪

が。

管領の細川政元の反対を押し切り、反逆者を討伐するため京都から出陣しているうちに家臣たちによって征夷大将軍をクビの上、幽閉。(明応の政変)


前代未聞の珍事です。

足利義稙、憤慨。逃亡。

越中、近江、加賀、次いで中国地方の最西端・周防国まで巡り、有力守護大名を頼り、征夷大将軍職復権を狙います。

この間実に13年半。


必死。


ちなみに細川政元、ですが。

室町幕府の三管領(斯波・畠山・細川)である細川氏本家・京兆家の人。

修験道・山伏信仰に凝って、女性を近づけず生涯独身。


「天狗になりたかった管領」と覚えてやって下さい。


永正4年(1507)。その細川政元が暗殺されて政元の3人の養子の間で細川家が分裂状態(永正の錯乱)に陥ります。

ちゃーんす♪

周防国において大内義興の支援を得、その軍事力に頼り、永正5年(1508)に京都を占領。

将軍職に復帰。



日本史上唯一『一度クビになり復活した征夷大将軍』になりました。

ところがどっこい。

大内義興が周防に帰国後、今度は当時管領であった細川高国(政元の養子)と対立。


足利義稙、血の気が多いのか性格がまずいのか。


大永元年(1521)に細川晴元・細川持隆を頼り京都を出奔。

高国は義稙に代わる新将軍として、11代将軍・義澄の遺児・義晴を擁立。


義晴の征夷大将軍宣下に伴い、足利義稙は再び、将軍職をクビ。
(権大納言・源氏長者・淳和奨学両院別当には在任)



義稙は、和泉国堺から、淡路、そして、鳴門の撫養(むや)に流れ着きます。


撫養です。むや。



復権の日を夢見ながら、阿波国・撫養で死去。


「惠林院殿贈一品征夷将軍/巌山道寂大禅定門 」



足利義稙の思いは次の世代へ。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
足利義稙の時代、畿内はとても賑やかです。13年半もの間日本のあちこちをうろうろした足利義稙。「流れ公方」「島の公方」などと呼ばれたようですが、まぁ、よく諦めずに粘ったものだと思います。撫養で最期を迎えることはさぞかし無念であったことでしょうね。

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阿波公方の菩提寺、西光寺

こんにちは。


西国三十三箇所の石仏様が並ぶのは


西光寺。

寺伝によれば、行基菩薩の創建。
山号を己心山、院号を平等院。真言宗大覚寺派に属する古刹です。

何よりも~

阿波公方代々の菩提寺なのだ~。


山門(仁王門)。

三十代住職竜英(1887~1919)の時に再建されたと伝わる、どっしりした構えの山門です。


きゃー( 〃▽〃)

室町後期のものと推定される仁王様です。(阿波学会研究紀要「郷土研究発表会紀要第41号」『西光寺の金剛力士像について』)


痛そうです。やめて。


度重なる火災や災害により、次第に伽藍は縮小。

特に昭和17年の火災は本堂を焼失。

台座の裏面に「康安二年(1362)九月二十四日記之」と銘のある国宝・阿弥陀如来坐像、古文書、過去帳が失われました。

以来半世紀も放置されていたものを、平成になって檀家さん達の支援により「建設委員会」を設立。ようやく再建されました。


大変なことだと思うのですわ。


お屋根の狛ちゃんも若々しい♪

元気いっぱーい。いえーい。


何でしょう?(あんぽんたんって、あなた・・・)


足利さんちに縁のものなのねー。

うんうん。


これは燃えなかったのかな。よかったよかった。


おや。何かしら。


足利さんちは阿波公方(逆)~♪

そうです。こちらこそ、


お参りしたかったの。



左から

室町幕府第14代将軍・足利義栄
室町幕府第10代将軍・足利義稙
初代阿波平島公方・足利義維(義冬) のお墓です。

境内には、


歴代阿波公方のお墓が並びます。

つづく。


西光寺
《住所》徳島県阿南市那賀川町赤池185番地


阿波公方のおうち、平島館から車で10分ほどです。


いつも応援いただきありがとうございます。
本堂焼失と共に古文書・過去帳を焼失したために、阿波公方墓所の調査が困難至極。義栄・義稙・義維(義冬)の他にある23基のうち、やっと14基が判明したそうです。つくづく、不運な阿波公方さんなのです。

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石仏様ずらり

こんにちは。



阿波公方巡りで、西光寺へ。



石仏様がいっぱい。

さすがお遍路さんの四国。



かわいい。



ご本尊様を模してるのかな。



これは千手観音様かしら。

八十八箇所も巡るのはなかなか出来ないから、ありがたや。



・・・たんこ?なりあいじ?

ふーん。



ぎゃー。

四国八十八箇所じゃなくて、西国三十三箇所巡りだったのかー!



ちょーっとしょーっく。

しょぼん。


いつも応援いただきありがとうございます。
ひとーつ、ふたーつ、と数えながらご挨拶してたのですが、気がつかないものですね。おほほほほ。・・・四国から見ると、西国巡りの方がなかなか行けない所なのかな。和歌山の南端の那智から近畿をぐるぐるして日本海へ抜けて滋賀へ抜けて、最後は岐阜の谷汲山ですもの。ありがたや。ありがたや。

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狛犬のウインク。阿波藩南北八院の門主寺のひとつ、地蔵寺

こんにちは。



中世の頃より天然の良港として知られる小松島は、県下最大の港を持ち、江戸時代には大藍商たちが軒を並べ、藩財政に大きな影響力を持っていたとか。

また、義経が平家討伐のために上陸したと伝わる地です。


八坂神社拝殿には、義経の「駒つなぎの松」。


その八坂神社隣の地蔵寺山門は、市内最古の木造建築物。


「國傅山」

地蔵寺には、


阿波公方の平島館の玄関と書院を移築。


狛ちゃんは、元気です。


代々の阿波公方はここで暮らして。

鬱々とした日々だったのか、開き直ってのんきに暮らしたのか。


床下。ばらして組み立てて・・・間違えてないでしょね?


開基は、弘法大師。


ぎゅうぎゅう。


誰か、取ってあげて~(T▽T)

ぶわーっくしょい!ってされたら、牙がぶっ飛んできそうよー。


マジックハンド的な龍のお手手。


象さんか獏さん。うらめしいらしいです。ふふふ。


向拝の天井、花盛り。


お腹がすいたお猿さんがいて


ため息の鳥さんもいました。賑やか~。


【地蔵寺の由緒】(地蔵寺HPより引用)

「真言宗大覚寺派に属し、國傅山 寳珠院 地蔵寺と称す。

記録された文献では、天正7年(1579)領主吉成対馬守により境内800歩の免税を受け、慶長以降は藩主峰須賀家政の信仰厚く境内その他950歩を免税とした。

元和7年(1621)、代官山内松軒寺沢六右衛門が檀那となり中興。

歴代藩主の庇護と近郷在住の人々の信仰の道場として維持されてきた。

阿波藩内の僧風を正すためにもうけた南北八院の門主寺の一つといわれ、古くより京都嵯峨・大覚寺末の中本寺である。

時代の推移とともに寺運も幾度か盛衰を経たのち、明治に小松島に点在した塔頭子院6カ所、観音寺・阿弥陀寺・宝性寺・般若寺・真福寺・薬師寺を併合する。」
(引用終わり)



明治16年(1883)に生島伊之五郎とその妻ヨシが寄進した二重の塔。


鐘楼。

・・・すみません。間違えました。ごーん、です。


かわいい鎮守様。


誰かいます。


狛ちゃんのウインクこうげき~( 〃▽〃)


まんまるちゃんでかわいいなー。


とても丁寧な造りの鎮守様です。


宝寿水。

境内に湧く、ちょー軟水。

小松島は往古より天然の地下水に恵まれ、日常生活に利用されてきたそうで。

この地蔵寺境内の「宝寿水」は、阿波公方、阿波藩主が来訪のおりに所望、賞賛された名水と伝えられています。


ご近所さんがお水汲みなう。

このあと、ひとくちいただきました。

味?

えーっと。お水の味。

おしまい。


地蔵寺
《住所》徳島県小松島市松島町11ー26




地蔵寺ホームページ⇒⇒⇒「地蔵寺」
http://jizoji.com/index.html


いつも応援いただきありがとうございます。
阿波公方は、江戸時代後期には阿波漢文学の中心となり、阿波地域の文化サロン的な立場になっていたようですが、本人達はどう思っていたのでしょうね。屋根瓦の菊の紋や、地蔵寺ホームページで見られる内部の室町建築等から見ると、武力でいけいけどんどーん!な家とは一緒にしないで!ブライドぶんぶん!とも感じられます。細川・三好に翻弄された足利家、何ともお気の毒なおうちなのでした。

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阿波公方平島館の遺構。小松島の地蔵寺の玄関と本堂

こんにちは。

阿波公方、おさらい。

足利義維(義冬)が阿波守護職・細川持隆に招かれ、天文3年(1534)に平島館(徳島県阿南市那賀川町古津)に入り、文化2年(1805)に9代目の義根が阿波を退去するまでの約250年間、阿波公方の歴代は平島館に居住。

徳島藩主・蜂須賀氏は平島公方を軽視。
禄高を一挙に100石内外に削り、公方4代目の義次を「平島又八郎」と名乗らせるなど、旧将軍家の権威を認めず。

たまりかねた9代義根は、文化2年。
阿波を去って紀州に赴き、さらに京都へ帰りますが、温かく迎える者もなかったといいます。

この後、平島館は廃城。

古津八幡神社には、平島館内の三社を合祀。


三つの鳥居は、初代阿波公方の足利義冬が建立。


石灯籠も、同じく。


廃された平島館の遺構を追いかけて、小松島市へ。


八坂神社のちびちゃんず。


八坂神社の奥に位置する地蔵寺へ。ららんらん♪


簡素な作りです。

元和元年(1615)に建てられた山門は、小松島市内最古の木造建築物。


うおおお。


眼が落ちているので、こわーい。

この不動明王・毘沙門天共に平安中期の作だそうで。


じゃーん。平島館の遺構でーす。

文化2年(1805)阿波公方9代足利義根が阿波から退去。
翌年、平島館の廃城に伴い、玄関と書院を移築。
現在の玄関と本堂。


玄関は、壁のない吹き放ち。いわゆる車寄せの形。

屋根瓦には、菊の紋。


幅広い「式台」。

「阿波公方」も武家の建物に住んでいたんだなー。


【武家のおうちの玄関】


淡路島洲本八幡に残る、蜂須賀さんのおうち。


兵庫県丹波市柏原町の織田さんのおうち。


彫刻いっぱい。


玄関を上がってすぐに、このスペース。


共にいわゆる、書院造りにおける「武士玄関構え」の建築様式。



平島館は、何となくお上品。な、気がする。


平島館の玄関。

さすがに大名家に比べれば小振りですが、建築様式は踏襲されており、邪険にされてもそこは公方。


じいーんっとしてしまうのでした。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
阿波公方が実際に暮らしていた建物。彼等はここで何を思いながら綿々と足利家の血を繋いできたのでしょうね。第9代義根が立ち去った後、そそくさと平島館を廃した所を見ると、蜂須賀家には厄介なお荷物だったのかと思います。お気の毒なことに、この後、蜂須賀家に留まれば士族にはなれた足利家。家柄から華族になるよう働きかけます。しかし、そんなおうちは山ほどあったので華族にもなれず。しょぼん。

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住吉神社の祭神と由緒。藍住町の狛犬天国

こんにちは。


・・・間違えました。


藍住町の住吉神社。


社頭のお向かいに、ご神木のクスノキ。


クスノキの横に、境内社の恵比須神社と八坂神社。


こんにちは。


拝殿正面上部。


【祭神】
表筒男命(うわつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
底筒男命(そこつつのおのみこと)
神功皇后(じんぐうこうごう)
天穂日命(あめのほひのみこ)

※「住吉三神」表筒男命・中筒男命・底筒男命
※「住吉大神」表筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后


(クリックして拡大して目を凝らしてご覧下さい。)

【創建】

承安2年(1172)。津守国房の勧請創祀と伝わります。(『住吉幽考秘記』)

津守氏は、天火明命の流れを汲む一族で、摂津国住吉郡の豪族の田蓑宿禰の子の豊吾団(とよのごだん)が津守の姓を与えられたのが始まり。(wikipediaより)

大阪の住吉大社の祭祀を代々担った氏族です。

津守=「津(港)」を「守る」。


誰かいそうです。


えっ。ニワトリやったっけ?

ふふふ。


きゃー。


ぎゃー。


見返り龍さん。


がんばれー。


内部はがらーん。


何かしら。


カラス天狗と赤い天狗?

天狗といえば、


狛ちゃん、違うけど合ってる。


源平合戦の折。義経は小松島に上陸したと伝わります。(※これ、四国)


元暦2年(1185)。

源義経が平家追討の折、この住吉神社に戦勝祈願をし、結果は勝ち。

あるいは、吉野川増水により渡れずにいたところ、住吉神社に祈願すると無事渡河できた義経一行。

これにより、その神恩のお礼に社殿を整備したとか。(『山田家文書』)


狛ちゃん、惜しいっ。


あ、まだいたー。


ふむ。


いえ、お気持ちだけで。

久々の飴ちゃんコロコロな狛ちゃん。


ここは天神社。


建物の一角?


内部はこのように社殿が並んでいます。


大きな大きな覆い屋だったんですね。

細川・三好両氏の崇敬を集めた住吉神社でしたが、


天正年間(1573-1591)長曽我部元親の兵火にかかり焼失。

その後再興し阿波二十二社の一に加えられ庶民の尊崇を集め、現在に至ります。(『徳島県神社誌』)

よかったよかった。

さ、帰ろう。


ち、ちょっとそれはー。


聞こえてるよっ。

もー。

住吉神社、とても居心地のいい素敵な 狛犬天国 お社でした。

おしまい。


住吉神社

《住所》徳島県板野郡藍住町住吉字神蔵59



※近くに住吉神社の別当寺である福成寺があります。


いつも応援いただきありがとうございます。
狛犬さんも、歴史的背景も、とても面白い住吉神社でした。しかしやはり、どこの神社でも同じですが維持管理は大変なことと思います。周辺の田畑の宅地化が進んでいるようなので(その是非は別として)、少しでも氏子さんが増えるといいなぁと思いました。こんなにかわいい狛犬ちゃんのいる神社ですもの。皆に愛されるお社であり続けるようお祈りしてます。

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